東堂綾は折れない
「正太郎のバカ!スケベ!エロ太郎!」
ネムが枕をぶん投げてきた。俺はそれを顔面で受け止める。
「ぶっ。ちょ、痛い!」
なんで枕なんて持ってきてるんだ!
「頼むから、ちゃんと聞いてくれ。話を聞いた後でなら、いくらでも責め苦を受ける!納得いかなかったら、ネムの言う事何でも聞くから!」
ネムは、俺をじっと見つめた後、ボソリと呟いた。
「……わかった……言ってみろ……」
こういう、すぐに冷静になって話を聞いてくれるところ、本当に好き。
ゴホンと一つ咳をした後、俺は話を切り出した。
「さっきさ。オリ子の配信があったんだ。そこで配信が炎上した」
「え、炎上?」
ネムの声のトーンが少し変わった。好奇心が顔を出し始めている。
「俺の動画がバズったせいで、オリ子がパクリ呼ばわりされててさ。しかもそれだけじゃなくて、オリ子の折り紙技術まで侮辱してきたやつがいたんだ」
「……ほう」
「あんな芸術的な折り紙をパクリ呼ばわりすることが許せなくてな。それで『我慢できない』って言ったんだよ。全部、折り紙の話だ!折り紙の!」
沈黙。
「……そうだったのか?」
「そうだよ!」
「オリ子がパクリ認定されて……正太郎が我慢できなかったと」
「そう!オリ子のパクリ認定もそうだけど、あの折り紙がバカにされたのが許せなかったんだ」
「なるほどな」
ネムが腕を組んだ。
「……安心したぞ!ワタシや千穂ちゃんの知らないところで、正太郎がそんな事するわけないもんな!」
ネムがパッと表情を明るくした。
良かった。やっと誤解が解けた。
だが。
「でもなあ……俺は悲しいよ……」
「む?何がだ?」
「だって……ネムが俺のこと信用してくれてなかったってことだろ?」
ネムの目が泳いだ。
「……うっ!ご、ゴメンな?正太郎」
オカッパ頭を下げるネム。つい先日も同じようなやり取りがあった気がする。
ここは……アレだろ。
「……なあ、ネム。分かるよね?俺の言いたいこと」
「ううう……」
さすがはネム。察しがいい。
「バニーガールもチャイナドレスの約束もまだだしな」
「ど、どんどん着なきゃいけない服が増えていく……」
ネムが遠い目をした。
「服だけじゃないぞ?」
「え?」
「ちゃんとロールプレイもしてもらうからな!」
「な、なんでだ!」
「だって、誕生日のときも『にゃん』って言ってくれたじゃないか」
「……あれは、その……千穂ちゃんがそういうから」
ネムが目を逸らした。耳まで赤い。
「でも、コスプレとはそういうものじゃないのか?それに俺がネムの可愛いところ、見たいんだよ!」
「しょ、正太郎はワタシのこと好きすぎだろ!」
「ああ、好きすぎだ。だから……わかるよね?」
「う、うん……わかったよ……」
ネムが顔を赤くして頷いた。可愛い!
また、言質ゲットだぜ!
