イヌシーリ爆誕(ユークン視点)
カルシーリが帰った後のことだった。
コンコン。
扉がノックされる音が、静かな夜に響いた。
「はい。どちらさまですか?」
「ユークン、私だ。村長だ」
扉の外から聞こえてきたのは、予想外の声だった。
「村長?こんな時間にどうされたんですか?」
僕は扉を開ける。そこには村長とマリーさん、軍人のような大男。
そしてその間に、金の縁取りが施された純白のローブを、目深にかぶった人物が立っていた。
なんだろう、この場違いな装いの人たちは?お貴族様かな?
「いや……実は、高貴なお方がお前を尋ねて来られてな……」
「高貴なお方ですか?」
「ああ……。おまたせして申し訳ありません。聖女様、こちらがユークンです」
村長が恭しくそう告げると、ローブの人物がフードを外した。
月明かりに照らされたその美しさに、僕は一瞬息を呑む。
白銀の髪がサラリと流れ落ち、陶器のような白い肌が夜の闇に浮かび上がる。
その瞳は深い青色をたたえ、吸い込まれそうなほどに美しい。
そして何より、ローブの上からでもわかる豊かな胸と、対照的にキュッと引き締まったウェストが、聖女という言葉とは裏腹な、背徳的な魅力を放っていた。
「せ、聖女様?」
「使徒様。お迎えに上がりました」
鈴を転がすような声で、彼女はそう言った。
その声は、耳の奥をくすぐるように甘く、それでいて不思議な威厳に満ちていた。
「し、使徒?どういうことですか?」
「ユークン様はショタロ様の使徒であられますよね?」
「ショタロ様!ショタロ様をご存知なのですか!?」
その名が出た瞬間、僕の警戒心は、爆発的な驚きと、込み上げるような歓喜へと変わった。
「ええ、先日、お告げがございまして。ショタロ様の使徒であらせられるユークン様を、学園都市へとお連れし、研究出来るようにはからえと」
「急なことで申し訳ございません。もう一度確認させていただきたいのですが、ユークン様はショタロ様の使徒であられますよね?」
そういえば、ショタロ様は『女』を迎えによこすって仰ってた。まさか、その『女』というのが、この聖女様のことだったのか?
僕は居住まいを正し、真剣な表情を作る。
「聖女様、僕はショタロ様の使徒かどうかはわかりません。ですが……ショタロ様に何度もお告げをいただき、その通りに行動しております」
「ああ……やはりショタロ様の使徒様です……。間違いありません!やっとお会いできました……」
聖女様は音もなくその場に跪き、まるで神に祈りを捧げるかのように、震える手で胸の前で組んだ。
その瞳には、うっすらと涙さえ浮かんでいる。
「せ、聖女様、僕なんかに跪くのは、やめてください!偉大なのは、僕じゃなくて、ショタロ様です!」
「なんて謙虚なお方でしょう……さすが使徒様……」
使徒……僕がショタロ様の……?
「確かに僕にも、学園へ行って魔結晶の研究をしろというお告げが、ショタロ様からありました」
「やはり!では、学園に来てくださるのですね!」
「もちろんです。僕の使命でもありますので。ただ……」
「ただ?なんでしょうか?」
聖女様は不思議そうな顔をする。
「ショタロ様と約束させていただいてることがありまして、それが片付くまで少しだけ待っていただけますでしょうか?」
「……なんと……ショタロ様とのお約束なら、絶対に達成させなければいけませんね?わかりました。では、その約束が果たされるまで、この村に滞在させていただきます。キジアス、よろしいですね?」
聖女様は護衛と思われる大男の方を向いて言った。その声には拒絶を許さない、絶対的な威厳があった。
「はっ!聖女様の御心のままに!」
そんな彼は、野太い声で短く応える。おお、騎士だ。騎士っぽい。カッコいい!
