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グレースケーリング

 かつての私にとって、夜廻県伊豆津市は七色に輝く町だった。繰り返されてきた父の転勤が止まり、日常には非日常があふれ出す。帰る場所と探検先を同時に得たのだ。それはもう、毎日が楽しみの連続だったことを覚えている。


 つまりは、ものを知らない子供だったのだ。ジエンド当日をちょうど海外旅行で回避できたことも手伝って、普通の子供よりも遥かに浅い忌避感で超能力と向き合っていた。世間の風向きが変わって能力を恐れるようになっても、私にとっては周囲のそれが能力を隠して当て合う遊びのように映っていた。


 好奇心、猫をも殺す。だからその日はきっと、来るべくしてやってきた。


「あれ、美奈たちだ」


 違和感に気づいたのは去年の十月だった。長雨の夜に気分がよくなった私は散歩に出かけ、そこで見知った顔たちが連れ立ってどこかへ行こうとしているのを見つけてしまう。


「何してるんだろう」


 レインコートのフードを目深にかぶり、街灯の光をよけながら歩く美奈、聡、優斗の三人。私の好奇を引いたのはその普段と違う雰囲気ではなく、三人が今日それぞれ違う予定を主張していたことだ。


「怪しい」


 自然、私は美奈たちの後ろをついていく。尾行が得意というわけでもないけれど、勝手知ったる自分の街。暗がりの三人を追いかけることなどわけはない。


 三人は何事かを話しながら、路地裏や駅前などを行脚する。どうやらひと気のない場所を探しているらしい。幾度も候補地を前にして引き返し、とうとう舞子公園の前で足を止める。低木の陰から様子をうかがうと、しゃがみ込んで地面を検めている。格好の怪しさも手伝って、何かの儀式をしているかのようだ。


「今日はここにしよう」優斗はベンチの足元をのぞき込みながら言う。

「準備できたよ」聡がカメラを構えている。

「じゃあ、やるね」最後に足元に手をかざしたのは美奈。


 怪しい光が数秒。明らかな異能の行使だ。三人とも学校では超能力のチョの字も出さないのに、変だ。


 蛍日が消え、三人は散り散りにその場を去っていく。逃げ去るように、というより逃げているのだろう。少しの葛藤ののち、追いかけることは諦める。


「何やってたんだろう」


 声のトーンからして普段の学校とは違う。明らかに深刻そうで、震えさえしていた。たまにみんなが眠そうだったのはこれが原因か。空が落ちてくるような真実を夢想しつつ、痕跡に近づく。


「……新手の前衛芸術、かな」


 足元を漂っていたのは虹色の波。比喩ではなく本当に揺らめいている。暗がりの中にあってなお鮮やかで、なんだかまぶしい気すらしてくる不思議な現象だ。


「あ」


 形を持たない七色の揺蕩い。私の中で何かがつながる感覚。記憶をひっくり返してつなげると、その正体に覚えがあった。


「これ、虹降らしだ」


 どこかで聞いた七不思議。虹色クジラの伝説。悲しい話をしているといつの間にか虹に包まれていて、気づいたころには悲しみを忘れている。虹色クジラが餌場を求めて潜空してきたのだという話だ。確か、その特徴がちょうどこんな感じの七色模様だった。


「七不思議、流行ってたような?」


 学校では確かに、虹色クジラの話を聞く回数が増えていた。美奈たちが怪談話に花を咲かせていた記憶はないけれど、流行りもの好きな聡あたりが急にハマってもおかしくはない。行動派の優斗が怪談を作る側に回ろうと言い出したとかだろうか。


「だとしたら、誘ってほしかったなあ」


 冷静に考えるとこれは立派な異能犯罪で、三人の常識を考えると遊び半分でやるはずはないのだけど。その時の私は能天気にも新しいおもちゃを見つけた気分でいた。




 数週間が過ぎ、イタズラは依然私を巻き込むことなく続いていく。学校で何度か怪談の話を出してもスルーされ、私としては仲間外れにされた気分だ。反抗精神を燃料に、その日も夜中外に出る。


