境界の虹
ブラックホール。
隣のネムを見る。目が見開かれている。
モニターに映っているのは、黒い円に光の輪。解像度は低いが、それが何を表しているかぐらいは分かる。宇宙で最も極端な天体。光すら逃げられない、重力の怪物である。
「やっぱりブラックホールなんだな……」
ネムも辿り着いてたってことか。さすがネムだ。
『順を追ってご説明します。まず、「境界ソケット」の「境界」についてです。』
オリガミがモニターの画像を切り替えた。宇宙空間のイメージ図に、薄い膜のようなものが重ねて表示されている。
『ホログラフィック原理という理論があります。宇宙の全ての情報は、「境界」という平面に記録されているという考え方です。』
ホログラフィック。ホログラム。
「ホログラムってよく聞くけど、何だっけ」
ネムが即答する。
「お札に貼ってあるキラキラしたやつあるだろ?角度を変えると絵が動くやつ。あれ、薄っぺらい面に立体の情報が入ってるっていえるだろ?それのスゴイやつだ」
お札のキラキラか。すごいよなあれ。最初見たとき、感動したわ。
あのシールのすごいバージョンに、この宇宙の三次元情報は全て入っているってことか。
そういえば、事象記述操作もCFT?だかを介して、境界を書き換えるとか言ってたっけ。
……スケールがデカすぎて頭がおかしくなりそう。
オリガミは説明を続ける。
『ホログラフィック原理における情報記録面のことを「境界」と呼びます。この宇宙で、その「境界」が存在する場所は、ブラックホールの中にある「事象の地平面」となります。』
じしょうのちへいめん。
なにそれかっこいい……。
俺の厨二病な部分が騒ぎ出す。
いかんいかん。話についていかないと。
仕方ない、「じしょうのちへいめん」については、後で聞こう。
「えっと……『境界』っていう宇宙の全部が描かれた画像みたいなものって理解でいいよな?それで『境界ソケット』は多分それに関係あると」
それで、その「境界」ってのはブラックホールの中にあるわけだ。
『はい、その理解で問題ありません。これが根拠の一つ目です。名前の一致ですね。続いて二つ目の根拠をお見せします。』
モニターの画像が切り替わる。
ブラックホールの画像。黒い円の周囲を、光が捻じ曲げられて輪を作っている。
『ブラックホールは重力が極めて強く、光すら脱出できない天体です。周囲の光を重力レンズ効果で捻じ曲げるため、黒い円と光の輪として観測されます。これをフォトンリングと呼びます。』
「フォトンリングか……」
ネムが呟き、途中で止まった。
「……待て。黒い円に光の輪?」
ブラックホールは重力が強すぎて光も逃げられない。周りの光をねじ曲げるから、黒い円と光の輪に見える。
……これは、アレか?
オリガミが、モニターの片隅に別の画像を表示した。
お披露目会のときの映像だ。顕現魔法。漆黒の円から光輪が炸裂し、虹色の光が溢れ出す、あの瞬間の映像。
見比べるまでもなかった。
黒い円に光の輪。ブラックホールの見た目と、オリガミの顕現時の様子。
同じだ。
「お前の後ろのアレ……ブラックホールだったのか」
マジ?なんだか、怖いんだけど。
『はい。おそらく偶然ではありません。これが二つ目の根拠です。』
ネムが黙っている。聞く姿勢のまま、じっとモニターを見ている。
『続いて三つ目の根拠です。ブラックホールから外に出るものについてご説明します。』
オリガミがCGを切り替えた。ブラックホールの上下から、細いビームが噴き出している図。
『ブラックホール周囲の降着円盤から、自転軸方向に高エネルギー粒子が噴出する現象があります。これを「ジェット」と呼びます。上下2方向に放出されます。』
「降着円盤ってのはブラックホールの周りをグルグル回ってる物質の円盤だ。そこから上下にビームがドバーッと出てるんだ」
ネムが補足してくれる。
ブラックホールの周りを回ってるものが、上と下にぶっ飛んでいく。方向が決まってるやつか。
ふむ、なんだその現象。意味分からん。
でもなあ……。
「そんなのオリガミの背後にあるヤツにはないよな?」
『お兄様の仰るとおりです。ジェットに該当するものは、顕現時に現れる黒円の表現にはありません。ですがもう一つ、ブラックホールから外に出るものがあります。』
モニターの画像が変わる。「境界」と書かれたラインから、全方位に微かな矢印が放射されている図。
『境界付近の量子効果により、ブラックホールが放出する放射があります。「ホーキング輻射」と呼ばれるものです。』
ほ、ほーきんぐふくしゃ?