僕は、そんな高揚した気持ちを抑え、聖女様に言った。
「申し訳ございません。できるだけ早く約束も果たしますので」
「使徒様……お心遣いありがとうございます。ですが、私どものことなどお忘れになって、約束の方に集中ください。ショタロ様と使徒様のためなら、いくらでもお待ちいたします」
※※※
聖女様たちが帰り、静寂が戻った部屋で、僕は一人呟いた。
「ふう……なんか、えらいことになったな」
「ね〜えらいことになっちゃったね〜」
部屋の奥から、間延びした声が聞こえてきた。
「あれ?マリーさん、村長さんたちと一緒に帰ったんじゃ……」
「私の用事は別口だからね〜」
「そうなの?あ、魔糸の件?」
「そう〜だって、ユークン、学園行っちゃうっていうじゃない〜魔糸作れるのかな〜って思って」
マリーさんは、僕のベッドに腰掛け、足を組んでこちらを見ている。
ランプの灯りに照らされたその太ももが、露骨に艶めかしい。部屋には、先程の清廉な香りとは違う、濃厚な薔薇の香水の匂いが漂い始めていた。
「あの、マリーさん。学園ってそんなに遠いところにあるんですか?」
「そんなことないよ〜。私も学園都市には商談によく行くしね〜」
「そうなんだ!よかった!じゃあ、魔糸固定の事象記述操作は、僕が学園都市でやるよ。僕のところに、原魔糸だけもってきてくれないかな?」
「よかった〜安心したよ〜」
「約束や信頼を裏切るようなことはしたくないからね。その件については、心配してたんだ。学園都市が近くで良かったよ」
「近くじゃなかったら、どうしようと思ってたの〜?」
マリーさんが体を乗り出してくる。胸元の強調された服から、甘い匂いが香ってくる。
「事象記述操作式を渡そうかなって思ってた。ショタロ様は、文明の発展を望んでおられるようだったから」
「そ、そんな貴重なものを、私に〜?」
「マリーさんがいなければ魔糸は完成しなかったし、当たり前だよ」
僕がさらりと言うと、マリーさんは少し驚いたような顔をして、それから妖艶に微笑んだ。
「……ねえ、ユークン。やっぱり、私と結婚しない〜?」
「駄目だって。カルシーリがいるし」
「じゃあ、せめて、お姉さんと夜を過ごしてくれないかな〜?」
「え?それは、うれしいけど何で?」
「多分、ユークンってもっともっとすごい人になると思うんだよね〜だから先行投資〜」
「せ、先行投資?」
「そう〜ユークンって仇には仇を、恩には恩をタイプでしょ〜?だからね、私といい時間を過ごして?そして私に恩を感じて〜?」
マリーさんが立ち上がり、猫のように音もなく僕に近づいてくる。
「何も約束できないですよ?」
「それでもいいよ〜?ああ、マリーお姉さんは特別だなあ、なんて思ってくれれば、多分いいことあるから〜」
マリーさんの手が、服の隙間から滑り込んでくる。
ひやりとした指先が直に肌を這う感触に、背筋がゾクリと震えた。
男を誘惑するのって、こうやってやるのか……これはクるものがある。
「わかりました。僕もカルシーリ以外と夜を過ごしてみたいと思ってたところなんですよ」
「そうなの〜?マオートコとカルシーリが関係してたから〜?」
「やっぱり、マリーさんも知ってたんですね。……カルシーリに関しては、もうあんまり怒ってないんですよ。いろいろ尽くしてくれましたし」
「そうなんだ。じゃあ、男としての本能〜?」
「もちろん、魅力的な女性と夜を過ごしてみたいという気持ちはあります。でも……それよりも……」
「それよりも〜?」
「僕が持ってる、女性を気持ちよくさせる技術が、他の女性でも通用するのか。それが知りたいんです。僕はカルシーリしか知らないので」
「なにそれ〜。お姉さんを気持ちよくしてくれるの〜?楽しみだなぁ〜?」
マリーさんは余裕の表情で、僕の耳元に囁いた。
