TRICK
砂漠に降る一滴の雨、夜空を照らす月しるべ。友達とは、きっとそれらに近い神聖さを持った言葉だと、私は信じている。
暮れ入りの道、街灯に光が灯り始める中、私たちは美奈の家に足を進める。
水鏡美奈は、私の初めての友達だ。五年前、引っ越してきたばかりの私に声をかけてくれた。当たり前のように遊びに誘ってくれた。くだらない悩みを受け入れてくれた。大事な存在だ。
「今さらだけど、電話とかじゃダメだったのか?」
「私ブロックされてるから」
たとえ未読スルーされても、通話がつながらなくとも、大事な存在だ。凪、なんでそんな悲しい顔をするの?
何度通ったかも分からない花屋を横切り、ショッピングモールの敷地をショートカットして、目的の一軒家にたどり着く。
「お、ここか」
表札に書かれた水鏡の名字を見て、凪が声を上げる。脊髄反射でインターホンを押そうとするその手をどうにか抑えて深呼吸。
駐車場に車はない。美奈のお母さんは外出中で、つまり家にいるのは美奈だけだ。
「よし」
「ん? あ、俺が押すのか」
すこし年老いた電子音が鳴り、ホワイトノイズがドア越しの接続を教えてくれる。
「美奈、いる?」
スピーカー越しに息を呑む音。けれども返事はなく、ノイズが止まる。
「切られたね」
横から侭の嬉しそうな声。うるさい。
ここからの選択肢は三つ。尻尾を巻いて引き返すか、出るまでベルを連打するか、それ以外か。当然選択肢は最後の一つだ。鞄から秘密兵器を取り出す。
「凪、これ」
「なんだこりゃ」
「証拠品」
昼間の伊豆津市ツアーで見つけた茜の約款、絵の具のこびりついたカフェのメニュー表だ。時計さんに無理言って借りてきておいてよかった。
「上まで届けてくれない?」
「了解」
リビングの窓、ちょうど玄関から戻ってきた美奈に見えるよう、凪の異能を誘導する。高さは足りるだろうか、大丈夫そうだ。ラミネートがコツコツとカーテンを叩き、隙間から美奈の手と目がのぞく。その目が見開かれたタイミングで、インターホンをもう一度。今度は反応ありだ。ドタバタと音を立て、再び通話がつながる。
「美奈、いるんでしょ」
「……何しに来たの」
扉の向こうで頭と膝を抱える美奈の姿が浮かぶようだ。声から伝わる感情は怒りか焦りかそれとも疲労か。元気でないことだけは分かる。
「何って、久しぶりに里帰りしたから、会いに来たんだよ」
「わざわざゴミを投げて嫌がらせに?」
「私は落とし物を届けに来ただけ」
「おい天音、ケンカになってるぞ」
後ろから飛んできた凪のヤジで我に返る。美奈のとげとげしさにつられる理由はない。
「さっきの板切れだけどさ、あれに漂着してるの、美奈の絵だよね」
「違う」
「絵の具の下に色鉛筆で下書き、遠近を数字で表現するやり方、変わらないね」
「違うってば」
「私は別に、美奈をどうこうしたいんじゃない。ただ、理由を知りたいだけ」
「違うって言ってるでしょ!」
スピーカー越しに怒声が轟く。耳をつんざくのは悲鳴。
「お願い、話しかけないで、関わらないで、近寄らないで。頼むからもう、この街から出てってよ」
悲鳴は痛々しい訴えに、そして次第に嗚咽に変わっていく。前と同じ、明確な拒絶。情報を何一つ与えたくないという強い意志が感じられた。
「……また、来るから」
だから私は踵を返す。今はたぶん、その時ではない。わざとらしく耳を塞ぐ侭を手扇で追い立てて、毅然と窓を見つめる凪の前を横切る。
「帰ろう」
「いいのか?」凪の言葉。今度はその意図を理解できた。
「大丈夫。さっきもう、十分泣いたから」
それに、美奈が泣いている。私がすべきは泣き言を言うことじゃない。
自宅に戻ってきて、再び私の部屋。
「なんか、疲れるだけだったような」
「そうでもないよ」
嘆息する凪を励ますわけじゃないけれど、私はホワイトボードに情報を書き足す。
「少なくとも、美奈が犯行に関わっていることが確定した」
「違うって言ってたぞ」
「凪は言葉の裏を読む勉強をするといい」
侭の言う通り。理由はそれだけでもない。
「異能痕からしても、美奈が能力を使っているのは間違いないよ」
遠隔型の、動かす異能。美奈は能力を使った直後、情緒不安定になる傾向がある。そして、平時であればたったあれだけの会話で取り乱すほど落ち着きのない人間でもない。
「ふーん」
