愛の結晶
詩織さんが柚希さんに連行されてからしばらく経ち、フロアの隅のほうからトボトボと戻ってきた。
涙目だ。
「うううっ!ひどい目にあったぁ!変わったことなんて言われても、私にはわからないのに!」
「……ごめんね。詩織、これあなたにお願いすることじゃなかったね」
柚希さんが珍しく素直に謝った。
「そうですよ!ここには『正太郎様ハンドVer.2』を作りに来てるんです!それ以外はどうでもいいんです!」
「私のミスだなあ……お願いする相手を間違えたんだ」
「あ、でも千穂ちゃんの料理は例外です!あれは例外です!」
詩織さんが胸の前で両手の拳をギュッと握りしめる。もう、復活したっぽい。千穂の料理パワー、すごいな。
「……千穂ちゃんの料理ってそんなに美味しいの?早瀬も、すごい褒めてたけど……」
柚希さんが首をかしげる。
早瀬さんは、千穂の護衛をしてもらっている女性警護だ。柚希さんのところから、派遣されている。そういえば、千穂の護衛を外されたら、千穂の専属護衛として雇ってくれと言われてたっけ。千穂の料理を食べ続けたいがためにだ。
ヤバいな、千穂の料理。
詩織さんは声高に主張する。
「美味しいなんてもんじゃないですよ……何ていうか……あれは愛ですね!きっと千穂ちゃんの深い深い正太郎様への愛が、あの料理を生み出しているんですよ!あれは正太郎様への千穂ちゃんの愛の結晶なんですよ!」
愛の結晶。
俺に対する愛でしょ?なにそれ、嬉しい。
詩織さんにしてはいいこと言うな。
「そうなの?」
不思議そうに聞いてくる柚希さん。
「そんな事を俺に言われましても……。でも千穂のご飯は絶品ですよ。俺はもう千穂のご飯なしでは生きていけませんし」
「そうなんだ……」
柚希さんがぽつりと呟いた。
「でも愛か……千穂の俺への愛がこもったご飯かあ……そう思うとうれしいなあ」
気がつくと口元がにやけていた。
「千穂ちゃんは流石ですね!正太郎様にそんな乙女みたいな顔をさせてしまうんですもの!羨ましいです!見習いたいです!」
……「正太郎様ハンド」じゃ絶対に無理だけどね。
柚希さんが俺に向き直る。
「ね、ねえ正太郎くん?千穂ちゃんの料理……私も食べてみていいかな?」
「え?多分、千穂に頼めば、いいって言うと思いますけど……なんでですか?」
「私もね、ちょっと料理の練習しなきゃって思ってたんだ。だから、愛のこもった料理ってのを食べてみたくて。もし、できるなら、私も練習して……ゆ、悠斗に喜んでもらいたいし」
柚希さんの頬が、ほんのり赤くなっている。
なるほどなるほど……お熱いことで……。
ごちそうさまです!
※※※
その後は五階のドローン用フィジカルAI学習フロアを案内した。
エレベーターが開いた瞬間、風が吹いた。
いや、風じゃない。千体を超えるハチガミが、フロアの中を飛び交っている。天井高は十メートルを超え、その広大な空間を、小さな飛行端末が縦横無尽に駆け巡っていた。
光学迷彩がオンになる。消える。ノイズキャンセリングがオンになる。飛行音が消える。オフになる。音が戻る。
千体のハチガミが一斉にそれをやるものだから、暗くもないのに、フロア全体が明滅する蛍の群れみたいになっている。
「わああああ!きれい!なんだか、キラキラしてる!」
紬ちゃんが目を丸くしている。
「すごい!ちっちゃいのがいっぱい飛んでる!消えたり出たりしてる!」
湊くんも見上げて声を上げた。
子どもたちは大喜びだ。
ベビーカーの灯ちゃんだけは、千体のハチガミが飛び交う光の中で、すやすやと眠っていた。大物だ。
柚希さんはどうかと思って横を見ると、口がぽかんと開いていた。
骨伝導イヤホンが振動する。
『お兄様。藤崎柚希の心拍数が急上昇しています。今日で三度目ですね!』
オリガミは相変わらず嬉しそうだ。
でも、まだ産後間もないのに……大丈夫なのかな?
