世界を仰ぐ戦い
父の話だ。抗精神力は異能への世論を調べる指標、つまりは超能力を許せるかのバロメータとして機能する。そういった超空間的な概念が存在するのであれば、美奈が目的のために白鳥さんを頼った理由も推測できる。能力嫌いが調査を阻害する以上、現場に足を運ぶのは能力を肯定できる変人である必要があったんだ。
風が大気に怒涛を作り、雷火は空と大地をつなぐ。未曽有の事態が美奈の敵意と呼応するかのように轟き、私に自分のなすべきことを教えてくれる。
「久しぶり、美奈」
自然と、そう言っていた。正面から美奈を見たのは、本当に久しぶりだったから。
「ねえ天音、二人も、何のつもり?」
降り続ける局所雨と頭上の嵐禍、それらを目で追いながら、美奈が声を戦慄かせる。その声色に気圧されるかのように、渦雲が雨脚を強くする。
「何のつもりって、美奈のお手伝いだよ。こういうの、したかったんだよね」
「余計なことしないでよ」
「ごめんね。何も話してくれなかったから、何が余計か分からなかった」
この場に凪がいたら、きっと私を諫めただろう。でも今仲裁役はどこかをほっつき歩いていて、仮にいたとしても私は矛を収めない。
ウェールズエンドの目的のもう一つ。それは、美奈の本音を知ることだ。美奈は私に隠している。二人の立場が違う限り意見は平行線だし、私が近づいたところで逃げていくだろう。だからこそ、私は美奈と同じ立場に立ちたかった。七不思議をぶつけて、美奈と同じことをして、それで、美奈が何を思って動いていたかを知りたかった。
得られたのは親友の怒りの表情。少し意外で、もちろん望んでもいない。それでもやっと引き出せた、本音。
「七不思議、誰のためにやってたの?」
「……」
美奈の視線は私の顔に止まり、それからすぐに逸らされて下に向かう。胸元まで落ちたところで、目の光が重く澱む。
「教えられないし、教えたくない」
優斗と聡と同じ、拒絶の意志。でも、理由はきっと同じじゃない。その証拠に、美奈の視線は私とその内側の七海さんだけでなく、何かを探すように周囲を巡る。
「美奈ちゃん、もうやめよう。見てられないよ」
どう切り崩すか。考えをまとめる前に動いたのは聡。続いて優斗も私をかばうように前に出る。
「なあ美奈、答えてくれよ。じゃないとこいつ、いつまでも俺らのことをつけて回るぞ」
わずかに顔をしかめる美奈。視線が虚空二点をさまよう。何かを天秤にでもかけているのだろうか。渋面はさらに増し、最終的には棄却されたらしい。
「ダメ。言えない、絶対。天音にだけは、こんなことしてほしくなかったのに」
「じゃあ、美奈はどうする?」
交渉決裂。問うまでもなく、美奈は私を見据え、両手を服の間に隠す。頭に深々と突き刺さるのは、見えない鉛の棒。ここ数か月で幾度も相対してきた犯人たちと同じ、徹底抗戦の構えだ。
「邪魔、しないで」
「おい、ケンカは」
困った顔の優斗、隣の聡も同様だ。ずいずい近づいてくる美奈に対して何もできず、ただ止めようと手を伸ばす。美奈の手が、服の裾から飛び出る。
「まずい」
気づいて目を閉じたのと同時に飛んでくる絵の具の束。遅れて男二人のうめき声。やられた。動く絵の具による目潰しだ。下がりつつどうにか開いた私の片目に映ったのは、視界を奪われておろおろする優斗と聡と、血塗れの両手を振りかざす美奈の姿。
「美奈、その手」
ピンと、ナイフと、おそらく噛み跡、どれも生傷だ。きっといろいろ方法を試したのだろう。いわゆるリストカットではない。傷跡を作るためじゃなく、効率よく異能を引き出せるサインを模索したことが見て取れる。
「どうしてそこまで?」
「天音には、教えない」
絞り出すような拒絶とともに、さらに近づいてくる美奈。
「おい天音、どうなった? どうすればいい」
優斗が目元の狼狽を拭いながら尋ねてくる。そんなの決まっている。
「予定通り、作戦続行」
美奈が来たということは、最後にクジラを打ち上げる準備ができたということ。この千載一遇の好機を見逃すほかはない。
「こっちは、私がなんとかするから」
向き直ると、美奈がまっすぐ私の方に歩いてきているところだった。少し懐かしい表情に、記憶がくすぐられる。
思い出すなあ。小学校六年のころ。美奈と私の、最初のケンカ。確かあの時は、私が給食のカレーをひっくり返して、美奈のお気に入りの服に引っ掛けちゃったんだ。普段穏やかだった美奈にいきなり激怒されて驚いて、つい「服は洗えばいいじゃん」なんて言い返して。あとはもう、教室騒然の大ゲンカだ。
