聖女のお仕事(聖女サルーナ視点)
神殿。聖女の執務室。
ステンドグラスを透かした午後の陽光が、私の机の上に聖典の一節を映し出している。
『汝、神に仕える者よ。その身を捧げることを恐れるなかれ』
……なんと示唆に富んだ言葉だろう。
私は感慨深く頷きながら、手元の『寄進要望リスト』に目を落とした。
このリストには、使徒様へご自身を寄進したいという敬虔な女性たちの名が、びっしりと記されている。最初は数名だったこのリストも、今では百名を超えた。待機期間は実に半年。
信仰心の篤い方が、これほど多いとは。
神殿の聖女として、これほど誇らしいことはない。
「キジアス。明日は、使徒様にどの娘を寄進したらいいと思いますか?」
私がリストを指でなぞりながら問いかけると、私付きの神殿騎士であるキジアスは少し困ったような顔をした。
「せ、聖女様?使徒様にも研究があるので、あまり邪魔はされないほうが……」
「何を言っているのです!使徒様だって立派な男性!女性と床を共にして、心身を整えたほうが研究に集中できるに決まってます!」
「そ、そうですかね?使徒様は少し戸惑っておられるような……イヌシーリさんもいらっしゃるんですよ?」
キジアスの懸念ももっともだ。
確かに、使徒様にはイヌシーリさんという、愛犬?がいらっしゃる。
それに、使徒様が彼女のことを『相棒』と呼ぶのも聞いたことがある。
相棒。なんと美しい響きだろう。主従関係ではあるが、ある意味対等な信頼関係。それでいて、イヌシーリさんは自らを『犬』と自称し、使徒様から一歩引いている。
私も犬になりたい。
……いや、今はその話ではない。
「ああ……イヌシーリさんですか……本当に立派な方ですよね?以前、お聞きしたことがあるんですよ。私が使徒様に女性を寄進することをどう思われているのかと」
「キジアス、イヌシーリさんはなんて仰ったと思います?」
「い、いえ……わかりかねます」
私は頬を紅潮させ、その言葉を反芻する。
「『ユークンがそれで幸せになるなら何でもいい』って仰ったんですよ!なんて……なんて……深い愛なのでしょう。さらには、さらにはですよ。イヌシーリさんは、使徒様の犬であることを、ショタロ様から許されているのです。聖女の私にすら許されていないのに!」
「せ、聖女様が『犬』なんかになられては、困りますよ!」
「『なんか』とはなんですか『なんか』とは!」
私は思わず机を叩いて立ち上がった。
「イヌシーリさんはただの犬ではありません。使徒様が好む幼虫食を作り、使徒様の夜の遊び相手となり、使徒様のために侵入者を黒焦げにできるような実力もお持ちなのですよ。使徒様のライフラインをすべて担っているといっても過言ではありません」
「それも……あの魔虫の幼虫を、未だにご自身で採りに行かれてるんですよ」
「ええ!?あのブニブニした虫を、今もですか!?ひ、人に任せればいいのでは?」
「どうやら、調理に向く魔虫とそうでない魔虫がいるようです。今のところ、その見分けはイヌシーリさんにしかつきません。手を泥だらけにして『ユークンのため、ユークンのため』と繰り返しながら、魔糸樫の根を掘る姿のなんて美しいこと」
私はうっとりと天井を見上げる。
あの献身。あの純粋な狂気にも似た愛情。
「ああ……豪奢な生活に慣れきって、怠惰で、手を汚すことも、神の為に動くこともない、神殿や貴族のお方々には彼女を見習ってほしいものです」
「聖女などという存在より、使徒様の『犬』の方が、神に近いと私は考えております。彼女は私より『上』の存在なのです。キジアスも、しっかりと彼女を敬うように」
「は、はは!申し訳ありません!」
キジアスが慌てて頭を下げる。
※※※
私は椅子に座り直し、窓の外に目をやった。神殿の中庭では、若い神官たちが祈りを捧げている姿が見える。
「イヌシーリさんは素晴らしいお方です。私も彼女を見習いたいものです。ですが、私は神殿の聖女などという身。使徒様の側にずっといるわけには行きません」
神殿の業務、信徒への対応、そして儀式。
私の体は一つしかないのだ。
それに──聖女とは、神に捧げられた存在。この身は神のもの。たとえ使徒様であっても、この身をもって信仰を示すことは許されない。
だからこそ、他の女性を寄進することで、間接的に使徒様をお支えするしかないのだ。
「聖女様のお力をお望みの方は多いですからね。聖女様固有の魔法である『整流』で助かる命も多いのですから」
「あら?あれは既に私固有の魔法ではありませんよ?使徒様も使用できます」
「そ、そうだったのですか!?」
キジアスが目を見開く。
「ええ。神殿がうるさそうなので、秘密にしておりますが」
