詩織さん襲来
「常温安定量子ビット素子」の量産化。
そのニュースは、あっという間に世界を駆け巡った。
テレビもネットも、朝から晩までこの話題で持ちきりだ。
――量子コンピュータの時代が到来する。
ニュースキャスターたちは、誰もが希望に満ちた声でそう語っている。
だが、俺にとっては希望なんかじゃない。
タイムリミットが、また一歩縮まったのだ。
※※※
朝食の後、千穂を大学に送り出してから、自室に戻った。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、壁を淡く照らしている。窓の外からは、微かに鳥の声が聞こえてきた。
ベッドに腰を下ろし、天井に向かって話しかける。
「オリガミ、常温安定量子ビット素子の量産化だってさ。なんか早くない?」
『はい。想定よりも、かなり早く事態が進行しております。』
天井のスピーカーから、オリガミの声が返ってくる。いつもと変わらない穏やかなトーンだ。
『あと数カ月もすれば、今までとは桁違いの演算能力を持つ量子コンピュータが稼働し始めるでしょう。』
短い沈黙が落ちる。エアコンの低い唸りだけが、部屋に響いていた。
量子コンピュータが実用化されれば、世界中に蓄積された暗号化通信データが一気に解読される。
オリガミの暴走時の通信記録が復号されれば、その存在が白日の下に晒される。
「やっぱり早めに動いてて正解だったな。『人類わからせ計画』……なんとか手遅れにならずに済みそうだ」
『はい。おかげさまで』
人類わからせ計画――それは、国際社会にオリガミへ干渉することの代償を骨の髄まで理解させ、世界の不可侵領域と「わからせる」という計画だ。
昨夜、お土産の件で拗ねていたネムをなだめつつ、二人で話し合って決めた名前だ。
「正太郎、わからせって好きだろ?」ってネムの言葉に、オリガミが乗っかってきて、決定してしまった名前だ。
お土産を忘れた俺への罰として、「わからせ」られてしまった名前でもある。
ちなみに、カバンの中にあった食べかけの干し芋を渡したら、すぐに機嫌を直してくれた。
チョロくて助かる。
『では、天穿の配備計画の進捗について、ご報告いたします。』
オリガミが壁に資料を投影した。青白い光が壁一面に広がり、朝日に照らされていた部屋の雰囲気が一変する。
『花火会社へは、マイクロ固体燃料ロケットの設計データと、熱電池の作成手順を送付済みです。』
「熱電池って、花火会社で作れるもんなの?」
『むしろ理想的な環境です。熱電池は、酸化剤と金属粉を混ぜてプレスした「加熱剤」を燃やして起動しますので、火薬の製造免許が必要不可欠なのです。』
「電池と言っても中身は火薬なのか。変な電池だな……」
※※※
オリガミの説明は続く。
『ロケット推進テスト用の機材も近日中に配送し、子会社のロケットの品質を揃えます。』
『千羽工業のスラスターも量産体制に入っており、天穿射出用のロボットアームも発注済みです。』
「着々と進んでるな」
あとは……花火会社の人たちにも怪しまれないようにしないと。
「どっかで花火会社の人たちにも『人工流れ星』を見せないとな。騙してるみたいで心苦しいし」
表向きは「ドローンと花火を組み合わせた新しいエンタメ事業」のための買収なのだ。
自分たちの技術が軍事転用されるとは夢にも思っていない社長さんたちには、申し訳ないと思っている。
『品質が安定したら、小規模のイベントでも開催しましょう。』
「よし、予定に入れておこう」
『承知いたしました。』
――天穿。超低高度軌道周回兵器。
ゲートバリアで空気抵抗を無効化し、地表スレスレを第一宇宙速度で周回し続ける運動エネルギー兵器だ。
こんなものを一般人が持たなければならないこと自体が異常だが、これがないとオリガミを守れない。
オリガミに手を出す連中には、これで代償を払ってもらうしかないのだ。
※※※
天穿の話が一段落すると、オリガミの声色が微かに変わった。
少しだけ柔らかくなる。
『それと……千穂さんと詩織さんとの距離が近づいているようです。』
「千穂と詩織さんが?」
『はい。共同で「正太郎様ハンド」を作ろうという話が出てるみたいですね。』
……また、あの呪物か。
俺の手の3Dスキャンデータをもとに、3Dプリンタで型を作り、シリコーンを流し込んで制作される、笹木詩織お手製の精巧なレプリカ。
詩織さんがそれを見せ、千穂が「すごい!すごい!」と純粋に感動してしまったのが運の尽きだった。
二人はなんだか仲良くなってしまったのだ。
ただ、純粋に同じ価値観を持つ仲間ができて、嬉しいというのならいいんだけど。
……詩織さんは、千穂を取っ掛かりにして、こちらに近づこうとしているのでは?
