侵入者の一幕
鐘の音が一つ。死源に足を踏み入れたシドを迎えたのは、館と異質な世界。右手が異界に共鳴するかのようにざわめく。
少し浮遊し、木々の境目から世界を見渡す。森があり、山があり、塔がある。原色の強い自然群は雄大ながらもどこか作り物じみていて、その中心にある塔は輪をかけて偽物だ。戸惑いはしたものの、警戒していた凪たちの姿はない。
前回のことを考えると、このまま遭遇せずに済ませたい。目の前の建物は気になるが、人らしき気配がある中に入っていく勇気はシドにはなかった。ひとまずは大きな想いのある方向を探る。
「……何か、変な感じ?」
具体的に言い表せないが、直観的に異質を感じ取る。前回の死源とは明らかに異なる点。その正体は定かではなく、ゆえにシドに近づくことをためらわせた。
「行かなきゃ」
館の人影に見つかる前に、その場から足早に立ち去る。
・不届きが。
なぜだかそんな言葉が頭に響いた気がして振り返る。けれども背後にあったのは無言で威圧する館の扉だけだった。
不均質に繁茂する異世界色の森林を歩き、たまに出てくる魔物たちを驚きつつも遠くへ飛ばす。およそ現実ならざるその情景は、シドにかつて読んだ児童小説を思い起こさせる。
開かない窓と白いベッド。傍らで本を片手に笑うのは幼き日の凪の姿で、右足と左手には重厚なギプス。その日二人が話していたのは、感情と記憶を食べる悪魔の苦悩を描いた小説だった。
「苦しんでる? そんな話だったか?」
同じ本を読んだ凪からは疑問。確かに、文章として読み解ける範囲において悪魔は自由奔放で、そもそもが主人公ですらなかった。笑いながら親の愛と友の情を食い破ったと豪語し、主人公を憤慨させていたはずだ。だから「苦しんでいる」というのは晴の主観に過ぎない。それでも晴は、心を喰らう悪魔に同情してしまう。
「だって、家族も友達も自分で食べちゃったんでしょ? 食べなきゃ死んじゃうから。生きるために一人になるのって、悲しいと思う」
別の本で読んだことだ。人間とは、常に自身を肯定する手段を得ていなければ不幸を感じてしまうらしい。家族も友達も自分から切り捨てた悪魔は、晴にとってひどく悲しい生き物に映った。
「――のにな」
記憶にノイズがかかる。
あの時、凪は何と言っていただろうか。すぐに大災害が起きて、晴の記憶はもやの彼方に閉ざされてしまった。それでも凪の一言が晴を安心させたことだけは覚えている。
時を経て、一度だけ凪に同じ話をしたことがある。
凪の部屋、ベッドに二人並んで座ってテレビを見て、ふと昔の情景が思い出された。問いを投げられた凪は考えるそぶりを見せて、少し笑って、結局こう言った。
「大丈夫だよ。ギジンにはフィードがいるから」
フィード。物語の主人公だ。友達の記憶を食われたことに義憤を感じ、悪魔のギジンを追い続ける若きデモンハンター。行く先々で友を作り、恋人と廻り合い、輪を広げていくフィードと、対照的に一人になり続けるギジン。
「でも、恨まれてるよ?」
「恨んで恨まれる、そんな関係もある」
首が傾く。凪の言葉が解釈できなかったわけじゃない。晴にとってもそれは一つの理解だった。だんだんエスカレートしていく食心事件も、最も強いつながりである主人公との敵対関係を食べずに済むためだと、そう語る人もいる。
分からなかったのは、凪がそんな細かい機微に気を遣う人間ではなかったということだ。記憶は曖昧でも、かつての凪はそんな悲しい答えは出さなかった。
左手が凪の右手に伸びる。けれども指先は触れ合うことなく、代わりに凪は晴の背に優しく手を回す。
羽毛に触れるような繊細さと共にあるのは、この上ない親愛。晴は凪のシャツに右頬をつけながら、やはり矛盾を感じる。これらは同じであるべきじゃないし、凪も分かっているはずだ。
「そろそろ遅いな。泊まってくか?」
「……うん」
凪は嘘をついている。それは彼にとっての仮面で、でも晴への思いだけは隠されていない。だからそれで十分。
不安を覆い隠すがごとく、代わりにシドは仮面をつける。真実の探求者は情にも血にもほだされない。合わない靴を異能で手繰り、地面に足跡を刻む。
無心のまま、短くない時間が過ぎていく。獣を退け、魔物を除き、森を分け、そして。
「ひ、人? 誰?」
「シドさん、だね。話はボスから聞いてるよ」