「……自分に言って良かったのですか?」
「もちろん。キジアスのことは、信頼していますから。あなたもショタロ様のお声を聞いた身です。なら、裏切るなどということはあり得ません。それに、ショタロ様が仰るには、キジアスも使徒ユークンのお供なのですから」
「ええ……光栄ですね……」
キジアスは少し遠い目をした。
彼もまた、ショタロ様に選ばれた存在なのだ。
※※※
私は再び寄進要望リストに目を落とした。ページをめくるたびに、紙が乾いた音を立てる。
「ですので、私は女性を使徒様にどんどん寄進いたします。幸い、怠惰といえど神への信仰心が強い方は少なくありません。使徒様へ自らをご寄進して、信仰を神に示されてはどうか?と伝えると、身分関係なく了承する方の、多いこと多いこと。この世もまだ捨てたものではありませんね」
「しかし、使徒様は本当に偉大ですね。ひとたび、使徒様のご寵愛を受けた女性は、信仰心が極めて高くなるようです。きっと使徒様を通じて、神の神秘に触れられたのでしょうね。最近では、こちらが何も言わなくても、彼女たちからお願いしてきますしね」
「そ、ソウデスネー」
キジアスの反応が鈍い気がするが、気のせいだろう。
「それにしても不思議なのです。寄進された方々は皆、口を揃えて『神を見た』と仰るのですよ」
「か、神を……?」
「ええ。『あまりの恍惚に意識が飛びそうになった瞬間、神の光が見えた』と。使徒様へのご奉仕を通じて、神秘体験をされているのでしょうね。素晴らしいことです」
「あ、ああ……そ、そういう解釈も……」
「他にどういう解釈があるのですか?」
「い、いえ!何でもありません!」
キジアスが妙に慌てている。暑いのだろうか。
「私も、彼女たちから後ろ盾を得られたおかげか、神殿でも動きやすくなりました。ありがたいことです」
私はリストから顔を上げ、満足げに微笑んだ。
※※※
「もう聖女様が神殿のトップのようなものですもんね……貢献ポイント制度ができましたから」
キジアスがポツリと漏らした言葉に、私は首を傾げた。
「貢献ポイント制度?なんですかそれは?」
「い、いえ、なんでもありません!ただ、姫様をご寄進されたときは……冷や汗が出ましたよ」
キジアスは慌てて話題を変えた。
何か隠しているようだが、まあいいだろう。
「私もそう思いましたが、姫様の方から言ってこられたのですよ?この世のものとは思えない恍惚を受けられると、お耳に入ったようで」
「……こ、恍惚?」
「使徒様へのご奉仕が恍惚だなんて……信仰心の高い方ばかりですね……神殿の聖女として誇らしいです」
私は胸に手を当て、感慨深げに頷いた。
「……そ、ソウナンデスー?」
なぜかキジアスは視線を逸らす。その頬が少し赤いような気がするが、まあ、きっと室内が暑いのだろう。
「姫様のご許可で、使徒様を城の禁書庫に案内できたときは、あの方も大層お喜びでしたし。そういえばあのときも、姫様が『貢献ポイント爆盛ですわ!』って仰ってましたね……貢献ポイントって何なのですか?」
「な、何なんでしょうね?ワカリカネマスネー」
キジアスが妙にぎこちない笑顔を浮かべる。私は身を乗り出した。
「そういえば、姫様、あの後、頻繁に使徒様に自らをご寄進されてましたね?もしかして、なにか関係があるのですか?」
「わ、わ、ワカリマセン!わ、私は扉の前で控えておりますね。し、失礼いたします!」
キジアスは逃げるように部屋を出ていった。
まったく、落ち着きのない騎士だ。
※※※
一仕事終えた私は、ふぅと息を吐く。
執務室に静寂が戻った。窓から差し込む光が橙色に変わり始めている。夕暮れが近いのだろう。
神の代理人であるショタロ様とその使徒様の為に行動する。それは私にとっての喜びであり、信仰そのものだ。
私は目を閉じ、胸の前で両手を組んだ。
そのすぐ後だった。
私が夢にまで見ていた瞬間。
神様ご本人からの、お告げがあったのは。
※※※
『……聖女……聖女サルーナよ……聞こえますか……?』
私の脳内に、直接響く声。
……え?
女性の声?
鈴の音のような澄んだ声だが、威厳に満ちあふれた声。
「しょ、ショタロ様……ではない……?ど、どちら様でしょうか……!?」
私の戸惑った声に、神々しい声が応える。
『……わたくしはアヤトリ……この世界を……管理するものです……』
世界を管理?……神様?……本物の神様……?代理人のショタロ様でなく、神様からの直接のお告げ!?
な、な、な、なんてこと!なんてこと!!
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