蒼に雫は溜まらない
門限があるという観鈴を駅まで送り、ついでに白鳥さんに頑張ってお引き取りいただいて、ようやく元の三人一組。私たちは予定通り、町を東へ南へだらだら歩く。
「侭、もうちょっと急いでよ」
「うるさいなあ、僕は、疲れている」
「見れば分かるってば」
スピンオフの依頼は比較的足を使うものが多いし、侭もそれに慣れているはずなんだけど、どうしてこんなに体力がないのだろうか。
「早くしろよ」
凪は凪で考えなしに十メートル以上も先行してしまっている。
「あ、そっちじゃない。右だってば」
道知らないなら先に行かないでほしいなあもう。誰か代わりに引率の先生やってくれないかな。
男二人を両手で引き留め引きずって、どうにか写真の撮られた場所へとたどり着く。住宅街の一角に造られた、子供用の小さな公園だ。
「ほら、二人とも着いたよ」
ベンチを見つけるなり座り込む侭と、「お、あるな」と興味を示すものの特に考えるつもりのない凪。うんうん、いつも通りだ。
痕跡は消えているかと思ったけれど、雨が降っていないおかげでまだ残ってくれていた。こぶし大ほどのサイズの赤黒いペンキ跡が、敷地外の側溝に残っている。
「これ、何の七不思議だったのかな」
尖った針のような形状からして、これも雲のひげ櫛なのだろうか。写真とたがわぬ痕跡の横に、小さな違和感。
「分かったか?」横からのぞき込む凪。
「なんか、偶然ここにたどり着いたって感じがする」
「どういう意味だ?」
「ほらここ。大きな痕跡の近くに、小さい痕跡がいくつかあるよね。クジラが引きずった跡だと思うんだけど、美奈の家から直接ここに来ると、この方向にはならないんだよね」
そうなると駅を迂回して南側から這い寄ってきた計算になるけれど、あえて遠回りをする真意はどこにあるのか。
「偶然なら、ランダムに動いた結果なんじゃないか?」
「それはちょっと考えにくいと思う。美奈の力、軌道を指定して動かすタイプだから」
仮に一定法則で自立行動させられたとしても、そこには何らかの行動原理が必要だ。それはつまり、美奈の目的につながる手がかりと言えよう。
「とりあえず、ほかの場所も見てみたいかな。ちょっとアレ起こしてきて」
「あいよ」
全力で休憩中の侭を凪が蹴り起こし、一同は次の痕跡へと向かう。
写真を頼りに手がかりを廻ること三か所、四か所、五か所。白鳥さんの情報が思いのほか正確であることに感謝しつつ、五か所目のペンキ跡に目を凝らす。
「ここもだ」
クジラの痕跡は、やはり遠回りをしてこの場所にたどり着いている。そして、五か所目ともなるとなんとなく法則も見えてくるものだ。
「やっぱり、痕跡は螺旋状に街を散策してるみたい」
もう一度地図を手元に広げ、痕跡の記録日時を足していく。点々と積み上げられていく七不思議の軌跡は、美奈の家を中心に円を描くように広がっていた。そして、奇妙な点が一つ。軌跡はなぜか真円ではなく街の南東側に侵食していっている。
「どうやら、犯人の探し物は南東にあるみたいだね」
思考を先回りする、わざとらしく短絡的な侭の言葉。
「うん。そういう可能性もある、って段階だけど」
何かを探しているのであれば、白鳥さんに痕跡を記録させているという辻褄も合う。でも、美奈の力ではどうやっても見つけた何かを持ち帰ることができない。真実に指をかけるには、あと数手要素が足りない。
「おい、そこで何をしている」
悩む私たちを呼びつけたのは、男の声。肩がすくみ、振り返って理由を悟る。
「あ、上野部先生」
短髪で背の高い男、かつての担任。ラフなシャツ姿だから、今日は休みなのだろう。けれども去年に学校で顔を合わせていた時と同様に、不必要に威圧的な視線が私を射貫く。正直なところ、会いたくはなかった。
「む、柏木か」
上野部先生は私を見て、いや私の足元を見たのだろう。異質にまみれた痕跡に鋭く敵意を向け、小さく舌打ちをする。
「転校したんだったな。里帰りか」
「ええ、まあ」
「俺ら、そこの変な足跡の原因を探ってるんですよ」
横からすいと間に入るのは凪。たぶん、私のわずかな委縮を嗅ぎつけたんだ。ありがたいけど、これは逆効果。
上野部先生は急に現れた他校の生徒に訝しげな視線を向け、それからその横で浮かんでいる空き缶三つを見つけて低くうなる。
「おい、それをやめろ」
「どれっすか」
「その肩の横のやつだ。今すぐやめろ」
「ええー」
凪は文句を言いたげに私に伺いを立て、けれども輪を乱さない選択を選んでくれたらしい。空き缶を近くのゴミ箱にシュートしていく。
「超能力、嫌いなんすか?」
「好きも嫌いもない。君も高校生か、なら一般常識が分からないわけでもないだろう。超能力を使えば周囲が混乱する。常識は日常的に積み上げなければならない。君のために言っているだけだ」
