オリガミの冷たい怒り
威圧マンと口論になった日の深夜のことだった。
ビーッ!ビーッ!ビーッ!ビーッ!
念のため付けたまま寝ていたイヤホンから、けたたましいアラーム音が鳴り響いた。
これは緊急時のアラームだ。慌てて体を起こし、オリガミに状況を確認する。
「オリガミ、どうした!?」
『お兄様、威圧マンが敷地内に侵入してきました。』
「爺ちゃんに絡んでた男か?」
いったい一体何しに来たんだ?家の中まで入ってくるつもりか?
『はい。何やら新聞紙の束を持っているようですね。』
「新聞紙の束?何に使うんだ?」
『推測は可能ですが、引き続き監視いたします。お兄様、気づかれないようにバケツに水を入れて準備をお願いします。』
「わ、わかった」
俺は急いでバケツを取り、静かにそこに水を溜め始める。
新聞紙?バケツ?水?まさか――。
『威圧マンが裏口の横に紙の束を置きました……ライターを取り出しています。間違いありません、放火です。』
「放火?そんなことで?あんな些細なことで放火なんてするのか?こっちには五人もいて、全員寝てるんだぞ。最悪、焼け死ぬかもしれないのに……」
『衝動的で、理性に欠けているのでしょう。救えませんね。』
俺は、千穂とネムが炎に巻かれて苦しむ姿を、ふいに想像してしまった。想像してしまったのだ。
サラサラの髪がちりちりと焦げ、きれいな肌が焼けただれていく二人。耐えきれず体を丸め、やがて声も出せなくなる。
――そんなこと、絶対に許せない。あってはならない。絶対に潰してやる。
黒い感情に吞まれ、心がどんどん冷たくなっていくのを感じた。
『男がライターで火をつけ、新聞紙に近づけています……新聞紙への着火を確認。証拠映像も取得済みです。』
「オリガミ、一瞬で制圧しろ」
前庭砲を撃つ命令を出す自分の声に、初めて喜びが混じっていたかもしれない。
『イヌガミタイプ、男に強・前庭砲を照射……昏倒を確認。男は自分で火をつけた新聞紙の上に、顔から倒れ込みました。』
『お兄様、火を消してください。このままだと家に燃え移る恐れがあります。』
「……ああ!」
しまった。男なんてどうでもいいが、家が燃えたら大変だ。
俺はじいちゃんの部屋に向かって、大声で叫んだ。
「じいちゃん!放火だ!消火手伝ってくれ!水だ!水汲んできてくれ!」
念のため、じいちゃんに水を持ってくるようにお願いし、俺は裏口を飛び出す。
そこには燃え上がる新聞紙の束と、その上に顔から倒れ込んだ男がいた。焦げた肉の匂いが鼻を突く。
俺はとっさに、用意しておいたバケツの水を新聞紙めがけてぶちまける。
その水でほとんどの炎は消えたが、まだ少し残っている。
邪魔な男を蹴り飛ばし、上着を脱いで火を叩き消す。しまった、上着も最初から濡らしておけばよかった。
それでもなんとか新聞紙の火を消し終わったところへ、じいちゃんがバケツに水を持って駆けつけてくれた。
「正太郎!?放火だって!?」
「じいちゃん……今なんとか消し止めたところ。一応、その新聞紙の束にもう一度水をかけておいて。まだ火種が残ってるかもしれないから」
俺の言葉に、じいちゃんは慌てて新聞紙へ残りの水をかける。
俺は、顔をひどくやけどした威圧マンを見下ろした。
『バイタルは確認できます。生命に別状はありません。』
オリガミの冷静な報告を聞きながら、男を踏みつけたい衝動をなんとか抑えつけ、俺は警察と消防に連絡したのだった。
※※※
翌日、俺は事情聴取のため警察署に来ていた。
警察官に事情聴取を受けた後、いざ被害届を出そうとしたところ、信じがたいことを告げられた。
「はあ?証拠が不十分ですか?」
「はい。そのため、彼を逮捕することはできません」
「……新聞紙とライターを持って夜中に無断で庭に入ってきて、家のそばにその新聞紙を置いて火をつけても、証拠不十分なんですか?」
何言ってるんだ、こいつは。
「新聞紙に火をつけたのも、本当に彼がやったとは断定できません」
「でも、ライターにも新聞紙にもあの放火男の指紋がついていたでしょう?それに、夜中に他人の敷地に無断で入ってる時点で、不法侵入じゃないですか?」
「もしかしたら、火のついた新聞紙を消すために庭に入っただけかもしれません」
バカか。
「その新聞紙の裏側に本人の指紋がついているのに?」
「……顔は大火傷で元に戻らないほどただれてしまって、ひどい状態ですし、視力もかなり低下しています……」
「それと犯罪にどんな関係が?」
「いえ……できれば温情をかけていただければ、と思いまして……」
温情?俺の大切な人達を皆殺しにしようとした男に温情だと?
