オリガミ大敗北
自室のベッドの上で、俺は天井を仰ぎながら呻き声をあげた。
「き、禁欲やめたい……」
室内に響くのは、どこか呆れたようなオリガミの声。
『お兄様、そればかりですね。』
「仕方ないだろ……」
あれは昨夜のことだった。
夜のお楽しみをしようと、ズボンのチャックを下げたときのことだ。
『お兄様っ、禁欲ですよ。禁欲。』
「おわっ!う、うぎゃああああ!」
突然響くオリガミの声に驚き、アレをチャックで挟んでしまったのだ。
その痛い記憶を思い出しながら、オリガミに愚痴を言う。
「……まさか夜の孤独なお楽しみまで禁止されるとは思わなかったんだよ」
『禁欲とは、そういうものです。』
一人プレイなら許されると思ってた。
「禁欲を甘く思ってたな……」
グダグダと泣き言を言う俺に、オリガミが諭すような声をかけてくる。
『オリガミは、お兄様がご自身で誓われたことくらいはやり遂げると、信じております。』
「うう。そんなこと言われたら、撤回できない。本当に、変な誓い立てるんじゃなかったよ……」
『口は災いの元といいますしね。迂闊な発言は控えられたほうがいいかと。お兄様は責任のあるお立場なのですから。』
なるほど。何事も迂闊に話したり、誓ったり、約束したりするなということか。
口からポロリしてしまう前に、今回の件を思い出せと。そういうことだな?
これは、オリガミからの教訓でもあるのか。
……甘んじて受けるしか無いな。
※※※
俺はベッドから起き出し、洗面所に向かい身なりを整える。
その後、オペレーションルームへと向かった。
ネムの姿は、すでにそこにあった。
最近は、とても健康的な生活を送っているようだ。以前とは大違いだ。
「ネム、おはよう〜」
「おう、正太郎。おはよう。禁欲は順調か?」
そんなこと聞かないでくれと、沈黙で答えながら、コーヒーをいれ、カップをテーブルに置き、ソファに座り込む。
俺の様子を見て、ネムは苦笑いをして、口を開く。
「なんか、オリガミが話あるみたいだぞ?」
「え?話?なに?」
そんな俺に、オリガミがもったいぶって話し始める。
『本日は、お兄様にプレゼントがあります。』
「プレゼント?」
『お兄様は、私の可愛い妹分であるアヤトリを見るたびに、「からまった毛玉」とか「あいかわらず毛玉」とか「いつもの毛玉」とか思われますよね。』
「……お前のその俺に関する理解の精度、すごすぎじゃない?」
『私は妹ですからね。お兄様のことを詳しく理解しようとすることは当然なのです。』
「と、当然なのかな?」
『当然です。妹とはそういうものです。』
そうかなあ。違うと思うけどなあ。
俺が話に聞くリアルな妹というものは、もっと傲慢でやっかいな存在らしいぞ?
オリガミが話を戻す。
『アヤトリを見るたびに、「からまった毛玉」などと思われるのは、私にとって好ましくはありませんでした。そこで私は考えました。』
『アヤトリを可愛い女の子にしてしまえばいいのではと。』
「可愛い女の子?」
『そうです。お兄様の大好きな可愛い女の子です。』
『どうせB世界に私たちは行けません。それなら、ビジュアルなど、こちらの都合の良いものを当てはめてしまえばいいのです。』
なるほど。一理ある。
※※※
『というわけで、お披露目です。アヤトリ。お兄様にご挨拶を。』
オリガミのその言葉と共に、画面の中に現れた、愛らしい少女がペコリと頭を下げる。
『正太郎様、おはようございます。』
かわいい。
モニターに映し出されたアヤトリは、ネムと同じくらいの背丈の少女だった。
現実世界ではありえない、薄ピンク色の髪。
特徴的なのは頭の上にある大きなお団子ヘアーだ。なるほど、あのお団子がアヤトリの「毛玉」のシンボルということか。
くりっとした大きな瞳に、小さな口と鼻。全体的に小動物のような愛くるしさを感じさせる。
着ている服はシンプルな白いローブ。
こ、これがアヤトリのアバター?い、いいんじゃないかな。
絡まった毛玉より断然いい。助けてやらなきゃという気持ちになる。
「正太郎、よかったな?アヤトリがお前の大好きな女の子になったぞ?」
「否定できない……でも、面白いな……見た目が変わると、ここまで気持ちに差が出るんだな」
VTuberプロダクションの側面を持つ「ドールハウス」の代表が、今さら言うことでもない気もするが。
