悲劇の竜と果ての塔
森は左手、右には巨塔。頭上の青は空々漠々、道に踊るは私の苦難。
「――というわけ。そろそろ分かった?」
「なるほどなあ」
凪がしきりにうなずき、私は嘆息する。
強くもない魔物を狩りながら元来た道を戻る、その道中を利用してどうにか凪に状況を理解させようと思っただけなのに、なぜこんなにも時間がかかるのか。理人が「お疲れ」と目で労いをかけてくれるのだけが救いだ。
そして悩みの種がもう一つ。なぜ凪は一つ言葉を覚えるなり前の言葉を忘れてしまうのだろうか。
「ちょっと、どこ行くの?」
話を聞き終わるなりいきなり横道に逸れる凪を呼び止める。
「どこって、塔だろ」
指さす先の塔は、確かに五百メートルもない距離にある。
「私の話聞いてた? 勝手に離れない、塔は最後。分かる?」
「お、おう」
呆れて語気を強める私にたじろぐ凪。「なんか理香みたいだな」と二重に失礼な言葉も飛び出す。
「はあ」
確かに、立ち寄って偵察するのは悪い選択肢ではない。けれども最終決戦の場というからには敵も強力に違いない。全滅のリスクを負うには私たちの命は重すぎる。
凪は不服ながらもいったん街道に戻ってくる。けれども、裏切りは思わぬ方向から。
「僕も行ってみるべきだと思うな」凪を横道に押し戻しながら侭が言う。
「何か根拠が?」
「簡単だよ。まだ鐘が二回しか鳴ってない」
「はあ? なんて?」
きっとわざと分からないように言ったのだろう。イラっと来たから強めに聞き返す。
侭は両手のひらを大げさに正面に広げて怖がるフリをしつつ、嘘くさい笑顔のまま理由を教えてくれた。
「そういうシステムなんだ。鐘が鳴るのは封印が解けた合図で、今は二回。まだ解放されていない一つに、死の概念の追加がある。死を司るボスを倒されると、その時に初めてキャラロストのシステムが解禁されるわけだ」
「それまでは絶対に死なないと」
「そういうこと」
「うーん」
筋は通っているようで、仮説を前提にしているからあまり通っていない。そもそも私たちは死源にいるわけで、ゲームをしているわけじゃないんだけど。侭がここまで楽しそうなのは初めて見るから、できればそのままのびのび遊んでほしい気持ちもある。
「でもなあ」
私はさっき、リアルに自分の体が損壊する危機に直面している。いくら魔法があっても、超能力が使えても、失った血液や折れた骨は戻らない。私だって、自分が戦闘で足手まといになる自覚がないわけではないのだ。いや、さっきの戦いで強敵との闘い方は少しずつ見えてきた。多少無理ができるまでレベルを上げればあるいは。
「せめて一度ギルドに戻ってから議論しようよ」
勇気を出して折衷案を口にする。
「俺もそう思ったんだけどな」
けれども返ってきたのは、申し訳なさそうな理人の声だけだった。
「あいつら、もう行っちゃったんだよな」
「……いや、止めてよ」
「無茶言うなよ」
むなしいため息合戦をやっていても仕方がない。私たちの合理性は正しい判断を下し、勝手どもの後を追う。まあ、静止役が一人じゃなくなっただけマシだろう。
膝丈の草木をかき分けながら数分小走りで移動し、すぐに侭に追いつく。というか、草の上に座り込んで休憩していた。
「凪は?」
「あっち」
見ると、もはや塔の目前へと駆け抜ける凪の姿。ぬかるみや草木の妨害をものともしない力強さだ。こっちはこっちで無駄にフィジカルが強い。理人を先に行かせて、私は侭のそばにしゃがみ込む。
「運動不足じゃない? だらしないなあ」
ここまでせいぜい三百メートルくらいしかなかったんだけど。いったいどこに疲労する要素があったんだろうか。
「人間の、体力には、限りと、個人差が、あってね。はあ」
「何言ってるの? 生命力はまだ22も残ってるよ」
遠眼鏡でのぞきながら皮肉を言うと、レンズ越しに苦い顔。
「それは死源が決めた数値で、本当の僕の体力じゃ、ないよね。ゲームと現実を、はあ、一緒にするなよ」
「ほんとに口が減らないなあ」
ちょっとお姉さん、この子の将来が心配になってきた。学校で友達出来るかな?