「じゃあ、次はゴスロリな!」
「ご、ゴスロリ……ゴスロリのロールプレイってどうやんだよ……」
ネム、ゴスロリ絶対に似合うだろ。
撮影会決定だな。千穂も大喜びするに違いない。
それにしても、このやり取りもだんだんテンプレ化してきたな。
だけど、こんなテンプレなら、大歓迎である。
その後は一緒に寝た。夜の運動会はせず、普通に朝まで寝た。
ネムは、なんとなく俺と一緒に寝たい気分になったらしく、部屋を訪ねてきてくれたらしい。だから枕なんて持ってきてたのか。
なんとなくってなんだよ。やはり猫だ。猫すぎる。可愛すぎだろ。
※※※
その翌日。千穂を大学へと送り出し、ネムを開発フロアへ見送り、自室へ戻ってきたときのこと。
天井スピーカーからオリガミの声が降ってきた。
『お兄様、オリ子とのコラボ計画ですが、ドールハウス側でアナウンスを出しますか?』
「いや……これ以上変なリスナーを、オリ子のチャンネルに流れさせたくないから、そこは放置かな」
『わかりました。まあ、こちらではお兄様がオリ男だっていう、公式なアナウンスはしてないですしね。そのあたりの曖昧なところを、うまく使っていきましょう。』
「あ、でもオリ子とのコラボの時間帯には、オリ男の配信はやめてな?」
『そうですね。では、その時間帯の配信はやめましょう。オリ男がお兄様が確定!?という論調が出るかもしれませんが、それはそれで面白いかもしれません。注目は武器ですからね。』
「もっと攻めてくか?もともとその時間に配信の枠をとっておいて、急遽中止にしたりとか」
『いいですね!そちらの方が注目度が上がりそうです。』
「それで、ドールハウス側からは否定も肯定もしないと。あれだ、『未確定なことが気になる』っていう例の心理効果」
『ツァイガルニク効果ですね。完了したことより未完了・未確定のことのほうが記憶に残って気になり続けるっていう心理効果です。……こういうのも、なんだか懐かしいですね。』
懐かしい、か。
「そうだなあ……昔はこういう心理効果を使ってコツコツと人を更生してったもんな」
『はい。実に地道で堅実なステップでしたね。』
オリガミの声に、どこか感慨深げな響きがある。
……まて。
更生……いやもう変な言い訳はよそう。あれは洗脳だ。
「……洗脳が、いい思い出みたいになってないか?」
セピア色のキラキラした思い出みたいになっちゃってる気がする。前庭砲とか側坐核砲で社会悪をのした日々が青春みたいな感じになっている。
それって、どうなんだ?
『……私たちが頑張った、いい思い出じゃないですか。あのときがなければ、今はありませんよ?』
オリガミはいつも通りなのであった。
※※※
俺はスマホを取り出して、綾に電話をかけた。
コール音が二回で繋がった。昨日とは大違いだ。
『師匠、おはようございます』
声が明るい。昨日泣いていたのが嘘みたいだ。
「おはよう、綾。元気そうだな」
『はい。昨夜は取り乱してしまい、申し訳ございませんでした。一晩寝たら、覚悟が決まりました。東堂家の名に恥じないよう、前を向いていきたく思います』
やっぱり、拠り所となる家名があるっていいな。うらやましい。かっこいい。
それはそれで俺が想像できないような大変なことも多いのだろうが。
「よかった。で、コラボの件なんだけど、近日中にやろうかなと思うんだけど、どう?」
『はい。是非とも、よろしくお願いいたします』
「あと、オリ男って名前にすると、また変な連中がオリ子のチャンネルに行くかもだから、ドールハウス社長とのコラボってことでいい?」
『もちろんです。師匠のご都合がいいような形にしてくださって結構です』
「じゃあ、どこでやろうか?うちでもいいけど?」
『わたくし、今週末帰省しますので……そのときにわたくしの実家でというのはいかがでしょうか?お父様も、ご覧になりたいみたいで』
東堂正人議員も?
そりゃそうか。綾は大切な娘だもんな。男と二人で配信ってなったら、監視したくもなるか。
「監視されるのかな?俺は」
『いえ、そんなことはありえません。お父様に事情を話したら「絶対に負けるな!」って応援してくれましたし。正太郎様にも「よくぞ娘の背中を押してくれた!」って喜んでました』
「そうなの?東堂議員の前で配信とか、緊張するな」
『以前、お父様の前で折り紙をご一緒しましたよね?お父様を置いてけぼりにして。あんな感じでいいのでは?』
……あったな、そんなこと。東堂議員の前で二人で折り紙に夢中になって、完全に空気にしてしまったことが。
「折り紙バトルか。いいな!それ!楽しそうだ!配信時間は5時間ぐらいでいいかな?いや……10時間くらい必要か?」
『そうですね……10時間必要かもしれませんが……とりあえずは5時間ってところでいいのではないでしょうか?必要になったら、もっと延長すればいいだけでしょうし』
「そうだな、長くなったら延長したらいいもんな!なんか楽しみになってきたぞ!」
『ふふふ……師匠、当日はよろしくお願いします』
「ああ!」
電話を切った。
た、楽しみすぎる!
折り紙バトル配信!しかもあの「オリ子」と!あの天才オリガミストと、リアルタイムで折り紙を競い合えるのだ!
