いざ尋常に勝負です
「みなさん、こんばんは。オリ子です」
綾がカメラに向かって深々と頭を下げると、画面の中のオリ子のアバターも同じ動きで頭を下げた。
「前回は誠にお見苦しいところをお見せしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。わたくし慚愧に堪えません」
同接数が普段の百倍を超えている。オリ男の配信が突然中止になった直後だ。野次馬とオリ男ファンの偵察が殺到しているのだろう。
コメント欄が一気に流れ始める。
『おー始まった』
『まってた』
『社長どこ?』
『本当に来るの?』
「本日は予告通り、ゲストをお呼びしております。ドールハウス株式会社の代表取締役社長、藤崎正太郎様です」
綾がカメラの枠外を手で示す。俺はそちらに移動して、カメラに顔を映した。
「みなさん、はじめまして。藤崎正太郎と申します。えっと、カメラはこの角度で顔が映りますかね……ほら、本物でしょう?」
『マジで来た』
『ドルハ社長じゃん』
『顔フツメンで草』
『手映して!手!』
『オリ男様なの????』
「本日は師匠に胸をお借りして、折り紙対決にて己の精神を鍛え直す所存でございます!」
綾が拳を握って宣言した。武士モード全開である。
「と、まあ、オリ子はこんな感じの武士のような子なので。本日はどうぞよろしくお願いします」
俺はカメラに向かって軽くお辞儀をした。
「ちなみに今日は折り紙バトルなので、折り紙に関することしか話しません。あらかじめご了承ください」
『折り紙バトル?』
『5時間って書いてあるけどマジ?』
『折り紙で5時間って正気?』
※※※
テーマ決めに入る。
「さて、折り紙対決、どういう風に進めようか」
「わたくしと師匠では得意分野が違いますからね。視聴者のみなさん、何かアイデアはありますか?」
コメント欄に「お題出して対決」「テーマ決めて交互に折る」「視聴者がお題出す」と続々と提案が流れてくる。
「あ、これいいね。視聴者さんからテーマを出してもらって、それに沿って折り紙を折る。オリ子もそれでいいかい?」
「はい、よろしくお願いします!えっと……ではお題をいただけますか?」
コメント欄が怒涛の勢いで流れた。
『動物!』
『花』
『建物』
『乗り物』
『恐竜!!』
『虫』
『家具とか面白そう』
「なんかいっぱい出たな……どうやって決めるか」
「この中から、わたくしたちが交互に選んでいくのはどうでしょう?五時間しかありませんが、十個くらいはお題をこなせるんじゃないでしょうか」
「フェアな感じでいいね」
俺はカメラに向き直った。
「ちなみに勝敗は、俺たち自身で決めます。オリガミストとして、誇りを持った忖度のないジャッジをお約束します」
『自己ジャッジww』
『審判なしかよ』
『潔い』
「では、最初のお題は師匠からお願いします!」
「いいの?いや、ゲストだし、そんなものか。じゃあ……動物で」
「わかりました。では師匠、胸をお借りします!」
綾が姿勢を正した。背筋がピンと伸びる。
「いざ尋常に勝負です!」
ぶ、武士だなあ……。
※※※
綾が元気よく号令をかけた瞬間、俺はもう紙に手を伸ばしていた。
ドラゴン。不切正方形一枚折り。
蛇腹の仕込みから入る。紙を均等に分割して、ひたすら折り筋をつけていく。折り筋は設計図だ。この工程で完成度の八割が決まると言っても過言ではない。
横目で綾の手元を見る。もう三角に折って基本形を作り始めている。猫か。伝承折りベースだな。
コメントが流れる。
『左の人なに折ってんの?』
『ただ線つけてるだけじゃね?』
『右の子はもう形見えてきたぞ』
『社長の手元ずっと見てたい。素敵すぎる……』
五分経過。
折り筋がびっしり刻まれた正方形を、一気に畳み込む。平面だった紙が、みるみる立体構造になっていく。
