ダンジョン
さて、父が言っていた言葉を思い出そう。人生とは二人分の広さの洞穴であり、壁に手を添えてもがき、それでも光を目指して進むものなのだと。その時父は人生で幾度目かの患者の旅立ちに沈んでいて、私は父を元気づけようと家じゅうの懐中電灯を探し回ったりしたのだけど、それは過去の話。壁から手を離す。
「これが人生かあ」
とりあえず思い出してみたけどごめん、全然分かんないや、お父さん。
「たまに天音って変なこと言い出すよな」
「……ほっといて」
凪に同情されるようではおしまいだ。
私が柄にもなく感傷に浸ってしまうのも無理はない(と思いたい)。両手にはびっしりと苔とタールとうごめく何か。虫というには足が多く、節足動物にしては頭部が単純すぎる。既存の生命体系から独自進化を遂げた、異界の生物とみるべきか。
「凪、手出して」
「ん、なん――おいやめろ、何すんだ。やめて」
私は理解不能な悪人の次に虫が嫌いで、汚いものもその次に嫌いなんだ。
「……必要な犠牲だったから。許して」
「許さん」
おお。わりと珍しくマジギレだ。今度気が向いたら埋め合わせを考える時間を設けないと。
「元気出せよ凪、虫よりはマシだってことだろ?」
「うるせえ。こういうのは侭の役目だろ」
「お前らどういう関係なんだよ」
茶番はともかく、洞窟は立派なものだ。入り口こそかがんで入る必要はあるけれど、空気の流れがあるし水の音もする。もしかしたらどこかにつながっているのかも。おそらくここにも大型のボスモンスターがいると考えると、広い空間はあるとみていいだろう。
「行こっか」
あの日の父を元気づけたのと同じ、懐中電灯をつける。準備しておいてよかった。何も言わずとも先陣を切ってくれる理人は、やっぱりいい人だと思う。
苔と虫とのカーニバルは洞窟の内部にも及んでいた。地面が硬いことに一歩一歩安堵しつつ進む。
「出たぞ、魔物だ」
理人の声。現れたのは大きめのダンゴムシ。大きめの、一メートルくらいの、足がうごめいている、ダンゴムシ。もう帰りたい。
「せいっ」
掛け声とともに理人が鉄の剣を振り回し巨大節足動物を両断する。
「紅蓮秘術、ファイヤボール、フレイムピラー」
「よせ、もう死んでる。見えないのか」
「見たくないから燃やしてるの」
とりあえず火の呪文は有効と。今のうちに呪文のストックを考えないと。
身の毛のよだつ虫地獄を抜け、洞窟はさらに奥地へ。
洞窟の中は折れ曲がり、分かれ道になり、ときおりどういうわけか宝箱すら置いてあった。
「正統派のダンジョンだな」とは理人の言。続く説明によると、TRPGに限らず、ゲームにはこういう存在意義の定義しづらい構造物が定番になっているらしい。
「つまり分岐が多いのは別に炭鉱があったとかじゃないと」
「おう。場にそぐわない宝箱についても気にしたら負けだ」
「えー」
中身の鋼の剣がまったく錆びついていないのも気にしちゃダメなんだろうか。拾った剣を両手でどうにか持ち上げて、理人に渡す。
「天音、そこ気を付けろ。穴になってる」
「あ、ありがと」
理人が剣で足元を指す。確かにそこには数十センチほどの穴があった。円形の陥没は何か重いものが通った足跡のようにも見え、恐ろしいことに無数に存在していた。
「ボスも虫だな、こりゃ」
残念ながらその可能性は高そうだ。このエリアの植生からして、動物系の魔物が生態系の頂点に立っているとは考えづらい。ダメだ、吐き気がしてきた。
節足動物の気配を全身に受けながら狭い穴倉を進むこと数分、ようやく壁でも闇でも虫でもない場所が私たちを迎える。
「橋?」
洞窟は巨大な地底渓谷も兼ねているのか崖があり、そこには木製のつり橋がかけてあった。明らかな人工物。いや、もともとはソミシンが通っていた洞窟だ。人が作った道があってもおかしくない。けれども私は虫のせいで冷静さを欠いていて、だからこそ橋という小さな違和感に引っかかった。
「わっ」
声が漏れる。それはもちろん驚いたからで、驚いた理由は急に無重力に放り出されたから。崖が近いということは地面が脆いということでもあり、穴だらけになっているならなおさらだ。
周囲の地面一帯が崩落する。天然の落とし穴だ。
落ちる。っていうか落ちてる。崖。まずい。高い。薄暗くて見えないけれど、少なくとも一瞬で地面に着く高度じゃない。
凪と理人はどうなっただろうか。近くにいた二人も落ちているはずだ。隣で理人が叫んでいる。凪は見えない。今はとにかく助かる手段を考えなければ。刹那の落下空間、閉鎖的な洞窟、使える技術は? 能力は?
