副署長の話と変態
担当警察官に案内され、俺たちは一つの部屋へと入る。
ドアを開けると、そこは会議室のような部屋だった。
長方形のテーブルが部屋の中央に据え置かれ、いくつかの椅子が壁際に整然と並んでいる。白いLED照明がくっきりとした影を落とし、窓際にはブラインドがきっちりと閉じられていた。
空気は静かで、どこか重苦しさを帯びていた。
そして、その部屋には一人の男性が直立して立っていった。
男は五十歳後半ぐらいだろうか、短く刈り込まれた髪に、几帳面そうなスーツ姿。だがそのスーツはどこか皺が目立ち、長時間座り込んでいた名残のようにも思えた。
目の下にはクマが濃く、唇はわずかに震えている。背筋だけはまっすぐだったが、相当キツそうだった。
彼は俺とネムの顔を見るなり、目を閉じ、静かに膝をつき、頭を下げた。
土下座だった。
「私が……この署の副署長をしている者です」
※※※
副署長と名乗った男は、深々と土下座したまま、切迫した声で言葉を捻り出す。
「このたびは…誠に、申し訳ございませんでした……」
その姿を見て、柚希さんは少し目を見開き、わずかに驚いた表情を浮かべていた。もう少し抵抗するかと思っていたのかもしれない。
土下座を続けながら、副署長が言葉を発する。
「……いつか、こうなる日が来るのではないかと、ずっと覚悟していました」
副署長は顔を上げず、沈痛な表情のまま低い声で話し始める。
「これからお話しすることは、私自身の罪を軽くするためのものではありません。どこまでもつまらない言い訳に過ぎません。それでも、お聞きいただけますでしょうか?」
柚希さんは沈黙を守る。
その代わりに、俺が一歩前に出て口を開いた。
「……どうぞ、続けてください」
副署長は小さくうなずき、語り始めた。
「――私は……身寄りが一人しかいません。母だけです。その母は長いあいだ病床に伏しております。母を安心させたい一心で努力を続け、副署長という立場まで上がることができました」
「母は……私の出世をとても喜んでくれました。母の笑顔をもっと見たい……出世すればもっと喜んでくれるのではないか……。私はそう思い、それからは出世のためだけに、職務をこなすようになっていきました」
副署長は苦しげな表情を浮かべる。
「思えば、それがそもそもの間違いだったのかもしれません」
「ある日、私の姉の息子、つまり甥が傷害事件を起こしました。飲み屋で小さな口論があり、甥は相手を殴って怪我を負わせてしまったのです」
「幸い、このときは軽い打撲程度で済みました」
彼は視線を落とし、静かに語り続けた。
「その数日後、被害者の方が警察署に被害届を出しに来られました。ただ、その方は法律の知識がほとんどなく、病院の診断書も持たず、手ぶらでいらしたのです。だから私は……」
そのとき、突然、イヤホン越しに声が響く。
『お兄様っ、これ以上は……。』
オリガミの声がイヤホン越しに響いた瞬間、現実に引き戻される。しまった、副署長の告白に思わず引き込まれていた。
このまま副署長に話を続けられると、俺たちの望む流れにならないかもしれない。
俺は、急いで副署長の話を遮るべく、言葉を挟んだ。
「待ってください、副署長。これ以上は、少し待ってください!」
※※※
副署長は驚いたように目を見開き、言葉を飲み込んだ。
その反応を一瞥してから、俺は静かに柚希さんの方へと身体を向ける。
柚希さんは相変わらず感情を表さず、無表情に黙って、じっとこちらを見つめていた。
「柚希さん、弁護士資格のある方々を連れて、この場を一度離れてもらえますか。少しだけ今後について相談してきてほしいんです」
俺の提案に、柚希さんは一瞬だけ目を細めて考え込む。
そして、小さく息を吐き、ゆっくりと返事をした。
「分かった、正太郎くんの意図は理解したよ。悠斗にもそうしろって言われてるしね。皆、いったん外で話し合おうか」
さすが柚希さんだ。頭の回転が早くて助かる。
「正太郎くん、玲奈はここに残っても問題ない?」
「はい、大丈夫です」
「じゃあ、皆も出よう。詩織も一緒だよ」
「えっ、どうしてですか!?今まさにクライマックスなんですけど!」
詩織さんが声を上げる。
クライマックスって……まあ、詩織さんの気持ちは分かる。
物語の最後。悪人が裁かれる、正義の裁きのクライマックスシーンの最中でテレビを消されてしまう。そんな気持ちなんだろう。
だが、詩織さんも弁護士の卵だ。ここに居てもらう訳にはいかない。
おそらく、今から、副署長は今から自分が関わった犯罪のもみ消しについて話し始めるだろう。
それをこの場にいる弁護士や司法修習生に聞かせるのは避けなければならない。
なぜなら、弁護士には依頼者以外の犯罪を知った場合、職務倫理上の適切な対応が求められる。これに反すれば懲戒処分を受け、最悪の場合、弁護士資格を剥奪される可能性があるからだ。
つまり、犯罪を知ってそれを見逃すと、弁護士として働けなくなるリスクを背負うことになるのだ。
そして、俺たちが目指している着地点は、犯罪を知った弁護士が取るべき行動からは大きく外れていた。そう、いつもの罪人のリサイクルだ。
本来なら法律で裁かれるべき犯罪者を、自分たちの目的のために利用する。これは、弁護士にとっては、決して許されない対応だった。
きっと柚希さんは、俺のこの考えを察してくれたのだろう。
彼女はためらうことなく詩織さんの腕をとり、会議室の外へ連れていこうとする。
既に、詩織さんの関節はガッチリと決められていた……。弁護ってサブミッションスキルが必須だったりするのだろうか?
「詩織。いいから、こっち来て。上司命令だよ」
柚希さんは、そう言って、弁護士の方々と詩織さんを連れて、部屋から出ていく。
いや、詩織さんの場合は連行される、という表現のほうが合っているかもしれない。
詩織さんの情けない声が扉の向こうから聞こえてくる。
「そ、そんなあ!ちょっと待ってくださいよ、柚希先輩!私、まだ全然見足りないんです!正太郎さまのかっこいいところ、もっともっと目に焼き付けておきたかったのにぃ!こんな途中で追い出されるなんて、理不尽ですよぉ!これからきっと、正太郎さまがビシッと正義を示して、副署長をやり込める最高の場面がやってくるのに……!私、本当に楽しみにしてたんですよ!?お願いです、ちょっとだけでも見せてください!ああ、どうして玲奈姉さんは良くて私はだめなんですかぁ……!ううっ!」
※※※
会議室に残っているのは、副署長、俺、ネム、そして笹木玲奈さんだけだ。
ネムは呆れた様子で、遠ざかっていく詩織さんの方角を見ていた。もちろん、詩織さんは既に壁の向こうにいるので、その姿は見えない。
「正太郎のファン、すごいな……」
ネムが小さくつぶやいた。
いや、詩織さんはオリ男のファンだろ?と思ったけど、俺の折り紙する様子が最高っていう、手フェチの変態だった。間違いなく俺のファンだった。俺にファン?マジか……。
一方、笹木さんからはいつもの賑やかな様子が鳴りを潜め、目を見開き驚いた様子でこちらを見つめていた。
「正太郎さま……何を……?」
笹木さんが困惑気味に声をかけてくる。
だが、今は笹木さんへの説明よりも、副署長の話を優先すべきだだろう。
詩織さんの声が遠ざかって聞こえなくなったのを確認し、俺は副署長の方へ向き直った。
さあ、副署長との話を続けよう。
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