ブラインド
会話が止まり、昼下がりの街路に小さく風がそよぐ。
白鳥さんの話は信用に足りただろうか。信じるべきかはともかく、説明は地に足をつけていたし、教えられないことは教えないと明言してくれた。前科さえなければ、うちのアホ二人よりよほど信用できる。
「信用には信用を。頼むよ」
両手を合わせて胸の前に置き、小さくお辞儀をする白鳥さん。それ、誠意の表現じゃなくてリンド式挨拶では? 素直に信じさせてほしい。
「ああもう、分かりました」
どうせ私はおちょくられているだけだし、この人が夕焼けクジラの情報にたどり着けないとも思えない。信用には信用を。乗ってやろうじゃないか。
「センシティブなところは話せませんけど、いいですよね」
美奈たちの正体や能力を黙秘することだけ念押しして、私は事件の全容を白鳥さんに語る。
「へえ、夕焼けクジラと虹クジラね。虹クジラのほうはちょっと懐かしいな」
「ほんとにこの街、住んでたんですか?」
「まさか」
なんだとこの野郎。
「そう怖い顔しないしない」
人を食ったようなおどけた表情で私の神経を逆撫でしつつ、白鳥さんは門壁と校舎に交互に視線をやる。
「つまり俺は、これからこの絵の由来を聞いてくればいいわけだ」
「そう、なります。お願いします?」
ダメだ。どうしても信用しきれない。
「いいよ。信用は結果で勝ち取ってみせるからさ」
言って、白鳥さんは校舎の方向につかつか歩いていき、それからどういうわけかスマホを取り出す。何事かと思ったら着信らしい。何度かわざとらしく「ちょっと待って」と「あと十分」を繰り返してから、踵を返してこちらに戻ってくる。
「ごめん。ボスから召集かかっちゃった」
「ええー」
信頼、無効試合じゃないか。白鳥さんは全顔面を渋らせて不服無念を訴えつつ、それでもボスには逆らえないらしい。肩を落として「ごめんよ」と謝る。
「まあ、いいですけど」
正直ちょっと残念だ。その私の手に、白鳥さんが自身のスマホを握らせる。
「これ、俺のID。登録しといてよ。しばらくこの辺ふらふらしてるから、次は手伝えると思う」
ステッカーのついた桜色の端末。なんだか思ったよりかわいらしいデザインだ。親しみを覚えることに不覚を感じつつ、連絡先の登録を済ませる。
「なんか、ナンパされてるみたいです」
「大丈夫だよ。柏木ちゃん、俺の好みじゃないから」
「……帰れ」
「はいはい言われなくても。またね。凪人君によろしく」
誰だよ、ナギト君って。胡散臭くもどこか清々しく、白鳥光也はその場からつむじ風のようにいなくなってしまった。
「振り出しかあ」
ちょっと残念だ。上を見ると、ちょっと曇ってきていた。このまま降り出してくれないかな。
「お、天音だ。いた」
天を仰ぐ私の耳に真横から響く、凪の能天気な声。ある意味グッドタイミングだ。
「遅いよ。危なかったんだから」
「え、何が?」
とりあえず、クジラの絵とThe rEND襲来について簡潔に話すと、「それで俺、呼ばれたのか」と気の抜けた声。
「凪は小学生からの事情聴取とか、得意?」
「侭よりは」
そんな、ゼロより大きい整数を自然数と呼ぶ、みたいな主張をされても困る。おとなしく声をかけやすい子供が出てくるのを待つべきかな。でも、さっきから校舎窓の視線が増えてきて、警戒されてるっぽいのがなあ。
念のため怪しまれない程度に移動して、壁に寄り掛かりながら手がかりを待つ。手慰みに、凪のほうに話題を投げる。
「そっちは何か分かった?」
「ああ、そうだった」
意外にも、進展があったらしい。凪はちょっと動転した様子を見せる。
「七不思議なんだけどさ、ちょっと変なんだよ」
「変って?」
それ以前に、美奈の協力者を探してたんじゃないんでしょうか。
「手がかりないし、詳しい人に聞こうとしてさ。ほらあの、喫茶店の」
「ああ、なるほど」
思ったよりちゃんと考えてくれてた。反省。ちょっと甘い匂いするし、てっきり休んでたのかと。
「紅茶飲まされながらいろいろ聞いてたんだけど、どうも天音の話と合わなくてさ」
「どういうこと?」
凪は少し言葉を選ぶそぶりを見せ、諦めたのか小さくうなずく。
「花月見の生爪って、ほんとに謎か?」
「……なんて?」
茶葉の名前だろうか。それともハーブ?