鐘の音が二つ。シドは、ユウレイに出会う。
声が二つ。異質の主に近しい気配が一つ。気配は動いていない。シドは先に想定外の侵入者を見る。
「あなた方は、何者ですか」
右手を掲げつつ、きつく言い放つ。変声機はうまく作用しただろうか、声は震えていないだろうか。不安は仮面が覆い隠してくれる。
「や、やめろ。俺に攻撃するな。しないでください」
声の一つが怯えた様子で三歩後ずさり、そして思い直したのかすぐに戻ってくる。声はやや高く背も低いが男のもので、おそらくシドよりも年下だろう。野球帽からのぞく柔らかい髪質と垂れ気味の眉が、人見知りのシンパシーをシドに与える。
「た、助けて、姉さん」
少年は悲鳴を上げながらもう一人の背後に隠れる。
「もう。玲君が私を守ってくれるんじゃなかったの?」
「で、だって、それは、モンスターから、なら」
「モグラからも逃げたくせにー」
しどろもどろになる玲と呼ばれた少年と、それを穏やかにからかう少女。少女のほうは少年よりも三つは上だろうか。手入れの行き届いた髪と、丈の長い袖口からちらりと見える柔らかい指関節、およそ森の中にはふさわしくないきらびやかさだ。未成年のようだが、見た目以上の落ち着きが見える。
玲の頭を撫でつける仕草が姉と弟のような関係に見えて、シドは無意識に心臓を手で押さえる。
「質問になら、答えてもいいよ」
シドがもう一度同じ問いを投げるか思案しているのを悟ってか、先んじて少女から答えが返る。袖の奥に隠れて見えないが、その所作は鍵の存在を示唆していた。
「あなたも、資格者ですか」
「教えるには、一つ条件」
少女は指先を緩やかに動かし、背後に向ける。
「あれを倒すの、手伝ってくれないかな」
背後には岸壁。山肌が露出しているだけかと思ったそれが、ギョロリと目を開く。少女が石を投げつけると、怒ったのか口まで開く。答える間も考える間もなく岩塊はその影を大きくし、立ち上がる人型の何かになった。
「私は由宇。よろしくね、シドさん」
巨人が岩を拳に変える中、まったく動じた様子なく少女――由宇は告げる。緩やかで穏やかな口調が、シドから名前を知られていたことへの疑問すらも忘れさせた。
「姉さん、危ない!」
玲が鋭く声を上げ、ほとんど同時に由宇の足元に岩の塊が降り注ぐ。衝撃は轟音と陥没を作り、明白な破壊のイメージをシドに想起させる。
「大丈夫、大丈夫」
けれども由宇は岩陰から何事もなかったかのように歩き出てくる。岩を華奢な足で数度小突きながら、硬さに顔をしかめている。
「じゃあ、私行くから。あとよろしくね、二人とも」
「え、待って姉さん、行かないで」
「私は射手なんだから、距離とらないとダメでしょ」
「でも姉さん、でもぉ」
「わがまま言わないの。玲君ならできるって信じてる」
狼狽を重ねる玲を緊張感のない叱咤で突き放し、由宇はその場に踵を返す。
「じゃあ、シドさん、玲君と仲良くしてあげて。援護はあんまり期待しないでね」
「……待って」
ずっとあっけに取られていたシドが言葉を発したのは、すでに由宇が十メートルは離れてからだった。当然声は届かず、代わりに届けられるのは背後からの岩拳。
「邪魔をしないでください」
右手をかざし、力を込める。怪物は動きを止めるが、八メートルはある巨体の一撃はシドの念動力をもってしても御しきれない。仕方なく、拳を地面に誘導させる。
「おい、お前」
攻撃をしのいだシドを見て、先ほどまでうずくまっていた玲のほうが声をかける。
「お前、ジョブは」
「ジョブ、とは」
「は? ギルカ見せろ」
「ギルカ、とは」
姉にすがっていた時とは打って変わって鋭い口調。知らない単語を次々出され困惑するシドに、玲は舌打ちをする。
「館でもらっただろ? 早く見せろ」
「建物には入っていません」
正直に答えると、濁ったため息。
「マジかよ。助けて姉さん」
「先ほどの人は、あなたの姉なのですか?」
「姉さんは姉さんだよ」
言葉に窮して話題を変えるシドに対し、玲はピシャリと、戸を下ろすように答える。怯えでも怒りでもなく、静かな水面のような決意が感じられた。
「……そうですか」
シドは心の核に触れるのをためらう。代わりに異能を眼前の敵へと向ける。音を立てて体勢を崩す巨岩、けれどもヒビ一つはいらない。
「それじゃダメだ。能力じゃディルフィラーのHPは削れない」