私の解説を早々に諦めつつ、凪は座ったまま首を真上に向け疲労を訴える。
「次はどうすんだ? 犯人、だんまりだけど」
「第三者探しかなあ」
「探せるのか?」
凪の首元が真上からそのまま傾いてこちらに向く。危惧する通り、第三者の正体は未だアンノウンのまま。手がかりも目星も十分ではない。
「傾向から候補を絞るしかないね。平日に時間が取れて、能力者だから若者で、最近急に独り言が増えたとか、耳を塞ぐとか、そんな癖がある人。侭、井垣さんに調べてもらえない?」
「あの人も忙しいからね。SNSのほうが片付いたらなんとかなるかも」
そりゃそうか。侭も手がかりに持ち合わせがないらしく、渋い顔だ。
「なあ、ちょっといいか」
「なに、凪」
「今の手がかり、どっから出てきたんだ」
「どこって、TRICKと異能痕からだけど」
「トリック? イノウコン?」
「前に説明したじゃん」
「え?」
間違いない。浮かぶ赤ちゃんの時も、ウォールブレイカーの時も、逆ピラミッド爆撃の時もちゃんと説明したはずだ。翠のストーカー騒ぎの時なんか、ちゃんと話を聞いているか直接確認したのに。
「あー、そうだった、ような。そうだっけ?」
話すうちに思い当たる節々が出てきたらしい。凪は頭をかき、膝をつき、「もう一回頼む」と両手を合わせた。
「もう、しょうがないなあ」
凪が事件の謎に興味を示したのは今日が初めてだ。きっと今度こそうまく覚えてくれるに違いない。天井の淡い明かりに祈りを捧げつつ、五回目の説明。
「TRICKっていうのはね」
「それは私が説明しよう」
ばたりと。急に押戸を開けて立ち入ってきたのは御年四十五歳、柏木宗一郎。仕事着とはまた違う白衣を身に着けて、これも私物か教鞭を手に持っている。
「けっこうです」
「あ、天音、待って」
締め出して、改めて説明を、しようとしたらノックの音。
「天音、親父さんも仲間に入れてやれよ」
「……嫌だなあ」
子供の遊びに口を出してくる大人って、かっこ悪さ全開じゃないか。いやもう、そういう意味では十分にかっこ悪いんだけど。
「まあいいか」
扉を開けると満面の笑み。こんなでも能力に関しては私より詳しいし、ある意味本職だから説明も上手だ。父の顔を立てるとしよう。
「オホン」
わざとらしく咳払いをして、父はTRICKを語る。
「TRICKというのは、異能を司る概念の頭文字なんだ。例えば凪君、君の能力はなんだ?」
凪が嫌がらないからいいけど、ものすごいアンチマナー行為だなあ。
「まあ、サイコキネシス、的なやつっすかね」
「そう。最も一般的な超能力の形だ。凪君のサイコキネシスは、自分の意思で、手を触れず、一時的にものを浮かせることができる」
「サイコキネシスって、普通そういうもんじゃ?」
「いい質問だ」
凪を上機嫌にさせつつ、父は私が持ってきていたホワイトボードを裏返す。縦に書き下すのはTRICKの五文字。
「実は、サイコキネシスにもいくつか種類がある。意図せず勝手に浮かせてしまう、手を触れないと動かせない、一度浮いたらそのまま、などなどね。TRICKというのはそれらの特徴の一部のことなんだ」
父は文字列の真横に簡素な説明を書き加え、一つずつ説明していく。
T、すなわちトリガー。能力を自発的に発動するか、体質として付き合わされるか。
R、すなわちレンジ。能力発動に対象との近接接触が必要か、あるいは遠隔で可能か。
I、すなわちインフルエンス。能力を解けば作用が消えるか、変質したまま戻らないか。
「異能というのは、これら三つの特徴に異能核、何をするかという本質を携えて構築される。コアのCだな」
まあ、原子核の周りを電子がうろうろして性質を決めるようなものだ。似たような能力でもかぶりが生じづらいのはこの辺りのフォーマットに由来している、というのが父の推測だ。
「じゃあ、Kは?」
「Kはキネシス、動作を表す。現時点で発見された異能は、すべて物体に直接作用するサイキックだからね」
「おお、なるほど」
感心に手を打つ凪。でも残念ながら、父の言葉には嘘がある。
TRICKの概念を提唱したどこかの研究者いわく、KはKillを意味している。能力に混ぜ込まれた敵意が、例外ない絶対則だったからだ。父がそれを知らないはずはない。そして私も、配慮と願望を反故にするほど子供じゃない。横で何か言いたげな侭にも、黙秘を視線で要請しておこう。