「喫茶店の固形パンいわく、鏡の盾って名前の無敵があるらしいんだよ」
「うん? ちょっと?」
「なんかほかの無敵より特別らしくてさ。ほかにも、締めないルポ、共鳴ラザニア、鍋の氷水とか、そんな言い方してたな」
「こおり? みず?」
記録的な量のクエスチョンマークを降らせる私を無視して、凪は「ほらあれ」と上を指さす。
「あれって?」
「あれだよ」
「どれ?」
空を覆うのは見慣れた灰色の海原。何かあるかというと、「何もないがある」と答えたくなる。
「うーんダメか。じゃこれなら?」
今度は端末を操作し、一枚の写真を見せてくる。さっき撮ったらしく、こちらも見慣れた空模様だ。
「これが何に見えるかってこと?」
心理テストか、それとも禅問答がしたいのだろうか。でも凪の目は真剣で、ふざけているようにも見えない。
その後も二言三言何かを私に訴えかける凪。でもその説明はたどたどしく、奇妙で、端的に言うと分からない。
「もうちょっと落ち着いて説明してよ」
「うーん」
腕を組んで言葉を組み立てる凪。少しして、その手ははらりとほどける。
「いや、いいや。諦める」
「待って、諦めないで」
私は知っている。この手の伝えようとしたけど伝わらなかった言葉が事件の核心に迫っていたと、きっとあとから知ることになるんだ。そんな無駄な遠回りに時間をかけていては美奈が失血死してしまう。
けれども凪は頑なに「俺には無理だ」と説明を放棄し、私を混乱させる。
どうにかして情報を聞き出せないだろうかと苦心していたら、端末に着信を告げる音。画面を見ると、侭からだ。
「情報あり、至急来られたし」
なんだその口調は。人のヘルプは無視したくせに。
「あいつはそういう奴だろ。場所は?」
凪が問いかけるタイミングでもう一つメッセージ。地図だ。
「病院、かな」
「行ってみよう」
「……うん」
正直、あんまり行きたくない。その思いは胸中に収めて、凪を案内する。
歩くこと十五分。駅を素通りして南に下り、街外れの傾斜を上った先にある、白い大きな建物。白いのは単にイメージカラーというだけでなく、衛生管理のしやすさという合理的理由があるのだとか。
「ここか」
「ここだね」
建物の前に侭の姿。壁に寄り掛かってこちらに手を上げる。挨拶かと思ったら、その指先が真横に伸びる。誘導されるまま、そこにあった看板を読み上げるのは凪。
「柏木医院って、天音と同じ名前だな」
「まあ、お父さんの病院だからね」
「社長? 院長令嬢か」
「何その概念」
ほとんど訪れたことがない父の根城。小さいながら内科外科小児科と揃っていて、入院設備もある。もともとジエンドで入院患者が一時的に増えた時に改築した総合病院の別棟を、一念発起した父が安く買い叩いたらしい。人口自体が減って医療従事者の負担が下がった今、目下父は吸収合併のカウントダウンに怯えている。
いろいろ情報を整理してみたけれど、つまりはただの病院だ。侭はいったい何を見つけたというのだろう。
「よく来たね、二人とも」
侭に案内されるまま病院の裏手に回る私たち。駐車場の壁を見ると、そこには見覚えのある絵の具の跡がべたり。
「また、クジラだ」
「小学校にもあったな」
もちろんまったく同じというわけではない。ただ、筆致や三人の子供がクジラを見上げる構図からして、間違いなく美奈の絵だ。
「へえ、そうなんだね」
侭は白々しく驚いたフリを見せつつ、絵を片手でなぞる。
「ここは墓場だ」
「……動かないってこと?」
「そうとも言う」
翻訳に困る言動をしないでほしい。つまり侭は、この絵が偶然異能の漂着した結果ではなく、ただ単に絵として描かれた絵だと言いたいらしい。
「痕跡をたどってたらここを見つけたんだ。変だよね」
