楽しみながら真剣に
『お兄様……どうぞ、幸せになって下さい。』
オリガミの声が、遠くから聞こえる。
『オリガミはお兄様といっしょにいられて、とっても幸せでした……。』
待て。待ってくれ。
『さようなら、お兄様……。』
やめろ。消えるな。
「消えないでくれぇッ!」
――……ちゃん!
嘘だ……嘘だ!オリガミ!返事してくれ!
嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ!
――しょうちゃん!
「うあああああああああああっ!」
「しょうちゃん!!」
肩を激しく揺すられ、俺はハッと目を開けた。
荒い息が、部屋に響いている。全身が嫌な汗で濡れていた。
「ゆ、夢……?」
「しょうちゃん!しっかりして!」
心配そうな千穂の顔が、目の前にあった。
「……千穂?」
「正太郎!?大丈夫か?」
反対側からは、ネムが覗き込んでいる。
二人とも、生まれたままの姿だ。
「あ……」
頬に、何かが伝う感覚があった。
手で触れてみると――濡れていた。
涙だ。
どうやら俺は、泣いていたらしい。
「ああ……ごめん。ちょっと……いや、かなり悪い夢をみたみたいだ」
「しょうちゃん……」
千穂が、俺の手を優しく包み込むように握ってくる。
その温もりが、鼓動が激しくなっていた俺の体を落ち着かせていく。
「だ、大丈夫だ……少したてば元に戻るから」
「正太郎……大丈夫だからな?ずっとワタシたちがついてるからな?」
ネムが心配そうな表情で、俺の背中を優しくさすってくれる。
そうだ。あれは夢だ。ただの、悪い夢だ。
現実のオリガミはまだそこにいる。
これから、しっかりとやれれば大丈夫だ。
みんなで仲良く一緒にいられる。
オリガミも、千穂も、ネムも。
誰も失わない未来を、俺は絶対に掴み取る。
そのためには……行動だ。
止まっている暇はない。行動しなければいけない。
※※※
「しょうちゃん、本当に大丈夫?」
「大丈夫だって!」
「でも……」
「大丈夫だって!心配性だなあ。千穂たちが可愛いすぎて、昨夜ちょっとハッスルしすぎただけだって!はっはっは!」
「しょうちゃん……」
「そうそう、俺、今日から数日、I県に仕事に行ってくるよ。お土産買ってくるから、楽しみにしててな」
「……うん。気をつけて。本当に気をつけてね?」
名残惜しそうに振り返る千穂を、半ば強引に早瀬さんの車へと押し込み、大学へと送り出す。
千穂が乗る車が見えなくなるまで手を振り続け、俺は笑顔を崩さずに見送った。
車が見えなくなり、玄関のドアを閉めた瞬間、自分の顔から表情が抜け落ちていくのを感じる。
「……ふぅ」
大きく息を吐き出し、リビングへ戻る。
ソファには、ネムが座っていた。
俺のことを心配げに見ているネムに、俺は努めて冷静な声で、これからの計画を伝えた。
「ネム。七月七日に、千穂にオリガミのことを伝えようと思う」
「……そうか。いよいよだな」
ネムは神妙な顔で頷いた。
「それと……天穿の配備が完了する前に『オリガミ』の存在が漏洩し、その引き渡し要請があった場合、俺たちに勝ち目はないとのことだ」
「……そうかなのか?」
「ああ。その場合、オリガミは……自分を引き渡せと言ってる」
ネムの表情が曇った。
「正太郎、納得できないよな?」
「……ああ」
ネムは小さく息を吐き、天井を仰いだ。
「でも……勝てない戦いをする者を愚かだというオリガミも、正しいんだろうな」
「そうだな。その場合は……引き渡すしかない」
口の中が苦い。
さらに言葉を続ける。
「たとえそうなったとしても、オリガミは大切に扱われるはずだ。あれほどの存在を粗末にするわけがない」
「俺たちも、素直に従ってオリガミを引き渡すなら、命を取られたりはしないだろう。オリガミAIの技術を担ってきた貴重な人材だからな」
「千穂ちゃんは……人質に取られそうだけどな」
ネムが顔を歪めながら言う。
……考えたくないが、おそらくそうなってしまうだろう。
「なんにせよ、そうなったら今までみたいな、自由で平和な生活は無理だ」
「……だな」
ネムの目が、少しだけ揺れていた。
俺はその目を見据えて、強く言った。
「だから……そうならないために……これからも楽しくやっていくために……俺は花火会社をガンガン買収していく」
「……天穿のマイクロロケットか?」