いや思い返せば冗談じゃなくひどいな、当時の私。
あの時はどうなったんだっけ、美奈が大泣きして、私もつられて大泣きして、それから。
ブオン。風が唸る。
「そうそう、こんな感じだった」
勝手に動いた両足に感謝しつつ、私は思い出す。美奈は限界に達すると、暴力に訴えるタイプだった。
「お願いだから、帰ってよ」
当たるとそっちが折れそうな細い腕。それが踏み込みと一緒に飛んでくる。美奈には悪いけど、遅すぎる。
この数か月、私が今まで何度この手の事件をくぐってきたと思ってるんだ。凪の蹴りはこんなにがたついていないし、侭の罵倒はもっと内側に刺さる。ガツンと、フレームだ。ぶつかって熱い目頭と、赤というより暗くなる右。
「あ、これ目の骨か」
音と痛みの正体とを遅れて知覚する私の脳。なるほどね。分かったところで避けられるわけでもないよね。うん。
「痛い」
左目に夜勤交代しつつ、状況確認。ちょうど美奈が追走してくるところだった。あ、滑って転んだ。
「ぎゃ」
ろくに食事もとっていないんだろう。おぼつかない足取りで雨と泥の中をもがいている。
「ほら、大丈夫?」
手を差し伸べると、はたかれる。はたかれるまままた殴るものだから、また転ぶ。よけきれなくて私も転ぶ。
真横に雷が落ちても、美奈の血走った眼は揺らがない。しょうがない、もう少し付き合ってあげるかな。
美奈が殴り、私がかわし、だいたいかわしきれなくて倒れて、そんな不毛な争いが続く。痛みは私のほうがあるけれど、疲れているのは美奈のほう。だんだんと攻撃の頻度は落ち、ついでに雷も落ちていく。
「なんで!」
握力ももたなくなったのか、力ない右拳が飛んでくる。ここまで弱まると、さすがの私でも避けられ――あダメだ。月曜体育あるんだけど、この肩でどうしろっていうんだ。恨みを目で訴えると、美奈から返るのは同じ言葉だけ。
「なんで」
「だから、それを聞いてるのは私なんだってば」
「違う」
何が違うというのか。
「なんで、やり返してくれないの⁉」
赤い目をこすりながら発せられた、悲痛な訴え。もしかして、美奈は私と殴り合いをしたかった? そんな考えが一瞬浮かんですぐに消える。だって、暴力を望む人間は殴るたびにうめいたり、顔を歪めたりはしない。美奈を蝕むのは、ただの罪悪感だ。
「大丈夫だよ。私は美奈の味方だから」
「止めなきゃ、止めなきゃ間に合わない。雨も降ってるし、もうダメ、無理」
うわ言のようにこぼしながら、とうとう泣き出してしまう美奈。間に合わないという言葉に込められた絶望が、今の私には理解できた。優斗と聡と同じように、美奈もまた七海さんの存在を案じている。でもきっと、彼女を突き動かしている想いはそれだけじゃない。私はただ、その思いを助けたい。力になりたい。
「私ね、美奈の絵、好きなんだ」
「え?」
時間が止まったかのように嵐が凪ぐ。美奈の涙が雫になってまっすぐに落ちる。
「優斗が尖ってるのも、聡がちょっと浮いてるのも、実は好き」
「天音?」
困惑を隠せない、私の友達。優しくて向こう見ずで、いつも頑張っていて、今も誰かのために身を切っている。その瞳に映る世界は私には分からない。だから私が踏み込むのは、私の世界の一歩だけ。
「七不思議の目的は能力を広めて抗精神力を減らすこと。でもそのために一番必要なことが、美奈には欠けてたんだ」
「何、言ってるの?」
「自分のこと好きにならなきゃ、世界も変わらないよ」
世界を変えるのは難しい。でも自分を変えるには、誰かの助けがあればいい。私がこの二か月で思い知って、生まれ変わって、受け取ったもの。私が友達を助けるための最大の武器、友達の力だ。
美奈を助ける。私の決意がまっすぐ届く。それに呼応したわけでは、たぶんないと思う。
突如として、目の前が明るくひらけた。
気持ちの問題ではなく、物理的に明るくなったのだ。
上を向くと、雲の中心に穴が開いていた。
「朝日だ」
幻想じみた雲間の光明。いつの間にか夜が明けていることに気づかされる。でも、それ以上に不思議なことが一つ。
錯覚だろうか。空の隙間に何かが揺らぐ。透明なオーロラは水と共に降りそそぎ、柔らかく温かく私の体を流れていく。いや、違う。逆?
