侵食する詩織さん
「明日、出来上がったのを取り出しに来ますね!」
その、宣言通り、翌日も詩織さんは来た。
そのまた翌日も、来た。
……というか、これ、いつまで続くんだ?
恐る恐る聞いてみると、詩織さんは恍惚とした表情で語り始めた。
「全行程で、一ヶ月以上かかります!」
……は?
「い、一ヶ月以上?」
「はい!正確には、プリント済みの状態から、三週間半から四週間!毎晩コツコツ作業する日々です!」
一ヶ月以上。毎晩。通い続ける。
詩織さんが、その工程を嬉しそうに説明してくれる。
「まず初日は原型の洗浄とサポート除去です。ピンセットとデザインナイフで細部を処理して、二次硬化まで済ませます」
ふむふむ。そこまでは普通だ。
「翌日と翌々日は研磨ですね。四百番、八百番、千五百番と番手を上げていく地道な作業です。指先の繊細な面まで仕上げるには、二晩は必要になります」
研磨だけで二晩。大変な手間だ。
「四日目から外殻型の製作に入ります。表皮原型から特殊な超硬質シリコーンで型を取るんですが、三分割なので『流して帰宅、翌晩開けてまた次を流す』を三日繰り返します!」
流して帰宅。翌晩開けてまた次を流す。
まさに職人の所作である。
「一週間目の終わりからが最大の山場です!」
詩織さんの目が、ギラリと輝いた。
「内部パーツの型取りラッシュ!型パーツは十五個前後!毎晩シリコーンを計量・攪拌・脱泡・注型して帰宅!翌晩脱型してまた次を流す!これが丸一週間続きます!」
丸一週間、毎晩シリコーンと格闘するのか。
「三週目でようやくアセンブルです。筋肉層の型に骨格芯をセットして、部位ごとに硬度の違うシリコーンを注入して一晩硬化。翌晩それを脂肪層の型に移して、最も柔らかいシリコーンを流してまた一晩……」
もう、何を作っているのかわからなくなってきた。
「その次の二晩は血管層の手描きです!面相筆で動脈と静脈をデータ通りにトレースして、エアブラシで半透明シリコーンを吹いて皮下に沈めます!」
血管を……手描き?手描きって、マジでか!
「そして四週目の頭でいよいよ最終合体!外殻型の内壁にフレッシュトーン三色のシリコーンを一ミリ以下で塗布し、内部パーツを封入して閉型!」
……すごいな。
「四時間の硬化は帰宅前に仕掛けておけば朝には終わっています!翌晩に脱型、バリ取り、爪パーツの接着とクリアコートを施して……完成です!」
詩織さんが、両手を広げて、満面の笑みで宣言した。
……半端ない。
まさにプロの仕事だった。
いや、あんな呪物を作るためのプロなどはいないだろう。
ただ、そこにあるクリエーター魂は本物だった。
正直……尊敬する!
※※※
さらに恐ろしいことに。
千穂もネムも、詩織さんを完全に歓迎しているのだ。
普通なら、婚約者を狙っていると思われる女性を、身近に呼ぶような人はいないだろう。
だが、詩織さんに対する、千穂やネムの態度は違った。
千穂に至っては、もはや「正太郎様ハンド」の製作仲間である。
詩織さんに教えてもらいながら、自分でも「正太郎様ハンド」を作り始めていた。
「うう……なかなかうまくできないよう」
「千穂ちゃん、めげないことが大切ですよ!やり続ければ、必ずうまく作れるようになります!私が一番最初に作ったときより、断然手際がいいです!」
「ほ、ほんとに?」
「はい!センスありますよ!」
千穂の目が、ぱあっと輝く。
……千穂よ。クリエーターの道を一歩進んだか……だが方向は、本当にそれでいいのか?