「ああ。オリガミが接収されれば、間違いなく戦争の道具にされてしまう。オリガミは家族で、俺の妹なんだ。そんなの許せるわけがない」
ギリッと、拳を強く握りしめる。
「絶対に、渡さない」
※※※
俺とネムが、しかめ面をしながら、低いトーンでそんな話をしていたときだった。
『あまり深刻になりすぎないでくださいね。』
リビングに、オリガミの澄んだ声が響く。
『「真剣になるのはいいけど深刻になるな」って、お兄様もいつも仰ってるじゃないですか。淡々とやれることをやっていきましょう。』
「……まあ、そうだな。やれることを淡々と、か」
『はい。そして、できれば楽しんでいきましょう。それが最大のパフォーマンスにつながりますから。』
そう言うと、オリガミは、いつもの業務報告トーンに声を戻した。
『では、直近のタスクについてです。東堂議員のリストにあり、マイクロロケットを製造できそうな花火業者、全てにアポイントメントを取得しました。』
「仕事が早いな。今日いけるか?」
『はい。午後に二社のアポイントを取っています。午前は移動にあてましょう。エイト達を招集して待たせてあります。』
「よし。じゃあ行くか」
俺はパンパンと膝を叩いて立ち上がった。
「ネムはどうする?」
「ワタシは研究所に残って、裏方の仕事を片付けるよ。あと、オリガミと相談しながら、防衛ラインの構築を考えておく」
ネムは肩をすくめた。
「あーあ。データセンター建設は、ほとんど業者に丸投げになっちゃうなあ。冷却システムとか、もっと口出ししたかったんだけどな……」
そう言って、ネムがニヤリと不敵に笑う。
「まあ、建物さえあれば、中身はどうとでもなるか」
やはりネムはタフだ。この強さは、病気で死を身近に感じていたからこそなんだろうか。
なんにせよ、今は心強い。
「頼りにしてるよ。じゃあ、俺は行ってくる。花火会社、サクッと買ってくるぜ!」
「おう!気をつけていってこい!お土産も忘れるなよ!」
「任せとけ!」
玄関に向かいかけて、ふと思い出した。
「あ、オリガミ。ネムに『天穿EMP』について、説明してあげといて」
玄関で靴を履いていると、俺の期待通りに、リビングからネムの奇声が聞こえてきた。
「おほっ♡おほおおおおおおっっっ♡超AIによって制御された、不可避のクラッシュ・アタックゥ……!電子の悲鳴が聞こえるぅ……!」
……よし、行くぞ!楽しくやっていこう!
※※※
自宅隣に隣接する研究所の駐車場。
エイトが運転席に座る黒塗りの高級セダン。
その後部座席に、俺は乗り込んだ。
……なんと本日からの行程には、千穂の護衛である早瀬さんの父、早瀬剛健さんも一緒だ。
剛健さんは、警視庁の元SPであり、現在は「よいこ警備保障」で教官も務めてもらっている。
この車は、運転手にエイト、助手席に剛健さん、後部シートに俺という構成だ。
今回は、この車の他にも、二台の車を伴った大所帯である。
こちらの資金力を見せつけたほうが、買収交渉がスムーズに進むであろうというオリガミの考えだ。
「剛健さん、ご無沙汰してます。いつも、よいこ警備保障の指導ありがとうございます。助かってます」
「いえいえ!こちらこそ引退ジジイにはもったいない環境ですよ。やることがなかった引退直後に比べれば、天国みたいなものですよ!」
そう言うと、剛健さんは豪快に笑う。
「今日は、我儘を言ってしまい申し訳ありません。私が教育した連中の動きが見たくて付いてきてしまいました」
「とんでもないです。心強いです」
剛健さんが、後部シートの俺の隣に座る存在に目を向けた。
「それで……こいつはなんなんです?」
俺の隣には、頭のない犬型ロボットが鎮座していた。
千羽工業に製造させると言っていたイヌガミタイプ2だが、既に数体の試作機があったらしい。
今回はそのフィールドテストも兼ねて、連れてきているのだ。
「こいつは、イヌガミタイプ2です。ほら、剛健さんに挨拶して」
そう言うと、イヌガミタイプ2の背中に、何かが浮かび上がった。
「おお!なんか、表面に文字が浮かび上がりましたぞ!えっと……『ヨ・ロ・シ・ク』?」
剛健さんが目を丸くする。
このイヌガミタイプ2、アクティブ光学迷彩に使用するマイクロLEDシートを使い、ボディにメッセージを表示することで、様々なコミュニケーションが取れるようになっている。
背中で、動画再生もできたりするらしい。