と、詩織さんのほうを見ると。
俺の手をじっと見つめて、ヨダレを垂らしていた。
……千体を超えるハチガミが光学迷彩しながら飛び交うフロアを目の前にして、見てるのがまた俺の手か。もう驚かないけど。
うーん。俺の手って、そんなに魅力的なのか?
……よく考えたら、手以外の外見、褒められたことないな。
※※※
そして四階に移動する。
ここは居住フロアだ。
エレベーターが開くと、空気が変わった。
三階や五階のような金属音も駆動音もない。静かで、清潔感のある空間が広がっていた。
広いホールだ。ロボもいない。ほかのフロアとは全く雰囲気が違う。
ホールの奥には、各世帯の玄関が並んでいた。マンションの共用部みたいな造りだ。七世帯が住める設計で、一世帯あたり百〜百五十平米程度の区画がある。
もともと柚希さんはこのフロアを確認しに来たのだ。いざという時に滞在する場所として的確かどうかを確認するために。
「すごいね!こんなキレイな場所だと思わなかったよ!私、ここなら住めるよ!というか住みたい!」
紬ちゃんがホールから飛び出して、奥の廊下へ走っていった。湊くんも興味深げにキョロキョロしている。
柚希さんは、なんだか呆れた顔だった。
「研究所に……こんな場所を準備するなんて。これって明らかに籠城目的の居住フロアとして設計してるよね……本当に何年も前から想定してたんだね」
「そうですね。いつかの事態を想定して作ったものです。まあ、想定より使用が早くなってしまいそうなのは困りものなのですが」
「やっぱり、想定外だったんだ。HNDL攻撃だよね?」
「ご想像にお任せします」
柚希さんの目が、少しだけ鋭くなった。
だが、すぐに表情を緩めた。七月八日に説明することになっているのを思い出したのかもしれない。
「秘密主義ですみません。ただ、七月八日にお見せするものは、今までとは比べ物にならないくらいすごいものですから。楽しみにしててください。驚いて転ばないようにしてくださいね?」
「だから、私はおばあちゃんじゃないんだって。そんな簡単には転ばないよ」
いや、でもなあ……。
「でも産後すぐですし……なんか心配で心配で……」
「正太郎くんは、私の心配より、自分たちの計画がうまくいくことだけを考えて。それが私たちのためになるんだから」
「そう……ですね。柚希さんの言うとおりかもしれません」
確かにそのとおりだ。それに、柚希さんを心配するのは俺の仕事じゃない。叔父さんの仕事だろう。
「でも、ここなら安心して避難できそうだね。赤ちゃん関係の道具、念のために送っておいていい?」
「あ!そうですね!是非!」
いかん。全く考えてなかった。そうだよ、オムツとかミルクとか、赤ちゃんだけに必要なものがあるじゃないか。危なかった。
いや、そこらへんは母親の仕事か。俺なんかの気遣いを当てにしたりしないだろう。柚希さんだし。
「ちなみに、部屋はどこを使ってもらっても構いません。全部で七世帯分の区画がありますし、中は普通の家と同じ作りになってますから。今のところ他に入居する可能性があるのは、うちのじいちゃんばあちゃんと、千穂の親御さんくらいですし」
そして、詩織さんが勢いよく手を挙げた。
「正太郎様!柚希先輩たち、ここに住むんですか!ずるいです!じゃあ、私も住みますよ!お願いします!」
そう言うと、詩織さんがトトトッと近づいてきて、両手で包み込むように、俺の手をぎゅっと握ってくる。
ぐぅ!いい匂いがする。シトラスの香りだ!そして、柔らかい!だが、負けない。負けないぞ!
骨伝導イヤホンが振動する。
『確かに……詩織さんは私たちに近づきすぎたかもしれませんね。』
……よく考えてみると、オリガミの言う通りだ。
詩織さんも避難の必要があるかもしれない。
「ま、まあ、その時はお伝えしますので」
「さいこうですっ!楽しみですっ!」
詩織さんはニッコニコだ。
「詩織の所は名家だしね……ふむ……」
柚希さんが何かを考え込むように顎に手を当てた。
『あ、なるほど、それはいいですね。』
このタイミングで、オリガミと柚希さんが同時に何か思いついたらしかった。
……嫌な予感しかしない。きっと腹黒いことに決まってる。
聞きたくない。聞きたくないぞ。
本当に必要なときは、オリガミが教えてくれるはず。
今は、スルーだ!
