タイムリミット
オペレーションルームの空調が静かに唸る中、俺達はモニターに映し出される層状の粒子を眺めていた。
アヤトリから送られてきた「事象リクエスト認証キー」と思われる粒子だ。
「これが認証キーか……質量配列って言ったよな?」
『はい、お兄様。インターフェースゲートの平面的な質量配列ではなく、立体的な質量配列ですが。』
オリガミの説明を聞きながら、俺は腕を組む。
「でも、ナノサイズか……作るのしんどそうだな……」
そう呟いた瞬間、ふと閃いた。
「いや、待てよ?」
俺の脳内で、ある仮説が組み上がっていく。
「もしかして、インターフェースゲートを開く時みたいに、事象リクエスト認証キーの効果範囲って……質量配列の大きさに比例するんじゃないか?」
『はい。その可能性は十分にありますね』
オリガミが即座に肯定する。
「じゃあ……」
俺は身を乗り出した。
「さっそくやってみる?3Dプリンタで印刷しちゃう?」
「いいな、正太郎!プリントしちゃおう!」
隣にいたネムが目を輝かせて飛びついてきた。
「ワタシ、はやく事象記述操作やってみたいぞ!」
「だよな!」
二人で拳を合わせようとした、そのときだった。
『お兄様、ネムさん。少しだけお時間をいただけないでしょうか?』
オリガミの声が、俺達の興奮に水を差す。
『お兄様とネムさんのお気持ちはわかりました。ただ念の為、安全性などの側面から、アヤトリからのデータをしっかり解析するお時間をいただいてもいいでしょうか?』
「……そうだな」
俺は冷静さを取り戻す。
「この世界で初めての現象を発生させるわけだし……慎重に慎重を期す必要があるか」
「む、確かにそのとおりだな」
ネムも腕を組んで頷いた。
「何が起きるかわからないしな。ワタシも我慢するか。グリッチ検出……とか言われて、この宇宙をBANされたらたまらんもんな」
「それは怖すぎる」
ネムの冗談に俺は引きつった笑いを浮かべる。
いや、本当に洒落にならない。事象記述操作はもともとこの世界にない現象だ。運営にグリッチと思われるリスクはある。
こういうのは、慎重すぎるくらいで丁度いいのだ。
※※※
その後、ネムは研究開発フロアに行くというので、オペレーションルームの前で別れた。
さて、俺は何しよう。
久々に千穂とじっくり話でもしようかと思い、リビングへと向かうと、その本人がいた。
「あ、千穂。晩御飯の準備?」
「うん!ちょっと買い忘れがあったから、またお買い物だけどね?」
千穂がエコバッグを手に、キッチンでドタバタとなにかをしている。
千穂の護衛の早瀬さんも一緒だ。そういえば……早瀬さんに合うのは久しぶりかもしれない。
早瀬さんは柚希さんから借り受けている千穂担当の護衛だ。柚希さんいわく、柚希さんが動かせるなかで、もっとも優秀な女護衛らしい。
そんなことを考えていると、俺と目合った早瀬さんが口を開いた。
「正太郎様、ご無沙汰しております」
「早瀬さん、お久しぶりです。こちらこそご無沙汰しております」
最近、B世界のドタバタで、食事時以外はリビングに居なかったからなあ。
早瀬さんと、遭遇する機会がなかったのだろう。
そういえば、日頃のお礼に、なにかプレゼントをしようという話もあったような。すっかり忘れてた。まずいな……。
俺はできるだけ軽く話しかける。
「なんか本当に久しぶりですね。最後にお会いしたのは、介護ロボット発表会のときでしたっけ?剛健さんは、お元気ですか?」
剛健さんとは、早瀬さんの父親であり、元警視庁SPだ。今は、よいこ警備保障で「よいこ軍団」の教官をしてもらっている。
「もう元気すぎるくらい元気ですよ。よいこ警備保障の社員を『骨のある連中』だって褒めてましたよ」
「そりゃあ、あいつらも喜びますね。今度伝えときますよ。そういえば、早瀬さんあいつらに『姉御』って呼ばれてましたね?」
「あ、姉御呼びはやめてって言ってるんですけどね……」
早瀬さんは少しだけ顔を赤らめる。
そんな話をしていたら、千穂が小走りで戻ってきた。探し物が見つかったらしい。
「早瀬さん、お待たせしました!買い物なんかに付き合わせちゃってすみません」
「いえいえ、私は千穂さんの護衛ですからね。お仕事ですから、お気になさらず」
早瀬さんはそう言うと、人差し指と親指で丸を作る。
「──コレのためにぃ!」
お金のジェスチャーだ。早瀬さんの鉄板ネタである。
「あははは。早瀬さん、またそれしてる」
千穂がクスクス笑う。
「今度、新しいバリエーションを考えません?」
「あ、やっぱりそう思われます?」
早瀬さんが困ったように眉を下げた。
「最近、ちょっとつらいな……って思ってたんです」
……ふむ。
俺はその光景を眺めながら、ふと思い立った。
