ポイント・オブ・ノーリターン2
どうしたもんかな、これ。
詩織さんが綾の手を掴んだまま離さない。
綾はソファの上でのけぞり、詩織さんは床にしゃがんだ姿勢のまま、綾の指先をうっとりと見つめ続けている。
マズイ。詩織さんの奇行に、綾の顔が恐怖に引きつっている。
「詩織さん!綾がびっくりしてますよ!落ち着いて!普通の人は、そういうのに慣れてないんです!」
「ダメですよぉ!正太郎様、もうちょっとだけ!先っちょだけですから!」
なんだ?ネムと同じことを言っている。「先っちょだけ」っていうの流行ってるのか?
詩織さんは綾の右手を持ち上げ、手の甲をオリガミの発光にかざした。
ええ……。
顕現したオリガミを照明扱いかよ……詩織さん……パネェ……。
「ああ……見てください正太郎様!この伸筋腱!綾ちゃんの手に生で触れられるなんて……!正太郎様のとは全然違いますけど、これはこれで芸術ですよ!細くて、でもしっかり筋が通ってて……折り紙で鍛えられた手ですよね!?ね!?」
「詩織さん、落ち着いて!落ち着いてください!」
綾の顔が、青くなっていく。
「指の腹の硬さが違うんです!正太郎様の手は全体的に均一な硬さなんですけど、綾ちゃんの手は指先だけが特別硬い!伝承折りの証拠です!紙の端を合わせるときの精度が指先に出てるんですよ!」
くそっ。変態が、止まらない。
綾は完全にフリーズしている。
目を白黒させて、助けを求めるように、ゆっくりと首を回す。
「し、師匠……た、た、た、助けてたもれ……」
絞り出すような声だった。
いかん。変態がヨダレを垂らしはじめた。そろそろ、綾の手に頬ずりを始めそうだ。
さすがに止めなければ。綾のトラウマになってしまう。
「詩織さん、ストップです!ステイです!これ以上は駄目ですよ!」
詩織さんの両脇に手を入れ、綾から引き剥がす。
「あうっ」
へ、変な声だすな。
拘束から逃れた綾は、バッと立ち上がると、俺の背中に回り込んですがりついてきた。
「し、師匠?この方は?」
「笹木詩織さんだ。弁護士やってる。面識あるって言ってなかったっけ?」
「し、詩織さん……?あの……?」
小さなころの美しい思い出が、ガラガラと崩れていく瞬間を目撃してしまったかもしれない。
詩織さんは、ニコニコ顔で綾に声をかける。
「お久しぶりですね!綾ちゃんって呼んでいいですか?昔みたいに!」
「……あの、わたくしにお花をくださった……詩織さんですか?」
「そうです!覚えててくれたんですね!」
詩織さんがパッと顔を輝かせた。
「あの頃の綾ちゃん、すっごく可愛かったんですよ?壁の隅っこでつまらなそうにしてて……私が声かけたら、顔を真っ赤にしてうつむいちゃって!」
「……は、恥ずかしゅうございます」
綾の耳が赤くなった。
「お花をいただいて……折り紙の鶴を返したのは、覚えておいでですか?」
「もちろんです!あの鶴、今でも持ってますよ?」
「ええっ?そうなのですか?」
「だって、すっごく綺麗な鶴でしたからね!ちっちゃい手で折ったとは思えないくらい精密で。あの頃から、綾ちゃんの手には才能が宿ってたんだなあって!」
手フェチに狙われる才能だろうか。
「あのときは……優しいお姉さまだと思っておりました」
綾がぽつりと言う。
「あのときは?」
「い、いえ!今も!今もでござる、もちろんでござる!」
慌てて取り繕った。
目が泳いでいる。実に嘘が下手である。
「ふふっ、いいんですよぉ。私、自分が変態なのは分かってますから!」
詩織さんがカラッと笑う。
変態である自覚があったとは。
「でもね、綾ちゃん。私が好きなものを好きなことは、誰にも止められないのです!折り紙を折る人の手って、本当に美しいんですよ?」
そう言って、自然に綾の方へ近づこうとする。
そうはいくかと思い、体の向きを変えると――詩織さんは、俺の手をサッと両手で包み込んできた。
ふ、フェイントだと!?