※※※
その数十分後……
「……っ、すごい……」
部屋に、熱を帯びた声とベッドが軋む音が響き渡る。
「なるほど……カルシーリと随分違うな……」
「なにこれ……すごすぎ!」
「ここはどう?」
「すごい!すごい!ユークン、好きになっちゃう……!」
「こうするのは?」
「なに……?なにそれぇ……!」
ふむふむ。やはり人の反応には個体差あるなあ。勉強になる。実に面白い。
※※※
そんなときだった。
勢いよく開け放たれた扉が、壁に当たって乾いた音を立てる。
そこから、満面の笑みを浮かべたカルシーリが飛び出してきた。
「ユークン!見つけたよ!あの幼虫の調理法、見つけ……っ」
だが、その笑顔は一瞬で凍りつき、足音がピタリと止まる。
「な、なにこれ……!すごい!こんなの初めてぇ!ユークン、すごいぃぃ!」
カルシーリは、僕とマリーさんが身体を重ねている姿を見て、呆然とした顔で立ち尽くしていた。
カラン……コロコロ……。
彼女の手から、木製の容器が滑り落ちる。
床に落ちた衝撃で、中から丁寧に調理された幼虫が散乱した。香ばしい香りが、この場には不釣り合いに漂う。
カルシーリは、僕とマリーさんの姿を見て、目を見開き、愕然としていた。
「ご、ごめんね……邪魔しちゃって……帰るね……ぐすっ!」
カルシーリは顔を歪め、その大きな瞳を潤ませ、逃げ出すように背を向けた。
「あ、それ幼虫食?もうちょっと待ってて、すぐに終わらすから」
僕は、まるで天気の話しでもするかのように、その背中に声をかけた。
「行くよマリーさん。ふっ!ふっ!ふっ!ううっ!」
「……っ、すごい……」
マリーさんが一際高い声を上げ、ベッドに倒れ伏せる。そして部屋に静寂が訪れたのだった。
※※※
カルシーリは、魂が抜け落ちたような虚ろな瞳で、事後の僕たちを凝視していた。
「ゆ、ユークン……」
「ふう、カルシーリお待たせ。幼虫食作ってきてくれたの?」
僕は、ベッドにマリーさんを残し、笑顔でカルシーリに話しかけた。
「うん……ぐすっ!」
カルシーリは、涙をポタポタとこぼしながら、その場に立ち尽くしていた。
「どれどれ……」
散らばった幼虫を一つ拾い上げ、僕は口に放り込む。
「おいしい!おいしいよ!カルシーリ!本当にありがとう!」
「……ほ、本当?」
「うん!さすがカルシーリだ!愛してるよ!」
「あ、愛してる……?本当に……?」
「もちろんだよ。でも……愛ってなんだろう?最近、よくわからないんだよね」
僕の、その言葉を聞いた瞬間だった。
カルシーリはその場に崩れ落ちた。
「あ、あ、あああああ!!ごめんなさい!ごめんなさい!ユークン!私、私!マオートコと関係を持ってましたぁ!」
喉が裂けんばかりの絶叫と共に、彼女は全てを告白し始めた。それは魂が砕け散るかのような悲痛な叫びだった。
「……」
「マオートコとの子供を!ひぐっ、ううっ!ユークンと育てようって!思ったこともありましたぁ!あああああ!!!」
……自分から言ってくれたんだ。これで、可能性が繋がった。
「カルシーリ。知ってたよ」
僕は短く、淡々と言った。そこには驚きも、怒りも、悲しみさえもなかった。ただ、知っていたという事実を言葉にしただけだ。
「じゃあ!じゃあ!なんで!なんで、そんなに優しくしてくれるの!?こんな!こんなひどい女に!裏切り者に!」
カルシーリは、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、僕に向かって叫んだ。
「カルシーリが僕に尽くしてくれたからかな。ショタロ様の使命達成の手伝いをしてくれたから。だからだよ」
言葉を続ける。
「そんな……手に火傷まで負って……ボロボロになって……そんな子なら優しくしちゃうでしょ?」
