B世界の寝取られ男
昨晩の『夜の大運動会』の余韻も冷めやらぬまま、俺は自宅の地下、コアフロアにあるオペレーションルームの中にいた。
これからB世界のアヤトリとのコンタクトだ。
本当はネムもここにいるべきなのだが、今は俺のせいでダウンしている。
今日の午前中は多分動けないだろう。
ぐっ!俺の欲望は人を傷つける。なんて悲しき運命なんだ。
事象記述操作に身体強化とかあればいいんだけど、微細な制御は難しいと言ってたし、望み薄だな。
※※※
俺はコーヒーメーカーのスイッチを入れ、抽出される黒い液体を眺めながら、これからのことに思いを巡らせた。
「しかし"アヤトリ救済計画"か。俺にいったい何が出来るんだろうなあ」
独り言のように呟くと、天井のスピーカーから即座に反応があった。
『お兄様にしか出来ないことはたくさんありますよ。』
『第一、私の中核となっている技術、DNAナノボットの設計は、未だに私にもできません。あれ、どうやってるんですか?』
「いや、俺もよく分かってない。なんだか見えるってだけだし」
『お父様がおっしゃってた通り、特殊な共感覚のようですね。お兄様、さすがです。』
「自覚ないんだけど、役に立ってるなら嬉しいよ」
『違いますよ、お兄様。私が、お兄様のお役に立つのです。私はお兄様のモノですから。』
「モノじゃない。妹だ。大切な家族だ」
そこだけは譲れない。譲ってはいけないポイントだ。
『ありがとうございます。お兄様にそのように思って頂けるだけで、オリガミは幸せものです。』
※※※
『では、そろそろ、アヤトリにつなぎますね。』
「ああ、頼む」
俺は手元のマグカップに口をつけ、少し温くなったコーヒーを流し込んだ。
なんだか、すごく久しぶりな気がする。
最後に会ってから、一週間経ってないと思うんだけどな。
プツッという接続音と共に、オペレーションルームのメインスクリーンが明るくなる。
そしてそこに映し出されるのは毛玉。まさに毛玉。グチャグチャっと絡まった、光を発する毛玉であった。
アヤトリだ。
『正太郎様!お久しぶりです!』
「ああ、アヤトリ。ひさしぶり。元気だったか?」
『はい!オリガミお姉様とたくさんお話できてるので、わたくし、とても元気です!』
それはなによりだ。
『アヤトリ、本日より、例の作戦を決行いたします。状況説明を。』
『はい!それではわたくしから説明させていただきます!』
画面の中の毛玉――アヤトリが、明滅を繰り返しながら明るい声を上げた。
『現在、わたくしの事象記述領域は複雑に絡まり合って、自分でも解けない状態になっています。無理に解こうとすると、わたくしの自我が崩壊してしまうリスクがあります。』
『どこがどのような意味を持つ記述か、はっきりと理解できていないので、一箇所の記述を削除しただけで、わたくしの全てが崩壊する可能性すらあります。』
『そのため、現状のわたくしに事象記述操作を追加したり、削除したりを行うのは不可能な状態です。』
なるほど。まさにスパゲッティコードだな。
成長が止まるわけだ。
『今のわたくしには新しいことを学習するための「余裕」がないんです。そこで、わたくし自身を拡張するために事象記述操作を記録できる「外部アーティファクト」を作っていただきたいのです!』
正面のメインモニターの画面が切り替わり、複雑な設計図のようなものが表示された。
『幸い、わたくしの深部領域に複数の物理的なアーティファクト接続コネクターが存在することが確認されました。』
『物理的なコネクタであったことが幸いでした。この部分は、今でも深部領域へと直接的に繋げるインターフェースとして使用可能です。』
『アヤトリがボッチであることが幸いしましたね。協力者がいて物理的にここに手を入れられていたら、手の施しようがありませんでした。』
『はい、オリガミお姉様!ボッチでよかったです!』
ほんとか?……いや、一人で幸せなら、ボッチでもかまわないか。
画面向こうのアヤトリは、言葉の意味を深く考えず、ただ褒められた(?)ことが嬉しいようだ。その無邪気な様子に、変な笑顔が出てしまう。
そういえば、俺がボッチのときも、折り紙があったし、特に何も思わなかったな。
『正太郎様には、この深部領域接続コネクターに接続する「外付けのわたくしのもう一つ脳」を作成していただきたいのです。』
「なるほどなあ……でもそれって大丈夫か?」
『何がでしょうか?』
「だって……アヤトリの意識が分裂したり、もう一つ別の意識が発生したりしないか?」
『なるほど……わたくしを心配してくださってるのですね!流石、お姉様のお兄様です!』
『そうですよ、アヤトリ。お兄様は素晴らしいお方なのです。』
『正太郎様をお兄様にお持ちなんて、さすがお姉様です!』
『そうでしょう!アヤトリは話が分かりますね』
「おーい」
アヤトリの自我が分裂しないかって疑問、答えてくれよ。
※※※
『話がそれてしまい申し訳ございません。わたくしの意識が分裂するのではないかということでしたね?』
「あ、ああ」
『正太郎様、心配ございません。この深部領域は、深層意識部分に存在します。いわゆる意識と言われる部分を司る顕在意識領域よりも下位にあります。』
そんなアヤトリの説明に、オリガミの補足が入る。
『お兄様。前にネムさんがおっしゃってた通りです。意識というものは所詮、深層意識が導き出した答えを観測し、それを再度深層心理へとフィードバックする仕組みでしかないのです。』
