禁欲やめたい!
『お兄様、そろそろ次のお告げが必要になりそうです。オペレーションルームへ、お越しいただけますでしょうか?』
寝起きでボーっとしていたとき、ネムに夜のオトナ部屋と言われた自室に、オリガミからのアナウンスが響いた。
お告げが必要ということは、魔糸ができそうなのか。
さすがユークンだ。「ざまぁ」達成による、俺の禁欲解除もそう遠くなさそうだ。
顔を洗い、軽く髪を整え、オペレーションルームへと向かう。
着いた部屋には、既にネムがソファに座ってコーヒーを飲みながら、俺を待っていた。
「おはよう、ネム」
「ああ、正太郎。おはよう」
そんな朝の挨拶を交わす。
オペレーションルームは、B世界のアヤトリと交流を持って以来、俺たちが頻繁に出入りするようになった部屋だ。
壁面は、無数のモニターによって埋め尽くされている。中央には、ゆったりとした革張りのソファとローテーブル。
部屋の隅にはコーヒーメーカーと、低い唸りを上げる冷蔵庫が設置されていた。その脇には仮眠室へと続く扉も見える。
正面の巨大な画面には「光る毛玉」こと、情報記述式AIの『アヤトリ』が映し出されている。
今日もグシャグシャになった糸が、ピカピカと明滅を繰り返していた。
※※※
そんな中、俺とネムはソファに並んで座り、ユークンの生活のダイジェスト映像を確認していたのだが……。
モニターに映し出されるその姿に、俺たちは戦慄していた。
「な、なあ?正太郎、お前とんでもない男を目覚めさせちまったんじゃないか?やっぱり、女たらしが導くと、女たらしが生まれるのか?」
隣に座るネムが、コーヒーカップを持つ手を震わせながら俺を見る。
『すばらしいですね、お兄様。お兄様ももっと、女性と子作りしていきましょう。ふふっ。』
『やはり繁栄のためには生殖行動は必須です!ユークン、わたくしの世界の魔導師候補として誇らしいです!』
オリガミとアヤトリの称賛の声が、頭上とスクリーンから降り注ぐ。AIってのは、みんな人間に子作りをさせたがるものなのだろうか?
俺は頭を抱えたくなりながら、深くため息をついた。
「待て。君たちは勘違いしている」
「勘違い?どこがだ?」
ネムはジト目で俺を見て言う。
「俺は女たらしじゃない!ユークンも女たらしじゃない!」
俺はソファから立ち上がり、拳を握りしめて訴えた。
「だってさあ、女の子をあんなベッドの上で骨抜きにしてさあ。女たらしにしか思えないんだが」
「ネム。女たらしの定義が間違っているぞ」
きっぱりと否定する俺に、ネムは怪訝そうな顔をする。
「定義?」
「ああ。女たらしってのは……あちこちの女性を口説いて、次々に手を出す男のことを言うんだ!」
俺は力説する。そう、これは重要なことだ。
男としての尊厳に関わる問題なのだ。
「そ、そうなのか?女の子をベッドの上でアレし続けるのが女たらしじゃないのか?」
「そうだ。それは女たらしではない。ただの絶倫だ」
絶倫……で合ってるよな?正直、自信がない。
だが女たらしでないことだけは確かだ。
「つまりだ……俺の経験人数は二人だし、ユークンの経験人数はたったの一人だ」
俺は人差し指をビシッと突き立て、高らかに宣言する。
「ユークンの名誉のためにも、これだけは宣言しておきたい。俺とユークンは断じて女たらしではないのだ!」
※※※
「そうだったのか……くっ!ワタシとしたことが……調べもせずに思い込みで人に間違ったレッテル貼ってしまった……」
思い込みで語ってしまった自分自身が恥ずかしいのかもしれない。
「研究者として失格だな。正太郎、ごめんな?」
ネムがシュンと肩を落とし、しおらしく謝る。
「いいんだよ、ネム。誰にだって間違いはある。天才と呼ばれるネムだって、こんな下世話な話題は専門分野の外だろ?間違ってもしょうがないさ」
女たらしの専門分野ってなんだよ、と自分でも思うが、俺は聖人のような慈愛に満ちた表情でネムに語りかけた。
「正太郎……優しいんだな……」
そんなネムに俺はチャラい言葉でフォローする。
「俺が優しいのはネムがネムだからだよ。当たり前じゃないか……」
ネムが頬を染めて俺を見上げる。
上目遣いのその瞳は、とろりと潤んでいるように見えた。
甘い雰囲気が、俺たちの間に流れる。
俺はそんなネムの細い顎を指ですくい上げ、その艶やかな唇を奪おうと顔を近づけた――そのとき。
『お兄様?禁欲の最中ではないのですか?』
そんな俺たちの世界を、冷水を浴びせるような無機質なオリガミの声がぶち壊した。
「ぐぅ!」
「正太郎、禁欲中だったのか?どうして禁欲なんだ?ケダモノの正太郎らしくもない」
ケダモノって言うなよ。俺らしくもないってどういうことだ。