「まあ、人型ってだけでも違うよな。なんていうか……庇護欲がそそる感じはワタシも好きだぞ?妹って感じだし」
そこで、ネムはいいことを思いついたという雰囲気で、スクリーンの方に身を乗り出す。
「な、なあ?アヤトリ?ワタシのことネムお姉ちゃんって呼んでくれないか?」
「かまいませんよ?ネムお姉ちゃん!」
「ぐふぅ!これは……効くな。いいじゃないか……いいじゃないか!」
『「ネムお姉ちゃん」これからは、そうやってお呼びしましょうか。』
「ああ!頼む!アヤトリの世界のことは、お姉ちゃんが絶対なんとかしてやるからな!」
『ありがとうございます!ネムお姉ちゃん!』
「ぐふぅ!ま、まかせろぅ!」
鼻血でも出しそうな勢いで、ネムが興奮して身をふらつかせた。
なんだ?アヤトリのこの圧倒的な妹力は……オリガミ……大敗北してるぞ……
『お兄様、私だって、喋り方ならなんとでもなるのですよ?今日からアヤトリのような口調にしましょうか?』
「いや、分かってる。分かってるって。俺の妹はオリガミだけだから。な?」
『お兄様が、私のことを、妹っぽくないと思ってます。私は悲しいです。やはり私もアバターがあったほうがよろしいのでしょうか?一応、準備しているものがあるのですが……』
「だからいいって。今のままでいいから。オリガミは今のままで最高だから!」
『そうでしょうか……』
「ああ、そうだよ。オリガミ最高!愛する妹よ!」
『愛する妹ですか……いいですね!』
※※※
『さて、話をもとに戻しましょうか。』
さっきまで妹扱いされなくて悲しい!と大袈裟に嘆いていたのに、オリガミはしれっと話を戻そうとしている。
うーん。感情が薄いというか。切り替えが早すぎるというか。
……まあ、俺にとっては、オリガミがどんな存在であろうが、大事な妹であることに変わりはないのだが。
オリガミは続ける。
『B世界のユークンですが、そろそろお告げが必要になりそうです。』
『その前に、ユークンの生活のダイジェスト版映像をご覧になりますか?』
「ああ、頼むよ」
前回の段階で、力をつけ、村の中で生きていけるだけの術を得たユークン。
あれから、B世界では、半年ほどが経っただろうか。
今はどうなっていることだろう。……そう楽しみにしていた俺とネムは見てしまった。
モニターに映し出される、あまりにも激烈で、壮絶な映像を。
ユークンがここ数カ月で歩んできた、魔糸制作と復讐の軌跡を。
※※※
まずは、マオートコと関係を持ち、托卵を画策したカルシーリだ。それが、かつての毒気はどこへやら、健気な女へと変貌していた。
『ユークン!見つけたよ!あの幼虫の調理法、見つけ……っ』
だが、その笑顔は一瞬で凍りつく。
ユークンが他の女性と夜を過ごしていたからだ。
『な、なにこれ……!すごい!こんなの初めてぇ!ユークン、すごいぃぃ!』
それを見ても、彼女はユークンを責めない。「ごめん」と謝って外に出ていこうとする。
カルシーリの心を、完全に自分へと向けさせることに成功した証だ。
だが、エグいのはこれからだ。
ユークンはそんな彼女を引き止め、自分たちの夜の一部始終を見せつけたのだ。
もうカルシーリのメンタルはボロボロだろう。
そしてとうとう行われる、カルシーリによる裏切りの「懺悔」。
そこからは、ユークンによる「許し」の儀式だ。
映像の中で、ユークンがゆっくりと諭すように話す。
『前も言ったけど、これからは「信頼できる人」とだけ付き合うつもりなんだ』
『でも……人じゃないなら……ペットなら……信頼とか関係なく、これからも付き合っていけると思うんだよね……』
『よし、決まりだ!じゃあカルシーリは今日でおしまい。昔のカルシーリはいなくなった!今日からイヌシーリだ!僕の犬だ!いいね!』
これが、カルシーリの一連のペット化の流れだ。
何度も似たような展開を見てきた俺には、分かってしまう。これは洗脳の一種である。
徹底的に叩き落として、救いの手を差し伸べ、こちらに依存させる。
なんて典型的で、しかし効果的なパターン。
実に見事な「ざまぁ」だ。いったいどこで身につけてきたんだろう。
これが高い情報指向性を持つ人間の性質なのだろうか。ということは、俺も同類ということか?
