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深淵より罪を込めて

 愛は血よりも重たく澱み、情は肉より厚くまとわる。昔読んだファンタジー小説に出てきた、そんな台詞を思い出す。


「確か、心を食べる悪魔だったかな」


 いわく、人という重い血肉の塊を動かすのだから、心は血肉に勝り、それを食らう自分はすべてに勝る、らしい。当時の私の感想は「何言ってんだこいつ」だったけど、果たしてもう一度読んだら違う感想を抱けるだろうか。


 そんな無意味な考察を巡らせてしまうのも、きっと暑さのせい。昼休みの中庭、広葉樹の葉陰では補い切れない七月の熱気の中、わざわざ外で昼ご飯を食べようと言い出した張本人が揚々と言葉を発する。


「そういうわけで、私、矢野翠は一ノ瀬王司君と付き合うことになりました」

「……何言ってんだこいつ」

「ああん?」

「あ、ごめん」


 大事な話があるなんて言うからいろいろ身構えていたのに、今さらそんな分かり切った情報を言われても困る。そもそも付き合い始めたの二か月も前だし。

 隣の理香に視線をやると、片目をヒクつかせつつ小さくうなずく。


「ごめん、天音じゃないけど私も知ってた」

「ウソ?」

「天音、説明してあげなさい」


 許可が出たので論拠を開示しよう。


「授業中の目配せがこの二か月で七十二回、付き合いが悪い日が一ノ瀬君の部活休みと重なること七回、お揃いの小物が三つ、たまに一ノ瀬君がかわいいお弁当箱持ってるのも気になるし、翠もスマホ眺めてニヤニヤする頻度も上がったよね。それから」

「もういい、やめてってば」


 翠は真っ赤になりながら私の口を手で塞ぎに来る。恋は盲目、というのかな。普段はもっと姉御肌な感じなのに、妙に仕草がかわいらしい。


「頑張って勇気出したのに」


 両手の指を絡ませながらいじいじと歯切れ悪くする翠に、真白が「わ、わたしは知らなかったよ」とフォローを入れる。悪いけど、それもみんな知ってるんだよね。


「でも、なんで今カミングアウトを?」


 理香は総菜パンの袋を開けながら言う。今日の食事のネタが決まったと言いたげだ。


「なんか王司君が提案してきたんだよね。『隠すのやめよう』って」


 台詞再現の部分だけ妙にキラキラした口調なのが反応に困る。たぶん、白い歯を見せながらさわやかに言ってのけたんだろう。彼はそういう男だ。


「ふーん」理香は興味もなさそうにパンを一口、私を見る。

「天音、なんか知らない?」

「たぶん、御剣君にも彼女ができたからじゃないかな? あのグループ全員彼女持ちになったから、その辺気を遣わなくてよくなったんだと思う」

「あーはいはい。なるほどね」


 得心のいった様子の理香に、対して翠は引き気味だ。


「……いつも思うんだけど、天音ってどっからそんな情報持ってきてんの? あの変人二人? きもちわる」

「いや、あいつら世間話とかしないから」


 勝手に断定されて気持ち悪がられる二人がかわいそうだ。そもそも情報源は全部教室で聞こえてくる会話だし。


「ねえねえ、付き合うきっかけは何だったの?」


 続いて言葉を発したのは真白。ようやく事態に追いついたらしい。翠も欲しかった質問をもらえてご満悦だ。


「それがね――」


 以下略。


 説明がのろけで聞くに堪えなかったので要約すると、ストーカー被害に遭っていたところを颯爽と助けてくれたというのが決め手だったとか。まあ、一ノ瀬君は凪の百倍常識的だし、侭の善性を正負反転させたらいい勝負ができるくらい性格もいい。翠が惚れるのは時間の問題だっただろう。


 実は、ストーカー騒動の解決にはスピンオフが噛んでいたり、事件後の精神ケアのために一ノ瀬君をヒーローにあてがったのは侭の采配だったりするのだけど、まあそこまで説明する必要もないか。


「ストーカー、怖いよねぇ。一ノ瀬君いてくれてよかったね」

「うん。この時代にもいるんだなってちょっとびっくりしたよ」


 翠は言葉通り驚き半分、そして思い出したのか恐怖半分といった調子だ。


「ストーカーに限ったことじゃないけど、あの手の捕まえにくい犯罪ってけっこう増えてたりするよ?」

「そうなの?」私の与太話に、翠と真白の驚き声が重なる。


「証拠がない、直接被害がない、犯行方法によっては警察の管轄外とか、いろんな理由で犯罪へのハードルが低くなってるんだと思う。私も最近やられてるし、ある意味非殺傷の犯罪がストレス解消の手段みたいになってるのかな? 女の子は損な時代だよね」