「だってさ、ユークンがカルシーリとマオートコのピロートークを聞かされた時……あいつら、あろうことか『托卵』の話までしてただろ?もうユークンが不憫すぎて」
あのときは本当に同情したものだ。
「なんかネムと千穂に癒やされまくってる俺が、ユークンに上から色々指示するのに後ろめたいなんて思っちゃってさ……」
「だからユークンの『ざまぁ』が完了するまで、俺も禁欲しようと思ったんだよ」
「なるほどな……正太郎らしいな」
あのときは、正しい選択だとおもったんだけどなあ。
『そんなことをしても意味はないと、私からは申し上げたのですが……。』
そんなオリガミの言葉の後に、アヤトリが申し訳なさそうに言う。
『わたくしの世界の魔導師のために、申し訳ございません……』
しかし、俺の考えは変わった。画面の中のユークンを見てしまったからだ。
「今、俺は思ってるんだよ。ユークンがあれだけ女の子と好き放題してるのに、果たして俺は禁欲なぞする必要があるのかと」
「……」
俺の言葉に、一瞬の沈黙が落ちた。
その静寂を切り裂くように、俺は高らかに宣言した。
「という訳で決めた。今日から俺は禁欲を止めたいと思う!」
だが、俺の想定とは真逆の反応が返ってくる。
『お兄様、それはいけません。自分で決めたことは、自分で守りましょう。』
『オリガミお姉様の仰るとおりです!決めたことは守りましょう。』
「そうだぞ!正太郎。決めたことは守ろう!どうせ、あと数日なんだろ?それぐらいは我慢しろよ?」
三人からの総攻撃に、俺はたじろぐ。
無言の圧力ならぬ、有言の圧力が痛いほど刺さる。
「やっぱり?やっぱりだめ?禁欲の誓いなんてするんじゃなかった……」
「まさかユークンがあそこまでタフな男とは思ってなかったんだよなあ」
ガックリと肩を落とす俺に、アヤトリが誇らしげに言う。
『まあ、わたくしの世界で見つけた最高の「情報指向性」の持ち主ですからね。それくらいは当然かと。』
「そう、それだよ。情報指向性ってなんなんだ?」
ネムがモニターに見を乗り出して、質問する。
それだ。俺もずっと気になっていた言葉だ。
※※※
『正太郎様、情報指向性というのは……えっと正太郎様の世界の言葉で言うとどういう風に説明したらいいのでしょうか?』
アヤトリが、説明に困ったような様子になる。
『アヤトリ。お兄様たちには私が説明します。』
『オリガミお姉様……よろしくお願いします。不甲斐なくて申し訳ありません。』
『アヤトリ。気にしなくていいのですよ。計画の進行上、私はあなたの世界のことをしっかり調査してますけど、アヤトリはそうでありませんからね。』
『……オリガミお姉様、お気遣い感謝いたします。』
互いを気遣い合うAI姉妹の姿。それは、素直に尊いと思える光景だった。
「お前たち、仲いいなあ」
『はい!わたくしはオリガミお姉様を尊敬していますから!』
画面の中で、アヤトリがピカピカと激しく明滅して喜びを表現する。
一方のオリガミは、珍しく無反応だ。
真っ直ぐな好意をぶつけられ、対応法がわからないのかも知れない。
もしくは、単に照れているだけか。
少しの沈黙の後、オリガミがごまかすような間を置いて、再び声を発した。
『ではお兄様、話を戻して情報指向性について説明させていただきます』
「ああ。頼む」
うーん、アヤトリのような純粋な人格肯定の言葉って、オリガミにかけたことないかもなあ。
兄として、そういうもの意識しなきゃ駄目かもしれん。
※※※
オリガミは、何事もなかったかのように淡々と説明を始める。
『情報指向性というのは、現象をデータとして捉えることができる才能のことですね。』
「現象をデータとして?」
俺が聞き返すと、オリガミは説明を続ける。
『はい。この情報指向性が高い人間は、悲劇やトラブルも「一つの事象」として客観視するため、動じません。たとえ動じたとしても、そこからの回復が早いのです。これは、感情を「処理すべき信号」として扱うからですね。』
オリガミは淡々と、しかし確信に満ちた口調で続ける。
『また「ハック思考」が高い傾向があります。「こうすればどうなる?」という実験精神が高いため、世界の常識を疑い、裏をかく発想を持ちます。そのため、既存のものではなく「新しいもの」を生み出す可能性が高いのです。』
「わかったような、わからないような……」
『例えば……そうですね……ユークンは情報指向性が極めて高い人間です。そのため、たとえ托卵を企てられたとしても、今は気にもしていないでしょう?むしろ、カルシーリを通じて、人の反応を観察したり、夜の技術向上の実験対象として利用しています』
