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真夜中のアフターグロウ

 焼けつくような光と痛み、それから頭上に注ぐ雨の音。―――の意識はそこから始まった。思考を覆ったのは困惑と焦燥。確かな人格を持ちながらも記憶は曖昧で、名前すらも分からない。趣味の合わないピンクの傘に、握る両手は自身の知るそれよりも遥かに小さい。


 足元はアスファルト、周囲にはブロック塀と電信柱。住宅街の一角には覚えがある。間違いなく故郷だ。けれど、それがいつの記憶だったかは雲の向こうに置き去りにされている。


「どうしたんだ?」


 少し前を歩いている男が振り返る。目じりを緩ませて、手を差し伸べる。―――の胸中には小さな罪悪感。けれども促されるまま、男の後ろをついていく。


 察するに、男は父親のようだ。―――を知らない家に連れて行き、知らない母親にタオルを求める。されるがままに風呂に入れられ、困惑するままにあてがわれた自分の部屋を見せられる。


「ほら、学校の宿題残ってるだろ。晩御飯まで頑張れ」

「……はい」


 部屋に置かれたランドセル、宿題、中身はあまりにも簡単すぎる計算問題。ノートには柏木天音の知らない名前。ここまで来ると―――も気づいてくる。どうやら、この体は自分のものではないらしい。


「何が起きてるんだろう」


 頭の中を整理する。知識はあるが記憶はない。この体の持ち主よりも年上であることは間違いないとして、ではいったいなぜこんな状況に陥ったのか。そもそも、自分はいったい何者なのか。

 不明不安の状況はまるで外の大雨のようだ。そう思ってカーテンを開けてみると、雲間には光がのぞき始めていた。


「……晴れだ」


 いつの間にか雨が止んでいた。夕方の太陽は空を赤く染め、―――に何かを訴えかけている。


 見えた太陽と、同じく太陽を見に顔を出したのか、隣家の女性。その女性と目があった途端、―――の意識はすうっと遠くなる。どうやら、この体の持ち主が起きたらしい。


「探さなきゃ」


 太陽が―――に伝えたのは、妹の存在。たしか、弾けるような顔で笑う妹がいたはずだ。顔は思い出せない、名前も思い出せない。けれど探さなければ。―――は決意を固め、しかし抗えない意識の混濁へと身を投げていく。




 一週間が過ぎ、―――は少しずつ現状を把握しつつあった。


 表に出ていられる時間は一日のうち数時間だけ。暗い夜や雨の日のような気が滅入る環境でのみ、何かを見て、考えることができた。現出していない間、―――はただ暗い無意識の底に沈んでいて、突然何事かも分からない環境に放り込まれる。そんな日々だ。

 この日も―――は蜃気楼のように世界に発生し、困惑とともに天井を見下ろす。


「この子、大丈夫かな?」


 数日の経験を得て分かったことがいくつか。どうやらこの体の持ち主である柏木天音という少女は、世間一般で言うあんぽんたんに分類されるらしい。さかさまの体を降ろしながら、―――は独り言つ。状況から察するに、三点倒立か何かをしようとしていたのだろう。近くに置かれていた漫画本のページには、逆立ちしたまま高速で走る怪異の姿。これを真似たかったのか。


「……まあいいや」


 この子の将来はそのうち考えよう。―――は問題を先送りにしつつ、階段を下りて玄関に向かう。


 分かったことの二つ目。―――の存在は、世界以外に認められていないらしい。―――が目覚めた時、それはたいてい天音の部屋か、あるいは誰もいない河川敷だったりした。そして、人に見られると途端に意識は遠のく。そのあり方が、天音の父が語っていた抗精神力の概念に合致することから、―――は自身が何らかの超能力に関わる存在であるとうっすら自覚し始めていた。


 不安はあるが、今日のような雨の日はそういう意味では―――向けだ。


「あら、どこか行くの?」


 背中に母の声。座って靴を履きながら、罪悪感を押し込めて言葉を返す。


「……うん、ちょっとね」

「ってことは外は雨か。あんたほんと変な子ね」


 豪快に笑い声を上げる母に辟易しつつ、―――は儀礼的に挨拶を告げて玄関を出る。

 ―――の存在は非常に曖昧ながら、天音の両親には見つかっても問題はないらしい。いろんな意味で寛容な人たちなのだろう。暗い夕方に娘の奔放を許可するのはあまり感心できないが、―――にとっては都合がよかった。


「天音ちゃんに非行歴がつかないうちに、見つけないと」


 外出の目的は当然、妹の捜索だ。この街に見覚えがあるということは、きっと妹も近くにいるはずだ。乏しい根拠をよりどころに、―――はただ外を歩く。


 小学校を探し、中学校を探し、念のため高校も探してみた。けれども雨の夜にまっとうな子供がそんなところにいるはずもなく、成果は得られていない。仕方なくしらみつぶしに街を練り、遠巻きに通行人を見つけてはがっかりする。そんな日課ができつつあった。