「痛っ」
結局私は何も思いつけず、地面に腰を強かに打ち付けることになる。幸か不幸かさほど高い距離を落ちたわけではないらしく、地面も柔らかい土の上だ、骨や筋を傷めずには済んだ。
「い、生きてる?」
周囲に人の気配を二つ感じ取り、声をかける。「なんとか」「無事か?」と理人と凪の声。どちらかというと凪のほうが余裕ある感じだ。
「いや、ヤバかった。低くて助かった」理人が剣を支えにして立ち上がりながら言う。
「洞窟ってわりにかなり広いな」
半面、余裕しゃくしゃくなのは凪のほう。うまく着地したのかと思いきや、「能力で落下緩和したんだよ」と自慢げな解説が入る。
「自分だけ?」
「俺に出力を期待するな」
文句を言いたくもなったけどその通りだ。戦力が一つ残っただけでも良しとしなければ。
「体力どのくらい減った?」
言われてギルドカードを確認すると、三割強のダメージが入っていた。遠眼鏡越しに見ると、理人と凪も同じくらいだ。どうやら落下時は割合でダメージが計算されるらしい。
「ついてたな」
理人が言うので反論しようとしたら、「こっち見ろ」と促される。
「足元注意な」
首をかしげつつ近づくと理由が分かる。
「……ほんとだ、ラッキーだったね」
私たちが落下したのはいわば棚になった部分で、その先にはさらに谷底が続いていた。試しに小石を拾って落としてみると、落下までざっと六秒。
「百五十メートルくらい?」「計算上はそうだな」
落ちたら間違いなく死んでいる高さだ。ステータスじゃなく、命のほうが。
さすがに戦慄する。暗いからと、慣れないからと警戒を怠った私の落ち度だ。懐中電灯も壊れてしまった。みんなの安全のためにもう油断は許されない。決意の意味を込めて、壁の黒苔を握って崖に放る。
「おーい、道あったぞ」
凪が順路につながる細穴を見つけ、私たちは気を付けつつも後を追う。
息を切らして坂を上り、足をすくませ橋を渡り、そこから先には少しだけ広い通路が続く。おそらくは何かの通り道だったのだろう。人一人がギリギリ通れるサイズで、削り口が摩耗していないからまだ日が浅い。この地下で巨大な生物が通ったということは、そういうことだ。細穴は少しずつ下っていき、ひらけた場所につながる。
「広間だな」
「うん」
凪の言葉通り、そこはこれまでの洞窟と打って変わって広がった空間だった。
「ファイアベール」
軽い炎魔法を上方に放ち、状況を確認する。周囲は二十メートル、学校の教室四つ分くらいの面積。天井は五メートルくらいか。そして、背中の方にはあからさまな宝箱。道中見かけたものよりも装飾が豪華で、きらびやかだ。
「笛、見つけたかも」
「でかした」理人が弾んだ声を出す。
「でも残念、ボスもいる」
「マジか」凪が弾んだ声を出す。
部屋に入った時点でこちらに気づいているのだろう。私が火を放った時、すでに警戒心に満ちた瞳が向けられていた。それも一つじゃない二、三、四、八つもだ。足も八本あって、よく見ると部屋全体に白い糸状の物質が溜まっている。
ダンゴムシよりマシダンゴムシよりマシ。念仏を唱えながら、私はログアプリに手を伸ばす。
・エンカウント:最後の軍勢、デルサスが現れた。
簡潔なメッセージが、戦闘開始を告げる。
作中では主に「魔物」と「ボスモンスター」という表現を用いています。魔獣やネームドなどいろいろな表記を使ったほうがいい気もしましたが、天音が知らない不文律的概念を勝手に出すわけにもいかないためこのようにしました。




