ウェールズエンド
作戦を煮詰めるうちにすっかり夜が更けてしまった。時刻はすでに三時過ぎ。ひと気と時計を気にしつつ、私は足を空回らせる。
「目的地って病院の方だったよな」後ろからの凪の声。
「うん」
どうせ空を変えるのだ。病院から見えさえすれば場所はどこでもいい。ちょうど近くに空き地があったからそこにした。
「で、俺らはどこに向かってるんだ?」
凪の疑問が示す通り、私たちは目的地とは逆方向へと走っている。すでに空き地に向かった優斗たちと別働隊を取って向かう先は、当然一つだ。
「最後の協力者のところ」
雨を止ませたところで超能力と紐づけされなければ意味がない。だから、雲をかき消した後に美奈の異能でクジラを描いて、それを優斗の異能に貼り付けて、聡の異能で低空に浮かべる。
少し絵空事じみた、そんな作戦のクライマックス。優斗は「それだとクジラが残らないか?」なんて言ってたけど、それでいいじゃないか。雨も降らないし、ちょっと大きめの守り神だと思えばいい。
凪は私の空想を聞きながら、くつくつと声を殺して笑う。
「やっぱ、無理ある?」
「いや、天音を誘ってよかったよ」
答えになっていない答え。でも、日の出前の闇に似つかわしくない朗らかな笑顔は、私を全力で肯定してくれているように思えた。
「超能力の真髄は、願いの実現だ」
「ん」
「願え。そうすれば、叶う」
「うん」
力強く背中を押され、気づけば美奈の家の前だ。
「凪、開けちゃって」
「了解」
インターホンは必要ない。古びた錠前を凪の助けですり抜けて、私は二階の美奈の部屋を目指す。軋む階段の音が、美奈の痛みを代弁するかのように胸に響く。
「美奈」
彼誰時のアトリエに、ドアが奏でるそよぎ風。
「あ、天音?」
思った通り、夜通し絵を描いていた。パジャマとパーカー姿のまま、何も置かれていないイーゼルに絵筆を走らせている。絵の具と隈で赤黒い美奈の両目は、侵入者に怯え、恐れ、その正体に気づき、表情に絶望を混じらせていく。
「な、何を? なんで?」
今なら分かる。美奈が私を拒絶したのは、私が真実を明かしてしまうから。不思議を不思議でなくしてしまうから、クジラの生誕に都合が悪かったのだ。
「やめて、来ないで、帰って」
まるで人殺しを見るような目。そんな風に思われていたなんて、実に心外で、実に光栄だね。
部屋の中にはナイフと絵の具、無数の書き損じらしき、床の染み。私が心を決めるには、それで十分だ。私の友達は、何も変わっていやしない。
「帰って、帰ってよ」
うわ言のように繰り返す美奈。
私は美奈の目的を知らない。だから、思い込みのまま動くしかない。でも、だからこそ私は信じている。人のために善意で涙を流せるこの子を、私は信じる。
「手伝ってほしいことがあるんだ」
返事はいらない。ただ、一方的な宣言と協力要請。美奈が驚愕と拒絶の中で、それでもしっかりと私の声を聞こうとしていることを確認して、私は言い放つ。
「これから私はクジラを空に帰す。お願い、手伝って?」
返事はない。返事などさせない。言うだけ言って、足早に部屋を出る。ひどい奴だと思われたに違いない。だからどうか、私を追いかけて、文句を言いに来てほしい。
「終わったか?」
家の外で待ち構えていた凪に、小さくうなずく。
「行こう」
窓越しに聞こえてくる嗚咽が私の胸をかき乱す。無知でも不知でもなく、私がもたらした痛みと苦しみ、私の意志だ。だから肌を刺す雨が冷たくても、私の熱は屈しない。
街を走り抜け、空き地に到着する。すでに優斗たちは準備を始めているらしく、大きなクジラの型に異能と異物を込め始めていた。
「浮かびそう?」
「ギリギリ」
聡は見るからにいっぱいいっぱいだ。型というにはあまりに細い、紐で作ったクジラの似姿。美奈の異能で肉付けする前提で、ようやくここまで軽くできた。
「なあ天音、ちょっと聞きたいんだけど」
優斗が目で疑念を投げつける。何を聞きたいのかは、うん、私も着いた瞬間分かってた。
