敵意の渦に手を添えて
むせかえる敵意で麻痺した脳に与えられる、さらなる不可解。
存在するはずのない質問者。疑念を払拭するために振り返り、しかし自分の理解が誤りだったと知る。
振り返った先にいたのは白鳥さん。ありえない。追い出したはず。そう疑問が浮かぶより早く、凪と侭が臨戦態勢に入る。向けられる戦意二つ。それをゆるりと眺め、何事もないかのようにマステマに声を投げかける。
「俺も資格者だ。文句はないよな?」
声音はフラットで、温かい。私たちと話していた時と同じ、好青年然としたさわやかな笑顔。それがかえって不気味に感じられた。
マステマがギチギチと不愉快な音を立てる。
「不届き、に語ることは、ない。去れ」
不届き。つまり彼は答えを得る資格がないということ。
審判者の影が陽炎を作り、直後に私の首元を戦慄が走る。
「おっと」
足元を狙う魔の奔流。まるで予見していたかのように飛び越えて、白鳥さんは楽しげに苦い息を吐く。
「いいじゃないかケチ」
えぐれた地面を一目見て、それでも悪態は軽やかだ。マステマは応じず、淡々と影を手元に戻す。
「我は、マステマ。我が目的は、真実を明かすこと」
もう一度だけ繰り返し、不愉快な、けれども確実に意味ある情報を残し、マステマは消滅した。
音が止む。湖面の波が静まる。平和。
「へあ?」
急に地面が近くなったと思ったら、自分が腰を抜かしただけだった。今まで忘れていた呼吸を肺が欲し、地面に体を縫い付ける。
「……何だったの、今の」
息も絶え絶えになりながら隣の侭に意見を求める。けれどもその表情も芳しくない。
「分からない。凪も言ったけど、僕たちにとっても初めての現象なんだ」
マステマは問いを解いた者への報酬と口にしていた。逆に言うと、正しいやり方以外で中心に到達したときは現れないのかもしれない。
「それよりも、今はもう一つの異分子に対処すべきだね」
侭の言う通りだ。突然中心地点に割り込んできた白鳥さん。残像は消え、本体も確実に死源の外に出ていったはず。この場にいることはありえない。
「どうやって入ってきた」
凪が腕を水平に構えながら鋭く問う。
「もちろん、俺が『資格者』だからだよ」
言って、懐から鍵を取り出して見せる。私たちが持っているものとまったく同じ形の、白い構造物。さんざん見てきた偽物の可能性、けれど今、偽の鍵は存在しえない。嘲笑うかのように青い飛沫が砂漠に生じ、海の気配が場に満ちる。不可解の水源は掲げられた鍵。使えるはずのない異なる能力、つまりあれは、本物。
「ありえない」
凪が唸るようにつぶやく。言葉通り、彼が鍵を持っていないことは最初に会った時に確認したはずだ。
刹那、凪が侭を見る。侭は笑い、両手を前に出して降参のポーズ。けれども私の思考は、一つの可能性に至る。
「まさか、死源の外に鍵を置いてきてたってこと?」
「ご想像にお任せしよう。何事にも例外はあるからね」
鍵は鍵だ。扉を開いたあと死源にそれを持ち込む必要はない。けれども離脱の手段でもある鍵をその場に放置する、そのリスクを取る理由が分からない。
「……なんなんですか、いったい」
「自己紹介はしたはずなんだけどなあ。俺は白鳥、ただのしゃべり好きな一般人。ここには大学の研究活動で地質学のフィールドワークに来てて、うっかり異空間に迷い込んじゃった。The rENDのカドゥケウスとは俺のことだ」
口から語られるのは真実。だというのに、私はそれを否定したくて仕方がない。だって、今までと言ってることが全然違う。別の嘘つきである侭の言葉は、いつも楽しさと目的、意志に満ちていた。目の前の真実は、虚しいほどに冷たく暗い。
「鍵をよこせ」
「悪いね、又貸し厳禁なんだ」
困惑する私を置いて、凪が攻勢を仕掛ける。寸鉄と蹴撃の波状攻撃を、まるで旧知の友人のようにいなす白鳥さん。笑い声が無音の砂漠に再び満ちる。
「潰す」
物騒な一言とともに、凪が懐に手を入れる。取り出すのは白い、なんだろう、弾丸?