「ではどうすれば」
「知らねえ」
苦手なタイプだ、シドは思う。この人は他者と接するのが苦手なタイプなのだと。そしてそれは自身も同じであり、つまるところが手詰まりだ。
ディルフィラーというのは巨人の名前なのだろう、その巨人がしりもちをついた体勢から器用に足をたたみ、再び立ち上がる。一挙手一投足に地響きが伴い、シドから現実味を奪う。
ディルフィラーが拳を構え、振りかぶり、襲い掛かる。それを止めるのはシドの異能で、止められた巨人はシドを睨む。殴る、止める、数度繰り返した時、シドの体は宙に浮いていた。
「これは、いったい」
「バカ野郎」
生命力の枯渇。死源のシステムを知らないシドにとって、それは突如発現した何者かの攻撃。
「もしや、あなたの異能ですか」
「違う。ああもう、撤退だ。話は姉さんに聞け」
頭が混乱する中シドは飛ばされ、気づいた時には館前の柔らかい落ち葉に着地していた。落下のものとは違う衝撃がくわんくわんと意識を揺らし、シドの意識を明滅させる。
「早かったね」
迎えるのは由宇の緩やかな口調。
「約束通り、話をしましょうか」
意識を取り戻したのち、由宇に連れられてシドは館に入る。うごめく人ならざる人、構築される世界、異質の中の秩序。それらの説明を受けながらキャラシートを書くうち、玲が歩いて戻ってくる。
「お帰り玲君。敵は?」
「ごめん姉さん、無理だった」
「ふふ。じゃあ、あとのお楽しみだね」
なぜだか沈み切った様子の玲と、くすくすと朗らかに笑う由宇。対照的ながらも互いへの信頼が見て取れ、シドは仮面の奥の眉を下げる。
「書き終わったらカウンターでカードと替えてもらってね」
「……分かりました」
「うん。行ってらっしゃい」
顔を隠すシドにも態度を変えることなく接していて、安心感を与えてくれる。玲が姉と慕う気持ちが少し分かる。
もらったギルドカードに困惑し、傾く首を超能力で伸ばしながら由宇たちの元に戻る。テーブルにはすでに水筒と紙コップが置かれ、休憩の準備が整っていた。
「話を、聞かせてもらえますか」
「うん」
由宇は紙コップをシドに手渡し、渡されたシドは口をつけるべきか迷い、結局満杯のまま突き返す。由宇は袖にされても笑みを絶やさず、話を始める。
「私たちはね、ここに人探しに来たんだ」
「人探し、ですか」
「そう。四人組の子供。見なかった?」
心当たりはあるが、答えるべきではなさそうだ。シドが首を横に振っても、由宇は「そっか」と残念がる様子もない。
「なぜ、探しているのですか」
「ボスが会ってこいって言うから、会いに行くの」
「お、俺はそいつがボスの敵なのか見極めたい。敵だったら殺さなきゃだし」
「玲君、言葉が物騒」
玲の頭を指ではじく由宇。
「ではなぜ、あの怪物と戦闘を?」
「人探しのためには高いところに上るのが一番だと思って、山の方を目指してたの。塔は、あんまり好きじゃないし」
いわく、一時間ほど前からあの巨人と戦い、何度か全滅してここに戻されているらしい。確かに、森の先には周囲を一望できるだけの高さの山があったが、そうまでして倒す必要があるのだろうか。そもそも拠点らしきこの建物で待っていれば、必然的に凪たちと会えるはず。不審に思うシドに同調するように、由宇は苦笑いする。
「でも、ちょっと強くて苦戦中なんだよね」
「あいつはレベルが高い、もっと鍛えなきゃ、ダメだ」
笑う由宇と、反面玲は憎々しげだ。
「そうだね。でも、玲君の言う通り諦めて逃げようとしたら、強い味方が来た」
指さす先は当然シド。
「戦ってたら突然オオカミがこっちに飛ばされてくるから、私びっくりしちゃった。すごい超能力者だよね。じゃあ、力を借りようって思ったんだ」
「考えた作戦に、ちょうど合う。力を貸せ」
「玲君」
「貸してください」
仮面の裏で目を閉じ、一考するシド。二人に協力する理由はないが、協力しない理由もない。正体を隠す理由はあるが、一人で戦う理由はない。高所から凪たちの居場所を確認できれば、遭遇しないよう立ち回れるかもしれない。
何より、今は情報の恩義に報いるべきだ。
「あれを倒すまでであれば」首肯し、手袋を外して左手を差し出すシド。
出された手をやんわりと握るのは由宇。袖越しに触れた指先から感情を探り、困惑する。その心は恐ろしいほどに冷たかった。
