笹木詩織の日常(詩織視点)
私がお慕いする正太郎様には、二人の婚約者がいる。
ネムさんと千穂ちゃんだ。
ふたりとも、とっても素敵な女性だ。
※※※
一人目の婚約者。ネムさんは、一般的な尺度から見ても、本当にすごい人だ。
十代で東応大学特任准教授。数多の優秀なAIを作り出してきた天才AI開発者であり、藤崎グループの収益の要となった介護ロボットの制御AI開発者でもある。
それでいて、成人しているのに、公園の鉄棒で逆上がりの練習をしていそうな風貌をしている。……が、服の下には隠れた破壊力もある。特定の人たちにはダイレクトヒットするだろう。
どうやら、正太郎様にもダイレクトヒットしているようだ。
知り合ったころ、猛烈アプローチをする私から正太郎様を守るために、ネムさんが立ちはだかったときのことは、よく覚えている。
「オマエより、ずぅーーーっと、正太郎に近いところにいるんだからな?一番一緒にいる時間が長いのはワタシなんだぞ!一緒に住んでるんだからな!」
そう言い、オオアリクイみたいなポーズで威嚇してくるネムさんは、成人しているとは思えない可愛らしさだった。
だが……正太郎様の隣に立つその姿は、まさに「戦友」だった。
お互いを信頼して、背中を預け合っている。言葉がなくても通じ合っている。
二人が並んでモニターを覗き込む横顔を見ていると、胸の奥が憧れに染まってしまう。
目的を共にして、同じ道を歩む。私が、正太郎様とそれをできるなら、どれほど幸せなことだろう。
正太郎様と信頼しあい背中を預け合う関係……少年漫画みたいですっ!
羨ましいです!
※※※
もう一人の婚約者。
私のお友達でもある千穂ちゃんは、可愛いけど普通の子だと思ってた。
それは、大きな勘違いだった。
初めて千穂ちゃんの手料理を口にしたときのことは、一生忘れない。
味噌汁を一口すすった瞬間、子供の頃に里山で川遊びし、夜に花火をした、そんな最高に楽しかった夏休みの日々の記憶が、鮮やかに浮かんできたのだ。
そんな経験、一度もないのに、だ!
おそろしい……いったい何が入っているんだろう。成分分析が必要だと思う。
でも、私はもう遅い。なぜなら千穂ちゃんの料理を何度も食べてしまったからだ!
もう遅いのだ。かゆ……うま……。
正太郎様の家の精神的支柱。それは間違いなく千穂ちゃんだった。
正太郎様は、千穂ちゃんを本当に大切にしている。
彼女は正太郎様の幼馴染であり、正太郎様のお父様が亡くなられたとき、常に一緒にいて心の支えとなっていたそうだ。
食卓で正太郎様が千穂ちゃんを見つめる目は、とても柔らかい。
……正太郎様と幼馴染なんて羨ましすぎる!
ちなみに、正太郎様自身は二人に序列をつけるつもりはないようだが、ネムさんは「千穂ちゃんが正妻」であると明言している。
千穂ちゃんのスゴイところは、その包容力にもある。大概のことは受け入れ、共感してくれる。
そんな千穂ちゃんだからだろう。正太郎様もネムさんも彼女にデロデロに甘える。膝枕をされているところを目撃したこともある。二人とも恥ずかしがってたが……あれは常習的な行為だ。間違いない。
なんというか……千穂ちゃんは、聖母って感じの女の子だ。
彼女が手フェチ気味だから、私はこの家の輪に少しだけでも入れてもらえている。
彼女がクリエーター気質だから、研究所で一緒に「正太郎様ハンド」を作ることができている。
ここに私がいられるのは、すべて彼女のお陰だ。
千穂ちゃんは私の恩人です。でも彼女は正太郎様の正妻。正妻ですよ!
本当に……本当に羨ましい!
※※※
あとは何か……この奇跡的な環境のバランスをとっている……何かがあるような気がする。
男一人女二人という男女関係を成立させ……他では見ないような最新技術を携え……正太郎様とネムさんの、たった二人の会社でビジネスを成功させ大資本を動かす。
いくら正太郎様が天才的で素晴らしいお方とはいえ、彼だけで成し遂げるには、さすがに無理がある気がするのだ。
ただやっぱり、女である私が気になるのは、千穂ちゃんとネムさんが、本当に仲がいいことだ。
男一人、女二人の関係で、こんなことは起こり得るんだろうか?
二人の間には、わだかまりの欠片すら感じられない。
普通なら、正太郎様の愛を得るために、ポイントを稼いだり、出し抜いたりするような、計算的な行動があるはずだ。
だが、それが全く感じられない。あったとしても、やりたいからやっているだけという自発的なもの。千穂ちゃんの手料理のような。
さらに不思議なのが、私に対する千穂ちゃんとネムさんの反応だ。
私は……自分が、正太郎様の大切な人間関係を壊すリスクをはらんだ存在だと自覚している。
当然だ。既に出来上がっている男と女の関係に入り込もうとしてるのだから。
普通なら、彼女たちは私のことを正太郎様から遠ざけようとするだろう。
だけど、千穂ちゃんやネムさんの私に対する警戒心は薄い。
なんなら正太郎様の方が、私を警戒しているくらいだ。
悲しい。
どうしたら、こんな環境が生まれるんだろう?千穂ちゃんとネムさんは、なんであんなに仲がいいんだろう?