いや……よく考えたら、千穂は絶品料理クリエーターだ。俺が口出すようなことではない。
一方、ネムはというと。
笹木家のスイーツネットワークからの定期的な供給により、完全に懐柔されていた。
家の甘味事情が充実して、すごく満足そうだ。
このところ胸がさらに大きくなってる気がする。本当に、本当に、素晴らしいことだ。
詩織さんには感謝しかない。
やっぱり、ネムの身長は伸びないらしいが。
※※※
詩織さんには仕事がある。そのため、製作作業の時間は必然的に夜となる。
毎晩、仕事帰りに研究所へ来て、二時間程度の作業をして帰っていく。その繰り返しだ。
そんな足繁く研究所に通う詩織さんの姿を見ているうちに、千穂の中で、何かが動いたらしい。
目をキラキラさせながら「正太郎様ハンド」作りに没頭している詩織さんを見て、千穂の母性本能ネットワークが活性化したのだろう。
ある日の夜。
ベッドの上での夜の大運動会の後に、千穂がおずおずと声をかけてきた。
「しょうちゃん、詩織ちゃんのことなんだけど……一緒にご飯、食べちゃだめかな?」
「え?……なんで?」
「だって、晩ごはんは作業時間の直前になるし……詩織ちゃんもラーメンとかばかり食べてるみたいなの。それなら、せっかくだし、家で食べてもらいたいなって思って……」
千穂の声が、少しだけ不安そうに揺れている。
俺が詩織さんに苦手意識を持っていることに感づいているのだろう。
断られるかもしれない。でも、放っておけない。そんな葛藤が伝わってくる。
だが……千穂のお願いだ。断るなんて言う選択肢はない。
「……わかった。いいよ」
「しょうちゃん、ありがとう!」
千穂が、ぱっと花が咲くような笑顔になった。
こうなってしまったのは、自然な流れだろう。
千穂の優しさには、いつだって敵わないのだ。
※※※
そして、食卓に詩織さんが加わった日。
千穂の手料理から立ち上る湯気が、出汁の優しい香りとともに食卓を包んでいる。
「おいしいです!すごいです!なんですかこの食事は!?」
詩織さんが、目を見開いて叫んだ。
「派手さはないけど、癒やされる!毎日食べたい味!明らかに体にいいというレパートリーなのに、満足感が無理やり体にインストールされる!」
「え、えへへへ……」
千穂が、頬を赤くしてモジモジしている。
「これは……三つ星レストランにも匹敵する……!いえ!家庭料理部門があったら、間違いなく五つ星!圧倒的!圧倒的至福!」
詩織さんの語彙力が、千穂の料理によって爆発している。
そこにネムが胸を張って便乗する。
「そうだぞ!千穂ちゃんの料理は激ウマだからな!ワタシたちは、千穂ちゃんの料理がないと生きていけないからな!」
俺ももちろん便乗する。
千穂への愛は俺が一番なのだ。彼女が喜ぶような本心を言えないなんて、婚約者失格だ。
「ネムの言うとおりだ。千穂の料理は最高だよ。これからもずっと千穂の料理が食べれるなんて、俺は幸せ者だ」
「ほ、ほめすぎだよう……」
千穂が、両手で頬を押さえている。耳の先まで真っ赤だ。
「いえ、これでも言葉が足りないくらいです!」
詩織さんが、箸を置いて、まっすぐにこちらを見つめた。
「……正太郎様の家。なんだか、すごく居心地がいいです。好きなものを仲間と作れて……美味しいご飯も食べれて……羨ましいです!みなさんが羨ましいです!」
そこまでは、よかった。
「私もこんな生活をずっとおくりたいです……」
チラッチラッ
こっちを見るのはやめてほしい。
※※※
そんな毎日を過ごしていた。
最初は「禁則事項!」と騒いでいた千穂やネムも、最近は詩織さんの「チラッチラッ」を完全にスルーするようになっていた。
なぜだ。
……まさか、詩織さん三人目という話を受け入れ始めてるのではなかろうか?
それとも、俺が彼女に手を出すわけがないと信じてくれているのだろうか?
わからない。
わからないが……俺は最初の方針を変えるつもりはなかった。
詩織さんのことは、千穂の友人として大切にしていくのだ。
※※※
半ば無理やり入り込んできたとはいえ、詩織さんは、理想的なビジターだった。
作業を終えたら、ぱぱっと帰ってしまう。
そう。ダラダラと居座らない。
食事の直前にフラッとやってきて、千穂の手料理を堪能し、食後は千穂と研究所に行って作業する。二時間ほどの作業を終えたら、パッと帰ってしまう。
そのため、心配していた千穂やネムとの夜の大運動会にも、何の影響もなかった。
たまに研究所へ様子を見に行くと、千穂と一緒にニコニコしながら自らの作品について説明してくれる。
「ここ見てください!納得の出来です!」
そう言って、輝くような美貌で俺を振り返る。
嬉しそうな横顔に、思わず見惚れてしまう。
……いや、別に愛とか恋とか、そういう意味じゃない。
純粋に、何かに打ち込んでいる人間の輝きって、綺麗だなと思っただけだ。
※※※
さらに、俺にとって特筆すべき嬉しいポイントがあった。
詩織さんは、会社帰りの日はタイトスカート姿なのだ。さらには黒いストッキングに、魅惑的な長い脚。
俺の性癖にドンピシャだった。
詩織さんが来るたびに、俺の目は彼女のお尻と脚に釘付けになってしまう。
そのたびに、千穂からは「しょうちゃんは、しょうがないなあ」という生暖かい目で見られ、ネムからは白い目で見られるのだが……。
目が……目が勝手に追いかけてしまう。
こればかりは、どうしようもない。
ちなみにオリガミ曰く――
『詩織さんは、お兄様がタイトスカート好きであることを把握し、パンツスーツ派からタイトスカート派に転向したようです。あれは、お兄様のためのタイトスカートに美脚なのですよ?』
くそっ!