そんなことを考えてしまう。
俺は、人間の汚いところを見すぎたのかもしれない。
オリガミが続けて話す。
『一緒に「正太郎様ハンドVer.2」を作りたいという話になっているようです。研究所の研究開発フロアで。』
「え?マジで?研究所で?」
『マジです。』
マジか……。「正太郎様ハンドVer.2」をか……。
「Ver.2って……メジャーバージョンアップかよ。次は一体何が変わるんだ?」
聞きたいような、聞きたくないような。いや、やっぱり絶対に聞きたくない。
『近日中に千穂さんの方から、開発フロアの高精度3Dプリンタを使って良いか打診があると思います。』
「そうか……」
『はい。絶対に断らないで、受け入れてくださいね。笹木詩織と継続的な繋がりを持てる、絶好の機会です。』
「正太郎様ハンド」を通じてできる繋がりとは、一体何なんだろうか?
「それ……やっぱり必要?」
『笹木家との関係構築は必須です。』
オリガミの声が、ほんの少しだけ鋭くなる。
策略モードのオリガミだ。
『旧型イヌガミタイプは、笹木玲奈さんが既に目撃しています。おそらく笹木家がお兄様の取り込みに前のめりなのは、そのせいかと。』
「え!?そうなの?」
『はい。藤崎柚希の目の前で、笹木玲奈と旧型イヌガミタイプは試合をしていますので。叔父様のご自宅でのことです。』
「なんで……そんなことに?」
『笹木玲奈に関しては、いつもの思いつきでしょう。藤崎柚希はイヌガミタイプの性能を自分の目で見たかったものと思われます。』
「そんなことが……」
玲奈さん、イヌガミタイプと戦ったの?
意味がわからない。どうしたらそんなことになるんだろうか。
『ですので、詩織さんには、もっとインパクトのあるものを見てもらいます。DH-01とイヌガミタイプ2です。』
DH-01は四本腕のヒューマノイドロボット。研究所で百体以上が稼働し、精密作業をこなすオリガミの「手足」だ。
そしてイヌガミタイプ2。旧型のスペックを圧倒する、次世代の犬型ロボットだ。
オリガミが制御することで、そのどちらもが、現在の技術レベルを圧倒的に超えた存在となる。
「……わざわざデモンストレーションを?」
『いいえ。普通にしていればいいのです。』
「普通に?」
『はい。DH-01は開発フロアで日常的に作業しています。イヌガミタイプ2も研究所内を普通に巡回しています。隠す必要はありません。むしろ、隠さないことに意味があるのです。』
……なるほど。
「隠すまでもない」という態度そのものが、メッセージになるわけか。
「ウチはこれが日常ですけど、何か?」という余裕の見せつけ。
下手に秘密っぽくするより、よほどインパクトがデカい。
『詩織さんがそれを目にすれば、当然、笹木家に報告するでしょう。さらには東堂家との繋がりもほのめかします。そうなれば、笹木家は急いでこちらとの関係構築を深めようとするはずです。』
名家である笹木家が味方につけば、オリガミの存在がバレたときの政治的な盾になる。
これは軍事的な準備だけでなく、国内における政治的な防衛線を張るための一手なのだ。
『お兄様からは、無理に関係を構築しようとする必要はありません。あくまで千穂さんのお友達だから大切にしているという形で結構ですので。』
「……それなら……なんとか……」
正直、笹木詩織は苦手である。
あの底抜けの明るさと、暴力的なまでのポジティブさ。そして、信じられない美貌。
それらはとても好ましくもある。
だが……うるさい。あと、何と言っても「正太郎様ハンド」の考案者であり、重度の手フェチ変態だ。ちょっと怖い。
俺への超絶アプローチも怖い。
俺にアプローチしているんだか、俺の手にアプローチしているんだかわからないところも怖い。
でも……千穂の友達だから大切にする。
それぐらいなら、きっと大丈夫だろう。
何とかなるはずだ。
何とか……なるよね?