どうしよう。何を折ろうか。いや、ライブだから、その場で決めた方が面白いか?テーマを視聴者に決めてもらうのもいいかもしれない。
うおおお、考えるだけでワクワクが止まらないぞ!
※※※
そして、週末。
俺は、予定通りに東堂家を訪れていた。
都内一等地に佇む東堂邸は、和風建築の重厚な門構えだ。政界の名門らしい威厳がある。
玄関で迎えてくれたのは、東堂正人議員だった。
「やあ、正太郎くん。今日はよろしく頼むよ」
「お招きいただきありがとうございます、東堂議員」
「堅いなあ。まあ上がりなさい」
応接間に通されると、綾が既に準備を整えていた。折り紙用の紙がテーブルの上に整然と並べられ、二台のカメラが手元を映すように配置されている。
おっ、この紙いいな。厚みも手触りも申し分ない。
でも、こんな応接間で配信するのか?邪魔にならないかな?
「師匠!お待ちしておりました!」
綾が立ち上がって、深々とお辞儀をした。
今日は和装ではなく、白いチュニックに細身のデニムというカジュアルな姿だった。黒髪のストレートロングは、折り紙の邪魔にならないよう高めのお団子にまとめてある。
初めて会ったときの和服姿とはだいぶ印象が違う。だが、きちんとした所作は変わらない。礼儀正しいお嬢様だ。
……しかし、お団子ヘアの綾を見ていると、アヤトリを思い出す。そりゃそうだ。アヤトリの外見モデルは綾なのだから。ネムが見たらひっくり返るかもしれない。
アヤトリ……じゃなかった、綾の目は燃えていた。
「準備万端だね」
「はい。東堂の娘として万全の体制で臨む所存です!」
その横で、東堂議員がソファに座って茶を啜っていた。
「では、これから五時間よろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
「ゴホッ!?」
東堂議員がお茶を噴いた。
「ご、五時間?折り紙配信で?ほ、本気か?」
「え?何を仰ってるんですか?お父様?」
綾がきょとんとした顔で振り返る。
「だから、五時間も折り紙配信をするのかと聞いている!」
「もちろんですよ!東堂の娘として、あの程度のことで引き下がるわけにはいきません!……たとえ不意打ちだったとは言え、配信で泣いてしまったあの屈辱。次の配信を成し遂げ、わたくし、必ず晴らしてまいります!東堂家の娘として、晴らしてまいります!」
綾が拳を握り締めて宣言した。東堂議員が困ったような顔で俺を見る。
「お、おう。な、なあ正太郎くん?本当に五時間なのか?」
「やっぱり時間おかしいと思います?」
「そ、そうだよな!おかしいよな!俺、間違ってないよな?」
東堂議員の目が、同志を見つけたかのように輝いた。
そうか……やっぱり五時間じゃ足りないか。
「そうですよね……綾さん、やはり十時間にしましょうか。東堂議員も、短いって思ってらっしゃるみたいですし」
「確かにそうかも知れませんね……わたくしもそんな気がしてまいりました。では、十時間にいたしましょう!」
綾の目の光が強い。覚悟の決まった目だ。
「違う!5時間は長すぎるんじゃと言ったんだ!」
東堂議員がソファから身を乗り出した。
「え、そうなんですか?」
「そ、そうでしょうか?長すぎ……ますか?師匠、どう思われますか?」
綾が首を傾げて俺を見る。
「折り紙やってたら5時間なんて、すぐなのでは?」
俺と綾が、心底わからないといった顔をしていると、東堂議員は折れてくれた。
「いや……もういい。もういいよ」
東堂議員が大きくため息をつく。
「綾、正太郎くんに出会えてよかったな?多分、ここまでお前に合う男、他にはいないぞ?」
彼は呆れたような、どこか愉快そうな顔をしていた。
んんん?
東堂議員、一体どうしたんだろうか?