ありがとう!
正直、たまりません!
※※※
そんな日々が続き、一週間、二週間と時間が流れていくにつれ……俺の中での詩織さんへの苦手意識は完全に消し飛んでいた。
むしろ、同じクリエーターとして、好意と尊敬の念しか感じなくなっていた。
そう、いつのまにか、俺の心は、詩織さんのことを完全に受け入れてしまっていたのだった。
この空気を読みつつ、ジワジワと関係を構築していく手腕には、オリガミも感心していた。
『笹木家の人間……優秀優秀とは聞きますが……さすがですね……』
……俺も同意見だった。
あの苦手意識は……本当にどこに行ってしまったのか。
マイナスの印象からプラスに転じたとき、その好感度がより一層高まるという『ゲイン・ロス効果』。俺は身をもってその威力を体感させられていたのだ。
意図的にそれを発生させたであろう手腕にも感服だ。
笹木詩織は――とにかく優秀であった。
※※※
ある日の夜の、食事の後のこと。
千穂が、俺に声をかけてきた。
「しょうちゃん、今日は開発フロアに来るの?」
「いや……今日はちょっと……」
今日は……今日だけは駄目なんだ!
ネムが話に割り込んでくる。
「千穂ちゃん、こいつ今日は絶対に行かないぞ?」
「え?なんで?」
「今日は『オリ子』の配信があるからな!」
「ああ……オリ子ちゃんの配信かあ。じゃあ、仕方ないね」
千穂が、眉をハの字にして笑っている。
「正太郎様、オリ子とは?どちら様でしょうか?」
首をかしげた詩織さんに、ネムが少しだけ不満そうに答える。
「正太郎がお熱になっているVTuberだ。『オリ子』は『オリ男』みたいな折り紙系VTuberでな。中の人は『東堂綾』っていう、東堂家の娘さんだ」
リビングでのんびりしてたときに出た会話だからだろう、ネムの口から漏れてはいけない情報が漏れ出してしまった。
「おい!ネム!VTuberの中の人バレはマズいって!」
「あ!そ、そ、そうだった!スマン!マジでスマン!」
「まあ……今度、俺からも謝っとくよ。ただ折り紙やってるだけのチャンネルだから、身バレしても問題ないだろうし、綾なら多分怒らないと思うけど……」
東堂家を訪問し、東堂綾と衝撃的な出会いをしてから、綾とは、折り紙を通した交流を続けている。
頻繁ではないが、ZEEMなどを使って、お互いの折り紙の手法を見せ合ったりしていた。
全体的な造形や、それを生み出すための構造を考え出し、さらにはある程度の繊細さまで両立させる……そういった総合力については俺の方が優れているように思う。
だが、彼女の、微細な模様などを生み出す折りの技術は、俺にないものだった。
その過程で、いつの間にか彼女は俺のことを「師匠!」と呼ぶようになり、俺は彼女のことを「綾」と呼び捨てにしていた。
「東堂綾……綾……綾さん……はっ!綾ちゃんですか!」
詩織さんの目が、パッと輝いた。
「え?詩織さん、綾のこと知ってるの?」
「知ってるも何も、小さい頃からのお付き合いですよ!小さなときに連れて行かれた社交の場で、よくお話してましたね。可愛い子ですよね!」
上流階級のお付き合いってやつかな?