「千穂?今から買い物行くんだよね?早瀬さんと」
「うん、そうだよ?」
「じゃあ、俺も行く」
「いいの!?」
千穂の顔がぱあっと輝いた。
「もちろんだよ。さっき一仕事終わったから、気分切り替えようと思って。最近千穂と出かけてなかったしね」
「うん!うれしいな!えへへへ……」
千穂が嬉しそうに体を揺らす。
「早瀬さん、いいですか?」
「もちろんです、正太郎様」
早瀬さんが朗らかに頷いてくれた。
「じゃあ、行こうよ。しょうちゃんとのお出かけ、楽しみ!」
千穂に手を引かれるまま、俺は玄関へと向かった。
※※※
到着したのは、車で十分ほどの高級スーパーだった。
自動ドアをくぐると、落ち着いた照明と上品なBGMが俺達を迎える。
どこからともなく漂ってくる焼きたてパンの香り。床はピカピカに磨き上げられ、野菜コーナーには色鮮やかな有機野菜が整然と並んでいる。
普通のスーパーとは明らかに空気が違う。
「へえ、最近はここで買い物してるの?」
「うーん。作るものによるかな?近所の普通のスーパーで買い物することもあるし。安いからね」
「お金なんて、気にしないでいいよ?」
「しょうちゃん、お金持ちだし、それはわかってるんだけど……」
千穂が小さく首を傾げる。
「私、高級スーパーってちょっと落ち着かないんだよね」
「わかる。俺も高級レストランとか落ち着かないし」
俺は思っていたことをこぼす。
「ああいうところって、なんか自分が偉くなったと勘違いしそうで、怖いんだよ」
同じことを思ってたのか、千穂が嬉しそうに微笑んだ。
「しょうちゃんは普通に偉いと思うけど……。私も同じ気持ちだよ。しょうちゃんからのお情けをもらってるだけだしね」
それを言ったら、俺だってオリガミのお情けをもらってるだけのような。
それに……俺とネムの方が、千穂の手料理というお情けをもらっているような。
「お情けじゃないぞ?愛する千穂に貢いでるだけだ。だから堂々と受け取ってくれ。俺のためにな?」
「う、うん……いいのかな?」
「いいに決まってる。俺がいいって言ったらいいの。第一、食費にちょっと色をつけた金額を渡してるだけだし、俺が本気出したら、今の百倍でも千穂に課金しちゃうよ?それでもいいの?」
「い、いまのお金で十分だから……!そんなに課金しないで!」
俺が何を言おうが、謙虚堅実な千穂には受け入れづらいのだろう。
これぐらいでサラッと流してしまい、話題を変えた方が良さそうだ。
「ちなみに、今日は何を買い忘れたの?」
俺の問いに、千穂は答える。
「グレービーソースの瓶詰めかな。近所のスーパーで売ってないんだよ」
グレービーソースってなんだ?
よくわからないけど、近所のスーパーにはウスターソースくらいまでしか売ってなさそうだ。
「なるほど……なんか千穂からそういう話聞いてたら、お腹空いてきたぞ」
「しょうちゃんは、食いしん坊さんだもんね!」
「千穂の料理が美味しすぎるからだよ」
「う、うれしいな……えへへ……」
千穂が頬を染めて俯く。
その様子を見ていた早瀬さんが、そっと距離を取ろうとした。
「わ、私、ちょっと離れてましょうか?」
「だ、大丈夫だよ!大丈夫だから!」
千穂が慌てて手を振る。
早瀬さんは少し離れた位置で苦笑いを浮かべながらついてきてくれた。
ああ、いいな。
この三人でいるのもなんか落ち着くわ……。
何にもしなくていいのがいいのかな。
ネムといるときは、問題に取り掛かってるときが多いからな。
こういうのも、たまにはいいもんだなあ。
※※※
「さて、買い物おしまい!」
千穂がエコバッグを手に満足そうに言う。
「千穂、ちょっとお茶していこうか。まだ夕食まで時間あるだろ?」
「え?いいの?うん!」
千穂が目を輝かせた。
こうして俺達はカフェに移動した。緑色の看板が目印の、有名なコーヒーチェーン店だ。
店内に入ると、コーヒー豆の香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
「じゃあ、私は少し離れた席に座ってますね」
早瀬さんがそう言うと、千穂が慌てて引き止めた。
「ええっ!早瀬さんも一緒に話そうよ!新しい早瀬さんの鉄板ネタをしょうちゃんと考えようと思ってたのに……」
「い、いえ!それは、また今度二人のときにでも」
早瀬さんは両手を振って後ずさる。
「ほら、本日は、正太郎様とのお出かけじゃないですか。二人きりのデートですよ!?」
「そ、そっか。そうだよね」
千穂が頬を染めた。
「えへへへ……」
「気を遣わせてすみません……」
「いえいえ。甘々カップルの邪魔をしたら馬に蹴られてしまいますからね」
早瀬さんはウインクを一つ残して、離れた席へと向かっていった。
……ウインク下手だなあ。両目閉じてたぞ?