剛健さんは、不思議そうにイヌガミタイプ2を見つめ、尋ねてくる。
「正太郎様……このロボット、いったい何ができるんです?」
「強いです。少なくとも俺よりは」
「ほう……」
剛健さんの目が、武道家のものへと変わった。
「おい、エイト。あとで一戦してみろよ?」
「か、勘弁してくださいよ!自分がイヌガミタイプに勝てるわけないじゃないですか!」
エイトが情けない声を上げる。
「お前がそんな弱音を吐くなんて……そこまで強いのか」
剛健さんは、イヌガミタイプ2に興味津々だ。
「エイト、俺からも頼むよ。後で、一戦してみてくれないか?イヌガミタイプ2の動き見てみたいんだよね」
「え、ええー!社長まで!その機体、あのイヌガミタイプよりもスゴイんですよね?自分、瞬殺されますよ……」
そんな、エイトの嘆きをBGMに、車は目的地へと向かったのだった。
※※※
さて、最初の花火会社だ。
今日は二社、明日は三社を巡る予定だ。
なかなかの強行軍だが、俺たちには時間がない。
アポイント先は、オリガミが「マイクロロケットを作れそうな技術リソースを持つ」という条件で絞り込んだ会社だ。
マイクロロケット生産、すなわち筐体や推進剤の精密加工に寄与できる技術がない会社を買収しても意味がない。そういう会社はリストから除外されている。
一社目の花火会社の社屋は、平屋の長細い、時代を感じさせる建物だった。
トタン屋根は錆びつき、壁には色褪せた花火大会のポスターが貼られている。どこか、祭りの後のような寂しさと、郷愁を誘う空気が漂っていた。
通された社長室のソファは革が擦り切れ、座るとバネがきしんだ。
「……人工流れ星プロジェクト、ですか」
社長は六十代前半だろうか。
作業着には火薬の匂いが染み付いている。目の下には濃いクマがあったが、企画書を見る目だけは、花火を見上げる少年のように輝いていた。
「面白そうですね。花火職人として……是非とも携わってみたい」
その言葉には、疲れと、それ以上の渇望が滲んでいた。
技術はある。情熱もある。だが、金がない。そんな感じだった。
「是非とも弊社の傘下に入っていただき、その技術をお貸しください。社長の作る『星』が必要です」
俺が頭を下げると、社長はハッとしたように顔を上げた。
「あの……子会社となった場合、本当に、社員たちの雇用は維持してもらえるんですよね?」
震えるような声だった。
声が震えている。社員たちのことが、相当大切なんだろうな。きっと、彼にとっては、家族みたいなものなのだろう。
「もちろんです。不正などしていない限りは、解雇などもしません。人工流れ星プロジェクト以外は、今まで通りの会社運営をしてくださって結構です。資金はこちらで持ちます」
俺の言葉を聞いた瞬間、社長の肩から、目に見えて力が抜けていった。
「……よかった」
深く、安堵の息を吐く。
「じゃあ、よろしくお願いします……」
重い責任から解放された男の顔は、憑き物が落ちたように穏やかだった。
一歩進んだ。
彼らの生活とプライドを守り、俺たちは生存のための手段を手に入れる。まさにWin-Winの関係だ。
さあ、次の一歩を踏み出そう。
初日はこんな感じで、サクサクと花火会社を二社、子会社化の交渉をまとめたのだった。
※※※
二社目の交渉を終え、車に戻る。
「正太郎様……会社の売買ってこんなにサクサクと進むものなんですか?」
剛健さんが不思議そうに尋ねてきた。
「……他は知りませんが……今回訪ねてるのは資金繰りに困ってる会社ばかりですからね」
俺は窓の外を流れる景色を見ながら答えた。
「皆、疲れてるんだと思います。経営という重圧、借金という鎖、そして後継者不足という不安……。そこから解放されたいと、心の何処かで望んでいたのかもしれませんね」
「たしかに……皆さん、最後には憑き物が落ちたような顔をされていましたな」
剛健さんは少し考え込むように頷いた。
よくよく考えれば、剛健さんは彼らと同じような年代である。もしかしたら彼らの苦労が理解できるのかもしれない。
そうこうしているうちに、車は宿泊先のホテルの駐車場へと到着した。
車を降りると、剛健さんはパンと手を叩く。
そして、物憂げな顔から、パッと表情を切り替えた。
「さて……じゃあ、やりますか?」
「やりましょうか!」
さあ、エイトとイヌガミタイプ2の、実戦形式性能評価試験の時間だ!