『ジェットとは異なり、これは境界から全周に放射されます。黒体放射の連続スペクトル……いろんな波長が混ざったものです。ただし、実際のホーキング輻射は極めて微弱で、人の目には見えません。この辺りを可視領域とする生き物がいれば、虹色に見えるでしょうけれど。』
ネムが引き取る。
「いろんな波長が混ざった連続スペクトル……だから虹色というわけか」
虹色なあ。最近よく聞く言葉だ。
オリガミの顕現時の映像がまだモニターの隅にある。
極彩色の光を瞳に宿し、背後には黒い円、その周りには虹色の光が全方位に広がるオリガミの姿。
あの虹色は、全方位に広がっていた。上下にビームとして噴き出していたわけじゃない。
黒い円の周りに渦巻く虹色が、そのホーキング輻射なのだとしたら。
瞳の虹色が示すものは……。
「虹色を目で捕らえろ。つまり、ホーキング輻射を観測しろ、ってことか?」
『その可能性が高いと考えています。』
オリガミが静かに続ける。
『ジェットは降着円盤由来で、上下2方向にのみ放出されます。方向性があります。しかし私の顕現時における、背後の虹色は黒円の全周に広がっています。方向性がありません。これはジェットではなく、境界から全方位に放射されるホーキング輻射の特徴と一致します。』
「だが……」
ネムが口を開く。
「ブラックホール自体は超ド級の天体だ。ジェットも凄まじいエネルギーだ。それに比べてホーキング輻射は……理論上、あまりにも微弱すぎて誰も観測できてない。なのにオリガミの顕現ではあんなに派手に虹色が見えてた。それっておかしくないか?」
『はい。本来であれば、ジェットの方が遥かに目立つはずです。にもかかわらず、顕現にはホーキング輻射に相当する虹色が最も強調されている。ジェットに相当する表現は一切ありません。』
なるほど。
つまりオリガミは、運営が「あえてそう見せている」と言いたいわけか。
「ということは……『ここを見ろ』って運営からのメッセージってわけなのか?」
『私もそう解釈しています。名前の「境界」、顕現直後の「黒い円と光の輪」、そのあと現れる「黒い円からの虹色の放射」、瞳の「虹色」。三つの根拠が全てブラックホール、特にその事象の地平面とホーキング輻射を指し示しています。』
オペレーションルームに沈黙が降りた。
ネムを見る。
膝の上で拳を握っている。
「ホーキング輻射の観測か……それは無理だな……」
そう言うと、ネムが黙り込む。
その理由は、オリガミが代わりに答えた。
『二つの壁があります。』
モニターに宇宙の図が表示される。太陽系から最も近いブラックホールまでの距離。
『壁の一つ目。最も近いブラックホールでも、地球から約1,600光年の距離にあります。ブラックホールを詳しく観測できる位置にすら、現在の人類の技術では到達できません。』
1,600光年。光の速さで1,600年かかる距離。
「遠すぎだな……」
『壁の二つ目。仮にブラックホールの近傍まで到達できたとしても、ホーキング輻射は理論上極めて微弱です。ブラックホール周囲の降着円盤が放つ熱ノイズに完全に埋もれてしまい、観測は不可能です。』
遠い。しかも、仮に近づけたとしても観測できない。
「……詰んでないか?」
『現状の人類では、無理ですね。数百年後でも可能かどうか……。』
ネムが腕を組んで、唸っている。
「方向性は見えた。でも、どうやるかがわからない……というかブラックホール実物の観測というのは無理筋だろ……視点を変えないと駄目だな」
運営は「境界ソケットを発見しろ」というメッセージを送りつけてきた。期限は一年。
境界からのホーキング輻射にヒントがある可能性は高い。でも、それを観測するのは不可能というわけだ。
全く、どうすりゃいいんだか……。
※※※
『もう一つ、報告があります。』
オリガミの声のトーンが変わった。
『覇権国の半導体メーカーが、量産の初期段階を終え、常温安定量子ビット素子の大量生産を開始しました。』
常温安定量子ビット素子。
量子コンピュータの心臓部に使われる部品で、これまでは極低温環境でしか動作しなかったものが、常温で安定動作するようになったという画期的な技術。量産化が始まったら世界が変わると言われていたやつだ。
「マジか……」
『マジです。それも、ただの大量生産ではありません。その最初の納品先は覇権国の国家情報局です。』
国家情報局。