「これらTRICKは、異能痕とも密接に関係している。異能痕は何を意味すると思う?」
「ええと、能力の痕跡?」
「素晴らしい。正解だ」
ぐっと拳を握る凪。そうか。部分点でも褒めてあげればいいのか。勉強になるなあ。
「TRICKが現象を起こす際、現象に対し反作用のようなものが発生する。それこそが異能痕だ。反作用だから、使用者本人に表れるのが特徴だな」
「炎使いが火傷する、みたいな?」
「その通り。具体的でいい理解だよ」
そりゃまあ実際に遭遇したし、実際に戦ってたからね。
「異能痕も異能の一部であるがゆえに、その表れ方はTRICKに左右される。ここで面白いのが、コア以外の三要素の関わり方だ」
「接触とか遠隔とか、ってやつっすね」
「そうだ。接触型の影響は物理的、接触面に直接表れる。この時実は、異能痕も同じく物理的に表れているんだ」
侭が能力を使ったあと手をよくさすっているのは、弱化の作用が手にも表れているからだ。凪もなんとなくイメージがついたのか、侭の方を見る。見られたほうは余計な情報を渡すなとばかりに困った笑顔。
「じゃあ、遠隔の場合は?」
「遠隔の反作用は精神的なものだ。サイコキネシスは手じゃなくて脳で操るからね。凪君もあるだろう? 能力を使ったあと、ちょっと浮き足立っちゃうとか、テンション上がっちゃうとか」
「んー、ある、ような?」
少し納得できていない凪。まあ、凪の場合は異能が弱すぎるせいかあまり異能痕を意識することもないのだろう。そもそもほとんど常時使ってるから差も分からないし。
レンジと同じように、ほかの二つについても父は説明していく。
インフルエンスは分かりやすく、異能作用が永続変質か一時的なものかだ。無機物への作用は言うまでもなく永続し、生物変質の場合も代謝や抗精神力が行き届くまでかなり長く残る。
難しいのがトリガーの概念だ。この部分はまだ研究が進んでなくて、父としても説明が少し苦しい。
「トリガーの場合は、異能痕が能動的・受動的どちらに表れるかに影響する、というのが有力説だ」
「というと?」
「サイコキネシスの場合、能動的だと動かしたい、受動的だと動かされたい、って感じだね。受動的、つまり体質型のサイコキネシス使いに会ったことがあるけど、能力を使ったあとはけっこうダウナーな感じになってたよ」
「はー、いろいろいるんすね」
「そうだとも」
物理的か精神的か、一時的か永続的か、能動的か受動的か。個人差はあれど、能力者には必ず異能核に対応した影響が表れる。それが異能痕で、私が能力犯罪の解決に活用できる数少ない論拠でもある。
「今回の七不思議に、息吹の雨と後ろの正面ってのがあったでしょ?」
「ん」
「あったでしょ?」
「あったんだな」
まったくもう。どこからともなく聞こえてくる潮吹きのような音と、いつの間にか会話に参加している幻影。ある意味今の父みたいだと思いつつ、私は凪の目の前に指先を突きつける。
「どっちも美奈の能力じゃ実現できない現象だから、第三者はたぶん音使い。音に関わる異能核が及ぼす異能痕から、耳鳴りとか虚言癖とかが表れるってわけ」
「なるほど」
五回目にして、凪もようやく理解を得られたらしい。父には感謝しないと。
「お父さん、もう帰っていいよ」
「そんなあ」
これ以上能力談議に花を咲かせられるのも困る。もう夜も遅いし、そろそろお開きにしないと明日に響く。
ばたりと、扉が開いて今度は母の顔。
「え、なに」
「凪君侭君、今夜カレーだけどいい?」
「大好物です」「ごちそうになります」
いや、ちょっと待て。
「パジャマお父さんの予備しかないけど、我慢してね」
「大丈夫です」「我慢します」
いや、待って。ほんとに待って。
「お母さん、泊まらせる気?」
「もう遅いでしょ?」
「二人とも、泊まってく気?」
「せっかくだし?」
「面白そうだ」
さっき玄関でお母様がアルバムを見てたのはこういうことか。善意を正しく受け取るのは素晴らしい資質だと私は思うよ。でも、クラスの女子の家に急にお世話になるんだから、もうちょっとためらいとか恥じらいとか見せてもいいんじゃないかなあ。
緊張と警戒を全開にして、実家の夜は更けていく。
TRICKや異能痕の概念はいわゆる能力系統ですが、超能力がロジックを超えすぎないためにつけた制約でもあります。