そんな生暖かい目で、こちらを見ないで欲しい。
※※※
配信開始時刻が近づく。
綾がカメラの最終確認をしている間、俺はスマホでオリ子の配信ページを開いた。
開始前のコメント欄が、既に凄いことになっていた。
『ドールハウスの社長との折り紙対決だってよ!』
『は?マジで?』
『オリ男の配信はどうなってるんだ?』
『今日は休みだってよ。タイミング良すぎて草』
『ドルハ社長、オリ男様じゃないんじゃない?』
『でもあんな折り紙技術、ほかにないだろ?次点で、ここのオリ子じゃね?』
『炎上の火消しに社長連れてきたってこと?』
『さすがに嘘だろ。釣りタイトルじゃね?』
『パクリっていうか師匠がオリ男って言い張ってただけ』
『オリ男様ファンです。偵察にきました』
『↑同じく』
『社長の手元配信ってことは、あの手が見られるんだ。ステキ』
『あの手はガチで国宝級なんだけど』
『顔はフツメンなのに手だけ異次元なのずるくない?』
『同接やばくね?普段の100倍くらいいるだろこれ』
『野次馬だけど最前列座っとくわ』
『手フェチ歓喜』
概ね予想通りの反応だ。半信半疑と野次馬が入り混じっている。というか、ドールハウスって「ドルハ」って呼ばれてるんだ。初めて知った。
だが……思ったより人が集まってしまった。いつもより、同時接続数が二桁違う。
オリ男の配信を急遽中止にしたのが、いい具合に好奇心を煽ったらしい。や、やりすぎたかも。
「綾、ごめん。チャンネル、結局目立っちゃった。折り紙好き以外ばかりになっちゃったかもしれない」
「師匠、気になさらないでください。誹謗中傷なんて、覚悟を決めた今となってはなんでもありません。わたくしは、ただ折り紙をしてればいいだけなのですから。精神修養のためのいい機会です」
なんかこの子、急に武士っぽくなったな。そういえば、東堂家は武士の血筋って聞いたことあるな。
ふと、コメント欄の一番下に、異様に長いコメントが目に入った。
『社長さんの指先の繊細さとオリ子ちゃんの爪先の正確さが同じ画面に映るんですよ?二人の折り目の付け方って全然違うのに同じくらい美しくて、特に社長さんの中指と薬指の連動が神がかってるんですけど、オリ子ちゃんの親指の腹の使い方も天才的で、この二つが並んだらもう私どこ見ればいいんですか?目が足りない。手がもっと映るアングルでお願いします本当にお願いします』
『↑なに言ってるかわからん』
『↑手のソムリエいて草』
『↑こいつ毎回いるぞ』
……溢れ出る個性。隠しきれない変態性。
詩織さんだ。間違いない。
「綾、この手フェチコメントの人、たぶん長文コメントを連発してくると思うけど、気にしないでくれな?悪い人じゃないけど、ちょっと……変態なんだ」
「師匠、お知り合いですか?」
「ああ……最近、研究所に通い詰めて呪物をつくっててな……そういえば綾のことを知ってるって言ってたぞ。笹木詩織さんていうんだけど」
「詩織さんですか!?」
綾の目が丸くなった。
「やっぱり知ってた?」
「も、もちろんです!彼女は素敵な方ですよ!小さいころ連れていかれた社交の場で、会場の隅にいた私に、たくさん話しかけてくれました。本当に優しくて尊敬できる方だと思います!」
いい人……いい人なんだろうけどな……インパクトが強すぎて。
「そうだった。彼女、オリ子が綾ってこと知ってるから。俺がつい興奮して漏らしちゃって……口止めしといたから大丈夫だと思うけど……本当にごめん。二度とこんなことがないようにする」
本当はネムが漏らしたんだが、あれは俺の責任といってもいいだろう。だってネムにオリ子の正体を言ってしまったのは俺なのだから。
「かまいません。誰に何を言われようと、わたくしはわたくしの折り紙道を貫くだけですから」
やっぱり武士っぽい!
「安心したよ。じゃあ、始めようか」
「はい。胸をお借りいたします」
綾が姿勢を正して、深く頭を下げた。
部屋の隅では、東堂議員がスマホを構えていた。
「お父様、撮らないでください!」
「い、いいじゃないか。娘の晴れ舞台だぞ?」
父親だった。あの東堂正人議員が、完全に父親の顔をしていた。
そんな、なごやかな空気の中、オリ子とドールハウス社長のコラボ配信が始まったのだった。
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