「そういう判断は警察じゃなくて裁判所がするものでしょう?警察の権限を超えてませんか?」
「まあ、おっしゃる通りではありますが、必ずしも悪意があったとは限りませんし……」
「……何を言ってるんですか?どう見ても殺意しか感じられない行動だったと思いますけど」
「お気持ちは分かりますが……」
分かる?お前は自分の家族が同じ目に遭っても、そんなことが言えるのか?
俺は怒りを必死に押し殺し、静かな声で問いかけた。
「被害届、ちゃんと受理してもらえますよね?」
「……預かってはおきましょう」
本当にこれでいいのか?これであいつは逮捕されるのか?
『お兄様、無駄です。この所轄はこの件を事件化するつもりがありません。「預かっておく」というのは、実質的に被害届を受理せずにうやむやにするために警察が使う常套句です。弁護士を同伴して出直しましょう。』
「腐ってるな……」
俺が小さくそう呟くと、担当の警察官は苦い顔をして黙り込んだのだった。
※※※
その後、警察での時間が無駄だと判断した俺は、真っ直ぐに爺ちゃん婆ちゃんの家へ戻った。
ちなみに移動は早瀬さんの車だ。「護衛なのに運転手扱いしてすみません」と言ったら、「それも仕事ですので。これのために!」と指で輪っかを作ってくれた。真面目な早瀬さんの一つしか無い持ちネタだ。俺を元気づけようとしてくれたんだと思う。ありがたい限りだ。
家に入ると、すぐに爺ちゃんが声をかけてくれた。
「あの男……どうなったんじゃ?」
「今は顔に大火傷を負って入院中。当面は外に出てこられないから安心して」
一度見舞いにでも行って、ぐちゃぐちゃになった顔を見てやろうか……。いや、そういうことは全てが終わってからだ。
「そうか……警察はどうなんじゃ?」
「今のところ、警察は動く気がなさそう。でも安心して。必ず俺が責任を持って、あいつを刑務所に叩き込むから」
必ず償わせる。
「そうか……でも無茶はせんでくれよ。正太郎は大切な孫なんじゃから」
「うん。……それより、ごめん。もしかしたら俺がアイツを煽りすぎたのかも。それでこんなことに……」
舐められれば付け上がらせるし、強く出れば逆恨みされる。どうするのが正解なんだ?黙っていたほうがいいのか……?
