第1話『右の壁を叩け。抜け穴がある』
『戦闘力ゼロの底辺カメラマン、「神画角」でダンジョン配信を成り上がる』について、物語の序盤を中心に、構成と描写を見直しました。
主人公・志摩タクトと、怪物の赤文字を手掛かりに誰にも撮れない映像を切り取るという基本設定は維持しつつ、怪物たちの世界や、撮影によって起こる出来事がより物語の中心に伝わるよう、本文を改稿しています。
旧版から展開や描写を変更した箇所があります。すでにお読みいただいた方も、改稿後の第1話から読み直していただければ幸いです。
今後は改稿版を基準に、物語を進めていきます。引き続き、志摩タクトの物語をよろしくお願いいたします。
家賃の更新料と滞納分。合わせて三十万円。期限まで、あと二十五日。
スマートフォンの通知を閉じても、数字だけは頭に残った。
俺は志摩タクト、二十五歳。半年前まで映像制作会社でカメラ助手をしていた。現場で倒れ、目を覚ました翌日に契約を切られた。会社に残ったのは、俺の代わりに徹夜できる人間だけだった。
手元にあるのは、退職金で買った中古の業務用カメラと、現場で何千時間も画面を見続けて身についた癖。歩きながら水平を保つこと。暗い場所でも、光のわずかな違いを拾うこと。人間が何気なく動かした肩や指から、次の動作を読むこと。
職業病と呼ばれたそれで、家賃が払えるとは思っていなかった。
「配信、開始」
新宿第三ダンジョン、第一層。画面の隅に表示された同時視聴者数は七人だった。
『また底辺が来た』
『武器なしで何するの?』
『今日は何分で逃げるか賭けようぜ』
「安全ルートを探しながら、魔石を回収します」
声だけは普段どおりに出た。配信者としての俺に、まだ客はいない。それでも黙って潜るよりはましだ。
通路を二つ曲がったところで、道が途切れた。
行き止まり。背後から、石を引きずる音がする。
振り向くと、緑色の巨体が通路をふさいでいた。オーク。錆びた鉄槌を片手で引きずり、黄色い目で俺を見ている。
『詰んだ』
『逃げろ、無理だろ』
『これ配信切った方がよくない?』
逃げ道はない。オークの肩がわずかに沈んだ。次に来るのは振り下ろしだ。足は震えていたが、カメラを持つ手だけは、妙に冷静だった。
画面の端に、赤い文字が打ち込まれた。
《右の壁を叩け。抜け穴がある》
人間のコメントではない。アカウント名もない。配信のログを遡っても、その文字はどこにも残っていなかった。
「……誰だよ」
オークが鉄槌を持ち上げる。考える時間はなかった。
俺は右の壁へ飛びついた。肉眼ではただの岩肌だ。だが、カメラの液晶越しでは、岩に落ちた影が不自然にまっすぐ伸びている。自然に割れた線ではない。画面の暗部にだけ、扉の輪郭が浮いていた。
拳で叩く。反応はない。肩でぶつかる。石の継ぎ目がずれた。
岩壁の一部が内側へ回転し、人ひとりが滑り込める隙間が開いた。俺はカメラを抱えたまま、そこへ転がり込む。
直後、鉄槌が床を砕いた。石片が頬を切り、耳の奥で音が割れた。
内側の突起を引くと、岩壁が閉じた。オークの咆哮が、厚い石の向こうへ遠ざかっていく。
しばらく、息の仕方が分からなかった。
やがて人間のコメントが流れ始める。
『壁が開いた!?』
『隠し通路なんて聞いたことないぞ』
『今の見た? 偶然か?』
同時視聴者数は四十五人まで増えていた。俺が助かった理由を、誰も説明できない。俺自身にも、まだ説明できなかった。
あの赤文字は、そこに隠し通路があると知っていた。
誰が。なぜ。
画面に、もう一度赤文字が浮かんだ。
《助けてやったんだから、次は俺をちゃんと撮れよ》
俺はカメラを見下ろした。
助けた、じゃない。撮らせるために助けたのか。
「……俺は、お前の何なんだ」
返事はなかった。ただ、その一行だけが、暗い液晶の中央に残っていた。