侭の言いたいことは分かる。なぜならここは父の勤務先で、父がこの絵に気づかないはずがないからだ。クジラと七不思議に縁があると察していて、それでもなお私にこの事実を黙っていた。きっと何かの意図がある。
「見つけたのはこれだけ?」
聞くと、侭は小さく首を振る。
「目撃証言があったよ」
「誰の?」
「水鏡美奈だ。ここの院長と何やら話し込んでいたらしい」
「え?」
院長。つまり父だ。続く侭の話によると、美奈と思しき黒髪華奢の女子高生が、この裏手で話をしていたとか。
「通院でも見舞いでもなく医者を呼ぶものだから、看護師さんも気になって覚えてたんだってさ」
「へえ」
「不倫だろうね」
「怒るよ」
侭の茶化しはともかく、理由は謎だ。一応、私を介して父と美奈は知り合っている。でも友達の父親以上に個人的な交流があったとは思えない。いったい二人の間にどんなやり取りがあって、なぜ私に隠すのだろうか。
「執務室にでも忍び込む?」
正面からは悪魔のささやき。
「いや、普通に尋問しろよ」
背後からも悪魔のささやき。人の親を尋問するな。
というか、尋問するまでもなく直接聞けばいい。念のため病院の敷地内を一周してほかに情報がないことを確認し、その足で自宅に帰る。
「ただいま」
「お、お帰り?」
家に帰り、さっそくリビングでストレッチをしていた父に詰め寄る。ボロ橋のポーズのまま高校生三人にぞろぞろ囲まれた父は、ややたじろぎながら私に理由を求める。
「どうしたんだ?」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
病院の痕跡、美奈との会話、それらを隠していた理由を立て続けに聞くと、父は頭をかいて苦笑い。
「美奈ちゃんには、ちょっと話を聞かれてただけだよ」
「何の話?」
「そりゃ当然、超能力だとも」
父がこっそりやっている超能力研究のページを見て、話を聞きに来たらしい。そんなものこっそりやらないでくれるかな。
「何を話したの?」
「いろいろ、というか全部かな。抗精神力とか、異能痕とか、TRICKとか、私の趣味とかね」
「昨日俺らに話してくれたやつっすね」
「そうそう」
「……」
短絡的に考えると、事件を起こす準備を整えるための情報収集だ。けれども美奈は去年も同じような七不思議を繰り返している。今さら必要な情報があるとも思えない。
「あの絵は?」
「な、何のことかな。駐車場の方には普段行かないからな」
語るに落ちてるじゃないか。けれども父は知らないと主張する。
態度からして、父は美奈が事件に関与している可能性をすでに考えていたようにも思える。そのうえで見過ごすには相応の理由があるわけだ。
「教えて」
「それは、できないな」
けれど父は秘匿する理由を秘匿する。問い詰めても、「天音には何も話さないって約束だから」の一点張りで、なかなかに強情だ。どうしてくれようか。ヨガを手伝おうと圧をかける私の手を、凪の能力が止める。
「何?」
「諦めろ。約束ならしょうがない」
「ええー」
せっかく情報が手に入るチャンスを逃したくない。けれど横を見やると、侭も凪と同意見らしい。悟ったように目を閉じて、ゆっくり首を横に振る。これじゃあ私が悪者みたいじゃないか。
結局父は話してくれず、時間も過ぎて夕方に。これ以上は明日の学校に響いてしまう。まあ、最悪父のほうは泣き落としでなんとかなるだろう。「今日はもう撤収かな」という侭の言葉を合図にして、泣く泣く調査は延長戦に突入だ。
七不思議は本章における重要な要素ではありますが、その一つ一つは単なる怪現象であるためすべてにはフォーカスしていません。本作はあくまで動機の話です。




