魔導師の片鱗(ユークン視点)
脳髄を震わせるような響きがあった。最初のときと同じ、ショタロ様の御声だ。
『聞こえるか……?ユークン……ユークンよ……』
「は、はいっ!」
『今……お前の頭の中に直接……語りかけている……』
僕は即座に両膝を地に付け、頭を垂れ、両手を組む。
僕が知る、神へ祈るときの姿勢だ。
脳裏に直接、ショタロ様の言葉が染み渡る。
『……変わったな……いい筋肉だ……いい男になったな……』
「ありがとうございます!これもショタロ様のお告げのおかげです!」
『……ふむ……魔糸樫……100本以上……乾燥してるな……よくやった……』
「はい!お褒めのことば、感無量でございます!」
この一ヶ月、来る日も来る日も魔糸樫を切り倒し、運び、整列させてきた。
最初の頃、筋肉痛で動けなくなった自分が嘘のようだ。
今では、斧を振ること自体に一種の『情報の流れ』のようなものを感じている。
『……あの女は……どうだ……』
「はっ。順調に交際を続けております。ただ……その、夜の生活などが辛いですが……頑張っています」
正直に吐露すると、ショタロ様は、慈悲深い答えをくださった。
『……耐えるな…………それを「夜の技術を磨く場」……と思え……』
『……お前の……技術が上がれば……女の心も……得られるだろう……』
「な、なるほど!夜の時間も、研究と修練の場……ということですね!ショタロ様、かしこまりました!」
目から鱗が落ちる思いだった。
そうだ、ただの苦行だと思うから辛いのだ。あれもまた、人間という生物の反応を探る『実験』だと思えばよかったのだ。
『……女の様子……見てみるか……うげぇ……』
ショタロ様の苦々しげな声と共に、空中に半透明の映像が浮かぶ。偉大なる神の奇跡だ。
そこに映し出されたのは、見覚えのある部屋。カルシーリの部屋だ。
『……救えないな……』
僕の目はその映像に釘付けになった。
※※※
部屋には、カルシーリとマオートコがベッドの上にいた。
二人とも、掛け布団で薄く肌を隠していた。
カルシーリがマオートコに腕枕をされて、話し合っている。事後のピロートークというやつだろう。
瞬間、生理的な嫌悪感が胃の腑からせり上がってくる。
ショタロ様の御前で吐くわけにはいかない。僕は必死に嚥下し、感情を殺す。
すると、不思議と衝動はすぐに凪いでいった。
そして……残ったのは、冷徹な観察眼だけだった。
「くそ!ユークンめ!調子に乗りやがって!」
ベッドの上、二人の時間の名残を濃厚に残した部屋で、マオートコが吐き捨てるように言った。
悔しげに歪んだその表情。実に興味深い。
「ユークン最近、いい感じだよね。筋肉もついてきたし、彼女として鼻が高いよ」
「お前もかよ……くそっ!」
「そんなに怒らないでよ。一人目は貴方の子供を生んであげるから。ユークンはちょっと我慢して貰って、二人目からかな?」
カルシーリがマオートコの胸に指を這わせながら、甘えるような声を出す。
映像越しに見るその姿に、僕は以前のような激しい怒りを感じなかった。
自分でも驚くほどに何も感じない。
カルシーリもマオートコも、ただの『観察対象』となっていた。
「なあ、それよりさ。母さんのアクセサリー返してくれよ」
「だめだよ、あれはユークンから貰ったものなんだから。私がつけてないと、ユークンに怪しまれちゃう」
「そうだけどよ……母さんの形見がユークンからお前にいったと思うと、すっげぇ気分悪いんだわ」
「気持ちは分かるよ?でも我慢して」
「頼むからさ!返してくれよ!」
「しつこいなぁ。別にマオートコのものじゃないでしょ?」
カルシーリが少し不機嫌そうに顔をしかめる。
そして、話題を変えるように不安げな表情を作った。
「それに、なんか……最近、ユークンから私への執着がなくなってきてる気がするんだ……」
「そうなのか?お前のために随分お金使ってるみたいじゃないか?」
「でも、なんていうのかな。目が冷たいというか、私に無関心というか。そんな気がするの。今、ユークンに疑われるようなことしたくないんだ」
「た、たしかに、バレたら困るな。ユークン、最近俺の婚約者のマリーとも立ち話してるとこ見かけるし……」