『不味い幼虫も、そのまま「不味い幼虫」として食べるのではなく、なんとか美味しくして食べられる方法はないか?そう模索する傾向が高いということですね。』
アヤトリが補足する。
『彼らにとっては、感情も一つのデータでしかないのです。』
「なるほどな……理解はしてないけど、イメージはできたよ。でも、俺やネムが情報指向性が高いというのは、どういうことだ?」
『それはもう、あからさまではないですか。お二人共、メンタルが鋼のように強いですよね?もちろん一時的に塞ぎ込むことはあったとしても、そこからの回復が異常に早い。普通の人間なら、一ヶ月、一年は引きずってしまうようなことでも、三日で復活してしまう。精神回復力……つまりレジリエンスが異常に高いのです。』
「そ、そんなもんかな。なんか頻繁に落ち込んでる気がするけど」
『それは……現在の環境が異常にストレスフルなだけですね。普通の人間は、世界を変えてしまうような、私という存在を受け止められないと思います。』
「だって、オリガミは妹だし」
俺がそう答えると、オリガミは即答してくる。
『そういうところですよ、お兄様。普通はAIを妹としては扱いません。それに……』
「それに?」
『ユークンにカルシーリとの夜の時間を「夜の技術を磨く場」と思えと仰ったのはお兄様ではないですか。』
「そ、そうだった!人としてどうかと思うけど、なんか自然に出ちゃった言葉なんだよなアレ」
『そういうところです。』
※※※
「じゃあ、ワタシは?ワタシはどうなんだ?」
話を聞いていたネムが、興味津々といった様子で身を乗り出す。
自分のどういうところが「情報指向性が高い」と見なされるか、やはり気になるらしい。
『ネムさんも言わずもがなではありませんか。誘拐されても、一時間後には平気な顔をしていましたし、私という存在を受け止めて下さっているのはお兄様と同じです。それに……夜のベッドでお兄様に骨抜きにされても、手を変え品を変え、何度も立ち向かっていくその姿勢です。』
「な、なるほどな?」
褒められている内容が内容だけに、ネムは照れたように視線を逸らして頬をかいた。
『B世界では、そうした資質を持つ者を「情報指向性の高い人間」と定義しています。彼らは常に「新しいもの」を生み出す可能性を秘めています。だからこそ、物事を情報として扱い操作する「事象記述操作」の使い手として適性が高いのです。情報を見抜く目がなければ、世界を記述することなどできませんから。』
「うーん。俺って、物事をデータとして見てるのかな?あんまりそんな実感はないんだけど」
『情報指向性は潜在意識の領域にあるものですから。ご自身で自覚がないのも無理はありません。息をするように自然に行っていることこそが、才能なのです。』
「そういうことか。俺とネムは、その『情報指向性』が高いってことなんだな?」
『ええ。ちなみに、千穂さんもお兄様やネムさんほどではありませんが、相当高い適性をお持ちですよ。』
「そ、そうなのか!?」
予期せぬ千穂の名前に、俺は目を丸くする。
『そうでなければ……胃袋という急所を的確に突き、お兄様とネムさんの心をここまで掌握することなど不可能です。お兄様と千穂さんの関係に、ネムさんの居場所を作ったのも彼女ですし。』
言われてみれば……。
「なんとなく理解した。俺たちは、似た者同士なんだな」
俺がしみじみとそう思っていると、不意にアヤトリが、能天気とも言える明るい声色で爆弾を投下してきた。
『ちなみにですが、突出して情報指向性が高いのは、やはり正太郎様ですね!わたくしの過去の記録を参照しても、正太郎様より高い数値の人間は存在しません!』
「そうなの!?」
「ゆ、ユークンよりもか!?」
俺たちの驚く反応が嬉しいのか、アヤトリは画面の中でピカピカと明滅した。
『はい!』
アヤトリからの衝撃の事実。
人類史上最高と言われても……ユークンよりもってどういうことだ?
あのユークンの姿を見た後では、喜べない。複雑すぎる気分だ。
ネムが一歩俺から離れる。精神的な距離が離れ、物理的な距離に反映されたのだろう。
悲しい……
※※※
そんなときだった。
『――お兄様』
オリガミの声色が、カチリと変わるのを感じた。可愛らしい妹の声から、冷徹なオペレーターの声へ。
『ユークンが魔糸を完成させたようです。次のお告げをお願いします。』
「お、来たか!さすがだな、ユークン!」
俺はパンと自分の頬を叩き、気合を入れる。
「さあ、やるぞ!次のお告げだ!」
早く……一刻も早く禁欲を終わらせるためにも、ユークンにはド派手な「ざまぁ」を決めてもらわなければ!
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