「けっこう寒くなってきたなあ」


 年一番の台風が襲った夜だった。星空に光はなく、雨風が刃となって私の体温を奪っていく。疲労と集中力の欠落。連日の尾行で緊張感も緩み切っていたがゆえに、とうとう私は下手を打つ。パキンと、足元の枝が折れる音。


「誰だ」


 優斗の鋭い声。高架下、誘蛾灯に照らされる表情は緊張と、なぜか高揚。


「こ、こんばんは」


 私としては友達のイタズラを偶然見つけてしまった程度のことで、仮に異能行使の社会的リスクを考慮しても、身内ゆえに大きな問題にはならないと高をくくっていた。だからこそ、悪びれもせずに三人の前に顔を出す。


「どっちだ」


 続けて険しい声で問いかける優斗。どっちとは、どういう意味だろう?


「天音か?」

「え、そうだけど」


 ああ、そっか。向こうから見て私の顔は照らされていない。驚かせてしまったかな。だから、美奈がなおも表情を強張らせて「塾帰りに偶然会ったんだ」などとごまかしを始めた時、つい首を傾けてしまう。


「僕ら、これから映画見に行くんだけど、天音も来る?」

「え、じゃあ、行く」

「宗栄ホールでナイトシアターやってるんだって」


 分かり切った映画館の方角を指さす聡。そこで私の精神は、ようやく彼らが異能行使を隠そうとしているのだと思い至る。世間では超能力行使は重罪か、極恥らしい。まったく共感はできないまでも、私は能力者じゃない。特に気にも留めず、浅く理解を受け止めて、その日を終わらせてしまう。




 日が落ち昇り、また落ちて、私はすっかりイタズラ小僧と小娘を見なくなっていた。どうやら、見つけられたことで三人の警戒は強まってしまったらしい。しかし七不思議活動自体は継続的に行われているらしく、街を歩けばクジラの残骸を見ることが多くなった。

 ただイタズラが増えているだけなら、私も何も気にしなかっただろう。けれどもこのころから、少しずつ昼間の美奈たちにも異変が起き始めることになる。


「おはよう天音」

「おはよう、って美奈、どうしたの?」


 いつもの学校、いつもの教室。けれど美奈の顔つきは明らかにおかしい。目蓋を縁取るように隈が覆い、気のせいか表情全体が青みがかっている。


「別に、昨日夜更かししただけだから」


 その視線が一瞬だけ、教室の一角に向く。優斗と聡だ。見ると、美奈ほどでないにせよ背中に疲労をにじませている。


「そ、そう?」


 鬼気迫る表情で言われては納得せざるを得ないけど、それが数日続くとなると話は別だ。毎日体調を崩して登校する友人たちを見るうちに、私の頭の中には混乱と不安と、何より強い好奇心が生まれ始めていた。


「ねえ、ほんとに大丈夫?」

「大丈夫だから、構わないで。お願いだから」


 何度聞いても答えは同じ。息も絶え絶えに懇願されて嫌い、私はそれ以上追及することができなくなってしまう。このままでは危険だ。美奈たちに何かよくないことが起きている。良識と常識で塞がれていた手に、憂慮の後押しが加わってしまう。


「答えてくれないのが悪い」


 犯人は分かっている。動機は教えてくれない。必然的に私の略奪は凶器に向かう。自分で署名を書き込んだ免罪符を盾にして、考えなしの探偵行為が始まった。




 始まってからは早かった。何せストーカー行為は十分だし、どれだけ情報統制に気を付けたところでお互い子供だ。


「あった」


 聡が写真を撮っていたという事実からSNSのページを見つけ出す。虹色クジラという名前のアカウント名で、数十枚の写真がコメント付きでアップロードされていた。


「これ、学校で流行ってるやつだ」


 私は乗り遅れたけど、ほとんどの生徒がやっているSNS。ウェブベースでメディアとコメントを残せるだけの簡素な作りながら、アカウントの共有を推奨するシステムが少年少女の帰属意識に妙に受けたんだっけ。


