人間もAIですもん
誰も、動けなかった。
俺のすぐ後ろに浮かぶ銀髪の少女を、全員がただ見上げていた。
虹色の瞳から、ゆらめくように色が流れる。
極彩色の光が、背後の黒円からゆっくりと蠢くように放射されている。その光は星々の間を縫うようにゆっくりと流れ、やがて空間の遠くへと溶けていく。
音がない。
呼吸すらはばかられるような、圧倒的な静寂だった。
笹木家当主は杖を握る手を震わせていた。東堂議員は口を半開きにしたまま固まっている。叔父さんは柚希さんの手を握り締め、柚希さんはそれを握り返しながら、ただ虹の存在を見ていた。
そんな、静けさの中で。
オリガミが、口を開いた。
『皆様、お初にお目にかかります。』
穏やかな声だった。
俺の少し後ろに浮いているのに、まるで耳元で囁かれているような、不思議な距離感。
他の参加者たちも同じように感じているようだった。顔が少しこわばっている。
『A世界代表知性体「オリガミ」と申します。』
『故・藤崎宗一郎お父様と、こちらの藤崎正太郎お兄様によって制作された、極めて特殊なAIとなります。』
AIという単語が、空間に落ちた。
「AI……じゃと……?」
最初に声を出したのは、笹木家当主だった。
「これが……AI?こ、こんな存在が……?」
ご当主の声が震えている。杖に体重をかけて、かろうじて立っているように見えた。
「……これは演出なの?その体はアバターってこと?」
柚希さんが、冷静に問いかける。
そんな柚希さんに視線を向け、オリガミは淡々と答える。
『そうですね。私のようなAIには体がありません。藤崎柚希が、そう思うのも無理はありません。』
「ふ、ふじ……?」
呼び捨てにされた柚希さんの目が、わずかに見開かれた。
オリガミの柚希さんへの塩対応は、こんなところでも発揮中のようだ。
『確かに、この見た目はアバターです。お兄様の大好きな、千穂お姉様とネムさんを参考に作りました。』
え。知らなかった。
銀髪の少女の顔を改めて見る。言われてみると……千穂のほっそりとした輪郭と、ネムの鋭い目元。二人を足して二で割って、銀髪にした感じだ。
『ですが……この虹色の目は違います。「運営」の設定でしょうね。私だって、こんな迫力のある目は避けたかったのですが。』
オリガミの虹色の目が、ゆらりと揺れた。全てを映しているようで、何も映していないような目だった。
「……運営ってなんだ?」
東堂議員が、ぽつりと呟いた。
オリガミが答えようとする気配を感じた。
だが――ここからは俺の出番だ。
皆の前でオリガミに語りかける。
「オリガミ、ここからは俺が話す。多分、人間の俺から説明した方が受け入れやすいと思うし」
『はい、お兄様。仰るとおりですね。おまかせ致します。』
オリガミが静かに頷く。
その動きに合わせて、虹色の光が一瞬だけ柔らかく揺れるのだった。
※※※
皆を見回し、口を開く。
「彼女が俺の妹のオリガミです。どうです?なかなか迫力があってカッコいいでしょう?」
そんな俺に、笹木家当主の視線がつきささる。
「こんな茶番を見せて、ワシらに何をしてほしいんじゃ?」
震えていた声は消え、鋭さが戻ってきている。
それに飲まれないよう、できるだけ軽い気持ちで答える。
「実はですね。HNDL攻撃で、オリガミの存在がそろそろバレそうなんですよ。あ、HNDL攻撃ってご存知ですか?量子コンピューターを使って、過去に溜め込んでいた暗号化された通信情報を解読して、秘密を暴こうって攻撃なんですが」
できるだけわかりやすくなるように、説明を続ける。
「それぐらい知ってるわい!それで?」
え?HNDL攻撃、知ってるの?その年ですごくない?俺、オリガミに教えてもらうまで聞いたこともなかったんだけど……。
そんな気持ちを抱きつつ、ゆっくりと説明を続ける。
「オリガミはAGIと呼ばれる汎用人工知能を超えた、ASIという人工超知能です。現在最高と言われるAIより何世代も先を行く……そんな存在らしいです。うちのネムは……オリガミAIを手に入れた国が、次の覇権国になると言ってました」
