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最後の黒幕

 日が落ち、空気に夕方の朱が混ざりだす。ただでさえ雨雲で薄暗い伊豆津の街を、私たちは歩く。目的地は学校で、理由はもちろん、土日が終わってしまう前に手がかりを得るためだ。


 血と涙を求める侭を説得して行われた雨の再現実験。その結果は言うまでもなく散々だ。驚いて様子を見に来たお母さんの顔が大笑いに変わっていくさまが屈辱だったから、多くは語らないでおく。湿った髪が風を吸って少しだけ心地いいから、今はそれでよしとしよう。


「にしても、面白い話が聞けたね」

「蒸し返さないでほしいんだけど」

「それにしたって笑っちゃうだろ。雨が降るたびに窓から舌を出して飲もうとしてたなんて。小学生の女の子がさ」

「怒るよ?」

「おお怖い」


 その記憶もない。と言いたいところなんだけど、認識の違和感に気づいて以降、少しずつ存在しなかったはずの記憶がよみがえりつつある。つまり、幼少期の私はそういった奇行に走っていた時期がある。少なくとも、母親が何度も「しっかりしなさい」と怒鳴りつける程度のあんぽんたんだった。それは事実だ。


「実際それも、何かの影響なんだろうとは思うよ」


 侭が急に声のトーンを落とす。


「水場を求めるカマキリがその思考を寄生虫に支配されているように、きっと天音に影響している異能が、そうさせていたんだと思う。ちょっとした地球万博状態だね」

「うーん、なるほど?」


 侭の言葉は汚染の影響か十分には頭に入ってこないのだけど、私のあんぽんたんに合理的な理由がついたとなると、少し安心だ。


「今日のは天音の意思だけどね」

「提案は侭でしょ」

「無意味と感じたらやらない選択肢もあったんだ。自分の失敗を人に押し付けないでほしいな」

「そのわりにはやけに協力的だったよね」


 からかわれつつも、なんとなく別の違和感。記憶喪失の話と、元に戻すための対策。侭の提案はどれも正しいのだけど、なぜだか及び腰にも感じられた。


 責任を擦り付けあったり、前を歩く凪に呆れられたりするうちに、学校が見えてくる。いない可能性もあったけれど、もうすぐ夜が来る。予想通りに優斗と聡の姿がそこにはあった。


「げ、天音」


 またも失礼な反応を示す優斗。その掌には青くきらめく粉のような物体。彼らの犯行現場はこの場所で、ここから雨を降らせていたのだろう。


「クラウドシーディング、だね」


 侭が知った声で指摘する。


「雨雲を作るには、水滴がまとわりつく核となる物質が必要だ。それを人工的に作ることで雨を降らせる技術があるとは聞いたけど。これは誰の入れ知恵かな」


 侭の顔は私に向かう。確かに、言われてみれば昔そんな話を二人にした記憶がある。


「何の用だよ」がなるような優斗の声。でも、その響きに拒絶はない。

「ちょっと、聞きたいことがあって」


 二人の背中はこちらを向かず、けれども作業の手が止まる。


「ええと、たぶん、私のことなんだけど」


 直接的な回答は脳内で捻じ曲がるから考えないと。迂遠な言い回しは苦手だ。


「ほら天音、練習通りちゃんと言わないと。『今日の私、どこか変わったところない?』って」


 隣のプロから助け船。めんどくさい女のニュアンスを足すのはやめてほしい。やんわり訂正しつつ、過去からの変化を尋ねてみる。


「どうかな、俺らそんなに観察力とかないし」

「僕も、よく分からないや」


 少しの沈黙の末、返す背中は消極だ。明らかな拒絶、明らかな嘘。また私だけ聞き取れない類の言葉とか? でも凪の冷ややかな反応を見るに、その線も薄い。だとすると、二人は私の異変が継続することを望んでいるのだろうか。


 少なくとも分かるのは、雨が関係していること。二人は私が来た途端にクラウドシーディングの手を止めた。これまで必死に、美奈のために降らせ続けていた雨をだ。

 雨が降らなければ美奈が命をすり減らす。なのに二人は私の異変と美奈の命を天秤にかけ、私のほうに傾けた。命を削るより重い何か。クジラが死んだ日に向けられた、人殺しを見る目。何かがつながる気配がする。


「おい」


 いつの間にか目の前に凪の顔。え、何。いきなり。


「いいのか」

「何が?」

「逃げたぞ」


 指さす先には、小走りで裏門を抜ける二人の姿。


「まだ話終わってないんだけど」


 ちょっと苛立ち混じりで叫んでも、逃げ去る足は止まらない。


「待ってよ」

「今はダメだ」

「美奈ちゃんの件が片付いたら協力するから」


 捨て台詞を吐いて通学路を逆走していく。だから、その美奈の件を解決するための聞き込みなんだってば。


「こうなったら、意地でも捕まえてやる」


 改めて宣言させてもらうけど、私はこういう情報を持っているのに吐こうとしない人間を見るのが大嫌いなんだ。なぜって、最近そういう目に遭いすぎたから。


 逃げていったのは駅の方向。ってことは目的地は家じゃなくて公共施設かな。かくれんぼでやり過ごす腹づもりと見た。


「二人とも、追い込みルート説明するから聞いて」

「よし来た」


 威勢のいい返事は凪からだけ。侭はまた天邪鬼かと思ったけれど、なんだか覇気がない様子。


「どうしたの?」

「いや」


 歯切れ悪く、雲の上を見つめている。


「友達を追い立てて身を滅ぼした知り合いの話を思い出してさ」

「う」


 上の空のくせになんて的確な皮肉を言うんだ。


「実際、あの二人に話を聞くのはありだと思う。でも、視野を絞る前に可能性を検討するのも悪くない、そう思えてしまうんだ」

「そう、かもだけど」


 話に理はある。喉の奥に引っかかったのは、やっぱり別の違和感だ。私の異変に対して、この男はちょっと遠回り過ぎやしないだろうか。無駄だと分かっていながら水遊びに興じたり、目に見える手がかりを前にしり込みしたり。迂回路じみた性格をしているのは分かっているけれど、布石でもなく緩手を打つのは変だ。砂漠で聞いたトレジャーハンターハウスキーパー理論とも矛盾する。