そんなことを考えていたあるとき、私はふと思いついてしまったのだ。
正太郎様と、彼が大切にしている人たちが幸せになれるように環境を調整している……そんな絶対的な存在が、ここにはいるのではないかと。
正太郎様が不幸になりそうな問題の火種は早めに摘み取り、正太郎様が幸せになりそうなことがあったら、それを手助けするような。
そういう存在。
おそらく、その管理対象には私も含まれている。だから研究所内への出入りが許されたのだろう。もしかしたら綾ちゃんもそうなのかもしれない。
何らかの存在に、手のひらの上で踊らされている感覚。
そういえば、柚希先輩も言っていた。
「正太郎くんに絶対に敵対してはいけない」と。
あの、藤崎グループの大魔王である、柚希先輩がだ。
そんな柚希先輩も恐れる何かが、正太郎様にはある。
正太郎様たちが運用しているサポートAIだろうか?
わからない。わからないが……そんなことができるのだとしたら……それはただのAIではない。
もっと……そう……神に近い何かなのかもしれない。
まあ、どっちでもいいですけどね!
私は、正太郎様とその「御手」の近くにいられれば、それで十分です!
※※※
そんな穏やかな日々を過ごしていた、ある日のことだった。
笹木家の本家からの呼び出しがあった。
珍しいことだ。なんだろう?
そして今、笹木家の当主である、お祖父様が目の前に座っている。
和室。畳の青い匂いと、微かな白檀の香りが漂っている。磨き上げられた黒檀のテーブルの向こうに、お祖父様が胡座をかいていた。
湯呑みに手を伸ばしながら、目尻の皺をくしゃっとさせる。私の顔を見ると、いつもこの顔をする。
「ドールハウス株式会社の研究所に顔を出してるってな?」
「はい、そうです!」
「何しに行ってるんだ?」
「正太郎様ハンドを作りに行っています!」
「しょ、正太郎様ハンド?……いや、いい……。彼はどうだった?」
「素晴らしい手でした!きめ細やかで動きも繊細で……私の心を鷲掴みです!」
「いや、そうでなくてだな……そうだな……研究所の中では何を見た?」
「うーん。最近は、正太郎様ハンドのことばかり考えてますからね」
お祖父様が、困ったように頭を掻いた。
「……何かロボットのようなものは?」
「あ!たくさんのロボがいましたね!」
思い出した。
「手が四本あるロボが、ワッシャワッシャと何か作業してましたよ?」
「何をやっていたかわかるか?」
「はっきりとしたことは知らないのですが……他のロボのメンテナンスとかをしているみたいでした」
「そうか……」
お祖父様の目が、ほんの少しだけ真剣になった。
「犬型ロボットはいたか?」
「えっと……あ!いましたね!研究所のいたるところを、ひょこひょこと歩いてますね。巡回とか警備なのかもしれません!」
「四本手のロボットはちょっと気持ち悪かったけど、犬型ロボットは可愛かったですね!ボディに表示装置があるみたいで、困ったときにアドバイスくれるんです!」
「たしか正太郎様の手の写真を撮ったときに映り込んでたのがあったような!」
スマホを取り出して、写真フォルダを探す。
「これです!」
画面に表示されたのは、もちろん正太郎様の「御手」のアップだ。
その背景に、犬型ロボットや四本手のロボットが写り込んでいる。
「ああ!なんてきれいな手でしょう!」
お祖父様にも、ぜひこの美しさを理解してほしい。
「お祖父様もそう思われませんか!?」
「あ、ああ……ちょ、ちょっとその映像、送ってくれないか」
「む!それは駄目ですよ!プライバシーの侵害です!」
正太郎様の「御手」の写真は、私の宝物なのだ。
「じゃ、じゃあ、そのロボットの部分だけ切り抜いて、送ってくれないか?」
「それなら大丈夫です!えっと……はい、送りました!」
お祖父様がスマホの画面を食い入るように見つめる。
「……これか……レベルが違うな……これが大量にいて作業してたのか?」
「ええ、手がいっぱいあるロボは型から正太郎様ハンドを取り出すときも手伝ってくれました!」
「あと……あ!正太郎様ハンドの型とりのとき、シリコーンが足りなくなって途方にくれたことがあるんですけど……犬型ロボットがシリコーンのボトルを背中に乗っけて持ってきてくれましたね!バランス感覚すごいですね!」
「固定もせずにか?」
「固定は……してなかったように思いますねえ!」
「まあ何にせよです!あそこにいた、四本手ロボットも犬型ロボットも、あのレベルのものは私は見たことないです!YuuTubeとかで最先端!と言われてるロボットでも、研究所にいるロボットたちと比較したら、数世代もレベルが落ちますね」
「さすが正太郎様です!」
「そうか……」
お祖父様は、顎に手を当てて考え込んでいた。
ふと、もう一つ思い出す。
「そういえば、正太郎様は東堂綾さんとも、かなり深い交流があるみたいですよ?」
