正太郎様シリーズ爆誕
丸戸氏とネムの言い合いが一瞬途切れたタイミングで、本題の続きを切り出す。
「丸戸氏、お金のことは気にしなくていいんで。早急に実験できる体制を整えてもらえますか」
丸戸氏の目が丸くなった。
「……マジかお?」
「マジです。部品の発注も装置の組み立ても、資金は全部ドールハウスが持ちます。なるべく早く、音響ブラックホールの生成実験に入りたいんです」
丸戸氏が口をパクパクさせている。
そして――机の引き出しを、がばっと開けた。
中から分厚いノートを引っ張り出す。表紙に「音響ブラックホール装置設計(妄想)」とマジックで書いてある。
「実は……設計図、もう描いてあるんだお」
丸戸氏が照れくさそうにノートを広げた。びっしりと手書きの図面と計算式が詰まっている。
「海外の研究室にいたとき、もっとこうしたらいいのにってずっと考えてたんだお。でも資金がなくて……」
妄想設計図。ペラペラとページを一通り捲り終えると、オリガミが骨伝導イヤホン越しに小さく声を漏らした。
『……よく考えられています。改善点はありますが、ベースとしては申し分ありません。』
「それ、プロジェクトのサーバーに送ってもらえますか?ウチのAIで解析して、制御系と組み合わせた設計に仕上げたいんで」
「もちろんだお!今すぐスキャンして送るお!」
丸戸氏がノートを胸に抱きしめた。目に涙が浮かんでいる。
「俺っち……ずっと妄想だと思ってたんだお……。この設計図、誰にも見せたことなかったんだお……」
弟さんが静かに頷いている。ずっとそばで見てきたのだろう。
「あと、もう一つ」
丸戸氏が鼻をすすりながら顔を上げた。
「美少女AIの件ですが、一ヶ月以内に音響ブラックホールの生成に成功したら……アユ美を完全に模した丸戸氏専用のモデルを提供します」
沈黙。
丸戸氏が固まった。
弟さんも固まった。
「……い、今なんて言ったお?」
「声も見た目も応答も、アユ美そのもの。丸戸氏だけの専用モデルを提供すると言いました」
丸戸氏が、床に崩れ落ちた。
いや、ゴロンと転がった。
研究室の床をゴロゴロと転がっている。フィギュアの間を縫うように。弟さんがフィギュアを素早く退避させている。
「アユ美たんが!俺っちだけの!アユ美たんが!」
床を転がりながら叫んでいる。
「今すぐ部品発注するお!今すぐだお!一ヶ月と言わず二週間でやるお!いや一週間!」
「せ、精度重視でお願いしますね?」
「でゅふふふ……でゅふふふ……!生きててよかったお……!」
涙ダーダーで床に転がる太った男。シュールだ……。
弟さんが俺のそばに来て、小声で言った。
「兄さんがすみません……でも、ありがとうございます。兄さん、ずっとこの研究がしたかったんです」
本当に、できた弟さんである。
丸戸氏は、この弟さんの爪の垢でも煎じて飲んだ方がいいんじゃなかろうか。
ネムは、また俺の背中にコバンザメのようにくっついている。
彼女の大きな胸の感触が背中に伝わる。や、柔らかい……。
そんな中、ネムが俺の耳元でささやく。
「な、なあ、正太郎。そろそろ帰らないか?わ、ワタシ、もう限界かもしれん」
こりゃいかん!ネムがピンチだ!帰って優しくしてやろう!ベッドの上なんていいんじゃないかな?
背中に感じる柔らかいもので、俺はムラムラしてしまっていた。
「わかった。帰ろう。すぐ帰ろう。今すぐ帰ろう」
スケベ心に突き動かされて、弟さんに向き直る。
「すみません。連れがちょっと体調悪そうなので、今日は帰ります。ありがとうございました」
「あ、いえ……こちらこそありがとうございます。兄さんが、本当にすみません」
床の上でローリングしている丸戸氏を弟さんに任せ、俺たちは研究室を出たのだった。
急がねば!
※※※
車に乗り込む。
エンジンをかけると、助手席のネムが深いため息をついた。
「疲れた……ワタシは当分、家から出ないからな……」
「あの動画のせいで、ネムの知名度がとんでもないことになってたな」
「元凶のオマエがいうなよ……」
ネムがシートにもたれかかって目を閉じた。
なんだか気が抜けたような顔をしている。家に帰れるからだろう。
車を出す。丸戸氏のいる大学が後方に遠ざかっていく。
『お兄様。丸戸氏の設計データ、受領しました。解析を開始します。制御系の設計に着手しますので、数日中には最適化案をお出しできるかと。』
「頼む」
『一ヶ月以内の生成は、十分に現実的です。ふふっ、彼への対応はアユ美にさせてもいいかもしれませんね?』
「ま、丸戸氏を働かせすぎるなよ?」
『適切なモチベーション管理を行います。ご安心ください。』
安心……安心……?オリガミの言う安心?