「そんな」
美奈の足が、ようやく止まる。その理由は分からない。分からないけど、体から流れていく雨粒たちと無関係ではないのだろう。
時に温かく、時に冷たく、時に鋭く、時に柔らかく。雨は何かを伝えようとしている。でも、私にはそれが何なのか分からない。そもそもこれはなんだ。上昇気流が生み出した台風の、その目の中にいるということ?
「待って」
美奈が、泣いていた。
さっきの悲痛な涙じゃない、別の悲しみの雫だ。
優しく世界を浸す雨粒たち。触れるたびに美奈は震え、嗚咽し、また頬を濡らす。受け取った何かが、その瞳にかすかな光を宿らせていく。
頭上に目を凝らす。ぽっかりとできた空の穴の奥、そこになんだろう、小さな雲のようなものが見えた。私の中で、涙とともに何かが流れる。
「最後の、七不思議、七海の果て」
誰かの何かが流れ出て、その穴を埋める私の心。思い出した。今初めて知った。最後のひと欠片。
「ほかの不思議より特別らしくてさ。ほかにも、消えない雲、透明な涙、雨の通り道とか、そんな言い方してたな」
少しずつ分かってきた。凪が言っていた言葉の意味も、侭が急に協力的になった理由も。
「大きさから見て、流れた意思は全部あの雲の中だ。天音は自分が七海さんとやらを殺してしまったと思っているみたいだけど、苦しむ必要はないよ」
認識阻害の正体は流れる異能。七海さんは水と共に世界を流れる力を持っていた。流れた異能は私に澱み、けれども動かすたびに世界のほうに流れていく。でも、流れたら消えるわけでもない。世界は今、空にある。
「七海の果ては、空に向かって降る雨、七つの海を旅したクジラが最後に行きつく場所。まるで墓場みたいだけど、私はそうじゃないって信じてる。だから、柏木さんにも信じてほしい」
心を渡る藤宮さんの言葉。クジラの終わり、事件の終わり。きっとすべては理解できない。できないけれど、これはただの悲しい別れじゃないと信じられる。ぐしゃぐしゃのまま笑顔を作る美奈の姿を見ると、確かにそう思えた。
「長い夜だったなあ」
疲労と感慨とに任せて倒れこむ。雨で冷やされた空き地の土が心地よい。
天を仰ぐと、雨脚はすでに弱火だ。夜中の黒も役目を終えたらしい。周りの雲が急速に払われていき、周囲はライトをつけたかのように明るくなっていく。
「まずい」
優斗が手で顔を隠す。視線の先には民家の窓。早起きな住民が怪訝そうにクジラの模型をにらんでいるのが見えた。
「このままじゃ、僕ら捕まっちゃうかも」
確かに、派手に怪現象を起こしすぎた。警察とか近所の人に私の言い訳は通用するだろうか。それ以前に普通に恥ずかしい。
逃げなきゃ。でもどこに?
「こっち」
不意に聞こえてきた声。振り向くと、藤宮さんの顔があった。
「おはようございます?」
「挨拶はいいから、急いで」
すぐ後ろには白鳥さんの姿。仕事していないかと思ったら、援軍を呼んでくれてはいたらしい。
男子二人にクジラを任せ、民家の隙間を通って裏道へと抜けながら、一度だけ背後を振り返る。
病院の窓からのぞく、小さな影。作戦完了と見ていいだろう。
本作はもともと推理ジャンルで投稿する予定でした。ホワイダニットというテーマの都合上そこが最もふさわしいと思っていたのですが、推理以外の要素が占める割合が大きいのと、同ジャンルの投稿作群を鑑みた結果ローファンタジーに置いています。ゆえに本作は推理小説ではないのですが、それでも探偵小説であるという主張はしていきます。