「そ、そうなの!?い、嫌だよ!ユークン取られるの!せっかく、いい男になったのに!」
カルシーリが悲鳴に近い声を上げる。
自分から裏切っておいて、僕が離れていくのは許せないらしい。あまりに身勝手な論理だ。
だが、生存戦略としては理解できる。実に動物的で面白い。
「なあ……俺たち、少しの間、会わないほうがいいかもな……」
「そうだね……私もユークンにもっと好きになってもらうように頑張らなきゃ!」
一糸纏わぬ姿で抱き合いながら、これほど滑稽な会話ができるものなのか。
僕は純粋な知的好奇心を持って、その映像の中の動物たちの生態を観察し続けたのだった。
※※※
プツンと映像が消える。
『……いい傾向だ……女は……お前を……手放したくないみたいだぞ……』
ショタロ様の、愉悦を含んだ御声が響く。
「それでも、一人目はマオートコとの子供を考えてるんですね。実に興味深いですね」
ショタロ様は、感心したような御声を発する。
『……さすがだ……神の目に……狂いは無かった……復讐は……続けるか……?』
「はっ!何事も区切りは必要だと思いますので。それに、自らの尊厳だけはとりもどしたいと思っております」
僕が拳を握りしめて決意を示すと、ショタロ様は満足げに頷く気配を見せた。
『……分かった……』
『……では……次の神のお告げだ……』
「はっ!なんなりと!」
『魔糸樫は……優れた魔導具の素材だ……』
ショタロ様の声の質が変わる。空気が張り詰め、圧倒的な『魔』の気配が場を支配する。
『……魔糸樫をほぐせ……線維としろ……やり方は……送る……』
「送る……?」
――ヴォン!
問い返す間もなく、重低音と共に脳髄に衝撃が走る。
「ぐあああああぁああ!」
熱した鉄杭を頭蓋に打ち込まれたような激痛。
だが、その痛みと共に、言葉ではない膨大な『知識』が濁流のように流れ込んでくる。
『……我慢しろ……少しだけだ……』
「ぐうぅぅぅぅ!」
意識が白濁しそうになるのを、信仰心だけで必死に繋ぎ止める。
神からの賜り物だ。一滴たりとも零してなるものか。
数秒か、数時間か。
永遠にも感じる時間が過ぎ、不意に痛みは霧散した。
「はあっ、はあっ、はあっ!」
僕の荒い息が収まってきた頃、ショタロ様の声がふたたび脳に染み渡る。
『……やり方……わかるか……?』
「はあっはあっ……はい……み、見えます。明確に見えます……!流石、神の御業……」
頭の中に、鮮明なイメージが焼き付いている。
魔糸樫の繊維構造、ほぐし方、そして縒り方。
今まで知らなかった高度な技術が、あたかも最初から僕の血肉であったかのように刻み込まれていた。
『……お前には……神の……使命がある……』
「し、使命ですか……」
『……また話す……これまで通り魔糸樫を切り、これからは魔糸を作るんだ……俺の言ったとおりに進めろ……すべてがうまくいく……』
「は、ははっ!」
僕は地面に額を擦り付けるようにして平伏した。全身全霊の感謝を込めて。
※※※
ショタロ様のお告げの翌日から、カルシーリが前以上に訪ねてくるようになった。
恐らく、マオートコに会っていた時間を僕に当てているのだろう。
「ね、ねえ?何してるの?木を切りに行かなくていいの?」
庭先で座り込み、黙々と作業をする僕に、カルシーリが声をかけてくる。
「もう今日は一本切ったから、大丈夫だよ」
「もっと切っても……もっとお金になるんじゃない?」
「はあ……」
僕は手を休めずに、大きなため息混じりな生返事をする。面倒臭いという感情を隠しもせずに。
今の僕にとって、魔糸樫を繊維状に解体し、魔糸を紡ぐことこそが至上の命題だ。金稼ぎなど二の次三の次だ。
「そ、そうだよね!ユークンのペースがあるもんね!」
「……ブツブツ」
「そ、それで、それは何してるの?」
「研究。僕が今一番やらないといけないことなんだ」
「そ、そうなんだ……」
カルシーリが手持ち無沙汰に立ち尽くす。雑に扱われて、明らかに居心地が悪そうだ。
彼女はきれいな女の子だ。こんな扱いを男から受けるのは初めてなのかも知れない。戸惑いと、焦りの色が表情に浮かんでいる。
……チョロチョロ視界に入ってくるのが目障りだ。集中できない。
