第二話
スラムにアッシュという頭目が現れてから、数ヶ月が経っていた。
昼のアッシュは、相変わらず王宮親衛隊の冷徹な騎士として立ち回っていた。城内の巡回、警備計画の把握、そして狂王の暴政に密かに胸を痛める実務派の同僚や部下たちの見極め——どれも欠かせない「表の仕込み」だ。
そして夜、甲冑を脱いだアッシュはグレンたちを率い、スラムの改革に着手していた。
「いいかグレン。単に路地裏で群れてるだけじゃ、王宮の親衛隊が一気になだれ込んできたら一網打尽だ。ここは狭すぎるし、逃げ場もない」
スラムの地下に設けたアジトで、アッシュは羊皮紙の地図を広げた。国王から指示された魔獣狩りの傍らで見つけた、新たな拠点とすべき場所だ。
「……王都の東、街道から外れた山あいに『死の谷』と呼ばれる棄てられた廃村がある。そこに水路を引き、土地を耕し、王宮の手が届かない『秘密の村』を作る」
「廃村の開拓かい? 豪快なこと考えるねぇ、頭目」
グレンはニッと八重歯を覗かせて笑った。アッシュのもとに集まったのは、かつては行き場を失い、ただ荒れていた若者たちだ。だが今や、アッシュの指導のもとで自衛の術を学び、下町の孤児や食い詰めた民を裏で護送する「組織」へと脱皮しつつあった。
「でもここらへんは魔獣がいっぱい出るとこだろ?なんでこんなとこに作るんスか?」
「メリット無いッスよね」
グレンの仲間からも次々と疑問が飛び出す。それもそうだろう。既に打ち捨てられて久しい村を開拓するのは一苦労。しかも、周りには魔獣が出るのだから。
「ここは元々、隣国への貿易路の中心になる大きな町オルドが近くにあった時の通過点だった。しかし、隣国との関係悪化で、オルドが縮小した挙句消えた。すると、騎士団もここへ巡回に来ないから、近くの村もまた放棄された状態なんだ」
アッシュは、地図のいくつかの廃村の点を繋ぐ。
「まずは拠点として死の谷を復活させれば、元は小さいが、街道があった他の廃村へと周囲への拠点が広げやすい」
ポカンとする若者たちの中で、グレンだけが「なるほどな」とニヤリと笑った。アッシュは苦笑しつつ、理解が追いつかない連中のために言葉を継ぐ。
「そのうち人数が増えてくると、村ひとつでは足りなくなる。拠点が増やしやすい、動きやすい、王宮に見つかりにくいというメリットを満たすのが死の谷なんだ」
どうやら他の者も理解したのか、地図を睨みつけながら頷き始める。
「まずはスラムから少しずつ、匿わなきゃならねぇ奴らをその村に移送する。そのためには……あの街道を仕切ってる『邪魔者』をどうにかしなきゃならねぇな」
グレンが苦々しい顔で頭を掻いた。
「ああ……街道の山峠を根城にしてる、あの女盗賊の群れか。頭目のゼシカって女がまたキレ者でね。王宮の物資搬送隊ばかりを狙って襲っちゃ、荷を奪い去っていく噂の連中だ」
「王宮の物資しか襲わない、か」
アッシュは琥珀色の瞳を細めた。ただの野盗ではない。明確な意図と信念を持って獲物を選んでいる証拠だ。
「面白い。グレン、少し手勢を連れて来い。その女頭目に挨拶しに行くぞ」
◇◇◇
王都の東、深く生い茂る山林の峠道。
月明かりすら届かない木々の陰から、鋭い殺気が飛び出した。
「そこまでだ、王家の犬ども! 荷を置いて、命からがら逃げ帰りな!」
立ちふさがったのは、短く切り揃えた栗色の髪を揺らし、両手に二本の短剣を握りしめた小柄な女——ゼシカだった。