『え、なにが起きてる?』
『手品かよ』
『は?一気に変わった?』
『ちょっと待って今の見逃した巻き戻して』
『ライブだから巻き戻せないぞ』
一方、綾の猫はもう形が見え始めていた。シンプルな構造だが、折りの精度がおかしい。紙の端と端がぴったり揃って、一切のズレがない。
あの精度は異常だ。俺でもあそこまで揃えるのは難しい。
十分経過。
俺のドラゴンに翼が生えた。蛇腹で仕込んだ紙の層を一枚ずつ開いて、左右対称に広げていく。
『は?』
『一枚の紙でこれ作ってんの?!?!?』
『切ってないよね?切ってないよね!?』
『嘘だろ……』
コメント欄の空気が変わり始めた。野次馬のノリが、徐々に驚きに変わっている。
綾の猫が座りポーズになっていた。前脚を揃えて、尻尾が体に沿うように曲がっている。指を離しても倒れない。
よく知っている伝承折りベースなのに、見たことがない猫だ。伝統の型を完全に自分のものにして、そこにオリジナルの解釈を加えている。
こんな猫、俺には折れない。構造設計なら負けない自信があるが、この精度と解釈力は綾だけのものだ。
……見事だ。
『オリ子ちゃんの猫かわいい!!』
『シンプルに見えるけど倒れないのすごくない?』
『なにこの安定感。どうなってんの』
十五分経過。仕上げに入る。爪、角、尾の先端まで造形して――完成。
「……できた」
「わたくしも、完成です」
二つの作品をカメラの前に並べる。
翼を広げたドラゴンと、ちょこんと座った猫。
方向性がまったく違う。比べようがない。
『両方やべえ』
『ドラゴンのほう意味わからん。一枚の紙だぞ?』
『猫がかわいすぎる。飾りたい』
『パクリとか言ってた奴wwwww』
『↑もう言えないだろこれは』
コメント欄に、不意に長大なコメントが現れた。
『社長の右手の薬指が紙を押さえる際の第二関節の角度が絶妙でした。特に蛇腹を畳み込む瞬間、薬指だけが微かに浮く癖がおありなのですが、あの浮き方が紙に最小限の圧で最大限の制御を与えていて、まさに神の薬指と申し上げたく――』
『↑何者だよ』
『↑こわい』
『↑手のソムリエだ』
……詩織さん、頼むから自重してくれ。
「さて、判定だけど」
俺は綾の猫を手に取った。軽い。けど、しっかりしている。重心の位置が計算し尽くされている。
「これはオリ子の勝ちだ」
「え?」
「この猫、重心の取り方が完璧だろ。伝承折りをここまで昇華できるのは……才能だよ」
綾が一瞬、言葉を失ったように口を開いた。耳がほんのり赤くなっている。
だが、すぐに表情が切り替わった。
「いえ!師匠の勝ちです!」
綾が身を乗り出した。
「不切正方形一枚であのドラゴンとは……わたくしは、まだあの領域には到達できておりません。翼の構造だけで何層ですか!?あの設計を頭の中でやっているのかと思うと、戦慄を覚えざるを得ません!」
目がキラキラしている。尊敬と悔しさが入り混じったような、いい目だ。
『仲良しかよ』
『お互い褒め合ってるwww』
『もう引き分けでいいだろ』
『いや決着つけろよ!!』
『尊すぎて情緒が保たない』
「……じゃあ、視聴者投票にしようか」
配信のアンケート機能でどちらが勝ちかを聞いてみる。
結果――綾が52%、俺が48%。僅差。
「民意には逆らえないな。第一ラウンドはオリ子の勝ち!」
「えっ……い、いいんですか?」
「かわいいは正義ってことだろ。俺のドラゴンは怖いからな」
『かわいいは正義』
『これは正しい民主主義』
『ドラゴンのが好きだけど猫に入れた。わかる』
『国民投票で猫が勝つ国に生まれてよかった』
勝敗なんてどっちでもいい。なんだかすごく楽しい。
折り紙バトル。純粋に折り紙の腕だけで勝負する。余計なことは何もいらない。ただ、紙を折る。
楽しすぎるだろ!