※※※
ホテルの裏手にある、広い駐車場の片隅。
エイトとイヌガミタイプ2が向かい合う。
「待って!待って下さい!せめて盾を!」
エイトが慌てて叫ぶ。
確かに。流石に無手というのは酷だろう。
「そうだな……じゃあポリカーボネート盾だ。ほれ」
護衛用の装備なのだろう。車のトランクから盾を取り出して渡す。
「せ、せめて最初の攻撃は防ぎます!」
「エイト!意識低すぎだぞ!頑張れ!」
エイトに叱咤激励を続ける剛健さんから少し距離を取り、俺はイヤホン越しにオリガミに話しかける。
「オリガミ?大丈夫か?」
『問題ありません。いいテストケースですね。まだイヌガミタイプ2は、試合形式での性能評価は行ってませんので。エイトには全力でかかってくるようにと、お伝え下さい。』
剛健さんが振り向き、そして声をかけてくる。
「じゃあ、正太郎様?よろしいですか?」
「はい。お願いします」
剛健さんが両者の間に立つ。
「相手を破壊したり怪我させたりはしないように!」
「いえ……イヌガミタイプ2は破壊するつもりで戦っても大丈夫です」
俺が言うと、剛健さんが眉を上げた。
「……よろしいのですか?エイトは、元プロの格闘家ですよ?」
「大丈夫です。どうやら、性能評価が必要みたいなので」
「……わかりました。後悔しないでくださいね?」
剛健さんがニヤリと笑った。
「エイトぉ!その犬ロボ、ぶっ壊せぇ!」
「むむむむ、無理ですよぉ!」
悲痛な叫びが響く。
「じゃあ、いくぞ……?はじめっ!」
その声と共に――
スゥ……っと。
空気に溶け込むように、イヌガミタイプ2が消えた。
「は?」
剛健さんが素っ頓狂な声を出す。
「うわッ!」
音もせず。
見えもせず。
気配を感じることもできず。
イヌガミタイプ2は……気づいたときには、エイトの頭の上に、ちょこんと乗っていた。
『お疲れ様でした。』
背中のLEDに、文字が浮かぶ。
……無茶苦茶性能上がってね?
「盾を構える暇もなかった……」
エイトはがっくりと肩を落としている。
「動きが全く見えなかったぞ?いったい、どういうことだ?」
剛健さんが呆然と呟く。
『新型は瞬時に隠蔽モードに入れるようになりました。今回は移動時のみ隠蔽モードに入った感じですね。』
オリガミの説明が流れる。
速度も段違いに上がってるんだろ……?前まで光学迷彩のときに見えてた、空間の歪みもなかった……。移動が早すぎて、歪みが認識できなかったのか?
これじゃあ『折』の防御も追いつかなさそうだ。もう勝てなさそうだ。
……うん。やっぱり俺は戦っちゃ駄目だな!
イヌガミタイプの後ろでコソコソとしてればいいのだ。
「正太郎様……こんなロボットがいたらSPとか護衛の仕事なくなるんですが……」
剛健さんが、なんだか呆然としている。
まずい。
これは、AIの出現により、多くの人が直面しているのと同様の繊細な問題だ。
反AIとか反反AIとか反反反AIとか反反反反AIとか、訳のわからないことになっている今日この頃。
下手な返答をしてしまえば、ヒンシュクを買うだろう。
慎重に……慎重に答えねば……。
「だ、大丈夫ですよ!人間にしかない、護衛の温かみがそこにありますから!」
「護衛の温かみ?……そんなもの必要ですかね?」
ぐっ!
それ以上はいけない。多くの人を敵にまわしてしまう。
『わ、私には、温かみがないのでしょうか……?シクシク……。』
さらには、イヤホン越しに聞こえてくる、オリガミの心底悲しそうに聞こえる泣き声。
だが俺にはわかる。その胡散臭さ、嘘くささが。
お前まで参戦するなァ!
『シクシクシクシク……お兄様にそんなふうに思われてたなんて……シクシクシクシク……。』
なんて……なんて、わざとらしいんだ!
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