「ふーん。え?」翠は頓狂な声を上げ、「ちょっと待って」と理香も話に割って入る。

「そんなに変な話だった?」

「いやそっちじゃなくて」


 理香はパンをハンカチの上に置く。


「今、天音もストーカーされてるって言った?」

「うん。言ったけど」

「警察!」


 翠が声を荒げ、つられた真白がスマホを取り出す。「百十番って何番だっけ?」って古典的ボケをかまさなくていいから。


「いや、警察に言っても無駄でしょ。そもそも見られてるだけだし」

「何も起きない保証はないでしょ」


 理香は肩をつかんでぐいぐい揺らし、それから思い出したようにぱっと手を放す。


「とりあえず知ってること全部話して」

「たぶん、面白い話じゃないよ?」


 仕方なく、私はここ数日の観察結果を話す。




 最初に背後をつけられていることに気づいたのは七月九日、日曜日の深夜。無性に肉まんが食べたくなってコンビニに出かけた時のことだ。うるさい私は太らないし肌も荒れない。


 近道をしようと商店街の裏道を通って帰る途中、不意に何かの気配を感じて立ち止まる。厳密には足音と衣擦れの音を認識したのだろう。振り返ってみたけれども、何もいない。そんなことが日に数回繰り返されると、さすがの私も何者かの存在を意識せざるを得ない。


「男? 女? どんな奴?」理香が話を急かす。

「それがイマイチ分かってないんだよね」


 気配を感じるギリギリの距離に居座ってはいるけれど、謎のストーカーは現状私の前に姿を現していない。ただ、どこかからじっと存在を訴えるだけだ。留守中に家に入られたりもしていないから、どうにも被害意識が薄れてしまう。


 もたらされるのは音と気配だけ。足音のする間隔と木目を踏んだ時の音の大きさ、一瞬だけ街灯に反射した何かの光は私より少し上の位置にあった。髪の揺れる音がしないことからも、男性か短髪の高身長とみていいだろう。行き止まりに立ち寄った時はご丁寧に追跡をやめるあたり、土地勘もある。決して一定以上に近づかないのは警戒ゆえか、あるいは付きまとうこと自体が目的なのかも。そのうえで、最近改修した抜け道を見落として逃がしてくれていたから、少し前までこの市にいて、戻ってきたとかかな。


「若い男で、身長は百八十と少し、おそらく眼鏡をかけていて、この周辺の地理に詳しい市外の人間、ってくらい」

「だいぶ分かってるね」真白ちゃん、ちょっと引き気味で言うの地味に効くからやめてほしい。

「あとは、手に何かを持ってて、壊す癖があるのかも。たまにそんな音がしたから」

「『パキッ』とかそんな音?」


 理香の推測にうなずく。


 とにかく、謎のストーカー男はある程度の輪郭を見せながらも決して姿は見せず、そして危害も加えない。何が目的なのやら。


「一応、人通りのいないところには行かないようにしてるから、たぶん大丈夫」

「いや大丈夫じゃないでしょ。王司君呼ぶ?」


 元被害者の翠としては捨て置けない案件らしい。ありがたいけど、部活と彼女に忙しい彼を呼ぶのも気が引ける。


 渋る私を見てちょっと苛立ち気味の理香と翠。代わりに真白がポンと手を叩く。


「じゃあ、凪君たちは? なんでも屋やってるんだよね?」

「あー。あいつら」


 サバイバーズギルドの仕事は世間では便利屋の扱いか。犯罪集団じゃないだけよしとしよう。確かにストーカーに異能犯罪の気配があれば、あの二人の出番でもある。


 問題は性格だ。あいつら、というか侭に話を振ったら絶対「天音にストーカー(笑)? 僕は夢でも見てるのかな?」とかバカにされるし。

 けれども少し考えて、私はうなずく。


「そうだね。一応話してみるよ」


 たぶん一ノ瀬君や彼のグループを呼び出すよりも人間関係がこじれない。それに、なんだかんだで助けてくれるのは間違いない。


 理香は複雑な表情を見せ、けれども「まだマシか」と提案に納得したらしい。そうと決まればあとは話すだけ。頭の中で状況を整理しつつ、手を付けていなかった弁当の蓋を開けた。