※※※
その日の夕方。
いつもと同じように、千穂は晩ごはんを作りに来てくれた。
大学帰りの千穂は、いつもより少しだけソワソワしていた。
夕食の後、リビングで三人でのんびりしていた。千穂の手料理の余韻が、まだ部屋に漂っている。今日は肉じゃがだった。ほっこりする味噌汁も最高だった。
そんな幸せな食後のひとときに、千穂がもじもじと俺の方をチラチラ見始めた。
ネムはソファに寝転がって、タブレットに没頭している。介護ロボットAIへのフィードバックを確認しているようだ。
今日のネムは、千穂がプレゼントした、ねこちゃんルームウェアを着ている。可愛すぎだろ。
そして、千穂は意を決した様子で、俺に話しかけてくる。
「しょ、しょうちゃん」
「ん?」
千穂が、膝の上で両手をぎゅっと握っている。
「お、お願いがあるんだけど……」
「なんだ?千穂のお願いなんて珍しいな。何でも聞くぞ?」
彼女は、いつもは「大丈夫だよ」「私は気にしないよ」で済ませてしまう子なのだ。
もっとワガママ言ってもいいのに。千穂になら、俺はいくらでも貢いじゃう。
「し、詩織ちゃんを開発フロアに招待していいかな?」
「……」
オリガミの予告通りだ。
そっかあ……とうとうかあ……。
「えっと、一緒に3Dプリンタを使って、新しい『正太郎様ハンド』を作ろうって、誘われてて……楽しそうだなって思って……」
千穂の目が、期待と不安で揺れている。
断られるかもしれない。でも、自分もあの呪物に関わってみたい。そんな葛藤が伝わってくる。
「そっか……」
「だ、駄目ならいいよ!仕方ないもの!」
千穂が慌てて両手を振る。
「いいよ」
「そうだよね駄目だよね?仕事する場所だもんね?……って、え?いいの?」
何その反応。かわいい。なんでも許しちゃう。
「うん。いいよ別に。DH-01とか新型イヌガミタイプとか、うろうろしてるけど、問題ない?」
「それは大丈夫だけど……え?新型イヌガミタイプ?イヌガミタイプちゃんが新しくなったの!?」
「ああ。イヌガミタイプ2っていうんだけど。見た目は……接合部が減って、少しだけスタイリッシュになったかな。ロボっぽさは減ったかも」
千穂の目がキラキラしている。
千穂が連れ歩いているのは、オリガミが直接操作しているオリジナルのイヌガミだが、その親戚とも言えるイヌガミタイプのこともよく可愛がっている。
ちなみに通常のイヌガミタイプは、オリガミの中の一つのリージョンが管理しており、直接オリガミが操作しているわけじゃない。
そのため、旧型イヌガミタイプより千穂のイヌガミの方が性能が高かったりする。
「あ、そうだ千穂。千穂のイヌガミも、本当は新型ボディにしたいんだけど……いい?」
「えっ!駄目だよ!私のイヌガミちゃんだもん!他の子にしちゃ駄目!」
千穂が、ぶんぶんと首を横に振る。
やっぱりこうなるか。千穂にとってイヌガミは、ペットみたいなものだからな。
でも、いつも千穂の近くにいるイヌガミは、最強の個体であって欲しい。
何があるかわからないのだ。
「頭の中は一緒だよ?体だけ成長するみたいなもんだからさ、な?頼むよ。ちゃんと顔も戻しとくから!」
「……本当に?イヌガミちゃんの中身は変えちゃ駄目だよ?」
「ああ、大丈夫。俺を信じてくれ」
「わかったよ……それでイヌガミちゃんが成長するんだよね?」
「そうだよ。力も強くなるし、千穂なら、きっと上に乗れるかも」
「そ、それはいいよう。私、重いし……イヌガミちゃん、かわいそうだし……」
反応すべてが可愛い。大好き。
千穂を見てると、ささくれだった心が癒やされる……。
だが……同時に、近日中に、詩織さんが来ることが確定してしまった。
そういえば、以前詩織さんに会ったときに「お家に伺いますね!」って言ってたな。
このことを見据えての発言だったのか。
こ、怖いよう。
※※※
それから二日後。
とうとうその日がやってきた。
春の日差しが、研究所の白い外壁をまぶしく照らしている。
