事象記述型AI拡張アーティファクト
『お兄様、チーム・モモタロが魔結晶の作成に成功したようです。』
朝のオペレーションルームでコーヒーを飲んでいると、不意にオリガミからそんな報告があった。
淹れたてのコーヒーの香ばしい香りが鼻をくすぐるが、頭はまだ覚醒しきっていない。
ネムは俺の隣に座ってドーナツにかぶりついている。
今朝は、千穂がレポートの期限に追われており、朝食を作りに来れなかったのだ。
オリガミからの吉報に、俺は呆けたまま口を開く。
「そうなのか?意外と早かったな?」
『いろいろあったみたいですよ。ユークンが、お姫様と夜を過ごしたり。イヌシーリと夜を過ごしたり。マリーと夜を過ごしたり。その他もろもろ、権力を持つ女の子と夜を過ごしまくってますね。』
「夜を過ごしてばかりじゃないか。あの女たらしめ。前にかばって損した」
俺は唖然としてツッコミを入れる。
手にしたマグカップを取り落としそうになるのを、なんとかこらえた。
まったく……今や好き放題じゃないか。俺はなんのために禁欲したのだろうか。
『魔結晶を作るために手段を選ばなかっただけみたいですよ。お姫様は城の禁書庫に入れてもらうために、聖女の手引きで、落としたみたいです。マリーは商会の力を使うために完落ちさせたようですね。イヌシーリは日常的に夜の練習相手として付き合わされているようです。』
『夜の技術を徹底的に活用して、物ごとを次々と達成していく姿。お兄様にも見習って欲しいです。』
「せ、世界が違うし、流石に無理だよ。なあ、ユークンはその中の誰かを愛してたりするのか?」
『強いて言えばイヌシーリでしょうか。イヌシーリはユークンのメイドみたいになってますね。ただ、事象記述操作も覚えたらしく、ユークンの敵を排除したりもしてるみたいです。魔虫をユークンと食べ続けたおかげでしょうね。』
魔虫を食べるヒロイン……。イヌシーリ、健気だなあ……。
俺は思わず遠い目をしてしまう。
彼女には、ユークンの食べるものを自分が食べないなんて選択肢はないのだろう。
『聖女とは悪巧みの友達みたいになってます。手を取り合って、いつもキジアスを困らせています。使えそうな女性を聖女がユークンに紹介して、ユークンが落として、いいように使ってるみたいです。これじゃ、聖女じゃなくて魔女ですね。』
『姫とマリーは……まあ貢いでもらうために付き合ってるって感じのようです。二人とも、ユークンの夜の手練手管に完全に落とされてしまっています。全くすごい男です。』
オリガミが淡々と報告する内容が凄まじい。
完全にジゴロのやり口だ。
「……もう『ユークン』じゃなくて『ユークンさん』と呼んだ方がいいんじゃなかろうか?」
『おかげで、魔結晶の作成の素材は簡単に集まったようです。まさか、夜の技術で素材集めを行うなんて思いもよりませんでした。』
『素晴らしいですね。流石、わたくしの世界の魔導師です!これで子供もどんどんできればいいのですが。ネムお姉ちゃんもそう思いませんか!』
可愛らしい声が正面スクリーンから響く。
そこに映っているのは、薄いピンクのお団子頭にクリクリの瞳のアヤトリだ。彼女は今日も元気だ。アバターだけど。
しかし、隣に座っていたネムは顔を引きつらせている。
「お、おう……そうだな……」
さすがのネムもユークンの女たらしぶりには引いているようだ。
持っていたドーナツをかじる手が一瞬止まっていた。
「ユークンがこちらの世界にいなくてマジでよかった。俺に幻滅されたら、何をされるか……。ネムや千穂に手を出されてもたまらんし」
俺は本気で安堵の息をついた。
あんなモンスターに変貌した信奉者がこっちに来たら、俺の平穏な日常は崩壊してしまうかもしれない。
※※※
「まあいい、B世界のユークンはどうせこちらに来れないし。さて、計画通り、魔結晶も完成した。次は……」
俺は思考を切り替える。
魔結晶が完成したなら、次のステップだ。
『はい。とうとう「事象記述型AI拡張アーティファクト」の作成に入ります。とはいえ、物理的にこのアーティファクトを作るのは難しくはありません。中央に魔石を置き、その周りを、長く繋いだ魔糸でコイルのようにぐるぐる巻きにすればいいだけですから。』