※※※
その後はみんなで家に移動した。
大勢でぞろぞろやって来たため、千穂は目を丸くして驚いていたが、事情を話すと喜んで引き受けてくれた。
「私の料理を食べるために集まってくれたの?な、なんか緊張するな。頑張ってみるね!えへへへ……」
千穂の頬がほんのりと赤い。
千穂は、もともと誰かに料理を振る舞うのが大好きなのだ。
ネムも、すでにリビングに戻ってきていた。
「おお!今日はみんなでご飯を食べるのか!千穂ちゃんの料理はめちゃくちゃ美味しいからな!驚くなよ!」
ネムが腕を組んでふんぞり返りながら言う。
「ね、ネムちゃん、言いすぎだよう!」
千穂が困ったように笑った。
柚希さんは、そんな千穂にスッと近づく。
「千穂ちゃん。よかったら料理してるところ見せてくれないかな?」
柚希さんが千穂に声をかけた。
「え、いいですよ?でも、なんでですか?別に、面白くないと思いますけど……」
「詩織がね、千穂ちゃんの料理は異常なほど美味しいっていうんだよ。美味しい理由は、正太郎くんへの愛の結晶だからって。だから一度どういうふうに作ってるか見てみたいなって思って」
「あ、愛の結晶?えへへへ……い、いいですよ。詩織ちゃんも、そんなこと思っててくれてるなんて、嬉しいな!」
千穂が顔を真っ赤にしながら恥ずかしそうに笑い、その表情を隠すようにキッチンへとパタパタとスリッパの音をさせながら戻っていく。柚希さんは、そんな千穂の後についていった。
はあ……やっぱり千穂は天使だなあ……可愛すぎだろ。
※※※
「よし、じゃあ千穂ちゃんの料理の邪魔にならないように、ワタシたちは、みんなでゲームしよう!」
ネムがリビングのテレビの前でコントローラーを掲げた。
「いいな!今度はこのゲームにしようぜ!」
俺はインクを塗り合うゲームを選ぶ。レースのゲームと同じで、こちらも人気ゲームだ。
だが……これなら、多分勝てる!
「お前それ、インクのやつ、随分やり込んでるゲームじゃないか!大人げないぞ!」
ネムが眉をつり上げる。
「い、いいだろ?今度は俺に勝たせてくれよ!」
「紬ちゃんと湊くんがいるんだぞ。却下だ却下!ワタシは知ってるぞ、正太郎の叔父さんの家でやったレースゲーム、あれをお前は、すでに買っていることを!」
「な、なんでそのことを!」
このゲーム機には、まだダウンロードしてないのに!
「コソ練とかみっともないぞ!」
「い、いや。まだ、ちょっとしか練習できてないんだ!」
練習時間は合計一時間もない。全然足りてない。百時間は必要だ。
「ふっふっふ、じゃあそれで決まりだな」
「私もレースゲームがいいな!みんなでできるし!」
そんなあ……。
「つ、紬ちゃんまで!インクのゲームだって、みんなでできるんだぞ!ギスギスしちゃうかもだけど……」
「ギスギスするゲームは駄目だぞ正太郎!」
ネムにバッサリ斬られた。
結局、またあのレースゲームになってしまった。
そして結果は、もちろん、また惨敗。
「なんで!おっきな大砲が後ろから飛んでくるんだよお!大砲に顔とかついてるなよぉ!重力はたらけ!地面に落ちろ!」
そんな砲弾に直撃し、首位から最下位に転落。このゲーム、理不尽すぎないか。
「弱いな正太郎!ざーこ!ざーこ!」
ネムが煽ってくる。
「正太郎お兄ちゃん、弱いね!」
紬ちゃんにまで言われてしまった。
「あ、あとちょっとだったよ!僕、あとちょっとで負けそうだったよ!」
湊くんまでフォローしてくれる。
「正太郎!湊くんにフォローされて不甲斐ないと思わないのか!」
「ね、年長として、不甲斐ないです」
正直、なかなかクるものがある。
「ああ、たどたどしくコントローラーを操作する正太郎様の手もステキ……」
詩織さんが、潤んだ瞳で、顔を赤らめながら俺の手元を見ている。
彼女はいつでも変わらない。
でも、子どもの前だから、変態発言と変態行動は控えてくれないかなあ。
何戦かして、俺が最下位を連発して、涙目になっていると、千穂から救いの声がかかった。
「みんなー、ごはんだよー」
キッチンの方から千穂の声が響く。
「待ってました!さあ!こんなゲームはおしまいにして千穂の料理を食べようじゃないか!」
俺はコントローラーを投げるように置いて立ち上がった。
「あ、正太郎お兄ちゃん、逃げたー」
「なあ、紬ちゃん、正太郎逃げたなあ?」
くそう。千穂に泣きつきたいが、今は人目が多すぎる。後で膝枕してもらおう。そうしよう。
とりあえずは千穂の料理だ!千穂の料理で、心を癒やすぞ!