※※※
窓際の席に腰を下ろす。
午後の陽射しがテーブルに温かな光を落としていた。
千穂はキャラメルマキアートを、俺はブラックコーヒーを注文した。
運ばれてきたコーヒーの湯気が、ゆらゆらと立ち上る。
「えへへへ……」
「千穂、楽しそうだね?」
「しょうちゃんと久々のデートだから……」
千穂が両手で頬を押さえながら、幸せそうに微笑む。
「そ、そうか。ごめんな?仕事ばっかりで」
「ううん。それは大丈夫」
千穂は首を横に振った。
「毎日お話できてるし、しょうちゃんたちは、毎日私のご飯を食べてくれてるから」
「千穂の手料理がないと俺は生きていけないよ……」
本心だった。千穂の料理は格別だ。
俺はコーヒーカップを置き、真剣な顔で千穂を見つめた。
「なあ千穂。大学を卒業したらうちに住まないか?」
「しょ、しょうちゃんの家に?」
千穂が目を丸くする。
「ああ。ちなみに俺の計画では、千穂が大学を卒業したら、すぐに結婚するから。夫婦なら一緒に住むのは当然だろ?」
「う、うん!」
千穂が勢いよく頷いた。顔が真っ赤だ。
「ちなみに、千穂にはドールハウスで俺の秘書になってもらおうと思ってる。もちろん、役員待遇だ。お給料もいっぱいだぞ」
「それは普通でいいから!」
千穂が慌てて手を振る。
「そして……」
俺は一呼吸置いて、続けた。
「できるだけ早く子供が欲しいと思ってる」
「こ、子供?」
千穂の動きが止まった。
「しょうちゃんとの赤ちゃん……」
「……千穂?」
「えへ、えへへへ……」
千穂の視線がどこか遠くを見つめ始めた。
ヤバイ。トリップしはじめてる。
「なんて勝手に思ってるんだけど、千穂は大学卒業後にやりたいことあるの?」
「えへ、えへ、えへへへ……」
返事がない。
耳まで真っ赤に染まった千穂は、ひたすら笑みを浮かべている。
これは……俺の案に賛成してくれたってことでいいのかな?
※※※
「あれ?ふ、藤崎さん!」
聞き覚えのある声に振り返ると、見知った顔がそこにあった。
「高橋さん?お久しぶりです」
「ご無沙汰しております!あれからお礼にも伺えずにすみませんでした!」
高橋さんは深々と頭を下げた。
「いえいえ。お気になさらずに。あれは、自分の目的のためにやったことでしたから」
かつて、彼とその恋人をある困難から救い出したことがある。その縁で、高橋さんの彼女は、今やドールハウス所属のVTuberだったりする。
「それよりも、隣の方は……?」
高橋さんの視線が千穂に向く。
だが千穂は──
「えへ、えへ、えへ、えへへへへ………」
まだトリップから帰ってきていなかった。
※※※
「お初にお目にかかります!藤崎社長!」
高橋さんの隣にいた女性が、緊張した面持ちで挨拶してくれた。
「ど、ドールハウスではお世話になっております!」
「ああ、なるほど。こちらこそお世話になっております。活動はどうですか?」
「順調です!ドールハウスのサポート体制のお陰で、とうろく……」
「はい、ストップです!」
俺は慌てて遮った。
「だめですよ?人前でそんな身バレのリスクを負っては」
「あ!す、すいません」
彼女が慌てて口を押さえる。
「これから気をつけてくれれば大丈夫です」
VTuberの身バレなど百害あって一利なしだ。誰が聞いてるかわからない、カフェで話す内容ではない。
「あのー、藤崎さん?お隣の方、大丈夫ですか?」
高橋さんが心配そうに千穂を見ている。
「えへ、えへ、えへ、えへへへへ………」
「お、おい、千穂!戻ってこい!他の人見てるぞ!」
俺が肩を揺すると、千穂がようやく我に返った。
「は!しょうちゃん!赤ちゃんはどこ?ベビーカーは!?」
「待て、千穂。俺達はまだ結婚していないぞ?」
「あれあれ……?そっか……」
千穂がキョロキョロと周囲を見回す。
「随分と未来にトリップしてたみたいだな?」
「そうみたいだね……」
千穂ががっくりと肩を落とした。
「ううっ!残念……」