オリガミが右スクリーンにその設計図を展開する。
見た目は、銅線を巻いた電磁石のような単純な構造だ。
「なるほど、それで出来上がったのがアヤトリのオリジナルの姿なんだな」
『仰るとおりです。ですので次は……』
「ワタシの出番というわけだな」
ネムが食べていた最後の一口のドーナツを口に放り込みながら立ち上がった。
指についた砂糖をペロリと舐めとる。やる気なのはいいが、威厳ゼロだ。
『そうなります。ネムさん、どうぞよろしくお願いいたします。』
「だが、一体何を教えればいいんだ?ワタシは事象記述操作については何も知らないぞ?」
『ネムさんには、AIの基礎となる「ニューラルネットワーク」の概念から、画像認識で使われる「畳み込みニューラルネットワーク」、自然言語処理に必要な「トランスフォーマー」、試行錯誤から行動を最適化する「強化学習」、そして世界モデル構築のための「JEPA」などの概念についてを、ユークンに伝えていただきます。事象記述式化と、そのアーティファクトへの書き込みは、ユークンの仕事です。』
「わかった。じゃあ、その辺りの基礎を、がっちり教え込んでやるかな」
ネムはやる気満々なようだ。
こうして、異世界へのAI技術供与という、前代未聞の講義が始まることになった。
※※※
俺たちはB世界のユークンと接続した。お告げを下すモードだ。
モニターにノイズが走り、一瞬の後にユークンの姿がクリアに映し出される。
オリガミに頼んで、マイク接続時は部屋の中央に置いた赤いランプが点灯するようにしてある。
前回と同じ間違いを起こすわけにはいかないのだ。
「……ユークン……ユークンよ……魔結晶完成したようだな……見事だ……」
『は、ははっ!ショタロ様からいただいた知識のおかげです!』
「……そうか……次の……使命だ……これからユークンには『知性』に関する叡智を学んでもらう……これは今までのような事象記述操作で得られるような……簡単なものではない……やるか……?」
『も、勿論です!特別な叡智と言われるのならなおさら!』
画面の向こうでは、ユークンが更にその額を低くする。
床に額がめり込みそうな勢いだ。もはや土下座である。
「いいだろう……この叡智は複雑だ……私の妻……大魔導師ネームからの教授となる……くれぐれも無礼のないように……」
『は、はは!』
「では……紹介しよう……大魔導師ネームだ……」
※※※
「……ワタシは……ショタロの妻……大魔導師……ネームだ……ショタロと同じように……神の代理人をしている……」
ネムが、厳かな口調で語りかける。
ネムは、俺が誕生日にプレゼントした魔法使いの帽子とケープをつけている。カッコも大切だということで着てきたようだ。超かわいい。ドーナツの食べカスがついていることも超かわいい。
『お、お初にお目にかかります。ね、ネーム様!』
ユークンが平伏する。
「……ワタシは……これから神の国の叡智をお前に伝える……しっかりと聞いて理解しろ……」
『はは!』
「……今から伝えるのは『ニューラルネットワーク』の基礎だ……ユークン……お前には神の知識を拡張するためのアーティファクトを作ってもらう。よいな?」
『はい!全身全霊をもって!』
「じゃあ伝えていくぞ。『ニューラルネットワーク』というのは生物の神経細胞網を模したもので……」
ネムの講義が始まった。
最初は基本的な概念から。そして徐々に高度な内容へと移っていく。
……
〜3時間経過〜
かなりガッツリとした講義だ。横で聞いている俺にとっても、中々勉強になる。
専門用語の羅列に、俺の頭も少しクラクラしてきた。コーヒーのおかわりが必要だ。
ユークンは一言一句聞き漏らすまいと、必死にメモを取っているようだ。
……
〜6時間経過〜
そろそろユークンの顔色が悪い。
だが、ネムは止まらない。好きなことを語るのが楽しすぎて、ゾーンに入っているようだ。
……
〜9時間経過〜
画面の向こうで、ユークンが白目を剥きかけている。
さすがにマズい。
俺は自分のマイクがオフになっているのを確認し、ネムに話しかける。