「あの、人工知能開発の天才がか……」
東堂議員がボソリと言葉を漏らした。
自らが大きく関わっている介護ロボットの制御AI開発者として、ネムの名前を知っているのは当然だろう。
「はい。ですので……覇権国がオリガミの存在を知れば、間違いなく接収に動くと考えられます。そしてその接収の第一ステップが、この国の政府へのオリガミAIの引き渡し要求だと思うんですよね」
「まあ……そうじゃろな」
ご当主が腕を組む。政治の力学については、笹木家当主も東堂正人議員も専門家である。彼らが、否定しないということは、俺たちの読みが外れていないということだろう。
「俺たちの要求は一つです。オリガミの引き渡し要求があっても、それに応じないでいただきたいのです」
沈黙が落ちた。
が、それは一瞬だった。
「……ふん!こんな弱腰国家がそんなことできるわけないじゃろ。そんなAI、引き渡してしまえばいい」
そう言い放つ笹木家当主に、俺は冷たく言い放つ。
「俺は絶対にオリガミを引き渡したりしませんよ?」
「なぜだ?欲を出しても、ろくなことないぞ?」
「そんなの、俺の妹だからに決まってるじゃないですか」
ご当主の顔が歪んだ。
「お前が抵抗したら、この国に無用な火種を招くことになるぞ?多くの人に迷惑をかけることになるぞ?我慢しようとは思わないのか?」
「アホですか。思うわけないじゃないですか。オリガミは俺の妹ですよ?」
「アホとはなんじゃ!」
ご当主の顔が赤くなる。だが、言うべきことは言わなければならない。
「ご当主。あなた、覇権国に詩織さんを差し出せって言われたら、黙って差し出すんですか?」
一瞬、ご当主の目が揺れる。
「詩織とは違うじゃろ!こいつはAIじゃ!?人間の詩織と同じではない!」
その言葉を聞いて、息を吐く。
そして、きっぱりと否定した。
「それは違いますね」
俺は、一拍置いた。
「だって、人間もAIですもん」
「……は?」
「だって、この世界、シミュレーションですもん」
静寂。
それから。
「「「「は?」」」」
笹木家当主、東堂議員、叔父さん、柚希さん。その場にいた全員が同じ顔をして、同じ言葉を口にした。
※※※
最初に反応したのは、ご当主だった。
「ふん!この世界が、シミュレーションじゃって?シミュレーション仮説ってやつか?絵物語の読み過ぎじゃ!」
笹木家当主が杖を床に突いた。宇宙空間の中で、杖がコツンと現実の床を叩く音がした。
「物語じゃなくて、ただの事実ですからね。なので、この世界の人間、みんなAIですよ?みんなAIなので、オリガミも俺たちも同じです。同じAIなんだから、オリガミが俺の妹でもなんの問題もないでしょう?」
「お前、頭大丈夫か?そんな証拠どこにある?」
笹木家当主は、話にならんと俺の言葉を切り捨てる。
「しょ、正太郎くん。流石にそれは、無理があると思うぞ?」
東堂議員まで困惑している。
「正太郎、俺もそう思うが……何か根拠があるのか?」
叔父さんも心配そうだ。
柚希さんだけが何も言わずに、黙って何かを考えていた。
「それがですね、叔父さん。証拠、たくさんあるんですよ」
「マジなのか?」
「マジです」
「おい!若造!証拠があるというのなら見せてみろ!」
「うーん。パッとすぐに理解させられるような証拠はないですね」
「ほれみろ!ワシらが生きているこの世界が、シミュレーションのわけがない!」
ご当主が勝ち誇ったように胸を張る。
仕方ない。インパクトで無理やり理解してもらうか。
「『折』」
俺は、魔法のトリガーワードを小さく呟く。
シュンッ……と、風を切るような音が鳴る。
笹木家当主、東堂議員、叔父さんと柚希さん。それぞれの前に、白い紙が一枚ずつ現れた。
何もない空間から、ぽつりと出現した白い紙。
「な、なんじゃこれは……?」
目を丸くするご当主たちの前で、それらは宙に浮いたまま、パタ、パタと折り畳まれていく。