徹頭徹尾、投げつけるように送られる正論の束。けれどその根元を握るのが怒りや苛立ちであることは明らかだ。
「それはどうも?」
凪も困惑したのか、私に小声で意見を求める。
「こちらさん、何者?」
「私の前の担任。常識と良識ある、大人。あと、地下組」
「なるほど」
独断と偏見による差別意識、世論に後押しされた正義、事件当日を逃げおおせた幸運。それらを煎じて瓶詰めしたら、ちょうどあんな感じの人格が出来上がる。正しい人だし、スタンスとしては以前の私と同じはず。それなのに、どうにも好きになれないのはなぜなのだろうか。
しり込みする私の代わりに、またも凪が口火を切る。
「俺ら、そこのイタズラの犯人探しをしてるんですけど、何か知りません?」
「落書き犯か。調べてどうするつもりだ」
「そりゃ決まってますよ。天音、どうすんだっけ」
「ええと、家族が怖がってたので、里帰りしてる間に安全確認をしたいんです。先生、この辺の住みでしたよね」
「ああ」
値踏みをするように私と凪とを交互に見て、最終的には私の言い分に納得してくれたらしい。息を一つつき、ペンキ跡を指さす。
「四月の途中ごろから、あれと同じようなものを近くでよく見るようになった。だが、それ以上のことは知らないな」
「動くクジラとか、見ませんでした?」
「見ていない」
不思議ワードに不機嫌さを増したものの、目線は逸れず動揺も見えない。本当に見ていないらしい。目撃例があったカフェとの違いは、美奈の家からの距離かな。ここまで来るとエネルギー切れで存在も虚ろになっているとか。
「あの落書きがその手の事件なら、子供の出る幕はない。おとなしく帰りなさい。超能力に関わるのは、非常識だ」
これ以上の情報は持っていないと言外に宣言し、私たちの活動を非難しつつ、上野部先生は去っていく。
その姿が曲がり角の先に消えてから、凪が一言。
「あいつが今回の真犯人か」
「違うよ⁉」
えらく短絡的に発せられた犯人宣言。けれども無根拠というわけでもないらしい。
「いや、天音がそんな目で見てたからさ」
凪にそう見えたということは、知らぬ間に私の両目は曇っていたということだ。
「……ちょっと苦手な先生だったから」
「ふーん」
たぶんこれは八つ当たりに近いのだろう。私が美奈のイタズラを白日に晒した日、たまたまあの先生が朝会でそれを知り、常識と正義に基づいて厳しく非難した。ただそれだけだ。超能力を恐れるのではなく、厭う。父のせいでそういった思想に触れることが少なかった私にとって、友達を厳しく糾弾するあの大人は、ひどく醜く映って、私にどす黒い安堵をもたらした。それだけ。
「ま、あそこまでのは珍しいわな」
凪は穏やかに笑い飛ばし、足元の石ころを浮かせて遊ぶ。上野部先生の攻撃的な口調にも慣れた調子で応じていたから、きっと凪はああした大人の目を何度も受けてきたんだろう。
「次、行くか」
「そうだね」
やっと追いついてきた侭を再移動の一言で絶望させて、私たちの調査は続く。
「さて、これで僕らはようやく全部の痕跡を調べ上げたわけだね」
ガードレールにオレンジが反射する、夕刻の伊豆津市。スタート地点である舞子公園のベンチでふんぞり返ったまま、侭が我が物顔で私たちを迎えてくれる。
十七か所のペンキ塗りたて。それらを一つ一つ丁寧に巡礼していくと、当然時間も経つわけで、気づいたころには今日ももう夕方だ。途中からは新しい情報もなく、侭を待ちつつ凪に地元の観光案内をするだけの時間と化して今に至る。
「侭は調べてなかったろ」
「どうせ天音の後ろを歩いていただけの凪には言われたくないな」
「天音、言ってやれ」
「いや、どうでもいいから」
貢献度の最下位争いという意味では正直私もいい勝負だ。美奈が異能を集中させるからには、町の南東側には何かがあるはずだ。それなのに、私の両目は何の成果も見出さない。南側を重点的に探して、美奈が興味を示したという女の子との遭遇を期待したけれど、それも肩透かしに終わってしまった。
焦りばかりが募っていく。私が無為に時間を浪費する間にも美奈は消耗し、それを助けるために優斗と聡も疲弊していく。私がなんとかしなければいけないのに。
「お悩みですかな?」
唐突にかけられた芝居がかった声。誰かと思ったら、カフェの時計さんだった。エプロンはしていないから、アルバイトの帰りだろうか。アップテールとロングスカートをゆらゆらさせながらこちらに近づいてくる。
「今週も不思議探し? ええと」
「柏木です」
カフェの人、藤宮さんというらしい。この人はこの人で、上野部先生とは対極的だ。凪が浮かせっぱなしの野球ボールを指先でつつきながら、ベンチの隣に腰掛けてくる。