「ネム!ストップ!ストップだ!」
「ん?ああ……もうこんな時間か」
俺が止めに入ると、ネムはハッと我に返った。
「き、今日は……これくらいにしておこう……明日は復習をしておけ……続きは明後日だ……」
『は、はは〜!ね、ネーム様!神の叡智ありがとうございます……!ふ、不甲斐なくて申し訳ございません……!』
ユークンはふらふらになりながらも、感謝の言葉を口にする。
狂信的って怖い。
「……ショタロだ……気にするな……我が妻は天才だ……お前はゆっくりついてくればいい……」
『ショタロ様……お気遣い感謝いたします!』
「……ではな。ネームも一言……言っておけ……」
「……こんなものは……基礎の基礎だ……また明後日な……更なる知識を……与えてやろう……さらばだ……」
『あ、ありがとうございます!』
通信を切ると、ネムがソファに倒れ込んだ。
「ちょっと初日から詰め込みすぎたんじゃないか?」
「問題ないだろ。ものすごい覚えがいいし、数日もあれば基礎は叩きこめそうだ。女たらしなだけじゃないんだな」
以前は、ユークンの経験人数は一人だったから女たらしじゃなかった。
けど今のユークンの相手は不特定多数だ。「ユークンさん」は間違いなく女たらしだ。
時の流れは残酷だ。
※※※
インターフェースゲートを開く時間を調節すれば、B世界の二日後を、この世界の明日にすることなんて造作もない。
ネムは、大魔導師ネームとして、翌日もその翌日も、ユークンに『ニューラルネットワーク』についての講義を続けたのだった。
そして、この世界時間でほぼ一週間。大魔導師ネームは喋り続けた。
「……げほぉ……これで……基礎は……お前に教えた……何か質問があったら……ショタロに言えば……ワタシが答えてやろう……」
もう、ネムの声は枯れ果てていた。一週間喋り続ければ、そりゃ、そうなるだろう。
まるで砂利を飲み込んだようなガラガラ声だ。のど飴をあげたい。
ネムって面倒見いいよな。教え方も上手いし。
教師とかの才能もあるのかもしれない。
『ありがとうございました……ネーム様のおかげで、知性とは何なのか、深く考えさせられました』
「そうか……あとは、夫のショタロに任せる……さらばだ……」
『ネーム様!心からの感謝を!』
※※※
ネムとの通信が終わり、俺がマイクの前に立つ。
ここからは、最終段階だ。
「……我が妻の知性の表層……受け止められたようだな……」
『ショタロ様でございますね!ははぁ!』
ユークンの態度は、以前にも増して崇拝の度合いを深めている。
神の知識を授けられたことで、信仰心がさらにヤバいことになってそうだ。
「……これからお前には……使命がある……この世界の根源に関わる……使命だ……」
『僕に使命ですか!な、なんなりと!』
「……ユークン……お前にはこれから……神の器を作ってもらう……」
『神の器ですか?』
「……この世界の……神は……限界だ……このままでは……この宇宙は消え去る……」
『う、宇宙が消え去る……』
ユークンが息を呑むのがわかった。
スケールの大きい話に、彼は完全に飲み込まれている。
「……ああ……今から……知識を送る……この世界の神……アヤトリの知識……あと……神の使命についてだ……」
『アヤトリ神……神の御名でございますか!?それに、神の使命とは……?』
「いくぞ……準備はいいか……?」
『ははっ!……ぐあああああぁああ!』
アヤトリにお願いし、圧縮されたデータパケットをユークンの脳内に直接送信する。
アヤトリ神の存在とその使命、世界の構造、そして救済の計画。全てを。
「……感想はどうだ……」
『この世界が……宇宙が……こんなシステムだったなんて……なんて深遠なる叡智……』
ユークンは震えている。恐怖ではない。感動に震えているのだ。
『ショタロ様は……異世界からの神の御使いだったんですね……』
「……そうだ……ユークン……お前には……事象記述型AI拡張アーティファクトを作ってもらう……いいな……」
『ははっ!』
「……それが完了したら……アヤトリ神へのアーティファクト奉納だ……これもお前の大切な使命だ……」