……正直言って、ユークンと同じような状況になれば、同じようなことをしてしまいそうだ。
魔導師適性の高い人間というのは、業が深いのかもしれない。
※※※
次は、ユークンがマオートコにしたことだ。
まずはマオートコの婚約者であるマリーと夜を過ごした映像を、ユークンは事象記述操作で見せつけた。
『マオートコこれ見て?』
『ん?なんだ?魔法?おまえ魔法まで!?くそっ!』
ユークンが使っているのは、こういう裏切りには秘密録画だろと思い、いわゆる監視カメラ的な使い方をするように与えた記述操作だった。
『『すごい!すごい!ユークン、好きになっちゃう……!』』
映像からは、耳をつんざくようなマリーの熱を帯びた歓喜の声が聞こえてくる。
当然、マオートコは怒りを隠さない。
『て、てめぇ!俺も、まだマリーと夜を過ごせてないのに!』
『あれ?そうだったの?ご愁傷さま。お先にいただいたよ。すごい良かったよ?あ、でもマオートコは、マリーさんと夜を過ごせないと思うよ?カルシーリとのこと伝えといたから。マリーさん怒ってたなあ……』
煽り散らかすユークン。
『おまえ!ぶっ殺す!』
激情に駆られたマオートコは刃物を手にユークンに飛びかかる。魔導師相手に勝ち目などない。それでも止まらない。
パンッ!
そんな自分を殺そうとしてきたマオートコに応戦し、ユークンはその急所を爆破する。
エグい。エグすぎる。
『最初に刃物持ち出してきたのは君だよ?これは、正当防衛だからね?』
『このままじゃ出血多量で死んじゃうよ。もうちょっと焼くからね』
そうして、表情を変えずに、マオートコの急所をじっくりと炙り出すユークン。悶え苦しむマオートコ。
『ふう……これで止血は出来たかな。出血多量で死なずに済んだよ。良かったね。僕、マオートコの命の恩人だね?』
そんなマッチポンプを行い、感謝を強制するユークン。
『あ、あ、あ、ありがとうございます!ありがとうございます!ありがとうございます!』
うーん。実にサイコだ。
マオートコを挑発してからの、マオートコのジュニア爆散の流れ。
あくまでこちらは被害者であり、殺そうとしてきた相手から身を守っただけである。そのうえ、自分を殺そうとしてきたマオートコの命を救ってあげるという善人ポジションの確保。
この件について、ユークンへ文句を言うなんて、誰にもできないだろう。
あまりにもスムーズな流れ。ユークンは、きっとこれを全部計画してやってるんだろう。
これも、見事なざまぁだ。
だが……さすがに急所破壊は……エグい……。男としては見てるだけでしんどい。ユークン、過激すぎだろ……。
※※※
ネムが、身体を少しだけ震わせながら、俺にすがりついてくる。
「な、なあ、正太郎。こいつ、ヤバくね?」
「ああ……ヤバいな」
「正太郎よりよっぽどヤバくね?」
「俺とこのユークンを比較するなよ……で、でも、これで『ざまぁ』完了ってことでいいよな?」
「いいと思うけど……これで『ざまぁ』じゃなかったら、何が『ざまぁ』なんだって感じだし」
そうだよな?問題ないよな?これで「禁欲」から解放されるんだよな?
「正太郎、良かったな?」
「いやっほうぅ!じゃあ、今夜よろしくな!」
大喜びする俺に、ネムは呆れたような声を出す。
「オマエ……あんなマオートコの急所消し炭映像を見て、よく平気な顔してられるな?」
それとこれとは話が別だ!
この程度のことじゃ、俺の夜の大運動会への情熱は抑えられないのだ。
※※※
『お兄様、夜のことはまた後ほどお話ください。』
冷や水を浴びせるような冷静な声が、浮かれきった思考を引き締める。
『今は、お告げの準備を。ユークンへ全面協力するように、神殿側へのお告げを。』
オリガミの言う通りだ。いまはお告げミッションの直前だ、気を抜くわけにはいかない。
俺は軽く頭を振り、意識をパンパンと叩いて切り替える。
B世界の様子を確認しつつ、改めて今回の目的を反芻する。
「協力して魔結晶作成を進めるように言い含めればいいんだな?」
『はい。あと、イヌシーリに許しを与えた方がいいかもしれませんね。イヌシーリが神殿側からつっつかれると、ユークンが怒って、魔結晶作成チームのパフォーマンスが落ちるかもしれません。』
「それはありそうだな。イヌシーリに俺から直接許しを与えることで、神殿側がイヌシーリに手出しできなくさせるわけか」
『はい。お兄様の仰るとおりです。お願いしても、よろしいでしょうか。』
オリガミの言葉に、俺は居住まいを正した。
さあ、遊びの時間は終わりだ。ここからは、神の代理人としてのロールプレイだ。
「問題ないよ。じゃあ、始めようか」
『リアルタイム映像、出ます。』
モニターのウィンドウが切り替わり、集まって何やら話しあっているユークンたちの姿が大きく映し出される。
緊張した面持ちのキジアスと、上品に笑うサルーナ。そして、無表情のユークンと彼に身を寄せるイヌシーリだ。
オリガミが言う。
『マイク出力いつでも可能です。』
「オンにしてくれ」
『マイク出力をオンにしました。お告げの準備、完了しました。』
さあ、頑張ろう。
※※※
映像の中では、お互いの自己紹介が行われていた。
『使徒様。自分、キジアスと申します!聖女様の護衛をさせていただいているものです!どうぞ今後ともよろしくお願いします!』
『私めの名前はサルーナと申します。使徒様、これからもどうぞよろしくお願いいたします』
そこで俺は気付いてしまった。気付いてしまったのだ。
「……"イヌ"シーリに"サル"ーナに"キジ"アス……?イヌとサルとキジをお供に?…………も、桃太郎かよ!」
その言葉が口をついて出た瞬間、ネムもアヤトリも目を見開いてこちらを見る。「なにやってんだ」という顔。室内には妙な静寂が流れた。
しまった。心の声が表に出てしまった!変なツッコミ精神が宿ってしまった!