「ほら、水」
「うん」
「汗も拭いて」
水筒とハンカチを渡して休ませて、呼吸が落ち着いてから追跡再開。遠くの困ったさんには理人がすでに追いついてくれたらしい。無理やりこちらに引っ張ってこようとしている。
「水筒返して。私も飲むから」
ひと息ついて水分補給をしようとした私に、横から侭が不穏をかける。
「急いだほうがいいよ」
「え、なんで?」
「ほら、前」
「前って……あ」
さっきまで押し合い引き合いをしていた凪と理人が、どういうわけか臨戦態勢に入って武器を構え合っている。
「あの二人は暇を持て余すと殴り合いを始める性質を持つんだ」
「川渡りのパズルじゃないんだからさあ」
もはやロープが必要だ。誰も余計なことをしないように縛ってつなげないと。こめかみの頭痛を押さえつつ、侭の手を引っ張って戦いの鉄火場へと急ぐ。
憤りを原動力に湿地帯を走り抜け、無益な戦いをする二人の間に割って入り、その場に正座させて説教すること五分。「分かった、分かったってば」と辟易する凪を見て、ようやく私の溜飲が下がる。まあよく考えれば、健全な殴り合いの範囲なら男の子だし、よくあることだよね。うん。落ち着け私。
一度深呼吸して、それからようやく塔の方へと意識を向ける。
「ここが、讃美歌の塔」
四方をぐるりと湖で囲まれた先にある、高い高い塔。淡く調和する青と白によって彩られ、頂上部に行くにしたがって少しずつ細くなっていく形状。入り口にはチケット売り場までしつらえられている。エントランスの屋根にはTOTO ATLAS TOWERの十二文字。
「やっぱり、アトラスタワーだよね」
大きさが縮小されている以外は完璧な再現度だ。中学校の社会見学で見に行ったなあ。あの時は封鎖されていて叶わなかったけれど、今日ならあの回廊を登れるかもしれない。
私の胸に湧きあがるいらない好奇心と、それを抑え込むもう一つの暗い感情。横にいる凪を見る。
「似てるな」
災害の象徴たるアトラスタワー。仮に原因がこの塔自体になくとも、災害とこの建物を結びつける人は少なくない。凪も当然、この塔が被害者だと知っている。それでも、塔を見据える瞳は静かに揺らめき、決意にも似た炎を映し出していた。
「この湖は、本物にはなかったね」
一方で侭はひどく冷静だ。休んで気力も復活したのか上を見たり下を見たりと忙しい。
「いや、湖までが本物と考えるべきか」
侭は濁った湖に手を突っ込み、手にまとわる砂泥を振り払う。
私も同意見だ。この塔はあらゆる意味でこの空間には似つかわしくない。異物の中に置かれた、さらなる異物なのだ。もともとあった違う塔を無理やり撤去して建て直したような、そんな異質感。
「何してんだ、早く行こう」
行かないんだってば。文句を言う暇すらなく凪がチケット売り場の方へと歩いていく。
無機質な塔と澱んだ湖。肌寒い雰囲気を醸し出してはいるけど、懸念していた竜の姿はない。もしかして、お金を払えば普通に通してもらえたりするのだろうか。
「何だ?」
券売機に触れようとした凪が急に目を細め、上を向く。何か感じ取ったのだろうか。追従する私の視線が捉えるのは、落ちてくる黒い空。
「え?」
隕石が躍動する。私の淡い期待をかき消すかのような豪風が上から下へと吹き抜け、私たちの体を同心円状に吹き飛ばす。
「何、あれ」
横回転で地面を転がりながら、私の視界は隕石の正体が竜のそれだと看破する。翼をゆっくりと折り曲げながら、悠々と私たちの前へと着地する、白い竜。神聖さを感じさせる七本の角、羽毛ではなく鱗を携えた巨大な両翼、その翼に負けない太さの四肢。前足には鋭い爪があり、尖った顔立ちと併せて肉食であることを教えてくれる。
・エンカウント:悲劇の竜、レオデキャイアが現れた。
へろへろの手でログを確認する。あれがここのボスか。
「全員無事か」
前方から凪の声。見上げると、まだ立って臨戦態勢を取る姿が見えた。チケット売り場の屋根を使って風を潜り抜けたらしい。すぐ近くに剣を杖にした理人も見える。
「凪、威力偵察だ」
「よし来た」
生き残り組はよせばいいのに好戦的だ。止めるべきか、叱るべきか。とにかく私は手を伸ばす。
「あれ?」
伸ばしたはずが手のひらは私の胸元に残ったまま。おかしいと感じるよりも早く、全身に轟くような衝撃。電車がトンネルに差し掛かった時のような耳管狭窄、痛みと鈍る聴覚が現象の正体を音だと推測する。けれども、あまりに破壊的だ。
「これはまずいね」