定期的に俺からも連絡を入れた方がよさそうだ。
安否確認のために。
※※※
自宅に着いた。
車から降りるなり、ネムが玄関に向かってタタタッと走り出した。
「ワタシは研究で心を癒やすから!じゃあな正太郎!またな!」
そう言い残すと、玄関を開け家の中へと消えていくネム。背中が見えなくなるまで三秒もかからなかった。
あ、あれ?……行ってしまった?
あわよくばベッドの上で慰めの大運動会なんて思ってたんだが……。
どうやら、俺のことはお呼びでなかったようだ。
あれだけ俺の背中におっきなものを押し付けてこれかよ……。
ガッカリだ。
……まだ諦めるには早い。ふらりと夜にでも部屋にやってくるかもしれない。
『や、やっぱり昼間のダメージがおおきくてさ。正太郎、慰めてくれ!ワタシを全部忘れるくらい甘やかしてくれ!』
って。
……絶対ないだろうな。
※※※
音響ブラックホールについて、今の段階でやれることはやった。
「境界ソケット」を開く、他の可能性の模索は……ネムとオリガミに任せるしかない。俺が協力できることはないだろう。
じゃあ、進めなきゃいけないことは……「人類わからせ計画」だな。
この宇宙を運営に消されないために。何より、自分たちの自由を守るために。お披露目会で得た協力者たちとの関係を固め、オリガミに手を出せない環境を構築する。
叔父さんたちは……家族に害がない限り、俺たちの味方でいてくれるだろう。
叔父さんの家族には、イヌガミタイプの護衛をさらに数台追加してある。叔父さん自身も企業のCEOということで、セキュリティ意識がしっかりしている。なんせあの柚希さんが隣にいる。これ以上、できることはないだろう。
ということはだ。
今やるべきことは、笹木家・東堂家との関係を深める具体的なステップを踏むことだ。
つまり。
笹木家ご当主と東堂正人議員に、詩織さんと綾との婚約を認めてもらわなければならない。
あああ……気が重い……。
お披露目会の場では、二人とも乗り気な様子だったけど、アレ本気なのか?
大切な娘や孫を、相手が何人もいるような男に渡すなんて、普通じゃない気がするんだが。
俺が小物なだけなのだろうか?
※※※
そんなことを悶々と考えつつ、リビングに入った。
誰かいる。
絨毯の上に正座している小さな背中。お団子頭がこちらを向いている。
綾だった。
机の上に並べられた折り紙の作品を、食い入るように見つめている。
千穂シリーズの一つ。リビングに飾ってあったものだ。
俺が千穂をモデルに折り上げた、千穂が座っている姿だ。折り紙でここまで表現できるのかと自分でも思うぐらい、気合いを入れて作った。
綾の表情は真剣そのものだ。作品に視線を走らせ、折りの構造を読み取ろうとしている。
「綾」
声をかけると、綾がぱっと振り返った。
「し、師匠!お帰りなさいませ!」
慌てて立ち上がり、深々とお辞儀する。
「ただいま。オリガミが案内したのか?」
「はい!妹様がお部屋にご案内くださいました。こちらの作品、拝見しておりました……お許しください、勝手に」
「いいよ、気にしないで。見てもらえると嬉しい」
綾の肩から、力が抜けた。
「あと、そんなに固くならなくていいから。自分の家だと思ってくれ」
「……はい。ありがとうございます、師匠」
綾が微笑んだ。表情が柔らかくなる。可愛い。
ソファに腰を下ろして、綾に向き直った。
「今日はいつまでいられるんだ?」
綾の顔が曇った。
「……今夜、大学に戻らなければなりません。ですので、こちらにいられるのは、あと二時間ほどですね」
「そりゃそうか。まだ夏休みには早いもんな」
「お父様の用事もありまして。七月末には戻ってこられるのですが、明日からはしばらくお訪ねできなくなります」
七月末か。三週間ほど空くことになる。
「もっと綾の折り紙、見たかったのにな」
ぽろっと本音が出た。
綾の目が見開かれた。頬に赤みが差す。
「もっ……戻ってきてからは、毎日お訪ねいたします!毎日でございます!!」
声が上ずっている。拳を握りしめて、前のめりになっている。
「おう、待ってるよ」
「あ、あの……師匠」
綾が視線を落とした。膝の上に置いた手を、きゅっと握っている。
「向こうにいる間も、ご連絡してよろしいでしょうか?」
「もちろん」
「師匠と……もっとお話したいので……」
耳まで真っ赤だ。
