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潜水

 人間関係というものは、ある意味では水に似ていると私は思う。一人では生きていけないから、必ず人は友を求める。けれども求めすぎると肩まで浸かり、身動きできないこともある。もちろん、動けないときに支えてくれるのも友達で、それ自体はいいことだ。でも一方で心が弱っているとき、人は浅瀬で溺れることもある。今の私の状態が、きっとそうだ。


 夜廻県立水地高校。私が去年一年間だけ過ごした場所。無機質な校舎は変わらない。迎えるでも、拒むでもなく佇んでいる。


「次はここなんだよな?」


 立ち止まった私を不審に思ったのか、凪が声をかけてくる。止まっていても仕方がない。


「うん」


 大きく息を吸い込み、目も少しだけ閉じて、学校の外周から入り口に向かう。時刻は十五時半、時間帯的にはいるはずだ。

 正門をのぞき込んで、足を止める。


「どした」

「あっちは通れなさそう」


 都合が悪いことに上野部先生が出ていくところだった。あれに見つかったら私はたぶんとてもつらい。いやまあ、すでにつらいんだけど。


 急旋回する私に文句も言わずついてくる凪。ちょっとだけ申し訳なくなって、白状する。


「ここね、私の前の学校なんだ」

「へえ」


 目指す先は後者の裏手側にある体育館。フェンス越しに聞こえる陸上部の声出しや、二階建ての体育館からのボールの弾む音、活動的な熱気をやり過ごしつつ、さらに進む。


「どこ行くんだ?」

「こっち」指さしたのは裏手。


 この学校のバスケ部は万年一回戦負けの弱小チームだ。顧問が定年間際のインドア系教師ということもあり、練習は悪い意味で生徒の自主性に委ねられている。去年、春日井優斗は注意に来た私に対して自信満々にサボりを公表し、入江聡は自分は違うと主張しつつも床に腰を降ろしたまま身じろぎすらしなかった。


「やっぱりいた」


 予想通り、別れたきりの友人たちは体育館裏の木陰で青春を浪費し続けていた。来客に気づいたのか、二人が体育着を扇ぐ手を止める。


「え、天音ちゃん?」「は?」

「……久しぶり」


 聡は丸眼鏡の度を手で調節しながら驚愕を示し、優斗はロボットじみた首の動きで狼狽を主張する。けれども平静を失ったのはほんの数秒で、すぐに私の存在など見なかったかのように視線を落とす。木陰に溶け込むような、暗い無視だ。