千穂と約束した詩織さんが、研究所へとやってくるのだ。
くーるー。きっとくるー。すぐにくるー。
「詩織ちゃんと会えるの楽しみだなあ」
ニコニコしながらそんなことを言っている千穂を見ることだけが、今の俺の癒やしだった。
そして……研究所の正面玄関に、タイヤがアスファルトを噛む音とともに、一台のタクシーが滑り込んできた。
セキュリティカメラの映像をスクリーンで眺めていた俺は、思わず身構える。
タクシーのドアが開いた瞬間。
「正太郎様ァァァ!千穂ちゃァァァん!今日はよろしくお願いしまァァァす!」
大きな紙袋を両手に抱えた笹木詩織が、まるで戦場に突撃する兵士のような勢いで飛び出してきた。
さわやかな黒髪のポニーテールにすらりとした白い首筋。
ぱっちりとした目に通った鼻筋の美貌。
服装は、白いブラウスに、デニム。足元はスニーカー。
そのシンプルな出で立ちに、作業しに来たという気合が見える。
……手に持っているのは紙袋二つ。何が入っているのだろう。怖い。
「千穂ちゃん!正太郎様!今日はよろしくお願いします!」
研究所エントランスで出迎えた千穂に、詩織さんが満面の笑みで駆け寄る。
「詩織ちゃん、いらっしゃい!」
千穂も嬉しそうだ。
二人がキャッキャと挨拶を交わしているのを、俺は少し後ろから眺めていた。
ネムは、俺の横で腕を組みながら、無表情にその様子を眺めている。
そんなネムに、詩織さんが気づくと、パッと顔を輝かせて駆け寄ってきた。
ファッ!こっち来た!
「ネムさんも!例の、ウチの社長ご贔屓のアイス、買ってきましたよ!」
詩織さんが、紙袋の一つをネムに差し出す。
「ほ、ホントか!?さすが詩織ちゃんだ!いらっしゃい!」
ネムの態度が一瞬で変わった。紙袋を受け取り、中を覗き込む目がキラキラしている。顔もニコニコだ。
い、一発で懐柔されやがった……チョロすぎだろ……。
ふと千穂を見ると、ネムと詩織さんが笑い合っている姿を、両手を胸の前で合わせて、嬉しそうに見守っていた。
……その顔を見たら、もう何も言えないだろ。
詩織さん恐るべし。
将を射んと欲すれば先ず馬を射よということなのか?
……いや、自意識過剰かな?それなら、それでいいんだが。
まあ、オリガミの言う通り、千穂の友達ということで大切にしていこう。
「こっちの紙袋は、なんなんですか?」
もう一つの紙袋を指さすと、詩織さんの目がギラリと光った。
その視線の先は、俺の手だ。
ぞぞっと、背筋に悪寒が走る。
「はぁ……いつ見ても素晴らしい……神が計算し尽くした黄金比ですっ!特に今日は、中指から薬指にかけての伸筋腱の浮き出方が絶妙すぎます……!それに、この親指の付け根のふくらみ……母指球の弾力感が、手に取るように伝わってきます……っ!」
そう言って、詩織さんは前かがみになり、俺の手に顔を近づけながらクネクネしている。
シャンプーのシトラスの香りが、ふわりと鼻を掠めた。
くっ!惑わされるな!
顔を強張らせていると、詩織さんはパッと姿勢を正す。
「あ、この紙袋ですね!?新しい素材です!人肌ゲルの新素材をネットで見つけまして!『正太郎様ハンドVer.2』は、温めると体温に近い温度を保持できるタイプにします!」
さすがのメジャーバージョンアップ!
進化してる。確実に進化してる。しかも性能の方向性が怖い。
「は、はあ……そうですか」
「あとこれ!指の関節の可動域を再現するための、特殊シリコン製の骨格パーツです!」
それって、もう義手じゃね?
「詩織ちゃん、すごいね!私も頑張るよ!」
千穂が目をキラキラさせている。
……千穂よ。その情熱の使い道は、本当にそれでいいのか?
※※※
そう。
忘れてはいけない。
今日のこの集いは、詩織さんがただ遊びに来たわけではない。
これは「正太郎様ハンド」を作るための、狂気の開発集会なのだ。
き、きっついなあ。
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