※※※
食卓につくと、なんだか柚希さんの顔が青い。
柚希さんは、さっきまでキッチンで千穂の料理を見ていたはずだ。
「ど、どうしたんですか?柚希さん」
「あ、あんなの無理……あんな手間をかけた料理をあんなに手早く効率的に作るなんて……ち、千穂ちゃんすごすぎる……」
柚希さんの目が虚ろだった。何を見てきたんだ。
そして柚希さんは俺を見ると、一言ボソリと漏らした。
「正太郎くん、あれは『愛の結晶』だよ……?」
そ、そんなに?
※※※
そして、千穂の料理をいただく。
「今日は、みんなが食べてくれるって言うから、張り切っちゃった!」
千穂がニコニコしながら言う。
テーブルには品数の多い料理がずらりと並んでいた。子どもたちの好みにも配慮されていて、彩りも綺麗だ。大人数なのにこの品数。しかも全部手が込んでいる。千穂、本当にすごい。
「いただきまーす!」
紬ちゃんの元気な掛け声で、全員が箸をつけた。
「ふわぁあああ!すごい!すごいね!千穂お姉ちゃんの料理、今まで食べた中で一番美味しいかも!」
紬ちゃんが目を輝かせている。
「うん、本当だ!おいしい!」
湊くんも頷きながら食べている。
「やっぱり千穂ちゃんの料理はおいしいですねえ。これなしじゃ、もう生きていけませんよ!」
詩織さんが幸せそうに頬を押さえた。
「し、詩織ちゃん、大げさだなあ……えへへへ……」
千穂がクネクネしながら照れている。
「いや、詩織ちゃんの言うとおりだぞ?千穂ちゃんの料理は最強だからな!それは間違いないぞ!ワタシが保証する!」
ネムが胸を張って言い切った。
「ね、ネムちゃん、そんなに褒めないでよ」
「いや、ネムの言うとおりだぞ。千穂の料理は実際に最高だから。これは揺るがない事実だ。千穂でもそれは否定させないぞ!」
俺も断言しておく。千穂の料理が美味いのは事実だ。誰が何と言おうとだ。
否定するやつは、更生が必要だ。
「えへへへ……しょうちゃんにそう言ってもらえるのが、一番うれしいな!」
千穂が俺に輝くような笑顔を向けてくれる。て、天使……。
ふと、柚希さんの隣のベビーカーから灯ちゃんの小さな声がした。どうやら目を覚ましたらしい。なかなかよく寝る子だ。寝る子は育つ。
柚希さんがそっとベビーカーを揺らすと、灯ちゃんはすぐに静かになった。
賑やかな食卓の中で、柚希さんの周りだけが静かだった。
目を閉じて、ゆっくりとモグモグしている。丁寧に味わっているのが伝わってくる。
やがて、柚希さんが目を見開いた。
「お、美味しすぎる……これが愛の結晶……」
ボソリと呟いた声は、小さかったけど、はっきり聞こえた。
骨伝導イヤホンが振動する。
『お兄様、藤崎柚希の心拍数と発汗量の急上昇、および瞳孔の拡大を検知。今、今日一番驚いています。し、信じられません!』
オリガミの声が少しだけ裏返っていた。
そうか……千穂の料理は光学迷彩より上か。
あの柚希さんが、ロボットの群れや光学迷彩、そしてハチガミの乱舞を見た時でさえ出さなかった心拍数を、千穂の料理で叩き出したのだ。
さすが千穂だ。
「さすちほ」だ!
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