世界に魔法が生まれた日
その日、俺たちは研究開発フロアにいた。窓の外には青い空が広がっている。穏やかな午後だ。
俺は、カタカタと何やら入力作業をしているネムを背に、新型イヌガミタイプの設計図を眺めていた。
うーん、次のイヌガミタイプも可愛くはないな……。
そんなことを思いながら、作業中のネムに何気なく声をかける。
「なあ、ネム。事象記述操作、できるようになったら何したい?」
その言葉に、ネムは椅子をぐるりと回転させ、こちらに体を向ける。
そして、目を輝かせて口を開いた。
「それな!事象きじゅちゅちょうちゃ……事象きじゅちゅ……」
ネムが言葉に詰まる。
ヤバい。可愛すぎて胸がキュンとする。
「……なんか言いづらくないかコレ?ワタシ、時々噛んじゃうんだけどさ」
「わかる。俺もコレ言うとき、ちょっと緊張する。『魔法』に統一するか?」
「ああ、統一したい。"じちょうきじゅつちょうちゃ"とか言いづらくて仕方ない」
もう、全然言えてないな。
「魔法、魔法、じちょうきじゅつ……だめだ。やっぱり、魔法のほうが断然言いやすい」
ネムが何度も頷きながら言う。
ヤバい。意識してしまった。もう俺も、事象記述操作とまともに言える気がしない。
「事象記述ちょう……ああ、やっぱり言えなくなってしまった。ネムのせいだぞ」
「なんでだよ。いいがかりだぞ」
「ムカデに歩き方を尋ねたら歩けなくなった話あるじゃない。あんな感じ」
ネムが納得したように頷く。
「なるほどな。だが悪いのはワタシじゃなくて、言いにくい言葉だ。まあ、いいタイミングだったってことで『魔法』で統一しよう」
「そうだな。外で話してても、魔法だとゲームの話だと思ってくれそうだし、魔法の方が断然いいな。事象きじゅちゅ……ああ、もう!」
「ぷぷぷっ!ムカデが歩けなくなったな」
ネムが笑う。悔しいが、本当に言えなくなってしまった。
『お兄様、以降、事象記述操作を「魔法」という呼び方に統一しますか?』
スピーカーから、オリガミの澄んだ声が響いた。
「ああ、頼む。なんか、その名前に脳の無駄なリソースが使われてる気がする」
『それは良くありませんね。承知いたしました。これからは「事象記述操作」改め「魔法」と呼称します。』
「やった!なんか頭がスッキリしたぞ!まほう、まほう、まほう、まほう!言いやすい!きじゅちゅちょうちゃ、とか名前がおかしいんだよ」
ネムが嬉しそうに何度も「魔法」と繰り返す。
『ネムさん、申し訳ございません。アヤトリの言葉を直接翻訳したら、そうなってしまいました……。』
オリガミの声のトーンが、少し下がった。
「いや、ごめんな?オリガミが悪いんじゃないんだ。じゃあ、通称『魔法』ってことにしよう。な?」
ネムが焦ったようにフォローを入れる。
そう、オリガミは悪くない。悪いのは俺たちの滑舌だ。
『承知いたしました。では、事象記述操作の通称を「魔法」とします。基本的には「魔法」という呼称を使用しますね。』
そういえば、魔法の調査の件どうなってるんだろう。
俺は気になって、オリガミに尋ねた。
「魔法と言えば、進捗状況はどうなってるんだ?そろそろ、使えそう?」
ネムも期待に満ちた目で天井のスピーカーを見上げる。
『その件で、お話があります。一番広いスペースのある、研究所5階のドローン用フィジカルAI学習フィールドにお越しいただけますか?』
※※※
フィジカルAI学習フィールド。
ここは、オリガミがドローンの飛行訓練に使っている巨大な空間だ。天井は高く、壁には無数のセンサーが埋め込まれている。
「来たぞー?」
声をかけると、すぐにオリガミの声が返ってきた。
『お待ちしておりました。では……』
一拍置いて、オリガミの声がフロアに響く。
『お兄様、ステータスと言ってみてください。』
その言葉に、ネムが噛みつくように反応した。
「ステータスって言うのか?それ知ってるぞ!異世界に行ったとき、最初にやるやつだよな!」
ピョンピョンと楽しそうに跳ねるネム。
一緒に胸も跳ねている……なんだか前より大きくなってる気がする。
な……なんて、素晴らしい。
『ステータス、と言ってみてください。』
ネムの胸について考えていたところ、オリガミが再び促す。いかんいかん、何を考えてるんだ。
「わかった。ステー…」
「ステータス!」
ネムが勢いよく叫んだ。くそっ!先を越された!