「気にするな。ワシもあのときは爆発寸前だったし、ワシ一人だったらもっと危ないことになってたかもしれん。正太郎がいたからこそ、あいつの放火も防げたんじゃ」
「そう言ってもらえると、少し救われるよ……」
そうだ。結局、黙っていても舐められるだけで、いずれはじいちゃんたちが被害に遭っていただろう。
それなら敢えて逆恨みされるように煽って、攻撃されたところを刈り取る、今回みたいな方法がベストなのかもしれない。
普通の人じゃ難しいかもしれないが、俺にはオリガミがついてくれている。ほとんどの攻撃は対処可能なはずだ。
「そういえば、婆ちゃんや千穂、それにネムはどうしてる?」
「婆ちゃんは少しショックを受けているみたいじゃ」
「そっか……後で俺も声をかけておくよ」
「ああ、頼む。千穂ちゃんとネムさんは……いやに落ち着いてるな。今どきの子は肝が据わっておる」
あの二人は、修羅場をくぐった経験があるからな……くそっ、あれも俺のせいか……
※※※
その後、婆ちゃんと少し話して元気づけた。
「よくあることだから安心して」
と言ったら目を丸くしていた。言葉を間違えたかも知れない。でも、顔色は良くなっていたので、大丈夫だろう。
それから、千穂とネムの様子も見に行った。
襖をそっと開けると、部屋の中には千穂とネムがいた。
ネムは千穂の膝で幸せそうに眠っていて、千穂は優しくネムの髪を撫でていた。その表情は、まるで菩薩のように穏やかだった。
なんというか……母性本能が溢れ出ている光景だ。これはさすがに、邪魔したら駄目だろう。こういうのを「尊い」って言うんだろうか。
そう思いながら、俺は気づかれないように静かに襖を閉めたのだった。
※※※
割り当てられた部屋に戻る。周囲に誰もいないことを確認してから、オリガミに声をかけた。
「オリガミ……これから『威圧マン』の呼称を『放火男』に変更する」
『お兄様、承知しました。』
オリガミとは話し合いたいことが色々ある。
俺は言葉を続けた。
「オリガミのアドバイス通り、犯行現場の映像は出さなくて正解だったな。あの様子じゃ、どんな証拠を出しても揉み消されてたかもしれない」
『はい。こちらは今後の切り札として取っておきましょう。』
そう。俺は警察に犯行現場の映像を提供していない。そうするよう、オリガミに提案されたからだ。
「ところで、どうして最初から現場映像は出さない方がいいって思ったんだ?」
『インターネットや地元の情報誌、地方紙などから放火男の家族関係を調査した結果、放火男の叔父がこの所轄警察署の副署長であることが分かりました。』
『警察では、身内に犯罪者が出ると出世に悪影響が出ます。そのため、副署長が放火男の犯罪を隠蔽しようとする可能性が高いと判断し、今回は現場映像を提出しない方が良いと考えました。』
「なるほど……あいつの犯罪が隠された理由は、副署長の出世のためってことか」
きっと副署長にとっても、放火男は目の上のたんこぶだったのだろう。しかし、だからといって犯罪を隠蔽することは絶対に許されない。
『お兄様、今回の作戦のゴールを設定させていただきます。まずは、放火男の収監。副署長の更生。それと、この土地の所轄警察署の弱みを握ること。そして恩を売ることです。』
オリガミは説明を続ける。
『お祖父様とお祖母様は、千穂さんやネムさんの次に狙われる立場です。将来的にこの土地で大きな作戦行動が必要になるかもしれません。そのために、我々が動きやすい状況を整えておきたいのです。』
「……そこまで考えていたのか。じゃあ、放火男は必要ないな。普通に牢屋に放り込んでやればいい」
『はい。あんな男、陣営に必要ありません。このまま一生、ただれた顔とほとんど見えない目で、自分がしたことの結果を背負って生きていけばいいのです。自業自得です。』
放火男について話すオリガミの声は氷のように冷たかった。
あの放火は、俺の直系の血族である爺ちゃんと婆ちゃん、そして俺の子供を生む可能性の高い千穂とネムへの攻撃だった。
オリガミにとって、それは「管理者の血統」そのものへの攻撃だ。オリガミAIの設計思想上、それは決して許されるものではない。
……そりゃ、怒るわな。
だが、今回ばかりは俺もまったく同じ気持ちだった。
あの男は、千穂やネム、それに爺ちゃんと婆ちゃんまで危険に晒した。絶対に許せない。助ける考えは一切ない。
そして、出世のために犯罪を見逃し、あのような人間を野放しにしてきた副署長には――
その責任を取ってもらおう。
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