「……決めました。今日は研究所に行くのは止めです!ここで皆さんと『オリ子』ちゃんの配信を見ます!」
そんな詩織さんの発言に、ネムが、心底嫌そうな顔で忠告する。
「や、止めといたほうがいいぞ?『オリ子』の配信のときの正太郎は、相当アレだから」
「な、なんで、ああなっちゃうんだろうね?」
千穂も困り顔だ。
「失礼な!俺はほとばしるパッションを画面にぶつけてるだけだろ!」
「千穂ちゃんもネムさんも、どうしたんですか?私は、どんな正太郎様でも受け入れますよ!どんな正太郎様でも!」
詩織さんは、胸を張って宣言したのだった。
※※※
配信が始まった。
リビングのスクリーンに、「オリ子」のアバターが映し出される。
彼女のアバターは、和風テイストの少女だ。折り鶴のかんざしを挿した黒髪ロングで、手元には色とりどりの折り紙が広がっている。
「今日は『月下美人』を折ります。皆様、よろしくおねがいしますね」
そう言うと、オリ子の白磁のようなきめ細かい手指が、なめらかに動きはじめる……。
白い紙が、指先で音もなく折り重なっていく。沈め折りを繰り返すたびに、中央に花弁の層が積み上がる。外側は大きく、内側へ向かうほど細く。一枚ごとに折り幅を変えているのに、迷いがない。
ふいに、手が止まった。
花弁の先端を、逆方向にほんの一ミリだけ折り返す。紙の弾性で、先がふわりと外側へ反った。
萎れかけているのだ。
月下美人は一夜しか咲かない。
オリ子が折っているのは、満開の絶頂時の様子ではなく――花弁の先だけが静かに力を失い始めた、夜明け前の姿だった。
最後に萼片のカーブを指の腹で整えて、手が離れる。
一枚の正方形だったものが、もう戻れない一瞬を永遠に留めている。
「ま、まさか……優雅に……華やかに咲いている瞬間ではなく、その散り始める瞬間を折るなんて……!和の心だ……。ワビサビの極致だ……。信じられない!まさに美!」
俺は、興奮を抑えきれなかった。
すぐさま、スマホを取り出し、コメントを打ち始める。
『オリ子チャンお疲れ様〜今日も配信見てたヨ月下美人の折り紙、マジでスゴかったネあんなに綺麗に折れちゃうなんてビックリしちゃったナ〜今度、詳しくオシエテくれるカナよろしくネ』
「やめろ正太郎!やめてくれ!そのコメントを書いてる姿を、ワタシに見せないでくれ!」
ネムが悲痛な声を上げる。
だが、俺の指は止まらない。
目も止まらぬ速度での、高速スワイプ入力だ。
『「あっ満開のを折るのかな」って思ってたんだケド、まさかの萎れかけ一ミリだけ折り返して花弁が反るトコロ、鳥肌立っちゃったヨあの一瞬の儚さを紙で永遠にするっていうのがもうサァ〜芸術だよネ、芸術今度の配信も絶対見るからネ無理しないで頑張ってネ〜応援してるヨ』
「しょうちゃんやめて!オリ子ちゃん、配信やめちゃうよ!」
千穂が、涙目で訴えてくる。
「止めるな、ふたりとも!この芸術!コメント送らざるを得ない!」
「それに、大丈夫だ。このコメントが俺からだって、綾も知ってるから!」
そう言う俺にネムが食い下がる。
「でも、お前がコメントを送るたびに、オリ子のアバターが困った顔になるんだよ!他の視聴者もお前のこと叩きまくってるじゃないか!」
「そんなことない!綾も言ってた!『師匠のおかげで、たくさんコメントもらえて嬉しいです』って!」
「本当か?本当なのか、それ!?お前に気を使ってるだけなんじゃないのか!」
「し、詩織ちゃんも言ってあげてよぅ!」
千穂が、助けを求めるように詩織さんの方を見る。
「え?……ああ……うん……」
詩織さんの反応が、おかしかった。
詩織さんは、俺の手を見るときのような……顔を赤らめた、緩んだ表情で「オリ子」の配信に釘付けだった。
「オリ子……いえ綾ちゃん……なかなか、いい手してますね……そそります……」
「へ?」
千穂が固まった。
ネムの口が、半開きのまま止まっている。
そして、詩織さんは、おもむろに自分のスマホを取り出すと、オリ子のチャンネルを登録し、コメントを書き始めた。
『いや〜オリ子チャン手がメチャクチャ綺麗だよネ指が細くてスラッとしてて、もうソレだけで絵になっちゃうんだヨナ〜手元だけ見てるとバレエみたいだナ〜って思っちゃったヨ綺麗な手からキレイな花が生まれるってサ、もう奇跡だよネ無理しないでネ〜』
俺は、思わず感心してしまう。
さすが詩織さんだ。なかなかいいコメントだ。
だが……綾の手の動きが素晴らしいのは同感だが、もっと折り紙の技術に触れるべきだろう。
コメントのクオリティに関しては、どうやら俺の方に軍配が上がるようだ。
俺と詩織さんが、互いに満足げな視線を交わしていると、ネムが頭を抱えて震え始めた。
「ダメだ……こいつらを混ぜちゃいけない……!」
そして、限界を迎えた千穂とネムの絶叫が、リビングに響き渡った。
「「おじさん構文は禁止!!ダメ!!絶対!!」」
こうして、我が家に新たなルールが爆誕した。
俺と詩織さんは、仲良く怒られ、さらに距離が縮まったのだった。
※※※
『なんて手腕……笹木詩織……お見事です。』
そう呟いたオリガミの声は、誰にも聞かれずに、部屋の空気に溶けていった。
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