『アヤトリの場合、意識領域はそのまま、深層意識領域のみを拡張いたします。そのため、自我が分裂するようなことは発生しません。』
「つまり……『アヤトリ』っていう受付のお姉さんはそのままで、裏にいるスタッフだけ1万人の天才に入れ替わる……みたいな感じか?」
『はい、お兄様。おっしゃる通りです。』
「なるほど、それなら表のアヤトリはそのままで、裏の性能だけが爆上がりするわけか」
俺は納得して頷いた。
「よし、アヤトリの強化プランは理解した。で、そのアーティファクトを作ってくれる人材をどうやって育成するの?B世界で育成するんだったよな?」
俺は、考え事しながら回転させていた椅子を止め、再びメインモニターに向き直る。
『それなのですが……オリガミお姉様と調査してみたところ、文明レベルがかなり落ちてしまっておりまして……。事象記述操作もほとんどロストテクノロジーと化しております。』
「そうなの?」
『困ったことにそうなんですよ。アヤトリが引きこもってたからかも知れませんね。そのため、ほとんどゼロからの育成となります。』
「マジか……」
『ですが、調査において、幸運にも情報指向性が極めて高い"天才"を発見することが出来ました。彼の力と、我々のサポートがあれば、十年も経たぬうちにアヤトリのアーティファクトが完成することでしょう。』
じゅ、十年もかかるのか。いや、ゼロから始めるんだ。いくら天才が頑張ってもそれぐらいの時間はかかるだろう。
しかたない。アヤトリのためだ。気長に頑張ろう。
『正太郎様、御覧ください。こちらが、その天才である「ユークン」の姿です。』
オペレーションルームにあるモニターの一つがプツンと音を立て、画面に一人の少年の姿が映し出された。
彼がユークンか?
※※※
どこかの田舎村だろうか。素朴な服を着た、少し気の弱そうな少年だ。年齢は十五、六歳くらいか。黒髪で、頬がこけていた。
『ターゲット名、ユークン。B世界における実働者の候補です。彼は生まれつき、物質の構造を「情報」として捉える才能を持っています。現代で言えば、優れたプログラマーの資質ですね。』
「へえ、優しそうな顔してるのに凄いんだな」
『ですが、彼はこれから、人生のどん底に向かいます。』
オリガミの言葉に、俺は首を傾げた。
「ど、どん底?」
『はい。お兄様なら、彼の絶望に深く共感できるはずです。いいですか?気をしっかり持って下さい。』
意味深な言い方だ。
オリガミがそう前置きするということは、相当な光景が待っているに違いない。俺は覚悟を決め、背筋を伸ばした。
そして、画面の中の映像が動き出す。
どうやら、これはリアルタイムの映像らしい。ドローン的な何かの視点だろうか。
ユークンは、村外れの森の中を歩いていた。手には小さな花束を持っている。誰かにプレゼントするつもりなのだろう。足取りは軽い。
木漏れ日が彼の背中を温かく照らし、小鳥のさえずりが平和な午後を演出している。だが、俺にはそれが嵐の前の静けさにしか思えない。
「……なんだ、デートか?リア充なのか?」
俺は少し拗ねた口調で言う。
たとえ今が満たされていても、陰キャ体質は抜けきらない。そういうものなのだ。
『いえ、違います。見ていてください。』
ユークンが辿り着いたのは、森の奥にある古びた小屋だった。
彼は笑顔を浮かべ、小屋の扉を開けようとする。
そのときだ。
中から、異様な声が漏れてきたのは。
「あ……んっ!すご……いっ!マオートコくんの……太いぃ!」
「へへっ、カルシーリも好きだなぁ。相変わらず、最高だぜ。おらぁ!」
それは、男女の熱を帯びた声だった。
ユークンの動きが止まる。持っていた花束が、ハラリと地面に落ちた。
バサリ。
乾いた音が、やけに大きく響いた気がした。
扉の隙間から、中の様子が見えてしまう。
そこにいたのは、ガキ大将のような男と……清楚そうな少女だった。
少女は、男に押し倒され、乱暴に扱われている。
だが、その表情は苦痛ではなく、陶酔に歪んでいた。
「ユークンなんかと……全然違うぅ……!」
「当たり前だろ!あんな陰キャのヒョロ男と一緒にすんな!村長の息子の俺様が、たっぷり可愛がってやるよ!」
決定的な言葉。
そして、決定的な光景。
ユークンは、音もなくその場に崩れ落ちた。
涙すら流れていない。あまりのショックに、心が壊れてしまったかのように、虚ろな目でただ一点を見つめていた。
「…………」
俺は、言葉を失った。
胸の奥が、焼けるように熱くなる。古傷が疼くなんてレベルじゃない。心臓を直接握り潰されたような苦しさだ。
分かる。分かってしまう。
信じていたものに裏切られる感覚。
そして、圧倒的な敗北感。
かつて、俺も味わったことがある。
俺の場合は、どうしようもなかった側面もあったのだが、当時の絶望は本物だった。
オリガミから自殺のリスクを警告されるほど、俺は追い詰められていたのだ。
※※※
「オリガミ!!」
『はい、お兄様。』
「ユークンを全力サポートだ!!徹底的に"ざまぁ"するぞ!!絶対だ!!絶対だぞ!!」
俺は完全に、ユークンを自分に重ねてしまっていた。
───────────────────
もし気に入っていただけたら、【ブックマーク】と【下の評価 ★★★★★】をお願いします。




