手フェチはやめとけ?
ネムがラーメンのトレーを手に、意気揚々と戻ってきた。
テーブルの俺の隣の席に、どすんと腰を下ろす。
「おまたせ!」
白石さんたち元クラスメイトは、さっきからずっと固まったままだ。
突然現れた、公園の滑り台をすべってそうな小さな暴君は、それだけインパクトがあったということだろう。
ネムは周囲の視線など気にもせず、割り箸をぱちんと割った。
白濁したスープに勢いよく箸を突っ込み、麺を啜る。
「……ん。なかなかだな。フードコートにしては悪くない」
「だろ?このラーメンさ、父さんとよく食べに来てたラーメンなんだ」
ネムの箸が、一瞬だけ止まった。
「そうか……そう思うと、感慨深いな」
チャーシューを一枚つまみ上げ、しげしげと眺める。
「あの天才の好んだラーメンか。いつか聖地になるかもしれんな!」
「ははは。そうなったら笑えるな」
父さんが聞いたら「やめてくれ」と言いそうだ。
だが、早く死んだバツだ。オリガミが神になったら、絶対に聖地化させてやる。そうだな……銅像とか立ててやろう。見たら恥ずかしがるに違いない。ザマァ!
「ふ、藤崎くん……その子は?」
白石さんが、おそるおそるといった様子で、口を開いてくる。
ああ、そうだ。紹介がまだだった。
「ごめんね。紹介するよ。彼女は星ヶ谷ネム。東応大学特任准教授で、AI開発の天才だ。俺の共同研究者でもあり、会社の共同経営者でもあるパートナーだな」
ここまではいい。ここまでは完璧な紹介だ。
案の定、場が騒然とした。
「と、東応大学の准教授!?」
「こう見えて、俺たちより歳上だぞ?」
「年上?どういうこと!?」
見た目は公園で走り回っていそうな子だからなあ。戸惑うのも無理はない。
だが、そんな驚きの声をかき消すように、ネムが胸を張って宣言する。
「こう見えては余計だ!よろしくな!ワタシは星ヶ谷ネムだ!正太郎といっしょに住んでいる!」
またそうやってややこしくする!
なんで「いっしょに住んでる」とか余計なこと言うかな!説明が面倒だろうが。
「藤崎くんと住んでる……?同棲……?」
「ど、同棲って……マジか……」
元クラスメイトたちの目が、一斉に俺に向く。
視線が痛い。痛すぎる。
だが、白石さんだけは違う反応だった。
「え!?藤崎くん、千穂と別れちゃったの?」
みんながネムの経歴やパーソナルデータに食いついている中、彼女だけが、別のことを気にしているようだった。
くそっ!ネムめっ!余計なことを!
「いや、別れてないよ」
ここから先の説明は面倒すぎる。
チラッとネムに目配せする。
(説明めんどいから、話を合わせて。頼むぞ!)
ネムは微かに頷いた。……ちゃんと分かってるのだろうか?心配すぎる。
「同棲というか……ワタシは千穂ちゃんの料理目当てで住み着いてる感じだな。あとは研究所が隣接してるから、正太郎の家に住むのが都合いいんだよ」
そう説明するネムに、白石さんは困惑気味だ。
「一緒に住んでるの、千穂は……怒ったりしないの?」
白石さんが、恐る恐る聞いてくる。
「怒ってはないな?千穂ちゃんは、ワタシにすごく優しくしてくれるからな」
ネムはさらに続ける。
「千穂ちゃんのご飯は、本当にうまいんだ。ワタシはもう、千穂ちゃんの手料理なしじゃ生きていけないし、耳かきとか膝枕とかも癒やされるしな!」
おおむね事実だ。
千穂は、ネムのことを本当に可愛がっている。
だが、ここで俺は一つ、釘を刺さなければならない。どちらが上かをわからせなくてはいけない。
「いや、待て。手料理はともかく、千穂の耳かきや膝枕は、俺のだからな?勘違いするなよ?ネムには、一時的に貸してあげてるだけだからな?」
「む?本当にそうか?たしかに千穂ちゃんはお前の婚約者だけど、最近はワタシの方が一緒にいる時間長いと思うぞ?」
余裕の表情で、事実を突きつけるネム。
ぐっ……!