「なに!?東堂家のか!?」
お祖父様が、身を乗り出した。
「ええ。綾ちゃん、最近会えてなかったんですけど、本当にキレイな手してて……今じゃ正太郎様の次の推しですね!」
「やっぱりオリガミストというのは、手がキレイになる要素があるんですかね?本当に不思議です。お祖父様、どう思われます?」
「お、オリガミスト?まあいい。東堂家の娘と、藤崎正太郎が仲いいのか?」
「千穂ちゃんとネムさんの言う分には、かなり仲が良いみたいですよ?」
「な、なんてことだ。東堂正人め……抜け目のない!」
「正太郎様と綾ちゃんは、ふたりともオリガミストですからね!仲が良くなるのは当然だと思いますよ!」
「お、お前はそれでいいのか!?」
「お祖父様……正太郎様には千穂ちゃんとネムさんがいらっしゃるんですよ?今さら、何をおっしゃってるんですか?」
「三番目だろうと四番目だろうとどちらでも同じじゃないですか?」
「私の勘だと、千穂ちゃんとネムさん。後はそれ以外って感じになるような気がしますけど」
「だ、だが!その、朝比奈と星ヶ谷のお嬢さんよりも、お前が大切にされるよう頑張るということは……」
「無理ですね」
私は、即答した。
「私が千穂ちゃんやネムさんより正太郎様に大切にされるなんてことは、天地がひっくり返ってもおきないと思いますよ?」
「だが!贔屓目に見ても、お前の容姿は優れている。優秀さでも現在の笹木家で頭一つ抜けている」
「優秀な女性を嫌う男というのはいるだろうが、そんな小者でもないのだろう?星ヶ谷女史という天才をパートナーの一人としているのだから」
「もちろんです。正太郎様は大物ですよ。そんなことで人を嫌ったりはしません!」
「なら……」
「お祖父様、駄目です」
私は、声のトーンを落とした。
「正太郎様をそんなことで煩わせてはいけません。正太郎様の幸せを邪魔するようなことをしてはいけません。あの美しい関係を壊そうとするなんて、絶対にしてはいけません」
お祖父様は、黙って私の目を見つめる。
「でないと……」
「でないと?」
「笹木家の未来はありませんよ?」
部屋の空気が、ぴりと張り詰めた。
「絶対に、正太郎様に敵対してはいけません。何があろうと」
「なぜだ?」
お祖父様は真剣な顔で、私に問いかけてくる。
「正太郎様の背後には……私たちが想像できない……おそらく神のような存在がいるものと思われます」
「神だと?」
「ええ。正太郎様は、きっと神に守られてるのだと思いますよ?」
「……何か根拠があるのか?」
「いいえ?全く?強いていえば……勘ですね!」
「勘?」
「はい!乙女の勘です!」
お祖父様は、長い沈黙のあと、深い溜息をついた。
「そうか……笹木家の女性の未来予知か……」
「何をおっしゃってるんですか?勘ですよ!」
未来予知?お祖父様、ボケたんでしょうか?おいたわしいです。
もっと優しくしてあげなければ!
※※※
「正太郎様ハンド」作りに、ドールハウスの研究所に通い始めてからというもの、日々がとても楽しい。
正太郎様に毎日会えて、さらには彼の手を毎日拝見できる幸せ。
それは、私にとって、何よりも価値があるものだった。
正太郎様の「御手」は本当に素晴らしい。
私が「正太郎様ハンド」を作る理由。それは単純だ。
私が正太郎様の「御手」を、心の底から愛しているからだ。
もちろん、本当は実物がいい。なんてったって、作り物は動かないのだから。
正太郎様本人の「御手」を、私の手でこねくり回したいし。頬ずりもしたいし、舐め回したい。
実際の「御手」で、私の体の隅々をこねくり回してほしい。
だが、今の関係では、それは無理だ。
だから……「正太郎様ハンド」なのだ。
正太郎様ハンドなら、何に使っても問題ない。
そう、何に使っても問題ないのだ!夜のアレコレに使ってもだ!
楽しみです……楽しみでしかたがありません!
早く……早く……正太郎様の「御手」と指紋も血管も筋肉配列も同じな……よりリアルになった「正太郎様ハンドVer.2」が使いたいです!
そしてVer.2の次は……「正太郎様ハンドVer.3」です。
Ver.3の「正太郎様ハンド」は……絶対に動かします!AIも組み込みたいですね!
ですが、私にはロボティクスの知識も、AIの知識もありません。
間違いなく、ネムさんの協力が必要になってくるはずです。
彼女の力を借りるためには……私の持つ、全スイーツネットワークを使った貢物が必要になるでしょう。
海外からのお取り寄せだってためらいません。私の全財産を放出する覚悟です。
動く「正太郎様ハンド」があれば、夜のあれやこれやが……捗るに違いありません。絶対に……絶対に作り上げます!
笹木詩織は、今日も元気です。
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