「……」


 肩を引いたのは去年の私。相手に話すつもりがないなら、無理をすべきではない。

 でも、今の私が背中を押す。何のためにここを去った、何のためにここに来た。


「あのさ」


 息を吸って、吐いて、それから覚悟を決める。


「聞きたいこと、あるんだけど」


 顔を見合わせる優斗と聡。お互いに自分からは話したくないというオーラを醸しつつ、結局折れたのか、優斗が頭をかく。


「何だよ」

「クジラの話、なんだけど」


 七不思議の話題が出た途端、二人の顔面からすっと表情が消える。発せられていたのは、明白な拒絶の感情。私の喉元から肺の中まで手を突っ込んで、酸素を根こそぎ奪い取る。


「俺らから天音に言えることはないよ」

「話くらい聞いてよ」

「無理なんだよ」


 只人は異能に関わらない。その常識に嫌悪の感情を重ねて、優斗が私の言葉を遮る。聡も心を閉ざす。


「ちょっといいか」


 見かねたのか、後ろから踏み入るのは凪。いや、違う。下がっていたのは私の足か。凪は変わらず堂々と二人の前に出て、名刺代わりにギルドカードを指し示す。


「ええと、誰だ?」

「天音の友達」


 名乗らず所属だけ。やや首をかしげながらもカードを読み上げるのは聡。


「サバイバーズギルド・スピンオフ、常盤凪。ギルド? 何の用だよ」


 ギルドの概念自体は知っているのか、言葉は驚きでなく不審を示す。


「天音が言った通り、話が聞きたい。このカードの意味、分かるだろ」

「まあ、知ってるけど」

「関係者はサバイバーズギルドに対する協力の義務がある。悪いが無理にでも答えてもらう」


 凪の言葉にたじろぎを見せる優斗と聡。けれど、先に口を開くのは私のほうだ。


「ちょっと待って」

「何だよ」

「ギルドにそんな権限ないよ」

「へ?」


 指を前に出した尋問の姿勢のまま固まる凪。「でも侭が」とうろたえを見せたあと、「侭かあ」と納得する。たぶん、侭が何かの事件で使った方便を信じ続けていたんだろう。


「いいよ、こういうのは私の役目だし」


 肩を叩いて凪を下がらせる。ショックを隠し切れない凪を見ていると、こっちは逆に冷静になってきた。


「答えなくていいから、質問だけするね」


 ある意味ケンカ腰ととられかねない強い語気で二人にガンを飛ばす。別に、会話だけが情報を得る手段ではない。そもそも私の目的はただの確認なのだから。


「一つ目。二人は夕焼けクジラに関わってる?」

「……いや」

「僕らじゃない」


 ためらいがちに戻ってきた答えは、否定。優斗は手を固く結んでいて、無理をしているのが明らか。聡も嘘が得意なタイプじゃない。だから二人は犯人じゃなくて、でも何かを知っている。ここまでは予想通り。


「二つ目。美奈、学校来てる?」


 問われた首が、同じ方向に横揺れする。前と同じ、たぶんそれ以上だ。だって今回は優斗と聡の協力が存在していない。美奈にかかる負担は計り知れない。


「美奈について、何か知ってる?」

「分からない」優斗は否定し、

「分からないし、言えない」聡は否定に拒絶を重ねる。

「そっか、ありがと」


 話したいことはあるけれど、二人は今や怯えにも近い感情を向けてきている。長居してもお互い得はしないだろう。まだショックを受けている凪を引っ張って、踵を返す。


「あれでいいのか?」

「いいよ」


 欲しい情報は得られたし、何よりここは息苦しい。早く浮上しなければ。速足で校舎を回り、裏門から出る。なぜだか私の肺は、それだけで苦痛を訴えていた。


 ひと気のない小道まで歩いてきて、深呼吸。少し気が楽になってきた。落ち着いたら喉が渇いてきた。ちょっとコンビニでも寄ってこうかな。


「ほら」


 凪が手渡したのは、どういうわけかハンカチ。


「なに?」

「顔」


 言われて、自分の頬を雫が伝っていたことに気づく。受け取って目じりにあてると、なぜだか涙はとめどない。


「あれでよかったのか」


 凪が確かめるように、たしなめるように言葉を繰り返す。ああ。納得する。最初から凪は、事件の顛末になど興味がなかったのだ。凪が気にしていたのは、過去を引きずりろくに話もしなかった、私と二人の関係だけ。


「……いいわけない」


 情けなくも、声に少し涙が混じる。


「じゃあ、目的一つ追加だな」

「うん。そうする」


 空気を吞み込んで、体育館の方にもう一度視線をやる。こちらからは二人の姿は見えなかったけれど、涙が止まったおかげで視界は良好だ。やってやろうじゃないか。


「足場は固まったかな?」


 決意表明をする私の上から降ってくる、覚えのある声。フェンスの上に侭の曇り空のような笑みがあった。


「つらくとも苦しくとも前に進むのは天音のいいところ。僕は評価するよ」

「それはどうも。そっちの仕事は?」

「シュートザムーン決めてきたよ」


 七並べはどこに行ったんだろう。


「そろそろ天音が困ってると思ってね、急いで来たんだ。状況は?」

「ちょっと待って、今整理する」


 頭の中で散らかっていた思考を組み上げて、言葉に変えていく。凪が事情を聞いてこなかった分、私にとっても未言語化の推察が普段より多い。確かに、これは困った状況だったのかも。