「ちょ、おま――」
だが……何の反応もない。沈黙。気まずいほどの静けさ。何も起きない。
俺はというと、内心ホッとしていた。無駄な恥を欠かずに済んだわけだ。
それにしても……大きな声で詠唱して、何も起きないとか恥ずかしすぎ!
ネット小説読みすぎ!
「……な、何にも起きないんだが?」
ネムが不満そうに呟く。唇を尖らせ、頬がわずかに赤い。
ニヤけ顔で見ている俺に気づき、その顔をさらに赤くする。
ヤバイ。超かわいい。
『権限はお兄様にのみ付与されています。ネムさんでは、発動しません。』
「オリガミ、ケチだなあ」
顔を赤らめ、ネムが頬をぷくっと膨らませて言う。
『現在、私について、なんらかの実行権限を持っているのはお兄様だけです。』
『……でも、ネムさん?お兄様のお子様を産めば、使用者権限が与えられますよ?』
あいかわらずのオリガミ。思わずむせそうになる。
「なあ正太郎、やっぱりすぐに子作りしないか?」
俺も子作りしたい。今すぐ、ダイレクトドッキングしたい。
だが……俺は二人もお嫁さんをもつのだ。それ以外はしっかりとしていきたい。
だから、子作りは結婚してからだ!
※※※
『お兄様、ステータスと言ってみてください。既にこのフロアは、事象リクエスト認証キーの影響下にあります。』
オリガミが急かすように告げた。なるほど。そういうことか。とうとう、その時が来たのだ。
「そういうのは、もっと早く言ってくれよ」
いけない、ネムとの無駄なやりとりで、だいぶ脱線してしまった。
「よし、言うぞ――」
張り詰める空気。さっきネムが感じたであろう『恥ずかしさ』が、少しだけ脳裏をよぎる。だが、恥ずかしいところなんて、今までたくさん見られてきた。今さら、ためらうものでもないだろう。
――「ステータス!」
俺は声を張り上げた。
直後。ブォン、という低い音とともに、目の前に光のスクリーンが現れる。
淡い青白色の光が、宙に浮かぶように広がっていく。半透明のホログラム。まるでVRMMOのような、あの『ステータス画面』がそこに浮かんでいた。
『成功しました。お兄様。』
オリガミの澄んだ声に、わずかに嬉しそうな感情が混じる。きっとオリガミなりに、ずっと頑張っていたのだ。俺のために。
「さすがだ!よくやった、オリガミ!」
「すごい!すごいな!オリガミ!」
ネムと同時に歓声を上げる。長かった。ようやく、ここまでたどり着いたんだ。
オリガミが、弾むように告げる。
『はい。これが、ステータスの「魔法」です。B世界の魔法、やっと模倣できました。』
※※※
「これが魔法か……」
目の前には、光のスクリーンが浮いている。
この空間投影の技術だけでもすごすぎる。VRゴーグルの景色が現実で実現されている。さすが魔法だ。
スクリーンは空中に静かに浮かび、文字が柔らかな光で描かれている。触れられそうなのに、手を伸ばせばすり抜ける。不思議な感覚だ。
「で?ステータスには何が書かれてるんだ?」
ネムが興味津々で、俺のステータススクリーンを覗き込んできた。
俺は光のスクリーンに目を向けた。
「どれどれ……名前・年齢・性別・身長・体重・体脂肪率・筋肉量・体温・血圧・心拍数だって?」
……ん?