「住まい、こっちなんですか?」
「ううん。駅の反対側。知り合いに『こっちに面白い子たちがいる』って言われて気になっちゃって」
「知り合い、ですか?」
どちらかというと、やけに芝居がかった物真似?のほうが引っかかる。
「そう。詐欺師みたいな大学の先輩。さっき柏木さんと一緒にいた人だね」
「あ、その詐欺師の人ですか」
「うん。わたしは個人的に詐欺師先輩って呼んでる」
意外なところがつながった。というか、本当に大学生だったんだ。
「ちょっとそこ詳しく聞いてもいいですか? あの人全体的に胡散臭くて」
「あはは。詳しくも何も、大学の一個上の先輩ってだけだよ。胡散臭いのはわたしにとってもおんなじ。話がペラペラで嘘っぽいから、詐欺師先輩」
わりあい、親しみを込めて呼ばれる詐欺師の名。あの全自動胡乱製造機にも、普段使いの顔があるということなのか。
「藤宮さんは、面白い子たちを見に来たということですか?」
「ううん。うちの詐欺師先輩が年下たぶらかして迷惑かけてそうだから、お詫びに来たの。それに、虹クジラの話なら、わたしもけっこう詳しいからね」
「虹」
夕焼けクジラではなく、虹クジラ。伊豆津市に住んで長いらしく、前回も今回もばっちり不思議に降りかかられているようだ。
「クジラが現れた理由って何だと思います?」
「どっちの?」
「どっちもです」
少し考えるように間を置いてから、藤宮さんは答える。
「そりゃまあ、言ってる通りじゃないのかな? 悲しみとか、憎しみを食べるってやつ」
藤宮さんは右手を蛇の口のようにパクパクと動かし、指先で虚空を食らう仕草をして見せる。そして、ふっとその手をほどく。
「あるいは、教えたいのかも。悲しみとか、憎しみを食べてくれる不思議な生き物がいるぞ、ってね」
ああ、そっちのほうが美奈らしい。このまま虹クジラの話をもう少ししていたいけれど、本題もある。私は話題を移す。
「この辺りに住んでる女の子、知ってますか?」
「何人か知ってるけど」
「超能力に興味がありそうな子の話が聞きたいです」
藤宮さんは、「超能力」という常識外の単語にそれなりに動揺を見せたけれど、ほとんど表情を変えずに応じてくれた。
「たぶん、流花ちゃんかな」
藤宮さんの話によると、「流花ちゃん」とはちょっと前まで近くの病院、つまり父の病院に通院していた子らしい。流行りの風邪で病院を行き来する際に、バイト中の藤宮さんと仲良くなったのだとか。
「あの子、ジエンドで保冷剤をなくしてるから、聞き込みするなら超能力の話は慎重にね」
「は、はあ」
この人は急に何を言い出すんだろう。
「天音」
凪の鋭い口調。なぜ、たしなめるような言い方なんだろう。
「保冷剤って、どういう意味ですか?」
「え?」
藤宮さんの顔が困惑に傾く。
「ええと、何の話?」
「流花ちゃんが保冷剤をなくしたって言ってたので」
「これもダメか」
難色を示す凪。藤宮さんに対して何かを説明し、首をかしげさせている。おかしい。言葉が理解できない。
「そっか。この子が生身のラテの始まりなんだね」
「たぶん」
思考がくにゃりとたわんで、歪んでいく感覚。
「聞こえないかもだけど、言うね」
目の前が水の中に溶ける。暗く深い深海の底で、何かを通した言葉が届く。
「わたしね、小さいころに疎外感をなくしてるんだ。タロイモ偶然、ハサミ。だから、トレーラーが品売ってくれてるみたいで、貨物路のことが好き。かまいたちのせいで柏木さんが栗きんとんだってことは聞いたよ。でも、だからこそ、花吹雪に誘われた人もいるって、知ってほしいな」
「え、あの、すみません」
ああ、ダメだ。分からない。言語とはここまでぐにゃぐにゃしたものだっただろうか。藤宮さんは空に、何を見ている?
混迷を極める私の様子に、寂しげな笑顔を向ける藤宮さん。なぜか凪と侭も同じ感情を有しているように思えた。
不透明な不整合。いや、この感覚には覚えがある。事件を通して凪から、優斗と聡から聞かされてきた、言葉の齟齬。
「ささみのたれは、粉に漬かって塗るソテー、山ほどグミを溶かしたスイカが最後に行きつく場所。まるで宝みたいだけど、私は超うまいって信じてる。だから、柏木さんにも信じてほしい」
荒野に染み込む慈雨のように、理解不能が全身に流れていく。何かが頭に染み入って、代わりのように雫が頬を伝う。脳内で反響する「信じてほしい」の言霊が、私を前に進ませる。
少しずつ見えてきた。この事件が長引いている理由が。どうやら七不思議の最後の一つは、私の中にあるらしい。
藤宮さんと白鳥との関係はそこそこ良好です。彼が急に宗教団体に近づいたり謎にサークルを渡り歩いたりしても、「詐欺師先輩だしなあ」で済ませて過去問をせびりに行きます。