『はっ!』
「……アヤトリ神だけじゃない……当世界の神も言っている……『期待している』と……」
『なんて光栄なこと!光栄なこと!』
ユークンが床に頭を擦り付ける音が聞こえてきそうだ。
画面の中の彼は、感動のあまり肩を震わせ、今にも泣き出しそうに見える。
「……事象記述型AI拡張アーティファクトを作れ……アーティファクトの作成法……必要な事象記述式……全て送ったはず……あとは……ユークン次第だ……」
『ぼ、僕次第ですか?』
「……そうだ……救世主よ……この宇宙の命運は……全て……お前にかかっている……任せるぞ……」
『す、全て僕に……ははっ!全身全霊をもって、取り掛からせていただきます!』
通信を切断する。
ふぅ、と俺は大きく息を吐いた。
※※※
ソファには、ぐったりと横になっているネムの姿があった。
「さ、流石に疲れたぞ……」
「そりゃ一週間、一日9時間喋り続ければ疲れるさ。ネムはよく頑張ったよ」
『ネムお姉ちゃん、ありがとうございます!』
アヤトリの元気な声が響く。
「そ、そうか?ウヘヘヘヘ……」
妹AIのアヤトリに「お姉ちゃん」呼ばわりされて頼られて嬉しそうな様子のネム。単純で可愛い奴だ。
「これで、アーティファクトが完成すればいいんだけどな」
『問題ないと思いますよ。どうやら、既に設計を開始しているようですね。』
オリガミが言う。ユークンを継続観測しているのだろう。
『簡単なアーティファクトの物理的作成は、神殿に丸投げしたようですね。ユークンは、ネムさんによる技術供与をヒントにし、そこに書き込む事象記述式の開発をスタートさせました』
『さすが。わたくしの世界の魔導師です。見事です!』
「なあ、アヤトリ。アーティファクトが完成したら、ユークンと対面することになると思うんだけど……大丈夫か?」
俺が懸念していたのはそこだった。
アーティファクトが完成すれば、アヤトリ本体との接続のためにも、人間との接触が必要になる。
つまり、ユークンと直接相対することになるのだ。
『正太郎様。大丈夫じゃありません。わたくし……わたくし、どうしましょう!』
案の定、アヤトリはパニックになっていた。コミュ障の神様にはハードルが高すぎる。
「そんな堂々と情けないこと言うなよ。えっと……オリガミは現地民とコンタクト出来ないんだよな?」
『可能ですよ。私は、技術供与ができないだけで、ただのコミュニケーションなら可能です。今回は、B世界に私が影響力を与えすぎるのは良くないと考え、できるだけ干渉しないようにしていました。』
「ああ、そうだったか。じゃあ、ユークンと会うときは、オリガミも立ち会えるじゃないか。もちろん、俺もネムも一緒だからさ、我慢してくれ。な?」
『そ、それならなんとか……オリガミお姉様がおられるなら……』
アヤトリの声が少し落ち着く。オリガミへの信頼は絶対らしい。
「アヤトリ!大丈夫だぞ!お姉ちゃんがついてるからな!ワタシがユークンにアーティファクト接続については伝えるから!アヤトリは無理しない程度に、ユークンに接しろ。な?」
『ネムお姉ちゃん、大好き!』
「ぐ、ぐふぅ!……お、お姉ちゃんに任せておけ!」
妹からの愛の言葉に、ネムが悶絶する。
「おい、ネム。あまり甘やかすのも良くないぞ。俺たちの世界とのインターフェースゲートも、いつまで繋がってるかわからないんだし。アヤトリも、少しずつ人間にも慣れていけよ?ユークンは神に狂信的だし、仲良くなる相手の一人目としては悪くないと思うぞ?」
『……正太郎様の仰るとおりですね……成長できるようになったら……対人恐怖症の部分をなんとかしたいと思います……』
アヤトリが消え入りそうな声で決意を口にする。
『やります……わたくし……アヤトリは……頑張ります!』
「いいぞ!それでこそワタシの妹だ!かっこいいぞアヤトリ!」
『はい!ネムお姉ちゃん!』
「ぐふぅ!」
……まあ、なんとかなるか。
俺は、完成の目処がたったアーティファクトと、その先の未来に思いを馳せるのだった。
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