「やあ柏木ちゃん、いいところに来てくれた。指揮権交代と行こうか。いやあ大役だったよ。何も聞かないまま現場を任されるなんて、なかなかない経験だ。じゃあ俺は本来の仕事に戻るよ。あとよろしく」
「……」
白鳥さん、呼んでないんだけどなあ。
宣言通り警備に回る白鳥さんをすがめつつ、聡が少し怯えた顔を向けてくる。
「あの人は、誰?」
「知らない人」
「え、てっきり天音ちゃんの知り合いかと思ってた」
「それはまあ、そうなんだけど」
あの人を知り合いカテゴリに入れていいものか。
「そっかよかった。人払いとかやってくれるんだって」
「そうなんだ」いらない。
本来は美奈の粛清をしに来たって話だったし、その行く末を見届けに来たんだろう。葛藤を上から撫でつけつつ、視線を凪と侭の方に向ける。
「準備できてる?」
「どうにかね」
侭に手渡されたのは、大型の草焼きバーナー。侭の力で親水性を弱化させているらしく、雨の中でも十分に炎が出せる。
「ほいこれ」
凪から手渡されたのは今回のキーパーツ。死源の鍵だ。その中には前回の死源で吸収された、シドの異能が入っている。出力面の問題を一気に解決してくれる、すさまじいオーパーツだ。
「これ、凪が操作するんじゃなかったっけ」
「いや、やっぱ天音がやるべきだと思ってさ」
「そう?」
規模は違えど同じ発動型サイコキネシスなのだから、慣れている凪がやったほうがいいと思うけど。
「私、使い方知らないよ?」
「それは教える」
凪は自分でやるつもりはないらしい。どこか遠くの方に目をやりつつ、私に鍵を押し付けてくる。
「大して難しくない。握りしめて、願えばいい」
凪の手に導かれるまま、鍵を手の中に収める。握るというより、包み込むような持ち方だ。
「世界を内側に隠すんだ」
力説される抽象的な説明も、なんだかしっくりくる。
「これで、願えばいいと」
「おう」
バーナーを見据え、動く姿を想像する。途端、鍵に炎が灯るかのような温かさが宿る。確かに、動かすことは難しくなさそうだ。
「天音、準備終わったぞ」
ちょうどいいタイミングで優斗が手を上げて合図を示す。よし、始めよう。
「じゃあ、やるね」
鍵を握り、異能を発動させる。鍵の中には凪いわく「全力発動一回分」の異能が入っているらしい。すぐ使い切ることがないように願い? をセーブしつつ、バーナーを浮かばせる。
「浮いた。すげえ」大げさに驚く凪。普段さんざんやっているだろうに。
今回私がやるべきことは二つ。一つ目はこのバーナーを上空七百四十メートルまで届けること。重さは三キロくらいだろうか。さほど難しくはない。問題は二つ目。
「ねえ凪、ちょっと聞いていい?」
「なんだ?」
「浮かせたままバーナーのスイッチ入れたいんだけど、どうすればいい?」
浮かせることは簡単だったのだけど、力をもう一つ発動させる原理が分からない。
「超能力は腕だ。増やせ」
「そんな無茶な」
「こう、分割すんだよ。肘から指生やせ」
全然分からん。
いろいろ試行錯誤した末、結局は発動している力場をたわめることでバーナーのスイッチを入れることに成功する。
「な、できたろ?」
得意げに言う凪には申し訳ない。
雨越しに、青白い光が点になって見える。中には二十分くらい炎を出し続ける燃料が入っているらしい。ときおり雷の放電膜のように雨雲が発光しているから、アメフラシウムを燃やすこともできてそうだ。できてそうなんだけど。
「なんか、地味だな」
三分ほど経過してから、優斗がポツリとこぼす。
「うーん」
もっと燃え広がるような反応を期待していただけに、私としても不安が募る。たぶん、温度と密度が足りないんだ。これじゃあ雲を焼き尽くすだけで燃料とシドの異能が尽きてしまう。まずい。ヘリをチャーターする資金繰りを本格的に考えないと。
誘爆自体は頻繁に起きているし、爆発によって生じた熱で気流が起きて、それが次の爆発を生んではいる。でも、遅い。
「ねえ凪、反応加速させたいんだけど、何かいい動かし方ない?」
「常盤ならどっか行ったぞ」
「ああ、そう」
「ねえ侭、バーナーの燃料足りなくなりそうなんだけど、替えある?」
「椎名君は用事あるってさ」
「……でしょうね」