「凪」
「邪魔すんな侭」
「ダメだ。今あれを相手にする余力はない」
凪も侭も戦いを通してボロボロ、手の内も晒してしまっている。見たところ万全の状態の白鳥さんに挑むのはリスクが大きい。
「そうそう。今日はお互い挨拶だけにしておこう。大丈夫、これから嫌でも本番はやってくるからさ。じゃダメ」
言葉とともに突風が吹き、白鳥さんの姿が隠されていく。
「我が名は白鳥。The rENDの王、ヴォイドの尖兵にして異能の真髄を嗤う者。これから先幾度となく交差するであろう宿痾の命運を祈って、今日の轍としようじゃないか。あと、入り口にお土産置いておいたからワクワクしながら帰るといいよ。追伸、冷蔵庫にプリンがあったから食べようと思ったら、賞味期限が過ぎていた。」
逃げ口上としては明らかに長く、無駄が多い雑音を残して、消えていくThe rENDの姿。というか後半は完全に姿消えてたはずなのに、どうやってしゃべってたんだろう。
「何がしたいんだ、あいつは」
唐突に終わった戦闘に毒気を抜かれたのか、凪も息を吐き出す。侭も体力切れで座り込んで次第、とうとう砂漠に真の静寂。
「……これ、次どうするの?」
「終わり」
怒涛の幕切れも最後はあっけなく。私にとって最初の死源攻略は、置いてけぼりのままに完遂を迎えたのだった。
恐怖と不安と消化不良と、心臓の鼓動も速めるか鈍らせるか迷うような緊張感の中、私の旅行は終わりを迎えていく。行きがけと同じくよどみない凪の足取りに急かされつつ、あっという間に入り口だ。ところでまた侭がいつの間にか後方に取り残されてるんだけど、少しは足並み揃えてあげたほうがよかったのかな。
「あ、やっと来た」
数分越しに砂煙の向こうから現れる侭。息を整え、大仰に鍵を突き出す。
「さて、二人とも準備はいいかな? あとで忘れ物したって言っても――」
「早く開けろ」
侭を壁に押しやって扉を開かせ、感慨も何もなく立ち去っていく。エンドスピーチの機会を妨げられて不機嫌な侭が続き、最後に私だ。体をくぐらせると、小さな波紋とともに異界の扉が閉じていく。
ねじれた時空を飛び越えて、私を迎えるのは夜の闇。夕飯時はとうに過ぎてしまった。懐かしのゲットアウトから安堵と達成感を受け取る代わりに、見つけたのは最後の違和感。
「あれ?」
看板の表面に、来た時にはない傷ができていた。点と線で構成される規則正しい模様だ。
「数字?」
「何かの座標かな?」
さっそくと記録しながら侭がつぶやく。白鳥さんの言っていたお土産とはこれのことらしい。
「井垣さんに調べてもらうよ」
「お願い」
左右確認、ほかには何もなさそうだ。通行禁止の此岸にわたり、彼岸に残すはほんのわずかな名残惜しさ。そうして、私とスピンオフとの最初の旅行が終わりを告げていく。
「まだファミレスとか開いてるかな」
あっという間に平常運転の凪が、のんきに空を見上げている。つられてみると、鮮やかな星空。それを見て、ようやく私の心臓がドクンドクンと脈を打つ。
超常の集積、理外の敵意、そしてThe rEND。理香あたりが聞けば卒倒しそうな危険のオンパレード。怖かった、痛かった、苦しかった。そんなマイナス感情が喉元過ぎて、地面に交ざって全身を駆け巡る。思ったより、悪い気分じゃない。
「どうだった?」
言葉は横の侭から。死源の壁に寄りかかって、私と同じように空を見ている。凪ほどじゃないけれど、こちらも普段通りだ。情緒の分からない奴め。
「疲れた」
「だろうね」
「あと、炊き込みご飯、食べたくなった」
「なんで?」
「タケノコ思い出しちゃって。椎名君はどうする?」
「じゃあ、砂っぽくないやつで」
余韻に浸る私たち。返る言葉は平坦だけど、それでも「私たち」だと信じよう。だってこれは、私たちの旅だから。
「タワーディフェンスと、クローズドサークルだ」
「へ?」
侭の口から出てくる、流れにそぐわない言葉たち。
「僕らが最初に入った死源。決められた道を外れるとものすごい勢いで化け物が押し寄せてきて、負けたら入り口に戻されるんだ。攻撃配置は一定だから、それを見切って中心に着いた」
何の話かと訝る私、話すことをやめない侭。
「もう一つのほうは、絶海の孤島だ。詳しくは覚えてないけど、密室を凪が力技で崩壊させたら、事件現場に着いた。だからあそこの異界はまだ生きている。たぶんね」
「もしかして、前の死源の話?」
無言の肯定。異界という言葉が、侭の意図を私に伝える。いささか唐突な流れだけど、情報をくれるらしい。
「柏木さんには悪いけど、僕があの世界について知っていることは、それほど多くないんだ」
微塵も申し訳なくなさそうに、死源の共通ルールや外観を教えてくれる侭。発言の通り、語られる情景はちょっとおぼろげだ。
約束通りに渡される報酬。あまりにも遠回しな、ねぎらいの言葉。なんとなく、椎名侭という人間の奥深さが見えてきた気がして、少し嬉しい。
けもの道の先から「早く来いよ」と凪が手を振っている。私たちも、もう行こう。
「ねえ、椎名君」
「何かな」
「私さ、旅行は行きよりも帰りのほうが好きなんだ」
「へえ」
「知らない場所に行く前は期待も不安もいっぱいあるけど、帰りがけには全部思い出に変わってて、忘れられないお土産になるからだと思うんだよね。どう思う?」
口からこぼれ出るのはくだらない持論。朝と違うのは、言葉が頭の外を廻ること。
「今日の旅行が、楽しい思い出になったようでよかったよ」
なんだか話したくなった。だから、反応が煤けた笑顔でも、悪くない気分だ。
「どう思うってば」
「早く帰って眠りたいな」
「インドア人間だなあ」
星空の照らす帰り道。今にして思えば、その言葉はほんの一瞬だけものすごく悲しげに響いていたようにも思えた。きっと聞いても教えてくれなかっただろうけど、少し心残りだ。次に旅行に行く時は、もっといろいろ聞いてみたい。
右手には過去、左手には未来。思い出という名のお土産を抱えて、前方には星空。そうして、私のスピンオフとしての最初の戦いは幕を下ろした。
本作には能力に敵意が混ざるという設定がありますが、これは暴力による解決を違和感なく選ばせるための要素です。一方で世界は相応に倫理的でもあるので、事態を進めるために争うことを必須とはしていません。つまり世界は不安定であり、だからこそ戦いを選ぶ・対話を試みる・別の手段を探すことにドラマが生まれると信じています。