 もしかしたら、あの子は私が侵入できない、抗精神力が強い場所とやらに住んでいるのかも。だとしたら、会えないのは嫌だなあ。


 この日も雨音。作業に没頭する―――の耳に、ふと聞こえてくる声がある。


「なんだろう。子供の、声?」


 音の先は舞子公園。高い声は男の子だろうか。―――の気にかかったのは、その息遣いが潜められたものだったこと。導かれるように、公園の入り口をまたぐ。


 木の陰からのぞき見ると、そこにいたのは二人の男の子だった。年のころは天音と同じくらい。雨だというのに傘もささず、砂場の中にしゃがみ込んでいる。


「ねえ優斗、大丈夫?」

「俺は平気だ。聡こそ無理すんなよ」


 息遣い荒く、手元にはほのかな光。好奇心のままにのぞき込んだ―――は、男の子たちの指先から、何か石のような物質が現れるのを目撃する。物質は力を注がれて少しずつ肥大化し、象牙のような構造を取る。もう一人がそこに力を加えると、象牙は少しずつ膨張し、二メートル近くの大きさに変貌する。


「……超能力だ」


 この一週間、天音の父から幾度も聞かされた超能力という概念。聞くところによると大災害が地上を襲い、生き残った人類に異能が宿ったらしい。不思議はなかった。何より―――自身がその世界規模の超常現象の一部なのだから当然だ。


「誰かいる」


 突然、男の子たちが―――の方に視線を向ける。興奮するあまり足音を立ててしまっていた。逃げなければ、また意識が遠のく。踵を返す―――を二人の子供が走って追いかけ、あっという間に取り囲んでしまう。不思議なことに、意識は遠のかなかった。天音の父と同じ人種なのだろう。


「誰だ」


 声を発したのは先ほど優斗と呼ばれていた、少し鋭い目つきの子。眉根にしわを寄せながら、同じ問いを繰り返す。


「わたしは」


 応えようとして、声が止まる。優斗の剣幕に委縮したからではない。単純に名乗る名前を持たなかったからだ。


「や、やめようよ優斗」

「聡は甘いんだよ」


 優斗は聡を叱りつけつつも、両目を虚空にさまよわせている。イタズラが見つかって怒られる寸前の子供の目だ。―――は少しだけおかしな気持ちになり、そして思いつく。


「わたしは、おねえさんだよ」

「は?」


 名前はない。名前はないが、姉ではある。だから―――にとって名乗るべきはこの立ち位置だけだ。


「意味分かんねー。名前を言えよ」


 狼狽する優斗の頭をぽんぽんと撫でつける。


「二人は、何をしているの?」

「う、やめろ」


 ―――の反応は二人にとって予想に反するものだったらしい。少しだけ目配せで相談し合い、聡のほうが前に出る。


「ともだちがいるんだ」

「うん、どんな?」

「まじめで、笑顔が似合ってて、普通の子」


 普通の子を語るわりに、聡の表情は暗い。優斗も険しい顔だ。


「話してみてよ」

「でも」

「大丈夫、わたしはおねえさんだから」


 しり込みする聡の頭にも手を置く。こちらは嫌がらずに、代わりに目に涙を浮かべていく。


「どうしよう、優斗」

「……分かった。どうせバレたことも考えなきゃだったしな」


 優斗は「誰にも言うなよ」と念押しして、話し始める。


「俺らの友達さ、超能力者なんだよ」


 超能力の話。天音の父いわく少しずつタブーと化しつつあるその話題だ。


「その子がさ、ついうっかり、図工の時間に能力使っちゃってさ。それでクラスの子がみんな怖がっちゃって、それで、イジメみたいになっちゃって」


 超能力を持つ者と持たぬ者、それらの間に広がりつつある確執に、二人の友達は追い詰められたという話らしい。ランドセルに画鋲を入れたり、体操服を隠したり、―――の知る時代とほとんど変わらない古典的な嫌がらせの話が続く。


「俺らも助けようとしたんだけど、そしたら『お前もあいつの仲間なのか』って言われて、何もできなくて」


 肩を落とす優斗。握りしめられた拳が向けた怒りは、きっと自分自身に向けたものなのだろう。


「それで、腹いせにイタズラを?」


 そんなはずはないと知りつつ、あえておどけた声で問いかける―――。優斗は少し不機嫌になりつつも、怒りの矛先を自分自身から変えてくれた。


「んなわけないだろ。俺らは、超能力を増やしてるんだ」

「増やす?」


 目線の先には謎の物体が屹立する前衛オブジェ。あれを増やしていったい何になるというのだろうか。―――の疑問に答えるように、優斗は言葉を続ける。


「あんな変なものがそこら中にあったらさ、美奈の絵なんて変のうちに入らないって思ったんだよ。で、俺が聡を誘って始めた」

「僕もほんとかなって思ってたんだけど、ちゃんと効果あったんだよ。いじめっ子たち、不気味の塔の噂にびびってたし」

「あれ、不気味の塔っていうんだ」


 ―――は思案する。二人の考えは子供じみていて、でも優しくて、応援したくなるものだ。加えて超能力を認める人が増えてくれば―――自身の行動範囲も広がるかもしれない。そうなれば、妹を見つけるという目的にも大きく近づける。


 打算と思案を天秤に載せ、反対側の不安を弾き飛ばす。誰に味方すべきかなど、考えるまでもない。


「分かった。おねえさんが手伝ってあげる」

「へ?」


 困惑で目を点にする二人をもう一度交互に撫でつけつつ、無理やりにイタズラ団の仲間入り。雨で湿った二人の髪と、少しだけほころぶ自分の顔。それらを胸の内に大事にしまい込んで、―――は自分の存在に意味を見出す。

この見知らぬお姉さんの能力は精神干渉というより生物の性質を物理的に再現するボトムアップ型AIのようなものです。使い手としてはけっこう極致にいます。

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