「行かないのか?」

「ちょっと待って」


 私の周りを周回軌道し始めた凪が第二宇宙速度を超えて暴走するのも時間の問題だ。そう、時間の問題で、私は美奈のために急がなければならない。


「うーん」

「判断は天音に任せるよ。僕は後ろからゆっくり行くから」


 言って、再び上空に目をやる侭。何かあるのかと追従してみても、そこにあるのは空だけだ。


「迷子にならないでね」


 足取りは、意外なほどに軽く出た。突き動かすのは好奇心じゃなくて、友達を助けたいという、意志。間違いなく、私にとっては前進だ。


 ここ数か月で変わったといえば、砂漠での一歩が大きいのかも。思いつきを置き去りにして、私の足は駆けていく。

 さて、追いかけっこだ。


 地元の土地勘で逃げる優斗と聡を、地元の土地勘で追い詰める。あまり説明しても面白くないから詳細は省くけれど、ショッピングモールのメンズコーナーに隠れる二人をそれとなく裏口に誘導したり、住宅地に向かおうとするのを凪に先回りしてもらって防いだりと、いろいろだ。

 なんやかんやで。そう表現するのがふさわしい追い込みの結果、見事優斗と聡は揃って公民館の屋根の上だ。よく四人でこっそり上ったよね。あれ? いつだっけ。


「いい加減、諦めろよ」


 息も絶え絶えの優斗。聡も同じくらい。ちなみに私はさらっと追いかけているようで、一番の満身創痍だ。ただ一人、隣の凪だけが平然とコインを浮かばせている。


「諦めろって、追い詰められてるのはそっちでしょ」

「優斗には悪いけど、僕もそう思う」

「うるせ」


 後がなくなった優斗がガシガシと手で髪を掻く。


「俺が、俺らがどんな気持ちでお前から離れたと思ってんだ」

「知らないよ。教えてもらってないんだから」

「教えられないんだよ。分かって」聡は少し涙目だ。


 曇天の屋上に、ピリピリとした空気が張り詰める。やがてどちらからでもなく手をかざし、私の足元へと向ける二人。どうしても逃げたいらしい。


「これ殴っていいやつ?」

「ダメなやつ」


 凪の冗談はともかく、よくない状態だ。もともと能力使用中に始まった鬼ごっこということもある。高揚しきった気持ちが闘争心を煽る、超能力の副作用。

 風がそよぎ、空気が幕放電する。一触即発の空気。今にも凪が攻撃を仕掛けかねない緊張感。


 不意に、二人の顔が上を向く。そして、急激に青ざめる。


「雨か」


 凪のつぶやき。確かに少し肌寒いけど、雨は降っていない。

 上空には何もない。薄暗い空があるだけ。そのはずだ。


「やめろ、やめてくれ」


 優斗が上を向いたまま叫んでいる。聡は両手を合わせて祈っている。いったい、何に? 冷たい感覚、歌いだすホワイトノイズ。でも、雨は降っていない。


「なるほど、そういうことか」


 後ろから聞こえてくるのは宣言通り重役出勤の侭の声。よたよたと梯子に手をかけ、上ってくる。その視線は、やはり空。


「上に、何かある?」


 凪と侭も空を見上げている。視線の先に何かがあるのは間違いない。けれども私の両目はどうしても、空亡しか映してくれない。


「誤計算について分かることは?」

「……何の計算?」

「さあ、なんだろうね」


 いつもの侭のはぐらかし。でも今度は、ずいぶんと穏やかだ。優斗と聡は焦り、同じ理由で侭は安堵する。私には、何も見えない。


「止め、頼む、止んでくれ」


 ほとんど泣きそうな優斗、顔を覆う聡。


「落ち着きなよ。いつだって雨は降る。大丈夫」


 首元に触れる侭の手。何かを弱めている? 混濁するのは意識。決意したはずの私の、意志。どこかへと流れていく。


 誰かが、何かを話している。話すたびに、私の中から何かが流れていく感覚。優斗と聡が泣いている。雨が、降っている。雨。意識が上がったり下がったり、奇妙な浮遊感。


 今さら、全身に水が滴っていることに気づく。でも、ほとんど流れてしまったのだろう。心が妙にクリアで、少し寂しい。部屋が少し広くなったような、遺品整理を済ませた日の祖父の部屋のような。


 意識が戻った時、雨は止んでいた。うなだれる優斗と聡。無表情の凪。少しだけさみしげな侭。


「――さんについて、分かった?」

「……うん」


 ぼやける侭の言葉。でも、全部分かった。どうして美奈が、優斗が、聡が、私を七不思議から遠ざけたのか。あの日自分が、何をしてしまったのか。


 この事件の犯人は、私だ。

椎名侭④:よく詭弁しよく暗躍するタイプですが、その分語らない・動かないシーンで感情表現することが多いキャラです。

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