「だから、気にしなくていいから」
そんな僕の言葉に、カルシーリはポロポロと大粒の涙を流す。
「うっ!うっ!うっ!うっ!」
カルシーリの悲痛な鳴き声は、中々泣き止まなかった。
※※※
「それより……カルシーリ、僕、学園ってとこいって研究しなきゃいけないんだ。だから明日この村を出るよ」
僕の言葉を聞いて、カルシーリの顔色が変わる。血の気が引き、蒼白になった。
「そ、そんな!私も連れてって!ユークンと離れ離れになるなんてやだよう!ユークンがいなきゃ、生きていけない!」
「うーん。連れていけるかどうかは、カルシーリ次第かな」
「な、なんでもする!なんでもするからぁ!連れてってぇ!メイドでも小間使でも奴隷でもいいからぁ!」
「僕さ、『信頼できる人』とのみ付き合いたいと思ってるんだよね」
「裏切るつもりなんて、なかったんだよ!でも……信頼できないと思われても仕方ないのはわかってる!でも、お願い!お願いだからぁ!捨てないでぇ!なんでもするからぁ!」
カルシーリは這いつくばり、僕の足にすがりついてきた。プライドも何もなく、ただ必死に許しを乞う姿は、以前のカルシーリの姿からは考えられないものだった。
「まあ、カルシーリは僕のため頑張ってくれたからなあ。この幼虫食、作ってくれたしね。本当に、信じられないくらい美味しくなってるね!」
僕はパクりと、もう一匹の調理済の幼虫を口に放り込む。
なんだか、スナック菓子みたいな感じだ。ポリポリいける。
「ぐすっ!ぐすっ!ありがとう……お願い……ユークンと……ユークンと離れたくないよぉ」
「前も言ったけど、これからは『信頼できる人』とだけ付き合うつもりなんだ」
「嫌だよぉ!離れたくないよぉ!」
涙をボトボト流しながら、僕にすがりつくカルシーリ。
その必死な姿は、まるで捨てられるのを恐れて必死に媚びる飼い犬のようだった。
ああ、やっぱりカルシーリしかいない。僕の犬になれるのはこの子だけだ。
僕は、泣きわめく彼女に優しく微笑みかけ、少し間を置いて切り出した。
「でも……人じゃないなら……ペットなら……信頼とか関係なく、これからも付き合っていけると思うんだよね……」
僕はしゃがみ込み、涙で濡れた彼女の頬を指で拭った。
「え?ペット……?」
僕の言葉にキョトンとした顔になるカルシーリ。
「そう。ペット。カルシーリ、僕のペットになってくれない?そして、一緒に学園にいかない?僕もカルシーリと離れたくないんだよ。幼虫食も作ってもらわないといけないしね?」
カルシーリはペットになるということの意味について考えているようだった。
人としての尊厳を捨てるか。それとも、大切な人と離れ離れになるか。
濡れた瞳が揺れるが、すぐにその目に決意がこもるのがわかった。
「なる……ペットになる!ユークンのペットになるよ!」
「よし、決まりだ!じゃあカルシーリは今日でおしまい。昔のカルシーリはいなくなった!今日からイヌシーリだ!僕の犬だ!いいね!」
「わ、分かった!ううん……わん!」
「ああ……愛してるよ、イヌシーリ。いい子だ。僕、昔から犬が飼いたかったんだよね。犬は、主人を絶対に裏切らないからさ。ほら〜イイコイイコ〜!」
「はっ♡はっ♡はっ♡はっ♡」
頭を撫でられる感触に、イヌシーリは恍惚とした表情を浮かべた。自ら頭を擦り寄せてくるその仕草は、まさに忠実な犬だった。
彼女はもうカルシーリではない。カルシーリは死んだ。
彼女は、イヌシーリだ。僕の犬だ。これで、彼女をまた愛せる。
聖女様が跪いたときのような神々しさはない。けれど、涙と鼻水にまみれて、惨めに僕を見上げるこの姿も、また僕にとっては美しいものだった。
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