確かに最近は忙しくて、あまり千穂と一緒にいられてなかった。
最近、リビングのソファでネムがグダグダしてるのをよく見ると思ったら、千穂目当てだったのか。
「ふっふっふ。婚約者だからって、千穂ちゃんを独り占めできると思うなよ?」
偉そうに語るネム。
「え?え?婚約!?」
婚約って言葉に、周りの視線が俺に集まったのだった。
※※※
「ね、ねえっ!藤崎くん、千穂と婚約したの?」
白石さんが、身を乗り出してきた。
「ああ、ごめん。こっちだけで話しちゃって。えっと……そうだな。婚約者だ。千穂が大学出たら、結婚しようと思ってる」
結婚……イマイチ現実感がないが、千穂を奪われないためだ。
今更、撤回するつもりはない。
白石さんの表情が、ほんの少しだけ曇った。
「そっか……藤崎くん、結婚しちゃうのか……」
「朝比奈さんと結婚か!?いいなあ……」
男の一人が、羨ましそうに言う。
「わかるわあ。朝比奈さん、無茶苦茶可愛かったもんな。クラスで告白して撃沈してたやつ、たくさんいたよな」
もう一人の男も、なんだか遠い目をしている。
まさか、こいつも千穂のことを狙ってたとか?許さんぞ!
もう一人の女の子は、なんだか顔を赤らめさせている。
「幼馴染と結婚だなんて……ロマンチック……それも玉の輿とか……あこがれるなあ……。千穂、いいなあ……」
ロマンティストだかリアリストだかよくわからない発言だ。玉の輿とか言うな。
そんな盛り上がりを見せている元クラスメイトたちを見て、ネムがラーメンのスープを啜りながら、ぽつりと呟いた。
「……結婚か。そこまで無事にたどり着けるといいな」
ネムの言うとおりだ。
そこにたどり着くまでの壁は、おそらく高い。
だが……
「ああ。全くだ。絶対にたどり着いてみせる」
いくら、壁が高くても乗り越えなければならない。
でないと、俺たちの幸せは、永遠に手に入らないのだから。
※※※
「そういえば藤崎くん、明日誕生日だよね?」
白石さんが、ふいに話題を変えた。
……え?
「は?」
ネムも、箸を止めた。
明日?明日って――
「しかし……そうか。明日は五月五日だったか。子供の日か……俺の誕生日じゃないか」
言われるまで完全に忘れていた。
正直、自分の誕生日なんてどうでもいい。別に欲しいものもないし。
いやまて……誕生日プレゼントとして、コスプレとかお願いするのはどうだろう?
ば、バニーガールとかいいんじゃないかな?何が欲しいか聞かれたら、そう答えよう。そうしよう!帰ったら早速注文せねば。間に合うだろうか?
「わわわわ、忘れてた……!ヤバイ……!」
ネムは、慌てて頭を抱えている。
こいつも誕生日意識低いからな……自分の誕生日も忘れてたし。
忘れててもいいんだよ?バニーガール衣装、準備しとくからさ。
そんなネムだったが、すぐに持ち直して、ニヤニヤし始める。
「そうか!正太郎、子供の日が誕生日か!前から思ってたけど、笑えるな!」
「笑うな」
「子作りの日じゃないぞ?子供の日だからな?勘違いするなよ!?」
「オヤジかお前は!」
元クラスメイトたちは、面白そうにこちらを見ていた。
白石さんも、さっきの少し曇った表情が嘘のように、口元を押さえて笑っている。
口元を押さえて笑う女の子って可愛いよね。
それはそうと、白石さん、よく俺の誕生日なんて覚えてたな。
高二のとき痴漢冤罪で変な評判が立ってた俺に、クラスで普通に接してくれた、数少ない存在。
卒業式のときに告白してくれたのも、彼女だった。
高校生活での、数少ない明るい思い出の一つだ。
※※※
そんな彼女に、ネムが話しかける。
「それで……白石ちゃん……とかいったな?」
ネムが、スープを飲みながら白石さんに目を向けた。
「う、うん……」
「正太郎の誕生日を覚えてるなんて……すごいな!ワタシも覚えてなかったのに!」
嫌な予感がする。
「オマエ、正太郎のこと好きだろ!」
やっぱりか!
その一言に、場の空気が凍りつく。
男子二人は驚いたような顔をし、もう一人の女子は困ったような顔をしている。
女子の方は、知っていたようだ。
白石さんは、顔を真っ赤にして固まっている。
……まずい……まずいぞ……。
彼女は、千穂以外で、高校生活の明るい思い出をくれた唯一の存在だ。
助けてあげなければ!
どうする?どうすれば彼女をフォローできる?
とりあえず、ネムを止めないと!
「お、おい、ネム!白石さんに失礼だろ!やめろっ!」
だが、俺の制止など聞く耳持たず、ネムは語り続ける。
「正太郎は……やめとけ?な?」
え?
「オマエも正太郎の手がキレイとか……そういう類だろ?」
……手?
「……だって……藤崎くんの手、すごくきれいなんだもん……」
白石さんが、消え入りそうな声で呟いた。
そうだった。白石さんも、手フェチだった。
俺を好きになった理由を聞いたときに、「藤崎くんの手が繊細で……」みたいなことを言っていた気がする。
だが、ネムはなぜ手フェチの話を……?