※※※
第二ラウンド――花。
綾が選んだお題だ。
伝承折りの花は、綾の独壇場だった。俺はコンプレックス折りで薔薇を仕上げたが、綾の百合には勝てなかった。花びらの曲線が生きているようだった。
第三ラウンド――建物。
俺の番だ。迷わず城を選んだ。不切正方形一枚折りの城。天守閣の反りまで再現する。
綾は教会を折った。尖塔の先端が美しかったが、構造の複雑さで俺に軍配が上がった。
第四ラウンド――家具。第五ラウンド――乗り物。
次々と、お互いの出せるものを出していく。
花は綾に取られたが、建物・家具・乗り物は俺の勝利となった。コンプレックス折りの構造設計では、まだ経験の差がある。
だが綾は、負けるたびに目を輝かせた。
「師匠、今の折り出し、どうやったんですか?」
「ここの蛇腹をこう展開して――」
「なるほど!そういう構造だったんですね!」
負けを悔しがるより、技術に食いつく。いいオリガミストだ。
第六ラウンド、第七ラウンド、第八ラウンド、第九ラウンド……。
机の上は、俺と綾が折った数多くの作品で埋め尽くされていた。
ふと時計を見ると、もう四時間が経過していた。
『もう4時間経ってるんだけど』
『この人たち疲れないの?』
『まだやるの?信じられないんだが』
『ずっと見てるこっちの方が疲れてきたわ』
『化け物だろ二人とも』
『最初パクリとか言ってほんとすみませんでした』
『↑俺も。土下座するわ』
空気が完全に変わっていた。
配信開始時の半信半疑は跡形もない。パクリだの炎上だのと騒いでいた連中は、もう何も言っていなかった。
『オリ男ファンです。正直オリ子に嫉妬してました。ごめんなさい。私が未熟でした』
『↑わかる。師匠と楽しそうにしてるの見て素直にごめんなさいってなった』
『待ってこの師弟関係なに??尊いんだけど???』
『師匠がちゃんと弟子の作品褒めるの好きすぎて泣いてる』
『↑わかる……馴れ合いじゃなくてガチのリスペクトなのがもう無理……しんどい……好き……』
『いやマジでレベルが違う。次元が違う』
そして、コメント欄の底に、もはやおなじみとなった超長文コメントが鎮座していた。
『社長の右手についてご報告申し上げます。4時間の配信を通じて、社長の手は一切のブレを見せておりません。特に第七ラウンドの昆虫における脚部の折り出し、あの親指と人差し指の連携は人体の限界を超えており、わたくし感涙が止まりません。なお第三ラウンド以降、社長の左手の小指がわずかに立つ癖が出始めたのですが、これはおそらく集中の深度が上がった証左であり、つまり社長の小指は集中のバロメーターであり、すなわち社長の小指は国宝であり――』
『↑出たよ』
『↑手のソムリエ』
『↑4時間ずっと手だけ見てたのかよ』
『↑もはやファンというより研究者』
『↑こわい(褒めてる)』
詩織さん……。なんで4時間も手だけ見続けられるんだ。
……まあいい。配信は続く。
※※※
開始から九時間が経過していた。
五時間の予定など、とっくに過ぎ去っている。
「ふう……満足した」
「師匠……わたくし……もう限界です……」
綾の声に力がない。さすがにこの状況で九時間はこたえたか。
「そうか、そのあたりはまだまだだな?」
「はい……精進します……」
限界と言いつつ精進を誓うあたり、やはり武士だ。
『終わった……?』
『ようやく……?』
『九時間折り紙耐久って何????』
『ば、化け物……』
『信じられない。途中でトイレ休憩2回しか挟んでないぞこの人たち』
『こっちは飯3回食ったのに』
『見てるだけで肩凝ったわ』
『もう誰もパクリとか言ってなくて草』
『言えるわけないだろこんなの見せられて』
『オリ子ちゃんと並んでるとお兄ちゃんみたいで尊い。守りたいこの師弟』
そして――。