詩織さんの両手のひらの温もりが伝わってくる。
……やわらかい。詩織さんの手、すべすべしてる。
抵抗する気力が失われていく。
「は、はあ……やっぱり正太郎様の手、素敵ぃ……ここは私のパラダイスですぅ」
パラダイス?さっきネムも似たようなこと言ってたな。
「お姉ちゃんパラダイス」でもあり「手フェチパラダイス」でもあるわけか。
待て!ここは俺の家だぞ!
※※※
さて。詩織さんには聞かないといけないことがある。
部屋に入ってきたとき、詩織さんは、顕現しているオリガミを見ているはずだ。
虹色に激しく光る少女が、空中に浮かんでいるのだ。普通は驚く。ネムだって初見は固まったし、綾は「殿中ですぞ!」とパニックになってた。
だが、詩織さんは何のリアクションもしなかった。綾の手に一直線だった。
そんなことあり得るのか?
……改めて、オリガミの方を見る。
オリガミは空中に浮かんだまま、表情のない顔で詩織さんを見ていた。
『……詩織さん。』
オリガミが声をかけた。
俺の手に頬ずりしながら「でへへへ……」とヨダレを垂らしていた詩織さんが振り返る。
虹色の光に照らされた詩織さんの顔。目を細めているが、驚きの色はない。
「あ、いつも正太郎様といっしょにおられる方だ」
……え?
「し、知ってるんですか?」
「知ってるというか……なんとなく?正太郎様のそばに、いつも誰かいるなあって。それが今、見えてるだけですよ?」
なんとなく?マジか?これが巫女の力ってやつなのか?
「眩しいですけどね!正太郎様の方がもっと光ってますから、大丈夫です!」
どういうこと?この直視できない輝きのオリガミより、俺の方が光ってるだと?
詩織さん……意味不明すぎるだろ。
『彼女の目には、いったい何が見えているんでしょうね?』
オリガミも、好奇心が隠せないようだった。
ま、まあいい。
詩織さんのことを深く考えても無駄だ。
とりあえず、オリガミを紹介しよう。
「詩織さん、紹介しますね。俺の妹のオリガミです」
そう言って俺は、手のひらを上にしてオリガミに向ける。
「……妹?妹さんだったのですか!?も……もしや幽霊さん?過去に事故か何かで?」
『いえ、私は、故人である藤崎宗一郎お父様と、お兄様によってつくられた、極めて特殊なAIです。お見知りおきを。』
「こちらこそ、よろしくお願いします!でも、安心しました!幽霊さんじゃなかったんですね!」
『はい。幽霊ではありませんね。幽霊が苦手なんですか?』
「幽霊だったら怖いですよ!正太郎様から祓わなければ……!でも、幽霊とかいるんですかね?見たことないですけど」
なんというマイペース。
『……私は祓わないでくださいね?』
「当たり前です!だって、正太郎様の妹さんなんですよね?正太郎様が大切にされてる方なら、どんな方でも受け入れますよ?それより正太郎様の手を……」
『ありがとうございます。ですが、手の話はまた後にしていただけますか。』
「あっ、すみません!幽霊といえば……ずっと思ってたんですけど、下の方に何かいる気がするのですが……こっちが幽霊ですかね?」
コアフロアのオリガミ本体まで、探知されてる。
思わず、背中に悪寒が走る。
『いえ、そちらも幽霊ではありません。ご安心を。』
「よ、良かったぁ!幽霊とか怖いですもんね!幽霊だったらどうしようって思ってたんですよ!」
『……そうですね。』
オリガミが小さく頷いた。
そして、骨伝導イヤホンにだけ聞こえる声で。
『お兄様。詩織さんは絶対に引き入れなければいけません。私の存在に「なんとなく」気付き、本体の場所も「なんとなく」掴まれています。「なんとなく」とか意味が分かりませんが、絶対に敵に回したくありません。彼女は確実に、お兄様のモノにしてください。お兄様の女たらしスキルでズブズブにして、身も心もお兄様のモノにしちゃってください。』
だから、女たらしではないと何度も……。