「やっぱり、手フェチ系女子か……まあ、気持ちは分かるが……」
ネムが、何かを思い出したように頷いた。
そしてスマホを取り出し、何やら操作し、白石さんに画面を見せる。
「ほら、白石ちゃん。しっかりと見とけ。これが極まった手フェチだ」
画面に表示された写真を見て、俺は背筋に悪寒が走った。
そこに写っていたのは、詩織さんだった。
「正太郎様ハンド」に頬ずりしながら、その端正な顔をこれでもかと崩している。
目の焦点がどこかへ飛び、女性として人として越えてはいけないラインの顔になっている。
どう考えても、乙女がしてはいけない表情だった。
……詩織さんのヤバさが、実によく表現された写真だ。
なんでネム、こんな写真持ってるんだよ。
白石さんは、目を見開いてその写真を見つめている。
「なあ……白石ちゃん?こうなりたいか?」
「い、いや……え?ええ?」
「こいつは……正太郎のストーカーといっても過言ではない手フェチだ。弁護士のくせに、ストーカーすれすれの女だ。こうなりたいか?」
「こ、これは、ちょっと……弁護士!?」
「べ、弁護士なの?この人!?」
「や、やべえなこれは……」
「すごい美人だけど……なんか関わっちゃいけない感じするぜ……」
白石さんも、他の元クラスメイトたちも完全にドン引きしていた。
ネムは、白石さんの目をまっすぐ見つめて、諭すように言った。
「な?お前らもそう思うだろ?こうはなりたくなかったら、手フェチの道は諦めるんだ。手フェチの道は、茨の道だぞ?白石ちゃんなら、多分まだ遅くない。真っ当な道を歩め?な?」
白石さんは、少し考えた後、ゆっくりと口を開いた。
「う、うん……わかったよ……なんだか少し、目が覚めたような気がする」
……よかった、のか?
ネムなりの優しさだったのかもしれない。
手フェチの道を極めると、ああなる。笹木詩織という生きた教訓を見せることで、白石さんを救おうとしたのだ。
……白石さんの面子はこれで保たれただろう。
だが、俺の高校時代の唯一といっていい明るい思い出が、汚されてしまった気がする。
告白してくれたあの日の淡くて綺麗な記憶が、手フェチの文字で上書きされていく。
詩織さんの、よだれを垂らした顔に侵食されていく。
ううっ!やめてくれぇ!
※※※
楽しい時間は、あっという間に過ぎていった。
白石さんたちとは連絡先を交換し、「またね」と手を振って別れた。
白石さんは最後まで笑顔だった。なんだかスッキリした顔をしていた。
……多分だけど、詩織さんの写真がよっぽど効いたのだろう。
正太郎様ハンドに頬ずりする笹木詩織。あれは確かに、抑止力として完璧だ。
こうはなりたくないと思わせる、強力な力がある。
白石さんを、真っ当な道に戻せて、よかった。
……代償として、俺の高校時代のキラキラとした思い出は、手フェチの文字で上書きされてしまったわけだが。
モールを出ると、夕暮れの風が吹いていた。
五月の風は、朝と変わらず心地いい。
イヌガミタイプ2はどこかで、俺たちのことを見守ってるのだろうが、サッパリわからない。新型の光学迷彩やばすぎだろ。
「なかなか楽しかったな」
隣を歩くネムが、伸びをしながら言った。
「ああ。なんだか懐かしい、悪くない一日だったよ」
「そうか……ラーメンもうまかったし、今度千穂ちゃんも連れてきてやろう!」
「それはいいな!」
しばらく無言で歩く。
夕陽が街路樹の影を長く伸ばしている。
ネムがラーメンのことを千穂に話したら、千穂は「行きたい!」と目を輝かせるに違いない。
千穂か……。
そういえば。
俺の誕生日が来るってことは、千穂の誕生日も近いってことだ。
俺の誕生日なんて、正直どうでもいい。
だが、千穂の誕生日は――そうはいかない。
そろそろ準備を始めなければならない。
なんてったって――
オリガミのことを千穂に伝える日なのだから。
千穂に、俺のすべての秘密を明かす日。
父さんが遺してくれた、俺の『家族』を紹介する日なのだから。
『…………お兄様。』
イヤホンから、オリガミの静かな声が聞こえた。
「ん?どうした?」
『……いえ。何でもありません。』
少しだけ間があった。
『……楽しい一日でしたね。』
「ああ。楽しかったな」
空を見上げると、夕焼けが広がっていた。
こんなふうにのんびりと過ごせる日は、もう長くないのかもしれない。
だから――今のうちに、やるべきことをやっておこう。
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