山
中段
餅屋が外に出る時、いつもそばにいてくれた男が、背負って来た座布団を地面に置いて、餅屋を座らせました。
その前に、小さな青い火鉢を置いて、炭が赤くなっていくのを、黙って見つめています。
男は、網を置き、その上に餅を置きました。
餅屋の耳に、男が鼻をすする音が聞こえました。
向こうから、お迎えがいらっしゃるまで、こちらでお待ちくださるようにと。
まだ、山は、寒いですな。
男は、餅屋に、綿入れをそっと羽織らせると、そばに、炭と餅が入った包みを置きました。
わかっているよ。
これまで、大変世話になったね。
ありがとう。
さあ。
暗くなる前に、気をつけて、早くお帰り。
餅屋が言うと、男は鼻をすすりながら、深々と、頭を下げたようでした。
時々、立ち止まりながら、足音は遠ざかって行きました。
山の上は、しんとしています。
時々、鳥の鳴く声や、羽ばたく音が、聞こえます。
餅屋は、ひとりで、餅を焼きました。
姫さまは、山道を登り始めました。
赤い顔をして、息を切らせて、登ります。
あれから、8日経っているから、餅屋は、もう向こうに着いているはず。
ひと目で良いから、その姿を見たいと、姫さまは、一生懸命に登ります。
あたりが暗くなり始めても、怖いとも思わず、夢中で登りました。
姫さまは、足を止めました。
どこかから、香ばしい匂いがするのです。
餅屋が、餅を焼いた時の匂いと同じだと気づいたとき、姫さまの口の両端から、よだれが垂れました。
鼻をふんふん言わせて、匂いをたどって行くと、大きな木の根元に、男がきちんと座布団に座って、餅を焼いていました。
男は、餅屋の声で、言いました。
道に、迷いましたか。
温まっていかれたら、良いですよ。
餅も、焼けます。
姫さまは、息を切らせて、火鉢のそばに行きました。
餅屋は立ち上がって、座布団を姫さまの方に押してよこしました。
餅屋は、木の根を手で探って、腰を下ろしました。
姫さまは、餅屋の、薄い灰色をした、澄んだ目を見ました。
あまりに、良い匂いがしたものですから。
姫さまが言うと、餅屋は、顔を上げました。
その、お声。
まさかとは思いますが。
ふもとの館の、姫さまではありませんか。
まあ。
よく、お分かりに。
姫さまが驚くと、餅屋は、耳を赤くして、嬉しそうに頷きながら、綿入れをかしてくれました。
さあ。
姫さま。
餅が、焼けました。
ふたりは、仲良く餅を食べました。
すっかり暗くなった頃、双子の山賊は、木陰から、様子をうかがっています。
この良い匂いが、幻とは思えんが。
いや。
あれは、タヌキとキツネかも知れない。
しかし。
腹が減ったよ。
それは、おれも同じだが。
なんだか怖いだろう。
こんな山の中で、こんな夜に、火鉢で餅をあぶる奴が、いるか。
見たことはないが。
ちと、声だけでも、かけて見るか。
いや、しかし。
腹が減ったよ。
双子は、そろそろと、近づいて行きます。
餅屋は、言いました。
道に、迷いましたか。
温まっていかれたら、良いですよ。
餅も、焼けます。
網の上の餅がふくらむと、双子は、口の両端から、よだれを垂らしました。
姫さまは、手招きしました。
双子は、さっと、火鉢のそばに座って、差し出された餅を、嬉しそうに食べました。
そのうち、こちらに走って来る足音が、聞こえてきました。
息を切らせてやって来た男は、言いました。
良かった。
ご無事で。
どうして、戻った。
叱られてしまうよ。
餅屋は、驚いて、言いました。
店には、もう、戻りません。
男は、ほっとした様子で、笑いました。
そうか。
それなら、早く温かいところにお座り。
一緒に、餅を食べよう。
男は、頷くと、火鉢のそばに座って、
おいしそうに、餅を食べました。
下段に続く




