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女王と王配〜国の明日を願った二人の共犯関係〜  作者: かつての林檎


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第四話 表

 


「死の谷」の開拓が始まってから半年。

 泥に塗れて自給自足の基盤を作り上げたアッシュの実績は、王宮の裏で狂王の暴政に眉をひそめる「実務派の貴族たち」を動かすに十分な説得力を持っていた。

 彼らからの密かな資金援助と後ろ盾を得たことで、開拓は一気に加速し、村は文字通り「小さくとも頑丈な砦」へと変貌を遂げていた。


 山あいから引いた水路は青々とした畑を潤し、伐採した木材で整然と並ぶ住居群が完成していた。スラムから少しずつ引き入れた人々は、飢えと怯えから解放され、それぞれの役割を得て生気に満ちあふれている。

 街道沿いの他の廃村へ伸びる密開拓の連絡路も出来上がり、王宮の目が届かぬ巨大な「裏のネットワーク」が着々と出来上がりつつあった。


 だが、その順調な開拓の陰で、アッシュの胸中には拭えない暗雲が垂れ込めていた。

 非番の昼。王宮親衛隊の甲冑を纏ったアッシュは、城の重苦しい回廊を歩いていた。

 すれ違う貴族たちの表情はどこか慌ただしく、噂話に耳をそばだてれば、嫌でも「その件」が聞こえてくる。


「……隣国の好戦的な皇子との縁談、いよいよ正式に話がまとまりそうだな」

「左様。狂王様もあの扱いづらい王女を手放せ、かつ強力な軍事支援を得られるとご満悦だ」

「婚約が整うのは来月半ばとのこと。これでようやく王宮も静かになる」


 アッシュは兜の下で固く奥歯を噛み締めた。


 この国はアイリスを失えば確実に破滅へ向かう。

 それを防ぐためにクーデターを起こしてアイリスが国外へ出ることを止めるにも期限がある。


 婚約が整った後にクーデターが成功しても、アイリスがいる限り、国として契約破棄による損害賠償を支払わねばならない。

 国力が間違いなく目減りするその時に莫大な賠償が払える訳がないのだ。


 タイムリミットは、アイリスの婚約が整うまでの1ヶ月。


 いまの裏の組織力と「秘密の村」の基盤があれば、王都で政変を起こすための武力と民の退避ルートは確保できている。

 だが、クーデターを成功させたとして、その後の混乱を治め、アイリスを新たな国の頭首として据えるための政治的な火消し——親衛隊内の実務派や清廉な貴族たちとの裏交渉が、まだ完璧には詰まっていない。



 城の中庭を遠く見下ろすと、豪奢だが仕立て直された静かなドレスを纏ったアイリスが、侍女も連れずに歩いているのが見えた。

 その背筋はどこまでも真っ直ぐで、己の身が政略結婚の道具にされようとしていることすら、すでに織り込み済みであるかのような佇まいだった。


 アッシュは黒髪の生え際を兜越しに叩き、静かに反転した。

 その夜。「死の谷」の地下会議場には、異様な緊張感が漂っていた。

 松明の火が揺らめく中、羊皮紙の地図を挟んでアッシュ、グレン、ゼシカ、そして各部隊のリーダーたちが顔を揃えている。


「来月半ば、隣国の皇子とアイリス王女の婚約が整う」


 アッシュの低い声に、場が一瞬で凍りついた。


「相手が皇子ってことは、他国に嫁入りってことか……!? じゃあ、あの悪女がいなくなるってことだな? 願ったり叶ったりじゃねぇか!」

「そうだぜ、王家の血が減るならせいせいする!」


 元野盗の男たちが口々に声を上げる。しかし、グレンとゼシカはアッシュの表情からただならぬ気配を察し、口を噤んでいた。


「……俺たちの狙いは、あの王女を他国へ逃がすことじゃねぇ」


 アッシュは机に固い拳を叩きつけた。


「婚約式典当日、警備が手薄になる警護列と城の動線を突き、クーデターを起こす。狂王を拘束し、王宮を占拠する」


 仲間たちに激震が走る。


「く、クーデターだと……!?」

「そんな無茶な! 俺たちだけで城を落とすってのか!?」

「無茶じゃねぇ。半年前からそのための配置とルートを仕込んできた」


 アッシュは琥珀色の瞳をギラつかせ、一同を圧倒するカリスマで言葉を継いだ。


「城内の警備配置は俺が完璧に把握している。当日はスラムの抜け道から裏の軍勢を城内へ引き入れ、一気に関門を崩す。……だが、ひとつだけ絶対の条件がある」


「条件……?」ゼシカが怪訝そうに眉をひそめた。


「王女アイリスの身柄は、何があっても俺たちが真っ先に保護する。傷一つつけさせるな」


 アッシュの一言に、場が再び静まり返った。


「ハァ……!?」


 真っ先に噛みついたのは、やはりゼシカだった。怒りで肩を震わせ、短剣の柄を固く握りしめる。


「あんた、またあの女の話!? クーデターを起こして狂王を倒すのはいいよ! でもなんで、あの高慢ちきな王女を保護しなきゃいけないのさ! 狂王の同罪として捕らえるか、追放すればいいじゃない!」

「……彼女を失えば、この国を再建する頭がいなくなる」


 アッシュは極力冷静を装い、短く答えた。これ以上アイリスの善性や政策の真意を語れば、またゼシカの雷が落ち、組織の結束が乱れることを分かっていたからだ。


「政治の話だけじゃねぇ。他国からの非難を避けるためにも、王宮の実務派を納得させるためにも、王家の正統な血を引く王女アイリスの存在が不可欠だ」

「理屈はそうかもしれないけどさぁ!」


 ゼシカは顔を真っ赤にし、悔しそうにアッシュを睨みつけた。


「……この上ない、合理的な判断のはずだ」


 アッシュの言葉に場の空気が重く沈み込む中、グレンが静かに立ち上がり、アッシュの肩をドンと叩いた。


「……頭目がそこまで言うなら、俺は乗るぜ。政治の詳しいことは解んねぇが、頭目が決めた計画なら間違いねぇ。ゼシカ、時間もねぇんだ。今は頭目を信じて腹を括ろうや」

「……っ!」


 ゼシカは唇を固く噛み締め、プイッと顔を背けた。


「……あたしは裏の動線確保と、当日の別動隊を率いるよ。文句があるなら結果で示してやるんだから!」


 ゼシカは捨て台詞を残し、会議場を風のように去っていった。

 アッシュは静かに息を吐き出し、深く羊皮紙を見つめた。

 余計な弁明はもうしない。アイリスの真意を証明するのも、彼女を守り抜くのも、すべては決戦の当日——あの城を打ち破った先にある。


「タイムリミットは来月。……野郎ども、牙を研いでおけ」


 アッシュの低い声が、地下室の闇に静かに響き渡った。

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