「よろしくね。かわいい黒子さん」
かわいい、という言葉が強調される。手を触れたことで性別がバレた。内心で戦慄するシドに対し、由宇はあくまで朗らかな笑みを崩さない。
「それで、シドさんは何をしにここに?」
「なぜ、私の名を」
気になっていた。シド自身、シドとして活動を始めたのは前回の死源が初めてだ。凪たちの知り合いだろうか。疑問は由宇の「秘密」という一言で流されていく。
「ねえ、シドさんは何しに来たの?」
ゆっくりと敵意なく、しかし繰り返される問い。意趣返しをすることもできたが、シドは答えていた。
「……きっと、人を探しに」
「きっと、ってなんだよ」
玲が不思議そうに首をかしげるが、シドは答えるすべを持たない。
「行きましょう」
無理やり話を断ち切って、館を後にする。
「そっか、シドさんは村人なんだね」
長いスカートでけもの道を悠々と歩きながら、由宇は驚く。
「ステータスの割り振りかな、それとも能力が強いから補助はいらないってことなのかな?」
答えを期待した質問ではないらしく、そのまま言葉は続く。
「私は射手。そのまんま弓が使えるんだって」
背中に担いでいた弓を取り出し、不格好に弾く。素人のシドの目から見ても力不足は明らかだったが、矢はそれなりの速度でまっすぐ飛んでガーゴイルを刺し貫く。
「で、玲君は呪術師。言いにくいよね、呪術師。なんか、さわった相手に追加でダメージを与えてくれるんだってさ」
言葉の通り、玲がガーゴイルに掌底を放つと、そこには焦げ跡のようなものが残っていた。
けもの道は由宇たちが作ったもののようで、まだ新しい。おそらく順路ではないこの道程を不審がりつつ、シドはただ由宇と玲の後ろに続く。
「私は、何をすれば」
緩やかに時間は過ぎ、まるでただ遊んでいるかのように道中は続く。そろそろ先刻の巨人が見えてくるころになり、ようやくシドは問いを投げる。
「とにかく、転ばせ続けてくれ」
答えたのは玲。
「たぶん、ここには、攻撃を回避するってルールがない。だから、攻撃されたら、俺たちは負ける」
「攻撃自体をさせないというわけですか?」
「そう、そうだ」
確かにシドの能力をもってすれば、あの巨人であっても足元を返すくらいはたやすい。しかし、そううまくいくだろうか。
「うまくいくかなあ」
からかうように不安を口にしたのは由宇。玲は「うまくいく、絶対」と子供のような笑みを見せる。
まるで本当にゲームで遊んでいるだけのように振る舞う二人。シドはなぜだか、その光景に心温まる痛みを感じる。
「いたな」
玲の言葉通り、巨人は先ほどと同じ場所で眠りについていた。名は「地鳴巨人、ディルフィラー」。霊峰へと続く洞窟を封じる守護神という設定らしい。
「手筈通り、しくじるなよ」
一歩前に出て、そのまま巨人と相対する玲。武器はなく防具もない。足元に該当する岩肌にそっと触れ、小さくうなずく。戦闘開始だ。
玲が巨人に触れてから数秒。掌が発光し、石の肌に赤い熱が灯る。
「そろそろ起きるよ」
由宇の警告に同じくし、巨人が体を起こす。巨椀を引き、薙ぎ払いの体勢だ。
「止めます」
ディルフィラーの上半身に照準を定め、能力を開放する。不得手とする精密操作だが、巨体を相手取るおかげでどうにかなりそうだ。振るう腕ごと地面に落ちていく上半身、続けざまに抵抗を示す足元を揺らし、そのまま地面へと縫いとどめる。
「姉さん、どうだ?」
「ちゃんと何もしないをさせられてるね」
「やったっ」
声を上げる玲。「思った通りだ」と開いた拳を握り、幼くはしゃぎすぎたと思ったのか、「続ける」とトーンを落とす。
巨人との見えない戦いは、それから十分ほど続いた。緊張で手袋の内側を湿らせながらも作戦は無事に続き、やがて石の巨体にひびが入る。
「終わり、だ」
「そのようですね」
轟音とともに崩れ落ちていくディルフィラーを見て満足げに息を吐く玲。シドの声にも自然と熱が入る。
「さ、次に行きましょうか」
「はい」
鳴り響く三度の鐘。由宇に背中を押され、未開の山道へと足を進めるシド。離脱するタイミングを見失っているという事実に気づいたのは、山間の洞窟を半分ほど進んでからだった。
本作はほぼ天音視点で進んでいきますが、物語上は四人の主人公が登場します。主人公が不在の際は今回のように三人称視点となります。




