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エンド

 学校前を素通りし、踏切をまたいで徒歩十分。凪の足が止まったのは駅の少し手前、私のマンションのすぐ近くだった。ヤクマルと書かれた派手な電飾看板はともすれば古のパチンコ屋にも見えたけど、よく見ると上の方にスーパーと書かれている。紛らわしい見た目のわりに、店頭から見える食品群の価格は良心的で、これは今後もお世話になりそうだ。


「ここが目的地?」

「ああ。お得意さん」


 凪はあくびを噛み殺す。時刻は十九時半。辺りはとっくに暗がりに支配され、スーパーマーケットから出てくる人も会社帰りのスーツ姿が目立つ頃合いだ。


「一見さんはあっちか」


 凪がぼそりとつぶやく。視線の先、道路の対面にはもう一つ目立つ顔があった。ダークグレーのスーツに、顔を隠すサングラスとマスク。ご丁寧に似合わないキャップまでつけて露骨に正体を隠している。でもその上からでも分かる。さっきの井垣さんに劣らない強面だ。


「やあ常盤君」


 急に横から小声を殺した呼びかけ。見ると、商店の名前が入ったエプロンをつけた男の人が立っていた。風貌はなんというか、お人好しの小男といった感じだ。ヤクマルなんて言うから任侠系の人が出てくる可能性も考えただけに、ちょっと拍子抜け。


「どもっす薬丸さん。不審者ってアレ?」

「うんうん、そういう話は裏でしようね。危ないから」


 はわわとでも擬音がつきそうな分かりやすい狼狽を披露する薬丸さんに連れられるまま、店の影に移動する。


「あの黒服の人ね、五日くらい前からいるんだよ」


 いわく、日中のほとんどを店の前で立って過ごしているとのことだ。夜の九時くらいを境にいなくなって、でも翌日の昼前には戻ってくる。うん、シンプルに怖い。


「一応迷惑だから立ち退いてくれって言ったら移動してくれたけど、いなくなってはくれなくてさ。なんとかしてくれないかな」

「了解。持ちつ持たれつっすね」


 腕をまくり、体をひねって準備運動らしき動作を始める凪。何をするつもりだろうか。私の疑問に対し、向けられるのは朗らかな笑顔。


「とりあえずは、これがスピンオフの仕事の一つ。警察を呼ぶまでもない小競り合いの解決」

「それってけっこう危ないんじゃ」

「まあ見てろって」


 根拠不明の自信を振りかざし、凪は私の返事も待たずに不審者の方に歩きだしてしまった。意外と交渉事に強かったりするとか?


「君、新しい人?」


 残された私に、薬丸さんが声をかけてくる。


「常盤君、ちょっと危なっかしいから、ちゃんと見ててあげてね」

「あ、はい」


 やっぱりここでもそんな扱いなのか。後悔と不安とを押し殺しつつ、凪の背中を追う。ちょうど黒服と接触するところだ。


「すみません、ちょっと話いいっすか」

「……」


 無言のまま、凪の方に視線をよこす黒服。上から見下ろす威圧感。この時点で私なら「やっぱいいです」となるけれど、凪は微塵も物怖じしない。


「そこのスーパーのお客さんが怖がってます。帰ってもらっても?」

「ここでもダメか」

「ダメらしいっす」


 凪の直球かつ無遠慮な言葉に、黒服はため息を一つ。


「ここは私有地ではなく、通行人も妨げていない。立ち退きを受け入れる理由はない」

「法律はまあ。気持ちの問題なんで」

「譲歩はした」


 その結果が道路一つ分の距離らしい。凪も店と黒服とを一瞥し、渋い顔。


「なんでこんな場所で立ち往生を?」

「仕事だ」

「何のお仕事を?」

「黙秘する」

「警察呼びますよ」

「それは困る」


 分銅を秤にかけたかのような機械的なやり取り。警察を呼ぶのは選択肢の一つだけど、事件性がない以上は当人同士での解決を促されるのが関の山だろう。凪もそれを分かっているのか、電話をかけるそぶりは見せない。


 この状況を打破する方法は何だろう。スーパーを遠巻きから見守る仕事に誰が給料を? いや違う、あれはきっと嘘だ。でも何のために?