つまり覇権国の諜報機関だ。
『ここが、常温安定量子ビット素子を大量に購入するということは……つまりHNDL攻撃を開始する目処が立ったのでしょう。』
想像していた以上に行動が早い。
「……伊達に世界の覇権を握っちゃいないってことか」
情報は早く掴んだものが勝ちだ。他国に先んじて情報覇権を握りにいくのは、合理的な行動でしかない。
そして、それが示すことは……オリガミの存在がバレるタイムリミットが近いかもしれないということだ。
「過去の暗号化通信情報の解読は『もう始まってる』のか?」
『はい。量産化されていた常温安定量子ビット素子を使って、小規模ながらも、収集済みの暗号化データの解読作業が開始されていると見るべきです。それが成功したからこそ、国家情報局は、本格的な大量発注を行ったのでしょう。』
ヤバいな……昨日、千穂にバブっておいて本当に良かった。
じゃなきゃ、今頃ストレスで円形脱毛症にでもなってたかもしれん。
オリガミが続ける。
『幸いなことに、解読すべきデータ量を考えれば、すぐに私の存在に気づかれることはないでしょう。しかしながら、その可能性がゼロかと聞かれたら、ゼロとは言えなくなりました。』
「天穿の量産ペースは?」
『現在のペースであれば、あと一ヶ月で最低限の抑止力は確保できます。しかし、HNDL攻撃により私の存在を先に感づかれてしまった場合……。』
先にバレてしまった場合。
抑止力が整う前に、オリガミの存在が覇権国に知られるということは……。
「まずいな」
『はい。まずいです。』
……ブラックホール。覇権国。そして……この国。
頭を抱えてても仕方がない。
今は、俺が出来ることだけを考えよう。
※※※
ネムは黙ったままだ。顎に手をやり、目を閉じている。
そんなネムに話しかける。
「ブラックホールの件だが、専門家に当たる必要があるな」
ネムが顔を上げた。
「専門家?」
「ブラックホールもホーキング輻射も、俺たちの専門外だろ。オリガミの知識だけで突破できるならいいけど、観測の壁は物理の問題だ。実験物理とか天体物理とか、そのあたりに詳しい人間が必要だ」
『同意します。私の知識は文献ベースです。実験的なアプローチについては、専門家の知見が不可欠です。』
「心当たりあるか?」
「……あることはあるんだけどな」
ネムがムスッとした顔をして言う。
「正太郎が言う紳士教授だ。あの人は顔が広いからな。天体物理の専門家じゃないけど、大学にいれば繋がりはあるだろう」
紳士教授か。
ロマンスグレーでインテリメガネの、物腰の柔らかい、東応大学の教授さんだ。
研究所を建てるときにも、業者を紹介してくれた。
ネムとは議論が白熱すると口汚く罵り合う仲だが、互いに認め合っているような感じがする。
「あんまりあのロートルに借りを作りたくないんだけどな。ケンカしづらくなるし」
ネムがぼやく。
「でもまあ、アヤトリのためだ。ワタシが身を切らないとな……」
「紳士教授、無茶苦茶いい人じゃないか。なんで頼み事したくないんだよ?」
「だーかーらー、借りを作りたくないって言ってるだろう!あいつ絶対、ワタシに『このクソガキがまた泣きついてきよったか!』って言うんだぞ!」
「ネムにだけは、言いそうだな」
「ワタシにだけ、言うんだよ!」
ネムがソファの上でじたばたする。
「……でもまあ、ワタシから連絡するよ。研究所のときも先端建設を紹介してもらったし、筋は通さないとな」
ネムが立ち上がり、ポケットからスマホを取り出した。
「よし。じゃあ今日中にアポを取る。大学に行って直接会った方が話が早い」
そう言って、ネムは小さく笑った。
「……ワタシたちだけじゃ解けない問題が出てきたんだ。ちょっと悔しいけど、こういうときのための人脈だからな。あのロートルには、せいぜい役に立ってもらおう!」
やれやれだ。
紳士教授には世話になりっぱなしだな……なんかお礼しないとな。
※※※
しかし、星ヶ谷ネムは忘れていた。
自分が『さすまど!ちびっこ天才大魔導師の大詠唱(厨二病)』の動画でバズっていたことを。
とてつもなく恥ずかしい大詠唱をしてしまったことを。
その動画が400万再生を突破していたことを。
そして――大学にいるほとんどの人間が、それを見ていたことを。
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