 放課後。珍しく自発的にアジトに来た私を、二人が少し驚き気味に迎える。


「ちょっと頼みがあるんだけど」


 気分の落ち着くハーブティーを人数分自分で淹れて、昼と同じ説明を繰り返す。さて、二人の反応はいかに。


「ぶふっ。一大事だ。それはさぞ怖かっただろうね」

「物好きもいるもんだなあ」


 侭は笑いをこらえつつ心配し、凪はわりと他人事だ。予想の範疇ですよもう。


「で、僕らに解決を依頼したいと」

「うん」

「金はあるの?」

「ないけど」

「じゃあ僕らには無理だ。ごめんよ」


 この薄情者。そのハーブティー誰が節約したおかげで飲めてると思ってるんだ。にらむ私をなだめるように、凪が割って入る。


「実際、天音は解決してほしいのか?」

「うーん、一応?」


 言葉の意図は分かる。侭が応じてくれないのはお金の問題ではなくて、私が本気で助けを求めていないことを分かっているからだ。

 凪も「一応って」と困り顔だ。


「私はいいんだけど、友達に心配かけたくないんだよね」


 あと、行動に制限がかかるというのは地味に大きい。来週には死源も開く。うっかりフリークハイドの活動を知られたり、あるいは死源に迷い込ませてしまってはコトだ。


「大変だな。まあ俺は手伝えるよ。誰殴ればいい?」

「殴らないし、誰か分からないから苦労してるの」


 凪は協力的だけど、いちいち行動が暴力的だから困る。そうなると、どうしても侭の助けが必要になるわけだ。私の懇願が届いたのか、侭はハーブティーのカップから手を放す。


「冗談はさておき、こういう時は専門家を呼ぶとしよう」

「専門家?」


 私の疑問は空間を素通りし、侭はどこかに電話をかける。




 一時間後、来客が地下アジトの扉を叩く。


「あの、私に用事って何でしょうか」


 頭のやや下側からの声。微妙に半透明になっているその人は、私にとっても見知った人物だった。


「専門家って、観鈴のこと?」


 会釈してくるひと月ぶりの透明人間。少し伸ばしたのか、肩まである髪を毛先で束ねて遊ばせている。ゆったりした丈の長いスカートは正直似合ってないけれど、全部合わせると小さな子が無理に大人ぶっている背伸び感とどうしようもない可愛さが醸し出されるから不思議だ。


「いい」

「え、何がです?」

「侭、観鈴来たよ」


 ソファで本を読んでいた侭に声を投げ、ついでに寝ていた凪を起こす。


「侭さん、私はなんで呼ばれたんですか?」


 説明なしで呼びつけられたのに機嫌一つ悪くしない。これは彼女の寛容さなのか、あるいは侭を慕っているのか。いやいやまさか。


「実は事件でね。天音、説明してあげて」

「……はーい」


 本日三度目のストーカー説明。なんだか自分が被害者意識の強いわがままな人間になったみたいだ。とにかく状況を話すと、観鈴は両手を戦慄かせて感情を示す。


「ストーカーなんて最低です。懲らしめましょう」


 猫をストーキングしていた縁で呼ばれたとは言えない澄んだ瞳だ。目線で侭に話題をトスする。


「観鈴には、ストーカーの行きそうな場所を一緒に考えてほしいんだ。得意でしょ? ストーカー」


 オブラートをゴミ箱に放り捨てる侭の無神経。さすがの観鈴もちょっと悲しい顔をしたけれど、すぐに真剣な表情に戻す。十秒ほど考えて、私に聞く。


「天音さん、ストーカーは今まで何もしてきていないんですよね?」

「うん、そうだけど」

「単純に好意で天音さんをストーキングしているわけでも?」

「ないと思う」悲しいけれど、理由がない。


 観鈴は唸りつつ、サングラスとコートの怪しい風貌に姿を変える。ストーカーの気持ちになりきっているらしい。そのまま私に触れたり「ぐへへ」と気味悪く笑ったりしてから、何かを思いついたのか元の姿に戻る。


「じゃあ、今まででやっていないこと、見せていないことはありませんか?」

「どういうこと?」


 聞けば、観鈴の考えるストーカーの行動原理は「知りたいから」らしい。何もしかけてこないのであればなおさら、目的は見ることで。それが見られれば満足するか、行動を起こすかしてくれるのでは? という考えだ。


「見せてないこと、ねえ……」


 考える。単純な二元論で考えれば、見せていない分類される行動はたくさんある。預金通帳の番号、詳細な交友関係、お風呂のぞかれたりもしてないよね? してたらさすがに怖い。でもそのどれも自信をもって特別とは言えなくて、私に執着する理由としては薄い気がした。

 私がもつ特異性はそれこそスピンオフへ所属しているくらいで、そうなるとだ。考えて考えて、ようやく一つ思いつく。


「能力?」


 プロファイリングが正しければ、地元の人間である犯人は突如現れた私という存在に対して戸惑いを感じているはずだ。ここまで慎重にストーキングを続けるなら、私の能力を警戒している可能性は低くない。


「よし、それで行こう」


 侭も仮説に納得したのか、指を鳴らす。


「凪、例のものを」

「え? 何?」


 まだ寝ぼけっぱなしの凪を置き去りに、作戦は練り上げられる。

四章開始。異界と賽を振る話です。

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