 食後で鈍る私の思考。凪の行動はそれより早い。


「じゃあこうしましょう」


 指を一つ鳴らしつつ、懐からカードを取り出す。


「お互い譲らないなら、戦って決めるしかない」


 提示されたのはスピンオフのギルドカード。記憶が確かなら、あの携行証にはサバイバーズギルドが有する弱い司法介入権が記されていたはずだ。簡単に言うと、超能力がわずかでも関与した事件は不能犯罪と解釈されるとか、そういう言い訳めいたやつ。


「あちゃあ」


 隣の薬丸さんから声が上がる。私も同じ気持ちだ。あれを出すということは、相手との間に超能力を介した武力干渉を要求すること。つまりケンカのお誘い。平和的解決の対極だ。カードと共に突き出された握り拳が、私の不安を加速させる。


「……」


 黒服は沈黙する。けれども鉄面皮の下の表情が、明らかに怪訝に歪む。怒りと言っていいのかも。


 ややあって、返ってきたのは「断る」の一言。


「なんで?」

「暴力に正義はない」

「力と意志はあるでしょ」

「それがダメなんだ」


 半職務質問中の不審者に言われるのは釈然としないけど、理はあちらにある。私としても暴力沙汰にはならなさそうでひと安心。


「しょうがない」


 突き出した拳を取り下げ、代わりにポケットから取り出すのはコインが三枚。


「これでいこう」

「……それは」


 困惑を示す黒服の前で、凪はコインをお手玉し始める。


「一枚でも奪えたらそっちの勝ち。時間はそうだな、三分で」


 どうやら凪なりの平和的解決手段らしい。黒服は乗ってくるだろうか。


「……」


 うん。乗ってこなさそう。くるくると円を描くコインを泰然と目で追うだけだ。どうしよう。私も何か交渉材料を考えるべきだろうか。


 不毛な挑発。凪のジャグリングは加速し、コインは小さな惑星軌道を描き始める。事態が動いたのは、その時だった。


「いいだろう」


 コインが胴体をかすめる瞬間、黒服の右手が動く。私には動いた結果だけが見えた。大柄な体躯を感じさせない、澄み切った動き。けれども拳の内側に銀色は見えない。


「惜しい」


 嘲笑うかのように三枚のコインが黒服の腕を周回する。矢のように突き出る左手を、さらにかわす。


「……エンドが」


 寡黙な中、垣間見える黒服の感情。苛立ちだ。呼応するように、コインをめがける拳は数を増していく。


「エンドって?」不安なのか暇なのか見物を続けている薬丸さん。どう説明したものだろうか。迷った末、一言だけ答える。


「いわゆる超能力者のことです。差別的な」

「あ、そうなのね」


 Extreme Near Death syndrome。後天性過剰生存症候群。非能力者の間にはあまり知られていない、超能力の正式俗称。どこかの国の頭のおかしい自称学者がつけた名前とかなんとか。

 私は正直なところ、その呼び方が好きではなくて、もっと言うと嫌いで、さらに言うと憎らしくもあった。覚醒者の境遇を揶揄してなのか、それとも災害への八つ当たりなのか、一時期その英名をエンドと略して蔑むのが流行し、超能力差別を助長した時期があったからだ。


 凪の背中から表情は見えない。ただ淡々とコインを操作し、攻撃をかわす。

 拳を突き出す、コインを避ける。突き出す、避ける。線と線のたどりあいは、少しずつ加速していく。


「ハッ」


 黒服はいつの間にか武術の構えを取り、拳に闘志を混ぜる。体を縦にし足を開いた姿勢は、テレビで見た空手のそれに見えた。


「やるな」


 対して凪は腕を盾のように構え、コインに向かう黒服の拳を受け流している。


「あれ?」


 おかしいな。私の目には二人が殴り合っているように見えるんだけど。


「腕を使うなってルールは決めてない」

「こざかしい」


 両者の拳は交差し、その狭間にコインが舞う。確かに触れているのは腕と腕だけ。でも傍目には、ただの殴り合いにしか見えない。


 凪はたぶん、多少は体を鍛えている。黒服の洗練された動きに防戦できていたし、ガードしても体勢を崩されない。でも体格差や能力操作分の負荷が、時間とともに両者の動きに差をつけていく。衝突の音に、鈍い打撃が交じり始める。


「……おかしい」


 その光景を見て私に去来したのは、なぜか不安ではなく違和感だった。


「おかしいって何が?」

「うわっ」


 ぎょっとして声のする方を見ると、ゆっくり歩いてきている侭の姿。


「用事は?」

「終わらせてきた。状況を見るに、凪がまた暴力方面に舵を切ったって感じかな」

「うん」


 え、なんで呆れ顔でこっちを見るの? まさか事前に防げってか。


「それで、柏木さんが思うおかしい部分は?」


 一瞬考えて、自分の違和感を言葉に変える。


「コインの流れが変」


 ルールに即し、黒服の攻撃は一貫してコインをめがけている。だから凪がやるべきはコインを外に逃がして攻撃を散らすこと。けれども超常の波動は内向きにねじれ、黒服の拳を凪の体の方へと誘導している。


「まるで、自分から殴られに行ってるみたい」

「大した想像力だ。作家にでもなるといい」


 この人はどうして私にきつく当たるんだろう。


「それで、正解は?」

「人の心に正解はないよ」

「そうだけど」


 私からの抗議の視線を心地よさそうに受け止め、悪趣味男は前を見る。


「しいて言うなら役割の問題だ。あいつはギルドの戦闘員だからね」

「戦闘員だから戦うと?」

「少し違う。まあ見てるといい」


 会話の間も攻防は続く。真夏の夕立のような拳のやり取りを体で受ける凪。殴られているわけではないけれど、本気の衝突が体を削らないはずもない。次第に苦しげなうめき声が交じる。