 スマホを傾けながら、いくつかの投稿を読んでみる。


「煙突に天のバブルリング発見。七里先まで見渡すリングで、主食の悲しみを探します」

「青天の彩虹。雨もないのに出る虹は実は雲。クジラの通った跡なのです」

「此方は虹降らし。何時の間にか足元に虹が落ちていたなら、貴方は悲しみを食べられたのかも知れません」

「道端で雲のひげ櫛を見つけたら幸せになれるかも。硬くて重いから持ち帰りはご遠慮を!」

「雨の足跡も、ご愛敬。無重力で、飛んでいるから、周りのものも、浮かしちゃう」

「虹色クジラは今日もひとり。さみしく鳴くのは時の歌」

「……なにこれ」


 一通り読み上げておいてなんだけど、これを聡が書いたのだろうか。徹夜明けじゃないと許されないポップな文体は、どこかの市町村のマイナーゆるキャラ系のそれだ。最後のそれには、わざわざ動画形式で鳴き声が添付されている。へえ、クジラの鳴き声ってヤギみたいなんだね。厳密にはヤギの真似する男の子みたいだ。


 アカウントの意図はさっぱりだけど、分かる情報もある。むやみやたらに漢字に変換したがるのは優斗の癖だし、ときおり出てくる読点の多すぎる文章は美奈がやりがちだ。つまりこのアカウントは三人で共有していると推測できる。


 集中して思い出すと、虹色クジラの話をしているクラスメイトは、みんなこのSNSにのめり込んでいた。噂の水源はここと考えていいだろう。定期的で特徴的な投稿の甲斐あってか、アカウントはそれなりにフォローされている。


「そこまで頑張って広めなくてもいいと思うけど」


 仮に三人が水族館にでも行って、クジラの魅力に取りつかれたとしよう。それを周囲に広めるのも勝手だ。でも、明らかに健康を害すというのであれば、友人としては止めざるを得ない。


 私が取った手段は短絡的で暴力的で、でもおそらくは最適解。別のアカウントを作ってアンチ工作にいそしんだだけ。


「虹降らしの正体は動く絵の具。悲しみを食べられた人間なんて誰もいない」

「雲のひげ櫛もただの物体構築の産物。ゴミを作っているだけ」

「雨の足跡は人の手で作っている。検証動画もある」


 超能力に夢を感じる子供たちに現実を叩きつける私の悪手は、予想を遥かに超える威力を発揮した。どちらかというと、コメントで醜い争いを繰り広げた私のせいで、みんな嫌になってしまったのだろう。とにかく、美奈たちが作り上げたクジラの像を、私はわずか一週間で壊してしまった。


 燃えに燃えたSNSに満足してブラウザを閉じ、興奮覚めやらぬままベッドに入る。


 七不思議が力を失った以上、もはや何をしても無意味だ。仕掛け人を捉えようと野次馬も張り込んでいるらしい。


「きっとみんな、恨むだろうな」


 罵られるかもしれない。殴られるかもしれない。でもたとえ罵倒されたとしても、また元の三人に戻ってくれることのほうが私にとっては嬉しかった。ケンカの後で関係はやり直せる。あの時の私は浅薄にも、そんな空想に疑いすら持とうとしなかった。自分はただ、度を超えたイタズラを止めただけ。そう思っていたのだ。




 その日、雨が降った。浮足立つ私の心を鎮めるかのような、けれども降り出してすぐ違うと確信できるような、重く冷たく長い雨。窓から手を差し伸べても嬉しくない。水が手のひらに溜まり流れていっても、何も感じない。そんな雨だった。




 夜が明けて、朝がまた来て、嫌なほど、銀に瞬く光をすがめ、私は今日を巻きなおす。校門で見つけた美奈の背中に心臓が跳ねる。足が自然と早くなる。


「お、おはよう」


 いつでも頭を下げられる準備をしながら、努めて普通に声をかけた。にらまれるか、はたかれるか、それとも気づかないフリをするのだろうか。そんな傲慢な思いを打ち砕いたのは、振り返った美奈の濁った瞳だった。