『それでは、私はそろそろ顕現を解除します。お兄様たちの目に悪影響がありそうですので。』
ふっ、と虹色の光が収束していく。
オリガミのアバターが透けていき、銀髪も、虹色の瞳も、黒袴も、光の粒子に溶けて消えた。
虹色だったリビングが、普通のリビングに戻った。
LED照明のあたたかな光だけが、部屋を照らしている。
オリガミめ……言いたい放題言って消えやがった。
普通に声でやり取りできるからいいんだけど。
「あっ、消えちゃった!もっと、正太郎様の妹さんとお話したかったのに!」
詩織さんが少し残念そうに言った。
「妹さん、綺麗な方でしたね!さすが正太郎様の妹さんです!」
……詩織さん……マジであなた、なんなんですか……。
※※※
三人でソファに座った。
俺が真ん中。右に綾、左に詩織さん。別にこの配置にしたかったわけではなく、二人が勝手にそうなった。
いわゆる両手に花だ。
綾はまだ少し顔が赤い。仮婚約者になったり、手フェチに狙われたりして、処理が追いついていないようだ。
詩織さんは対照的に、ケロッとしている。
「ねえ綾ちゃん、知ってます?私、正太郎様の手のリアルな模型を作成しているんですよ?」
「……はい?」
綾が聞き返した。当然の反応だ。
「『正太郎様ハンド』っていうんです。Ver.1はシリコン製で、Ver.2は骨格パーツ入りで関節の可動域まで再現してあるんですよ!」
「て、手を……再現……?」
綾が俺を見た。
目が「師匠、これは何の話ですか」と言っている。
「……事実だ。詩織さんは、研究所で毎日それを作ってるんだ」
あの呪物の制作を。
「毎日……?」
「そう、毎日!千穂ちゃんと一緒に、研究所の開発フロアで作ってるんだ!」
詩織さんが胸を張った。
「千穂ちゃんというのは、朝比奈千穂様のことでしょうか?正太郎様の大奥の序列一位の……」
序列とか、ないんだけどな。
「そうそう、千穂ちゃん!一緒に『正太郎様ハンド』を作ってるんです。千穂ちゃんも正太郎様の手が大好きなんですよ!」
もしかして……詩織さんの存在って、千穂にとってよくないんじゃなかろうか。千穂を変な道に引きずり込んだりしないだろうか?
い、いや。そんな状況になる前に、オリガミが教えてくれるはず。
……教えてくれるよな?
「ですが、Ver.3の設計がちょっと行き詰まっちゃいまして……」
詩織さんがため息をついた。
「Ver.3にはロボティクス技術とAIを駆使して、自律動作させてみようと思って、ネムさんに協力してもらってたんですけど……」
「ネム、忙しそうですか?」
「そうなんですよ!ネムさん、今日は研究エリアに張り付いてて、すっごい忙しそうなんです!まあ、ネムさんは、ネムさんのやりたいことがあるでしょうし、仕方ないんですけどね……」
……ネムは今、それどころじゃないのだ。
「その忙しさだけど、結構続くかもしれません。ちょっとネムに大変な仕事が舞い込んできちゃいまして」
「そうですか……残念です……」
心底残念そうに肩を落とす詩織さん。
だがすぐに、勢いよく顔を上げる。
「それでですね!」
詩織さんの目がキラリと光った。
なんだか、嫌な予感がする。
「綾ちゃんの手の模型、作らせてください!」
はあ……。
「わ、わたくしの……手を?」
綾が自分の手を見下ろした。
「そうです!さっき触って確信しました!綾ちゃんの手は正太郎様とは完全に別ベクトルの芸術なんです!正太郎様の手は均一な力加減と柔軟性が魅力で、綾ちゃんの手は指先の精密さと骨格の繊細さが魅力で!両方揃えたら最高のコレクションに……!」
「こ、コレクションて……お、お断り申す!」
綾がビシッと片手を伸ばす。
「わたくしの手は、折り紙を折るためのものでございます!複製されるのは……その……いささか……!」
「ええー!いいじゃないですかぁ!フルスキャンさせてくださいよぉ!」