折り紙の話がしたいのか、それ以外の話もしたいのか。多分、両方なのだろう。正座した膝に視線を落として、耳の先までじわじわ赤くなっていく綾を見ていると。
……千穂ともネムとも、違う。
千穂の包み込むような温かさでもなく、ネムの対等な距離感でもない。
守ってあげたくなるような、可憐さ。
くそっ。
俺の節操なしめ。ネムやオリガミの言うとおり、俺は本当に女たらしなのかもしれん。
詩織さんのことはよくわからない。色々な意味で眩しすぎて、まだ正面から見られていない気がする。
「連絡、いつでもしてくれ。折り紙の写真も送ってくれると嬉しいな」
「はいっ!必ず!」
綾が顔を上げる。頬は赤く染まり、その目は潤んでいたのだった。
か、可愛い……。
※※※
その後は、折り紙作品の保管庫へと案内した。
綾は目を煌めかせて、作品群を見ている。
綾が、そっと手に取った。千穂の笑顔を折ったものだ。
「すばらしいですね……」
息を呑むようにして、折り目を指でたどっている。
「この曲線、どのようにして生み出されたのですか?紙の厚みを利用した湿折り(しめおり)……いえ、それだけではない。折りの重なりで、頬の丸みが……」
綾の目が輝いている。作品の構造を読み解こうとする真剣さが、指先の動きに表れていた。
「わたくしも、いつかこの領域に立ちたいです……!」
嬉しい。
クリエイターってのは、自分を褒められるより、作品を褒められる方がずっと嬉しいのだ。「正太郎すごい」より「この作品すごい」の方が、心に響くものなのだ。
「コツ……みたいなものはあるんですか?わたくしにも、何か……師匠からのお言葉をいただけたら」
「そうだな……」
少し考える。
技術的なアドバイスはいくらでもできる。でも、綾の折り紙はすでに完成されている。伝承折りの精度なら、俺より明らかに上だ。
足りないのは、技術じゃない。
「前にも言ったけど……自分の心を熱くするものを折ることかな」
綾が静かに頷いた。
「技術は綾の方が上だよ、伝承折りに関しては。精度は俺より綺麗だと思う」
「そ、そんなことは……!」
「でも、創作折り紙は技術だけじゃ足りない。自分の中に、どうしても形にしたいものがあるかどうか。それが作品の熱になる」
千穂シリーズに目を向けた。
「千穂やネムは、俺の心を熱くしてくれる。だから折らずにいられない。その衝動が、作品に乗る」
綾が千穂シリーズとネムシリーズを見つめ直した。
「なるほど……だから千穂殿やネム殿なのですね……」
「ああ、そしてそこで得られた技術が、他の作品にも活かされることになる。俺は、そんな気がしてるよ」
「素敵なお考えですね……」
静かに呟いて、少し考え込んでいる。
何かを探すような目だった。
やがて、顔が上がった。
頬が赤い。目に、強い光が宿っていた。
「師匠!お、お願いがございます!」
「おう」
「わ、わたくしに――」
綾が一度、大きく息を吸い込んだ。
「わ、わたくしに、師匠のお姿を折らせていただけないでしょうか!」
え?俺の姿?
「わたくしの心を熱くするもの……今は、折り紙と師匠なのです!で、ですので、なにとぞ!なにとぞ!」
床に手をついて、深々と頭を下げている。
……正太郎シリーズというわけ、か。
千穂シリーズやネムシリーズを折っている身として、断れるわけがない。
しかも、だ。
千穂シリーズは千穂に無断で折り始めた。ネムシリーズもそうだ。本人の許可なんて取っていない。今思うと、とんでもないことをしていたな。
詩織さんですら、「正太郎様ハンド」を作るとき、ちゃんと俺に許可を取りにきた。
……まじか。
詩織さん以下のモラルの持ち主だったのか。
自己評価を下方修正する必要がありそうだ。俺は駄目な奴。俺は駄目な奴。
いかんいかん。今は、そんなことはどうでもいい。
目の前の綾に向き直る。彼女は頭を下げたまま、返事を待っていた。
「もちろんいいよ。いいに決まってる」
綾の肩が跳ねた。
「綾の好きなだけ作っていいから」
「ほ、本当でございますか……!?」
顔を上げた綾の目は、きらきらと輝き、本当に魅力的だった。
こんな可愛い子も俺のお嫁さんになってくれるのか……嬉しすぎるだろ!
そして、『正太郎様シリーズ』の誕生が確定した瞬間なのであった。
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