甘酸っぱい
「やっぱりそうですよね!それが普通の考え方ですよね!?」
千代夫人がまばたきした。
「……え?」
いや、本当に嬉しかったのだ。
「ずっと俺も思ってたんですよ。でも、俺が何人もお嫁さんを持つことに、誰も反対しないんですよ?おかしくないですか?」
「え、ええ……おかしい、と思います、けど……」
「でしょう!?いやー、綾さんのお母様が常識人で本当によかったです!」
心の底から安堵していた。
ずっと、ずっと引っかかっていたのだ。千穂も、ネムも、叔父さんも、柚希さんも、東堂議員も。誰一人として、一夫多妻を真正面から否定してくれなかった。
ネムに「この女たらしめ!」と言われたことはある。
だがそれはあくまで「スケベ野郎!」くらいの温度感であって、「そもそもそんなの許されないだろ」という根本的なツッコミではなかったのだ。
千代夫人が、困惑した顔で東堂議員を見た。
東堂議員も困惑した顔をしていた。二人して困惑している。
「……あの、藤崎さん?」
「はい」
「あなた……喜んでいらっしゃるの?」
「はい。初めてなんです。俺の一夫多妻を真っ向から否定してくれた人は。悩んでたことは間違ってなかったんだって思えて、嬉しくて」
千代夫人が口を開き、閉じた。そしてまた開ける。
口をパクパクとさせ、困惑の表情を浮かべている。
無理もない。俺は綾と婚約しようとしている。そしてそれは、千穂やネムがいるため、結果的に一夫多妻となるのだ。「一夫多妻」を否定されて喜ぶなんて、根本的におかしいのだ。
……だが。
ここからが本題だ。
千代夫人が、静かに口を開いた。
「……なら、綾との婚約はなしということでよろしいですね?」
居住まいを正した。
――ここだ。
「いえ。それとこれとは、話が別です」
「……は?」
「是非ともお母様にも、綾さんとの婚約を認めていただきたいと思っています」
沈黙。
千代夫人の眉が、ゆっくりと寄った。
「……言ってることが、おかしくありませんか?」
夫人の言う通りだ。おかしすぎる。
「すみません。おかしいのは重々承知です」
畳に手をつき、深く頭を下げた。
「それでも、自分は綾さんと結婚したいと考えております。必ず……必ず綾さんを幸せにしますので」
額が畳に触れるほど深く。
返事はすぐには来なかった。
千代夫人の呼吸が聞こえる。浅く、速い。
「……」
「千代」
東堂議員が口を開いた。
「正太郎くんの会社のドールハウスは、既にこの国の未来の中核を担っている企業の一つだ」
「あなた……」
「彼の存在は……必ずこの国の難局を切り抜ける助けとなる。大国の顔色をうかがうような、現状から抜けられるんだ」
東堂議員の声には、何か強い信念のようなものが感じられた。
だが、千代夫人は引かなかった。
「ですが、あなた!」
声が一段上がった。
「この国のために、綾を捧げろってことですか!?」
「そんなことは言っていない」
東堂議員が穏やかな声で、しかしはっきりと言った。
「おまえも知っているだろう?これは綾の望みでもあるんだ」
千代夫人が唇を噛んだ。
「正太郎くんは、こういっちゃなんだが……綾の運命の人だ」
東堂議員が腕を組んだ。
「あの九時間配信、見ただろう……?お前にあれができるのか?少なくとも私には無理だ」
九時間配信。綾と二人で、ぶっ通しで折り紙を折り続けたあの配信か。どうやら、あれは異常な配信だったらしい。ネットでも話題になっていた。
でも……折り紙とはそういうものではなかろうか?
千代夫人の口が、小さく動いた。
「そ、それはわかりますが……」
声のトーンが、少しだけ下がった。
俺は顔を上げて、口を開く。
「千代夫人。確かに俺は常識のない人間かもしれません」
千代夫人の目がこちらに向く。
「ですが、綾さんを幸せにすることはできます。そうですね……何か……何か条件を出していただけませんか?」
「条件……?」
「これを達成できたら、綾さんとの結婚を認めてくれるといった条件を。それをもって、自分が綾さんを幸せにできることの証明とさせていただけないでしょうか?」
千代夫人は目を見開いた。
「条件……そんなこと急に言われましても……」
「なあ、千代」
東堂議員が身を乗り出した。
「じゃあ……あいつなんてどうだ?」
「……あいつ?」
「千代の甥っ子にグレた高校生がいただろう?あいつの更生なんてどうだ?」
こ、更生?