少し後ろからぼやけた侭の声。
「いわゆるハウリングボイスだ。レオデキャイアはこちらの行動に干渉してくるらしい。コマンドを取れない以上、ダメージを与えるすべはない。たぶん、イベントをこなして弱らせるタイプのボスだ。挑むのが早すぎた」
声が同じ高さから聞こえるから、こっちは抵抗を諦めてふて寝中と見た。
「こういうときって、どうするの?」
「可能な限り情報収集して、頑張って撤退かな?」
音を超えた咆哮が止み、レオデキャイアが縫い付けられた凪たちへと視線を移す。停滞する体を急がせて、戦況を見定める。ゆっくりと剣を構える理人、なぜか私たちに視線を向ける凪。
相対する竜は泰然と、けれども剛毅に、広げた白銀を一往復。ただそれだけで、巻き起こる突風が挑戦者たちに不条理を突きつけ、戦いを傾ける。
「天音、囮が頑張ってる間に情報」
「そうだった」
まずはログ経由で自軍の生命力を見る。翼の一振りはそれそのものが攻撃判定になっているらしい。戦闘開始を待たずして凪は瀕死、理人も四割を削られている。
一方で敵さんはどうだろうか。遠眼鏡を構えると、その生命力が数値化される。
「生命力、六万四千と二百五十」
私たちの火力は首尾よく運んでも一ターンに150。不可避の咆哮と突風への対処法もなく、明らかに無理だ。私が匙を投げたのと同じタイミングで、前衛二人が不時着してくる。
「天音、作戦は?」
「逃げ一択でしょ」
「どうにか、ならんな」
さすがの凪も無謀を悟ったようで、おとなしくその場で構えてくれた。
「どう逃げる?」
ポーションをかぶりつつ、理人が言外に逃げることすら至難だとにじませる。
「あの風とか、使えないかな」
記憶の端から引っ張り出したクエストボードの情報によると、レオデキャイアは冒険者を塔から遠ざけようとするらしい。実際に翼を使って私たちと距離をとった。そして風の威力は私たちを一撃で倒すほどじゃない。
「でも、どうやって誘導しよ――」
「理人、壁!」
私の言葉を遮って放たれる、鋭い凪の声。阿吽の速度で私の前に躍り出た理人は、そのまま両手を前に突き出す。
遅れて、前方から閃光と熱。
「創刃――ヨモヒロ」
瞬間、理人の指先から白銀色の流体が放出されていく。空気中に飛散した光る何かはおそらく竜の牙か何かなのだろう。地面に突き刺し、堅固な盾として私たちの前に立ちふさぐ。
「炎で助かった」
隙間を抜けてくる火の粉を浮かせたコイン群で防ぎながら、凪はひと息をつく。
助かった、という表現は適切じゃない。今この瞬間も私たちの生命力は毎秒恐ろしい勢いで減少している。やはりルールに則した防御法を取らない限り、生命力の減少は防げない。
「死ぬ、死ぬって」
慌てる私と対象に、凪と侭は落ち着いたままだ。
「おいこっからどうすんだ?」
理人が炎と相対したまま怒号を飛ばす。竜の炎は勢いを緩めない。ポーションを使い続けても数分と続かないだろう。
「そうだな。ゆ――」
凪の言葉は最後まで続かなかった。言い終わる前にものすごい勢いでどこかへと飛んで行った。
「あれ、凪の能力? 違うよね」
自問するまでもない。凪の生命力が尽きたのだ。
「へえ。生命力がなくなるとああなるのか」
火の粉をはたきながら、侭の視線は興味深げに凪を追う。行き先はギルドの方面。おそらく最初に訪れた建物に戻されるのだろう。
「さて、次は僕らか」
達観しているのか、侭は表情を緩めている。
「いやあ、一度体験してみたかったんだよね。負けイベント」
そんなことを言いながら飛ばされていく侭。生命力順で次はもちろん私の番だ。
「じゃ、じゃあ理人、あとよろしく」
生命力がゼロになる。体が未知の力で宙に浮かび、浮遊したままやや仰角で加速していく。初めての経験だ。侭じゃないけど、これは確かに面白い体験かもしれない。
「薄情者」という理人の悲痛な叫びがドップラーで降下して聞こえてくる。かわいそうなことに、彼が合流するにはあと一分はかかるだろう。
距離が離れ、悲劇の竜と目が合う。潤んだ瞳は仲間を抱きしめられないハリネズミのようにも、敵意と全能感を振りかざす子供のようにも見えた。悪いけど、次に会うのはもう少し後になりそうだ。
加速に意識がついていかなくなり、私は目を閉じる。死源がちゃんと着地のことを考えてくれているといいんだけど。
凪と理人の行動原理は広い場所に連れてこられてはしゃぐ大型犬と同じような感じです。血が出るまではゲーム感覚。