僕は作業の手を止めずに、カルシーリに声を掛ける。
「見てても面白くないよ?暇なら晩御飯でも作ってくれない?」
「う、うん!頑張って、美味しいご飯作るね?」
僕に役割を与えられたことが嬉しいのか、カルシーリはパアッと表情を明るくして、炊事場へと向かっていった。
簡単な女だ。
「……はあ」
しかし……毎日これでは、流石に鬱陶しい。
だが、お告げ通りに彼女との関係は維持しなければならない。それが最高の『ざまぁ』のために必要だと、ショタロ様も言っていた。
※※※
そのときだった。
ふと、ショタロ様に食べろと言われている幼虫について思い出した。魔糸樫の根本にたくさんいる幼虫だ。
「……そうだ、あの虫の美味しい食べ方について、調べてもらおうか」
自分の身体を見下ろす。
この鋼のような筋肉ができたのは、おそらくあの虫を食べているおかげだろう。
だが、どうしても、その味には慣れない。とにかく泥臭く、噛み潰した瞬間に広がる苦味が耐え難いのだ。
だが、もし味が改善されるなら、もっとたくさんの幼虫を食べられるかも知れない。
そうすれば、ショタロ様のお告げに、さらに従ったことになるかも知れない。この体も……もっと強くなるかも知れない。
……そうだ、あの虫の美味しい食べ方について、カルシーリに研究してもらおう。カルシーリは料理が得意だったはずだ。僕の知らない調理法でなんとかしてくれるかも知れない。
カルシーリは確か、極度の虫嫌いだ。以前の彼女なら悲鳴を上げて逃げ出すだろう。
だが、今の僕に見捨てられることを恐れているカルシーリなら、頼みを受けてくれるんじゃなかろうか?
「あの女にはお金をかけてるんだ。それくらいやってもらわないと割に合わない」
僕のために、必死で嫌いな虫を調理するカルシーリ。
ふむ……いいな。お願いしてみよう。
僕は厨房のカルシーリに声をかける。
「ねえ。カルシーリ。この幼虫、気持ち悪いんだけどさ、なんとか美味しく食べられるように調理できないかな?」
僕は、大きな葉に包んで持ってきた、親指ほどの太さがある白い幼虫を指差す。
「ゆ、ユークン……私、虫だけは駄目なんだけど……」
カルシーリは顔を青ざめさせ、後退る。
「うん、知ってる。でも、ごめんな。カルシーリしかお願いできる人がいないんだ」
「で、でも……」
僕はダメ押しの一手を放つ。
「あ、マリーさんなら、調理してくれるかも。ごめんね、カルシーリ。カルシーリが無理ならマリーさんにお願いするよ」
カルシーリの顔がクシャッと泣きそうになるが、絞り出すように声をだした。
「や、やる……その幼虫の調理……するよ……ユークンの役に立つから……」
※※※
さらには、カルシーリは、僕にとって以前とは違う形での価値が出てきていた。
夜の技術向上の練習相手としての価値だ。
あれから、カルシーリは僕との夜を以前の何倍も希望するようになっていた。
彼女との夜の時間は、僕にとっても待ち遠しい『研究の時間』となっていたのだ。
ショタロ様の言う通り、練習の道具もしくは研究対象だと思えば、不快感など微塵も感じないことに気づいた。
僕はカルシーリの反応を詳細に観察し、どこでどんな反応をするのか確かめていく。
(ふんふん。人の体の構造はこうなっているのか。此処に負荷をかけると、筋肉がこう収縮して……)
(ほうほう。この角度で刺激を与えると、発汗量と呼吸数が増加するな。気持ちよさそうにしてる)
其処に愛など欠片もない。あるのは純粋な探求心と、データ収集の喜びのみ。
しかし、皮肉なことにその冷徹な観察眼と正確無比な指先が、的確に彼女の思考を甘く溶かしていた。
「ユークン、すごい……っ!もう、何も考えられない……っ」
目を回し、指先だけを震わせる彼女を見下ろしながら、僕は感心する。
入力に対する出力が非常に分かりやすい。
これは……面白い!
僕の夜の技術は、あくなき研究の成果として、やばいレベルへと達していった。
そして……その結果、カルシーリは僕という底なし沼に、さらに深く深く沈んでいったのだった。
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