「……」


 垂れた目蓋と充血の赤、血の気の失せた青。顔を見ただけでも分かる。この前の比ではない。明らかに状態が悪化している。まるで何日も泣きはらしたかのような相貌に、思わず足元が一歩下がる。


「お、おはよう?」


 ただならぬものを感じながらも、脳が理解を拒む。美奈は私の顔に焦点をゆっくり合わせ、それからなぜか一瞬だけ泣きそうな笑顔を見せ、けれどもすぐに表情から色を失わせる。


「ごめん。もう天音と普通に話せそうにない」


 舌下を噛み潰したような苦い声。美奈は私にただ一言、理解も共感も許さない鋭さで憎しみを訴えた。


「……え」


 視界から、急速に色が失われていくのを感じた。


 この感情は、私は知っている。ああ、あれはいつだったか。思い出した。父の仕事場に遊びに行った時だ。託児所の絵本の続きを読もうと嬉々煌々に病院を訪れた七歳の私は、すぐ隣の院長室から聞こえてくる悲痛な声を聞いたんだ。


「どうして助けてくれなかったんですか」


 かすれた、泣きはらした、疲れ果てた、そんな女の人の声だ。前に一度、飴玉をもらったことがある。その時は優しい声をしていた。私と同じくらいの難病の子供がいると、そう言っていた。そうか、助からなかったのか。七歳の情緒は冷静に事実を受け止める。


「最善は尽くしたつもりです」


 父はただ、厳かに、詫びるでもなく言葉を手渡す。女の人は喉を震わせ、嗚咽とも呼吸音ともつかない高い音を鳴らし、一言だけお礼を言う。


 言語としてのそれは、感謝の言葉だったはずだ。自分の首を絞めて吐き出した、細く痛々しい謝礼。その言葉を聞いて、私はひどく恐ろしい気持ちになった。だって、お礼を言っているはずなのに、まるで「人殺し」と罵っているかのようだったから。


 以来、私は父の病院に通うのをやめた。あの目を見るのが、思い出すのが怖かった。そして今、上書きされないままの思い出が美奈の言葉と重なって、私の心を大きく揺らしている。


「人殺し」


 言葉のないまま、美奈が言う。


 理解できなかった。私が軽いイタズラだと切って捨てた虹クジラのどこに、殺意を向けるほどの価値があったのか。


 日を同じくして、同じ冷たさを聡と優斗からも受け取ることになる。二人に至っては、まるで私の存在を初めからなかったかのように無視し、けれども近づけば怒りと悲しみの混ざった感情だけを差し向ける。


 私が何をしたというのだ。問えど訊ねど呼び水はなし。だから私は、自分と超能力との間に常識という見えない壁を築き上げていく。時間が過ぎ、心は疲弊し、気づいたころには壁は厚くなりすぎて、外の景色すら見えなくなってしまっていた。


「暗い、寒い」


 七色はもはや失われ、私はひとり灰色の毎日。理由も分からないまま無言の非難を受ける日々が三か月を超えたころ、学校の廊下でふと一つの張り紙を見つける。


「特例、転校制度」


 味気ないゴシック体。写真すらない白黒の張り紙。いつからか横行し始めた能力者いじめへの対策として、政府が後手後手に打ち出した施策、だったっけ。


「……こんなのあったんだ」


 存在は知っていたけれど、張り紙を目に入れたことすらなかった。自分とは無縁の世界だと思い込んでいたからだ。


「県立末日高等学校」


 受け入れ先の一つにあった、末野県尾張市の住所。災害の中心地たるこの場所であれば、私が理解できなかった何かを得られるだろうか。私が受け取れなかった罰が下されるだろうか。何も考えたくない。もう疲れた。無心で壁に貼られたポスターを剥がして、懐に見舞い込んだ。

普通の人間である天音が抱える、普通の過去です。天音は普通に傷ついて、普通に頑張って立ち直り、普通ではない二人に応えを求めます。

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