『最終ラウンドの社長の手についてご報告申し上げます。九時間の配信を経てもなお社長の指先には一切の震えがございませんでした。また、オリ子さんの指運びも特筆に値するものでした。第九ラウンド以降、オリ子さんの右手の親指に師匠譲りの「浮かせ」の技法が出始めており、師弟の技術継承がリアルタイムで観測できたことをご報告いたします。わたくし、弟子の手にも師匠の面影を見出せる喜びに打ち震えて――』
『↑まだいたのかお前』
『↑九時間ずっと手見てたの確定じゃん』
『↑ある意味一番の化け物』
『↑手のソムリエ殿堂入りだろ』
九時間の配信を、九時間ずっと手だけ見ていた人間がいる。
あの人は何なんだ、本当に。
「本日は、長々とご視聴ありがとうございました」
俺はカメラに向かって頭を下げた。
「勝敗は……まあ、どうでもいいですね。純粋に楽しかった。オリ子は素晴らしいオリガミストです。それだけは、はっきり言っておきたい」
「し、師匠……」
綾が目を潤ませている。泣くな。前回泣いたばっかりだろ。
「オリ子、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です。この程度の戦で膝を屈するわけには参りませぬ!」
ダメそうだった。言ってることがおかしくなってる。
「ダメそうですので、これで配信を終了しますね。では、失礼いたします!」
「さ、さらばです……!」
綾が最後の力を振り絞って手を振った。
配信が終了した。
※※※
カメラを切った瞬間、綾がテーブルに突っ伏した。
「つ、疲れました……」
「お疲れ様。すごかったよ、綾」
「師匠こそ……九時間、ずっと涼しい顔で……お化けですか……」
俺は涼しい顔なんてしてない。ただ、折り紙に没頭してると疲労を忘れるだけだ。たぶん明日、全身に来る。
応接間のソファに目をやると、東堂議員が完全に沈没していた。
口が半開きで、かすかに寝息が聞こえる。いつから寝ていたんだろう。少なくとも後半は完全に意識がなかったに違いない。
「お、お父様。起きてください。配信終わりましたよ」
綾がフラフラと立ち上がり、東堂議員の肩を揺する。
「……ん?終わったのか?」
東堂議員がうっすら目を開けた。
「は、はい……九時間、完走いたしました……わたくしは、もう限界です。師匠はさすがです」
「綾さんすごかったですよ。素晴らしい作品ばかりでした」
「九時間……」
東堂議員が目をこすりながら身体を起こした。机の上に並んだ大量の折り紙作品を見て、それから俺と綾を交互に見た。
「……お前たち、お似合いすぎるだろう」
「は?」
「正太郎くん。やっぱり、綾と結婚してくれないか?」
ね、寝ぼけてるのかな?
「東堂議員、俺には婚約者が二人いますので」
「三人目でもいいじゃないか」
「いえ。さすがにそれは……二人でも分不相応だと思ってますし……」
「四人目でも構わんぞ。むしろ歓迎だ」
数が増えてる。一個飛ばして四人になった。寝ぼけてるのか素なのか、判断がつかない。
「正太郎くん」
東堂議員が、妙に真剣な目で俺を見た。
「君と九時間折り紙を折り続けられる女が、他にどこにいる」
「……」
「いないだろう。つまりこれは運命だ」
た、確かに東堂議員の言うとおりだ。
九時間ぶっ通しで折り紙バトルができる女性なんて、綾しかいない。それは認める。完全に認める。
「そ、それはそうかもしれませんが……」
そんなやり取りをしていた、俺と東堂議員のすぐ横で。
綾がフラフラの体で立ち上がった。
「し、師匠」
「ん?」
綾の顔が真っ赤だった。耳まで赤い。
「お、お父様の申し出、どうか……ご考慮いただけますと、幸いにございます……!」
そう言うと、綾は深々と頭を下げた。
ま、マジか……。
「あ、綾さん?」
「……失礼いたしました……!」
綾は顔を上げることなく、そのまま足早に部屋を出ていった。
残された俺と東堂議員の間に、沈黙が落ちる。
東堂議員が、にやりと笑った。
「……ほら。運命だろう?」
俺は、何も言い返せなかったのだった。
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