背後からは弓や斧を構えた盗賊たちが立ち現れ、アッシュたちの道を塞ぐ。その瞳には王宮への深い憎悪と、己の配下を守ろうとする野生の牝豹のような強い意志が宿っていた。
グレンが真っ先に馬を下りると、無造作に前に出た。夜のスラムの時と変わらない粗衣の姿だ。
「おいおいお嬢ちゃん……俺らが王家の犬にみえるとは、最大の侮辱ってやつだぜー?」
「……あ?」
ゼシカは眉をひそめた。
「誰がお嬢ちゃんだ! あたしたちはな、王宮の肥やしになるはずだった糧食を奪って、食い詰めた村に配ってんだよ! 邪魔するなら容赦なく刻むよ!」
地を蹴り、目にも留まらぬ速さで突進してくるゼシカ。二本の短剣がグレンの首元と脇腹を同時に狙って閃いた瞬間、アッシュが間に滑り込んでその刃を受け止めた。
アッシュは最小限の身のこなしで刃を押し返し、ゼシカの腕を掴み、その勢いを利用して地面へ叩きつけた。
「くっ……!?お前、何者だ?!」
「ゼシカ頭目!」
叫ぶ盗賊たちを制するように、アッシュの後ろからグレンが一歩踏み出し、巨大な鉄パイプを地面に叩きつけて咆哮した。
「動くな! 俺たちの頭目に手ぇ出す奴は、このスラムのグレン様が叩き潰すぞ!」
「お前があのスラムのグレンだって?!なんでアンタみたいなヤツが、そんな男に従ってんのさ!?」
地面に伏せたまま、ゼシカは憎々しげにアッシュを睨みつけた。アッシュはその場にしゃがみ込み、視線を合わせる。
「お前たちが王宮の物資しか襲わない理由は分かった。……故郷を狂王に焼かれた口だな?」
ゼシカの身体がピクッと跳ねた。
「……だったら何さ。あたしたちには帰る場所もない! 王宮から奪って、民に配って、その日暮らしで報復する以外に何ができるってんだよ!」
「報復、ね」
アッシュは琥珀色の瞳を細め、静かに言い放った。
「奪った糧食を配ったところで、明日になればまた民は飢える。王宮からみれば、お前らのやってることはただの『野盗の小突き合い』だ。……本当の復讐にも、救いにもなっちゃいねぇ」
「なっ……! あんたに何が分かるってのさ!」
激昂するゼシカに対し、アッシュは胸ポケットから一巻の羊皮紙を取り出し、彼女の目の前に放り投げた。さっきスラムで仲間たちに見せたばかりの、あの地図だ。
「開いてみろ」
ゼシカが疑わしげに羊皮紙を広げると、そこには『死の谷』を中心とした広大な拠点開拓の計画が記されていた。
「『死の谷』の廃村だ。かつてのオルドの交易路沿い、いまや騎士団の目が届かないあの場所に水路を引き、土地を耕し、いくつもの拠点を繋げて『秘密の村』を作る。追われた避難民も、行くあてのないお前らも、全員が胸を張って生きられる場所だ」
ゼシカの瞳が大きく見開かれる。
「その日暮らしの奪い合いは終わりにしろ、ゼシカ。俺にその腕を貸せ。俺たちはただの野盗じゃねぇ……いつかあの腐った城をひっくり返す『裏の軍勢』だ」
アッシュの手が、ゼシカに向かって差し出される。
下町で泥を舐め、王宮の冷酷さを知り、それでも前を向く男の真っ直ぐな手だった。
ゼシカは一瞬言葉を失い、それからフッと自嘲気味に笑うと、アッシュの手を取って勢いよく立ち上がった。
「……ハッ、スラムのグレンを丸め込んだって聞いてたけど、とんでもないタラシの頭目だね。いいよ、あたしたちの命、あんたの『綺麗事』に賭けてやる!」
こうして、街道を騒がせていた女盗賊ゼシカとその一団が味方に加わった。
「秘密の村」の開拓と、アッシュ率いる裏の軍勢の組織化は、一気に加速していくのだった。