実に、よく聞く言葉だ。
……なんて不穏な言葉だろう。俺たちにとっては、だけど。
千代夫人の表情が変わった。
「た、確かに……」
「このままじゃ、あいつ変な道に進みそうじゃないか。親族にそういった人間がいるのは、私としても困るんだよ」
東堂議員の声が、わずかに低くなった。
「最近じゃ、たちの悪い連中とも付き合ってるみたいじゃないか」
「そうですね……事件を起こされると、勇気や綾の将来にも関わってきますしね……」
千代夫人が眉間を押さえた。
「正太郎くん」
東堂議員が俺に向き直った。
「グレた人間の更生はできそうかね?君なら、できるんじゃないかと私は思うんだが。多少手荒な真似をしてもいい。他の人に迷惑をかける前に、なんとかしたい」
更生とか……俺たちの得意技過ぎる。本当にそんなのでいいのだろうか?
だが、もちろん断る理由はない。
「……可能です。では、十日ほどいただけますか?」
「十日!?」
千代夫人が声を上げた。
「そんな簡単にできるわけ……!」
「まあまあ、千代。ここは正太郎くんに任せてみようじゃないか」
東堂議員が穏やかに笑った。
「じゃあ、あいつを更生できたら、綾との婚約を認める。それでいいな?」
千代夫人が押し黙る。
「……不可能です」
低い声で、そう呟いた。
「千代が不可能だと思うなら、それでいいじゃないか。綾との結婚がなしになるわけだしな」
東堂議員の口調は軽い。
千代夫人は俺を見つめ、しばらく考えて、ため息をついた。
「……そうですね。わかりました。さすがに無理でしょうが」
その言葉を聞いた東堂議員が、ぱんと膝を打った。
「話はまとまったな!よし、じゃあ正太郎くん、任せたぞ!」
……えらく嬉しそうだ。
たとえ道を外れそうになっているとはいえ、綾の親戚だ。それに、犯罪者というわけでもない。
状況に応じた丁寧な対応が必要になるだろう。オリガミの「特急更生やってみた」みたいなのは使えないのだ。
俺は、深く頭を下げる。
「わかりました。お二人の期待に応えられるよう、全力で取り組ませていただきます」
※※※
その後、千代夫人が席を外し、東堂議員と二人になった。
「千代がすまんな。あいつは少し頭が硬いんでな」
「いえ。東堂議員、ご夫人の反応の方が普通だと思います」
お茶を一口含んだ。
「俺……一夫多妻について本気で文句言われたことなかったんですよ。誰も止めてくれないから、『え、これ本当にいいの?』『こんなの許されていいの?』ってずっと不安だった部分があって。ご夫人のおかげで、自分の価値観が間違ってなかったことに気づけました」
東堂議員が怪訝な顔をしている。
「そ、そうか。正太郎くんには、正太郎くんの悩みがあるんだな……」
「ええ。これでようやく、非常識な人間として胸を張って生きていけそうです」
自己評価と他者評価がかけ離れていて、ずっとモヤモヤしていたのだ。
「……普通、逆じゃないかな?」
スッキリとした顔の俺に、東堂議員は小さく笑ったのだった。
※※※
「東堂議員、本日は失礼いたします。手早く結果を出して、また伺います」
「ああ。正太郎くん、楽しみにしてるよ」
東堂議員に頭を下げ、廊下に出ると、綾が柱の陰に立っていた。
両手を胸の前で組んで、こちらをじっと見ている。
「あ、あの……婚約の、お話はどうなりましたか?」
「ちょっと綾のお母さんに頼まれごとをされちゃってさ。それをなんとかしたら、許してくれるって」
「左様でございますか……。母が申し訳ありません」
綾が深く頭を下げた。
「何とかなりそうなものなのでしょうか?」
「ああ、問題ないよ。得意分野だ。綾は安心してくれてて大丈夫だから」
「師匠がそうおっしゃるなら、心配ありませんね!」
綾の表情がぱっと明るくなった。
俺への強烈な信頼を感じる。プレッシャーが……!
「では、わたくしはそろそろ下宿先の方に戻ります。到着したら連絡してもよろしいでしょうか?」
「もちろんだ。綾の好きなときに連絡してきてくれ」
「はい!」
綾が背筋をぴんと伸ばし、深く一礼した。
「わたくしは、いただいたデータをもとに、気持ちを込めて師匠のお姿を折り上げさせていただきます!」
「わ、わかった。楽しみにしてるよ」
どんな作品が出てくるか、正直怖い部分もあるが……綾の折り紙作品だ。興味の方が上回る。
綾が玄関で靴を履きながら、ちらりと振り返った。
「……師匠」
「うん?」
「お慕い申し上げております。師匠の妻になれる日を、心待ちにしております」
耳まで赤くして、綾は逃げ出すように俺の前から去っていった。
こ、これは……可愛すぎだろ……。
なんだか、こっちまで顔が熱くなるじゃないか。
※※※
ふと振り返ると、わずかに開いた襖の隙間から、東堂議員がニヤニヤとこちらを見ていた。
「綾があんなになるとは……実に甘酸っぱいな」
……み、見られてた?恥ずかしい!出歯亀!
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