「え?」


 私の目は捉える。幾度とない暴力の最中、止まらない凪、その表情を。


「ははっ」


 凪は笑っていた。たぶん、笑っていたのだと思う。だってその顔は、分類するのであれば、きっと笑顔としか言えない。けれども上がった口元や血走った目が、異様な迫力で凪の怒涛を訴えている。


 危険だ。思わず割って入ろうとする私の肩に、侭の手。


「止めないでやってくれ」

「でも」

「いいから」


 凪の形相と反比例するかのように、侭は涼やかだ。

 猛り狂う凪と、嘲り冷めた侭。二人の姿は、きっとこの場の誰にも異様に映った。


「やはりエンドか」


 黒服が舌打ちを入れる。その言葉は言外に、「死にたがりめ」と罵倒しているように聞こえた。


「約束は守ってもらいますよ」

「お互いにな」


 短い言葉。凪の姿が視界から消える。コインだけを残して足元に巻き起こるつむじ風。初めて仕掛ける、初めて見せる低姿勢の蹴り技。


「甘い」


 それを難なく止める黒服の右足。そのまま踏み込んで、膝先で凪の視界を奪う。まずい。見えないとコインを動かす先が決められない。風切り、伸びる掌。コインをつかむ。細胞と骨の軋む音。奔る戦慄、思わず目をつぶる。


「音?」


 違和感のまま目を開けると、黒服はコインをつかんではいなかった。耳に聞こえた通り、拳はなぜか凪の左頬を打ち捉えている。


 原理は分かる。たぶん自己操作だ。骨格と重力に逆らって、コインをかばわんと己の体を拳へと運んだ。分からないのは、その理由。


「何の、つもりだ」

「気は晴れましたか」


 私と同じく困惑する黒服に、凪はなぜだか問いかけ返す。まったくもって分からないけれど、二人の間には通じるものがあったらしい。黒服は静かに首を振る。


「時間切れ、だな」

「そうみたいです」


 お互いに時間を計っていた様子はない。けど、戦いは終わりを迎えたらしい。私の心を置き去りに。


「君にとって、それはなんだ」拳を開き、黒服は凪をさす。

「どれっすか」

「それだ」


 未だ凪の周囲を漂い続けるコインたち。あの激しい殴り合いの間にもまったくぶれることなく浮かび続けていた。一説によると超能力の操作は腕を動かすのと同じくらい神経を使うらしいから、合計すると五本分。想像を絶する練度だ。


 凪はコインを見て、相手の意図をようやく察したらしい。


「しいて言うなら、人助けの道具です」

「ならば、誰を助ける」

「超能力で困ってる人」

「その言葉に嘘はないか?」

「当然」


 ようやく、凪の表情に穏やかな笑顔が戻る。それを見て毒気を抜かれたのか、あっけにとられたのか、黒服の肩が落ちる。


「出直すことにする。迷惑をかけた」


 黒服はスーツのホコリを払い、こちらにつかつかと歩いてきたかと思うと、薬丸さんに深々と礼をして去っていく。


 遅れてやってくる凪。あちこち打撃まがいを受けたせいか、少し動きがぎこちない。


「一件落着だな」

「ど、どこが?」


 呆れを通り越して怒りすら感じながらも、凪に近づいて手を貸す。


「全体的に全然分からなかったんだけど、なんで自分から殴られに行ったの?」

「怒りが見えた」


 見えたから、何だろう。けれども待てども凪の言葉は続かない。義務は果たしたとばかりに私の手を払う。


「もうちょっと説明してくれても?」

「寝不足にも見えた」

「そういう細かいのじゃなくて」


 振り返る凪。ちょっとうんざり気味に目を細め、薄く笑う。


「あれを受けるのは、俺の役割なんだよ」


 どこか遠くから響いたみたいな言葉が、私の思考を止めていく。そこに根差すのは何らかの過去、頭に埋め込まれた鉛の棒、私にはない超常の景色。夜の灰闇が、私と凪との間に埋められない空間を作っていく。


「理解できた?」隣で侭が分かっているのに聞いてくる。

「分かんない」

「それはよかった」


 呆然する私と、最後まで泰然自若の侭。ここにも、同じだけの隔たりが見えた。


 薬丸さんにお礼と一緒に粗品を持たされて、凪と侭に家まで送ってもらって別れた。暗い部屋に戻ってベッドに倒れ込む。私たちは分かり合えない。なんだかまたそう言われている気がした。

常盤凪①:本作の暴力担当です。高いフィジカルと確固たる意志でやらなくていい戦いを増やします。

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