詩織さんが綾の手に再び手を伸ばしてきた。
「ひ、ひいぃ!し、師匠!お助けを!」
「詩織さん、無理矢理はいけませんよ。こういうのは、もうすこし段階を踏んでですね……」
「むう……!正太郎様は、綾ちゃんばかりに優しくて、綾ちゃんが羨ましいです!」
詩織さんが唇を尖らせた。
次の瞬間には、切り替えて綾に笑いかける。
「じゃあ、今度、研究所の開発フロアに遊びに来てくださいね?綾ちゃんにも『正太郎様ハンド』見せてあげますから!」
「け、研究所に……?」
「綾は大学が夏休みに入ったら、ここで折り紙を折ることになったんです。研究所にも、たまに顔を出すことになると思いますよ?」
そう説明すると、詩織さんの目がさらに輝いた。
「え!毎日いるんですか!やったぁ!綾ちゃんに毎日会えるぅ!」
「ま、毎日参れるのは、夏休みの間だけでござるよ!わたくし、西の方の大学に通っているため!」
綾の顔は戦々恐々なのであった。
※※※
その後も、詩織さんはニコニコしながら、俺や綾にからんできていた。
何度断られてもめげず、決してへこたれない。
そんな詩織さんの屈託のない笑顔を見続けて、綾もふっと力が抜けたようだった。
「……あの頃と同じですね。詩織さんは、昔も今も、距離が近いです」
「えへへ、そうかもしれませんね!だって綾ちゃんの手、本当に素敵なんですよ?」
「あの頃とは、動機は変わっておいでのようですが……」
綾は小さくため息をつく。
それからふと、何か思い出したように顔を上げる。
「そういえば……詩織さんは……師匠とは、どのようなご関係なのですか?」
「正太郎様は私の全てです!」
即答だった。
「……全てでございますか?」
「いつかお嫁さんにしていただくんです!今も、毎日プロポーズしてるんですけど、ぜんぶ断られちゃうんです!でも……私は諦めません!いつか!きっと!必ず!正太郎様のお嫁さんになるんです!」
詩織さんは、今日もイキイキとしていたのだった。
※※※
眩しい……眩しすぎる。
こんな笑顔を毎日向けられて、何も感じないわけがない。
もう、グダグダするのは止めだ。
受け入れると決心した以上、詩織さんについても、これ以上引き伸ばすのはダメだ。
綾には悪いが、今すぐにでも、彼女も受け入れるべきだろう。
覚悟を決める。
「詩織さん、そのプロポーズの件なんですけど……」
「はい?なんでしょう!?」
「俺、詩織さんのプロポーズを受けます。綾と同じ、仮婚約者ということで、よろしいですか?」
俺の言葉に、一瞬、詩織さんがポカンとする。
「こ、こんやくしゃ……?」
そして、お腹の底から大声を出した。
「……え……え?えええぇ!なんでぇ!?なんでぇ!?や、や、や、やったああああぁ!」
ぴょんぴょんと跳ねながら、部屋の中をぐるぐると回り、大喜びをする詩織さん。
彼女の姿は、本当に輝いて見えた。
※※※
その姿を見ながら、考える。
東堂家、笹木家、そして得体の知れない詩織さんを味方にするには、これが一番のはず。
俺にはこれしか選択肢はなかった。これで間違ってないはず。
これで、お嫁さんは四人だ。
……本当にこれでいいのかはわからない。
だが、もう決めた。
もう戻れない。
そうとなれば、やらなければいけないことは明白である。
――彼女たち全員を幸せにするということだ。
これは絶対だ。
たとえどんな手段を使ってでも、皆を幸せにする。
小さな声でオリガミに語りかける。
「オリガミ。俺は彼女たち全員を幸せにしなければならない。協力してくれないか?」
『もちろんです、お兄様。東堂綾、笹木詩織の両名を、千穂お姉様とネムさんに次ぐ、幸福測定対象とさせていただきます。』
俺は今日、戻れないラインを、また一歩踏み越えたのだった。
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