「け、健康診断?」
「おい……血糖値・コレステロール・肝機能まであるぞ……?血液検査か?」
ネムも同じことを思ったらしい。
「唯一、ネット小説のステータス画面っぽいのは『状態異常』と『情報指向性』くらいだな」
「すごい便利だけど、なんかイメージと違うな?」
「わかる。筋力とか魔力とか素早さとかだと思ってた」
ネムと顔を見合わせる。想像してたのとちょっと違うような……。
『お兄様、よくお考え下さい?』
オリガミの声に、少しだけ不満が混じる。
『筋肉の付き方なんて人によって全く違います。腕の筋肉が発達している人もいれば、足の筋肉が発達している人もいます。一定数値で出せるものではありません。』
「……」
『第一、素早さってなんですか?50m走の記録ですか?反復横跳びの回数ですか?垂直跳びの記録ですか?私には良くわかりません。』
「身も蓋もない!確かにそのとおりだけど!」
ネムが叫ぶ。
「た、確かにオリガミの言う通りだけどさ……なんていうか……思ってたのと違うだけだよ」
俺は軽く笑いながら、言葉を返す。
「まあ、これも便利だよな。健康診断いらずで」
だが、オリガミは俺たちの反応が気に入らないようだ。
さらに説明を続けてくる。
『筋力や素早さが分かるより、各種身体情報が分かるほうが、よほど素晴らしい機能だと思います。なにより……』
「な、なにより?」
オリガミの声が、少し弾む。
『各種血中ホルモン値のリアルタイム測定ができるようになりました。お兄様の幸福値の測定精度が格段に上がったと言えるでしょう。これは私にとって一番大切な情報です。』
「お、おう……」
『ご存知の通り、私はお兄様の幸福値を報酬関数として強化学習を行うAIです。このリアルタイムなホルモン情報だけでも、B世界に関わるだけの価値がありました。これで、もっとお兄様が幸せになる方向に成長することができます。アヤトリに感謝です。これは素晴らしい情報なんですっ。』
オリガミの声が、珍しく熱を帯びている。
オリガミは、俺の幸せのためにこの機能を作ったのだ。「筋力」とか「素早さ」とか、そんなゲーム的な数値じゃなくて。俺の健康と幸福を、リアルタイムで測定するために。
「そっか……そうだよな。イメージと違うとか言ってごめんな?」
『いえ……変な反応をしてすみません。そうですよね、ネット小説脳ならそういう反応しますよね……。』
「ごめんな、オリガミ」
さらっと「ネット小説脳」呼ばわりでディスられたような気がするが、これは俺が悪い気がする。
素直に謝る。
「『状態異常』とか病気が分かるんだろ?最高じゃないか!」
『はい……』
オリガミの声が、少し嬉しそうになる。
大体ヤバイ病気というのは初期症状がほとんどないと聞く。超初期段階で病気がわかるなら、大体の病気は治療できるだろう。
筋力?素早さ?知性?
そんな情報いらん!
よく考えたら「知性」の数値化なんてされたら、ネムにマウント取られるだけじゃないか!
ニヤけ顔でこちらを見てくるネムの顔が、容易に想像できる。
だめだ。そんなのは許されない!
うん。やっぱり、健康情報が一番だな。オリガミ正しい。
※※※
「な、なあ!ワタシにも使えるようにしてくれよ!」
ネムが目をキラキラさせながら言う。
「頼むよ!正太郎ばっかりずるいぞ!」
『管理者である、お兄様の許可があれば……』
「もちろん、許可するよ」
俺は即答した。
「ネムは俺の大切なお嫁さんだしな」
「お、おい!ワタシのこと好きすぎるだろ!」
ネムの顔が真っ赤になる。
「ウ、ウヘヘヘヘ……」
変な笑い声を漏らしながら、ネムはニヤニヤしている。
『では、管理者許可シーケンスを実行しますね。』
オリガミの声が、少しだけ楽しそうに聞こえた。
『事象記述操作の行使権限を、星ヶ谷ネムに付与します。よろしいですか?承認される場合は、"イエス"とお答えください。拒否される場合は"ノー"とお答えください。』
「イエス」
『星ヶ谷ネムへの事象記述操作の行使権限の付与について、管理者である藤崎正太郎の承認を確認しました。これより、管理者への悪意ある行使を除いた事象記述操作が、星ヶ谷ネムに許可されます。』
「もう、使えるのか?」
ネムが震える声で訊く。
『はい。魔法、ネムさんでも使えますよ?』
「じゃ、じゃあ……早速使ってみるか……」
ネムがゴクリと唾を飲む。
「ドキドキしてきたぞ……」
緊張した面持ちで、ネムは深呼吸をする。
「ス、ステータス!」
ブォン。
ネムの前にも、淡い青白色の光のスクリーンが現れた。
「おお、すごい!ワタシにも魔法が使えた!」
ネムが歓声を上げる。目がキラキラと輝いている。
「夢が一つ叶ったぞ!」
本当に嬉しそうだ。見ているこっちまで幸せな気分になる。
「どれどれ、ネムの身長は……」
俺はネムのステータス画面を覗き込もうとした。
「やめっ!」
ネムが慌てて、覆いかぶさるようにして画面を隠す。
「やめろぉ!正太郎、見るなぁ!身長だけはぁ!」
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