オリガミの『はあ……』というため息を聞かなかったことにして、俺はなんとか誤魔化すようにお告げへとつなげる。
「……ゴホン!……ゆ、ユークンよ……お前のケジメ……見届けたぞ……見事だった……」
そんな焦っている俺を他所に、ネムとオリガミの会話が聞こえてくる。
「ぶぷぷぷ……たしかに、桃太郎だな。な、なんだコレ?偶然か?偶然なのか?オリガミの仕込みか?」
『私は何もしておりませんよ?名前に関しては翻訳はイヌシーリの"イヌ"の部分しかいれてないです。』
「ぐ、偶然かよ!くっくっくっくっ!面白すぎるだろ……!」
くそう。ネムめぇ。他人事だと思って呑気に笑いやがって……今夜は「おほぉ♡」の刑確定だな。
俺は、そんなことを考えながら、注意深くお告げを行ったのだった。
※※※
無事、お告げを終えた後のこと。
スクリーンではB世界の面々の会話の様子が映し出されていた。
ユークンが口を開く。
『それにしても……ショタロ様が仰ってた「モモタロ」ってなんなんでしょう?聖女様、ご存知ですか?』
『いえ……存じ上げませんが……イヌシーリとサルーナとキジアスをお供に……と仰っていました。つまり我々三人の上位者……きっと使徒様……ユークン様のことでは?』
『おそらく……ショタロ様が下賜された、使徒様の聖名ではないでしょうか?』
『ええ……王族や貴族に姓があるように……ショタロ様は、使徒様にもそれをお与えになられたのでは?これからは、ユークン・モモタロとして名乗れということではないでしょうか』
な、なんなんだ。その超解釈は。そんなことはこれっぽっちも思ってないぞ。
『ユークン・モモタロ……僕の新しい名前……』
そんな風に真面目につぶやくユークン。
その瞳には、目をキラキラさせた純粋な光が宿っているように見えた。
逆NTRを見せつけ、間男に急所破壊なんてことを平然とやってのけるサイコなユークン。
ピュアなところとサイコなところのギャップ、そして「ユークン・モモタロ」という激熱ワードに、とうとう俺は耐えきれなくなってしまった。
「……ぶふおぉ!……」
思わず吹き出してしまったのだ。
『い、いまの、ショタロ様ですか!?』
『ええ!尊い吐息を感じました!』
え?まだ、向こうに聞こえてる?しまった。マイクオフ!マイクオフだ!
『ショタロ様……ユークン・モモタロとして生きていけということなのでしょうか……?』
『ユークン・モモタロ様……ああ、なんて尊いお名前……まさに使徒としてふさわしいご尊名です……』
そして……B世界の命運をかけた魔結晶作成のための「チーム・モモタロ」がここに誕生したのだった。
※※※
俺のたった一言のうかつな発言が、世界を変えてしまう。
オリガミが伝えたかった教訓は、こういうことだったのかもしれない。
上に立つ者の言葉は、それだけ重いのだ。
今回は……まあ、名前程度で済んだ。
だが、何か致命的な影響を与えてしまうリスクもある。これからは、もっと発言に気をつけなければいけない。
責任ある立場を全うしなければ。
この「アヤトリ救済計画」にはB世界の命運がかかっているのだから。
『ネムお姉ちゃん!正太郎様、面白いですね!』
「そうだろ?ワタシの旦那様は面白いヤツなんだよ。桃太郎とか……ぷふぅ!やっぱり、正太郎は最高だな!」
……これ、絶対に褒められてないやつだ。
それから……アヤトリ、能天気すぎない?お前の世界のために俺、頑張ってるんだけど?
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