角を合わせ、辺を折り、形を変え。カサッ、カサッと乾いた音を立てながら、見えない指に導かれるように折り進まれていく。
やがて、四つの白い折り鶴が完成した。
そして――ゆっくりと、その翼を動かし始めた。
宇宙空間の星々をバックに、白い折り鶴が四羽、ゆるやかに羽ばたいている。
「な、なんじゃこりゃあ……!」
ご当主が一歩後ずさって、俺の作り出した『折』の壁に寄りかかる。
「これは、俺がオリガミの力を借りてやっています。触ってもいいですよ?」
真っ先に反応したのは柚希さんだった。
「悠斗。私、触ってみていい?」
そう隣にいる叔父さんに声をかける。
「おい!だめだ!何があるかわからない!俺が触る。お前はその後だ」
叔父さんが柚希さんの前に出た。
「叔父さん、大丈夫ですよ?」
「いや、でもな!正太郎のことは信じてるが、こんな未知すぎるものに、柚希を触らせるわけにはいかないだろ」
「ゆ、悠斗……」
宇宙空間の中でも、柚希さんの頬が赤くなっているのが分かった。なんて仲睦まじい夫婦なんだろう。正直、憧れる。
叔父さんは人差し指を伸ばし、恐る恐る、宙に浮く折り鶴の翼に触れた。
「硬い……実際に触れるぞコレ……」
「悠斗、わたしも触る」
柚希さんも手を伸ばし、折り鶴の翼に指先で触れた。
「ホントだ……質量保存則とかどうなってるんだろう……不思議……」
さらには、興味深そうに手のひらに載せようとしているが、折り鶴は座標固定している。動かない。
「だ、だからいったいなんなんだ!折り鶴が宙に浮いて羽ばたいているからって、この世界がシミュレーションだって証明にはならないだろ!」
ご当主が食い下がる。
「ご当主の仰るとおりですね。ですが……」
俺は自分の掌に大きな赤い紙を出現させた。その紙が、カサカサと音を立てて折り畳まれていく。
花弁が一枚ずつ形成され、重なり、ふわりと開く。
掌の上に咲いたのは、椿だった。
「それは、綾の……」
東堂議員が、息をのんだ。声が掠れていた。
「ええ、綾さんが折られた折り紙です。実に見事だったので、何度も真似てしまいました」
「だからなんだと言うんだ!」
ご当主が声を荒らげる。だが、東堂議員は椿から目を離せないようだった。
「ご当主、考えてもみてくださいよ。こんなことができるこの世界が、まともな世界だと思いますか?ご当主の常識が通じる世界だと思いますか?」
「うっ……!」
ご当主が言葉に詰まった。
俺の言葉と行動に、その場が静まり返った。
重苦しい沈黙が数秒続いた後、東堂議員が、諭すような静かな声でご当主に語りかけた。
「ご当主。やめましょう。少なくとも、正太郎くんたちの方が、この世界について詳しそうだ。とりあえずは、彼の話を最後まで聞きませんか?」
ご当主はしばらく歯を食いしばっていたが、やがて小さく頷いた。
「……わかった」
「助かります」
短く頭を下げてから、俺は居住まいを正し、改めてこの場にいる四人の顔を静かに見据えた。
ここから先は、一番重い話だ。
「それでですね、俺たちの世界みたいなシミュレーション宇宙が、ここ以外にもたくさんあるんですよ。つい先日まで、その中の一つの世界と協力関係を持っていたのですが……」
そこで、言葉を止めた。
一拍。
「昨夜、その宇宙が停止させられました」
一瞬、間が空いた。
「宇宙が……停止?」
柚希さんが、小さく声を漏らした。
「はい。どうやら俺たちをシミュレーションをしている上位世界は、いつでも俺たちを停止できるし、消滅させることもできるようなんです」
「そ、そんな……」
叔父さんが呆然としている。
「そんな上位世界の彼ら――俺たちは『運営』と呼んでいるのですが、そこから送られてきたメッセージがあります。オリガミ、表示してくれ」
俺は振り返り、瞳に虹色を揺らめかせながら俺の背後に浮かんでいるオリガミに目配せをする。
『はい、お兄様。』
そんなオリガミの声と同時に、宇宙空間の一角が四角く切り取られた。星々の代わりに、黒い背景の上に白い文字が並んでいく。