「あ、彼女は俺の婚約者で朝比奈千穂といいます」
俺は改めて高橋さん達に紹介した。
「お初にお目にかかります。僕は高橋といいます」
高橋さんが丁寧にお辞儀をした。
「僕と彼女は、過去に藤崎さんにすごく助けてもらいました……藤崎さんは僕らの恩人なんですよ」
「そうなんです!今もすごくお世話になってて……」
隣の恋人さんも感激したように言う。
「そ、そうなんですね!私は朝比奈千穂といいます。しょうちゃん……藤崎正太郎くんの婚約者ってことになってます」
千穂がペコリと頭を下げた。
「高橋さん、千穂も東応大生なんです」
「そうなんですね。僕は大学院の情報系研究科に在籍してるので、何かあったらすぐに頼って下さい。少しでも、藤崎さんに恩返ししたいので」
「はい。ありがとうございます!」
千穂が嬉しそうに微笑んだ。
※※※
「そういえば、高橋さんってなんの研究されてるんですか?」
俺はふと気になって尋ねた。
「確か……あのときはお聞きしてないですよね?」
「そうですね。あのときはそれどころじゃなかったですしね……」
高橋さんは苦笑いを浮かべた。
「僕は量子コンピューティングの研究をしています」
「え?量子コンピューティング?」
俺は思わず身を乗り出していた。
「じゃあ、最近実現した『常温環境下での量子ビットの安定化技術』とか知ってます?」
「つい先日僕も知ったばかりなのに……よくご存知ですね」
高橋さんが目を丸くした。
「あれはすごすぎますよ。世界が変わりそうって、ウチの教授も言ってました」
「やっぱりそうなんですね」
俺は真剣な表情で続けた。
「なら……HNDL攻撃が、初めて行われるのっていつ頃になりそうとかわかります?」
HNDLは「Harvest Now Decrypt Later」の略称。ハーベスト・ナウ・デクリプト・レイター攻撃。
オリガミの存在がバレる可能性がある攻撃だ。
「ドールハウスみたいな企業が警戒してるのは、やっぱりそこですよね」
高橋さんは腕を組んで考え込んだ。
「うちの教授は……一年以内には、おそらく最初の攻撃が行われるとか言ってました」
「……そうですか」
手にしていたコーヒーカップが、かすかに震える。
一年以内。
想像以上に時間がない。
「あ、すいませんデート中に」
高橋さんが申し訳なさそうに頭を下げた。
「僕らはこれで失礼しますね。朝比奈さんも、お邪魔してすみませんでした」
「すみませんでした!」
二人はぺこりと頭を下げて、店を後にした。
※※※
「しょうちゃん、どうしちゃったの?」
千穂が心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
「顔が少し怖いよ?」
「あ、いや、なんでもないから」
俺は無理に笑顔を作った。
「そ、そろそろ帰ろうか。千穂の手料理も食べたいし!」
「そ、そう?無理しないでね」
千穂が俺の手を握ってきた。
「私にできることなら何でもするから!」
「……じゃあ」
俺は千穂の温もりを感じながら、呟いた。
「ご飯のあとに、また膝枕してくれないか?」
「そんなことならいくらでも!」
千穂が嬉しそうに笑った。
※※※
帰りの車の中、俺は窓の外を眺めながら考え込んでいた。
夕暮れの街が、オレンジ色に染まっていく。
千穂は隣で穏やかな表情を浮かべている。買い物袋を大事そうに抱えて、時折こちらをチラリと見ては、嬉しそうに微笑む。
幸せそうなその横顔を見ていると、余計に焦りが募る。
想像以上に時間がなさそうだ。
オリガミの存在がバレるまでのタイムリミットは、一年もないかもしれない。
急がねば。
天穿の製造を急ピッチで進める必要がある。
そして、事象記述操作ができることの解析も。
オリガミ、一緒に頑張ろう。
俺達の平穏を守るために。
俺達の未来を守るために。
俺は拳を強く握りしめた。
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