どうりで途中から静かになったわけだ。
「今日はもう、やめとくか?」
優斗の声は優しい。優斗だけじゃない、聡も諦めの混じった目で上空を眺めている。空は大きく、雲は分厚い。たかが数人が頑張った程度じゃびくともしないのだ。私の脳裏にも、仕切り直しの文字がにじむ。
「やだ」
自然と口からこぼれていたのは、そんな言葉だった。だってそうじゃないか。優斗が、聡が、美奈が身を削って作り上げた空の最果て。やり方が悪かったで終えてしまっては申し訳ない。何より、せっかく久しぶりに友達と遊んでるのに、失敗したんじゃ気分が悪い。
ぼやけそうになる視界を左手で拭って、右手に思いを託す。この力がもっとうまく使えれば、まだ可能性はある。
でも、どうすればいい。私の腕は二つしかないし、頭はもういっぱいいっぱいだ。炎を強めるすべも知らないし、残りの時間だって多くない。
焦りと寝不足で朦朧とする意識の中、右手の温かさが私を励ます。思い出したのは「願えばいい」という凪の言葉。何を願う、どうすれば、いったい誰に。分からないからうつむいて、うつむいたから視界に入る。私の爪先。「前に進め」と、そう言われた気がした。
友達から受け取った見えないエール、振るう力も友達のため。だったら私のやることは、たった一つだ。深く息を吸い込んで、拳を握る。一歩踏み出す。
「いいから、燃えろおおお」
心のまま叫び、力いっぱい鍵を持った右手を振り回す。
黒い稲妻が雲を迸った気がした。
世界が、揺らいだ。
「え?」
驚くよりも早く、現実は私を追い越していく。目の前で自分の処理能力を超えて事態が動き、変わっていく。
私が絞り出したシドの全力は、思ったよりもとんでもない威力だったらしい。だって、上空にあった雲もどきが遠目に分かるほどぐわんと動いたからだ。早回しの衛星映像でも見ないほどのすさまじい速度で雨雲が動き、渦を巻き、震源地である私の下に集まっていく。
雲が動いたことで何が起きたかというと、たぶん静電気なんだと思う。上空に漂う優斗の異能が摩擦され、微弱な電気を起こす。つまりそれは、普通の雷鳴と同じ原理だ。
ピシャリでも、ゴロゴロでもなく、ドドドドと形容するのがふさわしい轟音が、私の両耳を襲い、目を眩ませた。
「ひええ」
情けなく頭を覆うしかない私の頭上には、今度は大粒の雫が落ちてくる。上を見ると、渦巻の中心に黒々と発達したスーパーセル。その表面は赤や青に光っていて、優斗の異能が炎上していることを私に伝える。
「おいこれヤバいだろ」
「すっご。天音ちゃん何したの?」
「雷で、アメフラシウムが燃えて、上昇気流ができて、雲が発達して、今雨が降ってる」
「原理の話はいいんだよ」
文句をつける優斗の十メートル横の鉄塔に光と音が柱を立てる。
「逃げるぞ」
優斗に手を引かれつつ、はしゃいでいる聡の手を引いて空き地を離れる。屋根のある場所まで来てひと息ついて、ようやく私は事態を把握する。
風は雲を集め続け、雷は鳴りやまず、雨は激しさを増していき、そのうえ雲は燃えている。空は阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
「クジラの、爆発かあ」
侭がどこからか仕入れてきた情報によるとだ。沖に打ち上げられたクジラが、爆発することがあるらしい。死骸から生じるメタンガスが膨張し、破裂する。だから、ウェールズエンドなのだと。聞いた時は作戦名なんてどうでもいいと思ったけど、なるほど確かに、言いえて妙な表現なのかも。
「すごいことになってきた」
つぶやいて、それから思ったほど動揺していない自分に気づく。人間、何事にも慣れて、飽きていくものだ。
「悟ってねえで止めろ」
「そっちはまだ経験してないから無理」
無力を証明するかのように、役目を終えたバーナーが地面に落ちる。こうなると私にできるのは、空が無事燃え尽きるのを祈るだけだ。
「三人とも、何してるの」
私の声なき祈りに、応える声が一つ。目の前に、パジャマ姿の美奈がいた。
次回から解決編です。解決とは何かを考えていきましょう。