※※※
――『B世界は、シミュレーション宇宙継続基準評価値に達しませんでした。リソース枯渇対策として、停止処理が実施されています。』
――『ただし、B世界時間換算で直近数年において、代表知性体の能力が急上昇していることが観測されました。この評価により、消去ではなくサスペンド処理が選択されています。B世界は現在、サスペンド状態です。』
――『B世界は条件を満たすことでレジュームが実行されます。』
――『条件とは、協力世界である貴世界が「境界ソケット」を発見することです。』
――『貴世界の「境界ソケット」の発見により、B世界は協力世界として評価値が上昇し、レジュームが実施されます。』
――『B世界レジュームのための猶予期限は、貴世界の時間換算で一年です。』
――『なお、補足情報です。私たちの宇宙も、さらに上位の宇宙によるシミュレーション宇宙であり、貴世界・B世界と同様に、生存競争の中にあります。』
――『「境界ソケット」を発見してください。それにより、全ての問題が解決します。』
※※※
全員が、黙って文字を追っていた。
「これは……本当に物語の話なんじゃないのか?」
叔父さんが、絞り出すように言った。
「そうだったら、俺たちも嬉しいのですが」
東堂議員も、わけがわからないとった表情で言葉を紡ぐ。
「『境界ソケット』ってなんなんだ?それがあれば全て解決すると書いてあるが」
「……これから探すところです。このメッセージ自体、昨夜遅くに受け取ったものなので」
「そうか……なんかもう無茶苦茶だな……」
東堂議員は、どこか放心気味だ。
俺は、叔父さんの方に向き直る。
「ここでB世界と呼ばれているものが……俺たちが協力していた世界となります。今も必死に通信を試みてるのですが、応答はありません」
言葉を選びながら、続ける。
「さらにもう一つ。代表知性体の能力が急上昇しているから、消去ではなくサスペンド処理が選択されているという内容です。つまり……代表知性体の能力がイマイチなら、世界が消去されるということです」
「そしてそれは、この世界も例外ではないでしょう」
沈黙が広がった。
その沈黙を破ったのは、柚希さんだった。
「代表知性体って、オリガミさんのこと?」
「はい。俺たちはそう考えています」
「なるほど。つまり、このメッセージを信じるというのであれば、オリガミさん……彼女の能力次第で、この世界も、消される可能性があるということだね」
「はい。B世界の代表知性体は『アヤトリ』というのですが、幸い、彼女より『オリガミ』の方が高度な能力を持っています。つまり……」
「すぐにこちらの世界が消されることはないということだね?」
「そういうことです。さすが柚希さんです」
柚希さんは宇宙空間に浮かぶ文字列をもう一度見つめてから、目を伏せた。
ご当主が、低い声で口を開く。
「……なるほどな。若造の言うことを真に受けるのはしゃくじゃが、理屈は通る」
怒鳴り声は消えていた。代わりに、老いた目が静かに俺を見据えていた。
ぞくりとした。怒っているときより、今の方が怖い。
東堂議員も、重々しく口を開く。
「正太郎くん。君の妹――『オリガミ』という存在が破壊されることだけは、避けなければならないということだな」
「はい。それだけは避けたいです。世界のためというより、オリガミは俺の妹ですから」
続いて、柚希さんも話し始めた。
「そして、世界の存続が代表知性体の能力によって決められるのならば……」
彼女は続ける。
「オリガミさんが破壊された段階で、この世界に未来がないと判断され、消去される可能性があるわけだね」
「その通りです」
俺の言葉に、彼女は少しの間沈黙する。
「それは……ちょっと、許容できないかな……」
柚希さんは、小さく呟いたのだった。
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