「一回、戻ろっか」


 とりあえずは侭を追加して家に戻り、母のヤジと父の嘆願をスルーして自分の部屋に。侭は彼氏じゃないしオープン系能力者でもない。

 全員に麦茶がいきわたったのを確認し、ようやく私は本筋に入る。


「伊豆津市では今、夕焼けクジラの七不思議が起きてる。私はそれを止めたい」


 繰り返される事件、少し違う怪現象、気になる違和感を差し置いても、見過ごすわけにはいかない。


「止める理由は? 話を聞く限りただのイタズラに思えるけど」


 私の説明意図をくみ取って、的確な問いをくれる侭。


「七不思議そのものは、確かにイタズラなんだけどね。それを実践する側にリスクがあるんだ」


 街一つで知れ渡るほどの大規模・継続的な能力行使。それを少人数でやってのけるということは、当然能力の過剰使用が不可欠だ。


「気にするのは犯行手段じゃなくてリスクか。もう犯人に目星がついているってことかな」

「うん」


 前回の事件、犯人は優斗と聡、そしてもう一人。最後の一人は、きっと今回の事件にも深く関わっている。


「水鏡美奈。私の親友が、この事件の犯人」


 半年前、私は彼女の野望を終わらせた。何のための事件だったのかは分からないし、今回もきっと分からないだろう。けれどもあの痛々しい姿がまた繰り返されるのであれば、私は何度でも止めたいと思う。


「犯人、か」


 窓の外をぼんやりと眺めながら、凪がつぶやく。心の内は見えないけれど、「被害者の間違いだろ」と言っているようにも聞こえた。


 凪の思いはきっと正しい。でも、私が事件を探り疑う以上その役割は探偵で、探偵はいつも犯人を捜している。だから、仕方がないこと。やると決めた以上、私にできることをしなければ。


「天音」

「なに?」

「気を付けろ」


 言われて、自分が麦茶のコップを取り落としていたことに気づく。中空で見事に静止する器と雫に自分の困り顔が小さく反射し、停滞の二文字を突き付けている。そんな気持ちだ。


「ま、安心しろよ」


 私の内面の不安を知ってか知らずか、凪はにっと笑う。


「相手が誰であろうと俺が勝つ」

「戦っちゃダメなんだってば」

「なんだ残念」


 もう一度空を仰いで、そのまま無言で空中の麦茶を回収していく。普段なら絶句ものの所業だけど、循環する雨のごとくに器に返っていく水滴を見ると、なぜだか勇気づけられているような気になった。


「さて」


 私たちのやり取りを薄ら笑いで見つめ、侭は目つきを鋭くする。


「犯人は分かった。なら次の一手は決まりだね。僕らには、世を騒がす悪人どもを白日から取り除く権利がある」


 ちらつかせるのはスピンオフのギルドカード。凪の勘違いと違って、異能犯を取り締まる権利があるのは真実だ。この事件はたぶん、今すぐにでも終わらせられる。


「待って」


 けれど私はその手を制す。


「何かためらう理由があるのかな? 今までさんざん罪人に鉄槌を下してきたのに、友達が相手だから手心を加えるとでも?」

「……それだけじゃない。私は、納得が欲しい」


 半年前、私は事件を終わらせた。けれどそれは同時に、四人の友情に亀裂を入れる楔となってしまった。昔の私にはあれ以上の解決は望めなかった。でも今ならば。


「美奈の動機を確かめて、事件の真相を明かす。そうしないと、繰り返しになっちゃう」


 侭は掲げていた手をポケットに見舞い込む。


「そうだね。僕もそう思うよ」


 そして、無言で先を促す。きっと知っているくせに、私に自分の過去に爪を立てろと言いたいらしい。

 まあいいや。乗りかかった船。もはや飛び降り台の真上だ。


「ちょっと、昔の話、してもいい?」


 静かに縦に落ちる二人の首。だから、私の話も、静かに始めよう。

 これはいわば、私の犯行動機なのだから。

各回の書き出しでよく天音の持論語りが入りますが、これは半分くらい口に出ています。凪は若干引きつつも今回はスルーしました。

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