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マステマ

 灰色の砂漠に夜が降る。今まで周囲に充満していた何かが消えるような感覚が、凪の目的達成を私に伝えてくれる。


「凪にしては時間がかかったほうかな」


 目的の達成はすなわち戦いの終わり。凪はケガしてないだろうか。シド氏も、できれば無事であってほしい。早まる鼓動を抑えつつ、凪のもとへと向かう。


 崩壊のループをやめた高層ビルを横目に、砂の轍を頼りに追いかけた先に、凪の後ろ姿はあった。


「お疲れ」


 言葉と同じくらいに疲労を漂わせる凪。それなりに激戦だったらしい。シドの姿は見えず、代わりに渡されるのは「逃げられた」という残念そうな声。聞くと、コインの浮かし合いは勝敗分からずだったんだとさ。もういいよそこは。


「審判とかつけるべきだったか」

「やらないからね」


 状況から考えて、シドも死源の残像だったらしい。終わってみればこの砂漠には幻聴と残像しかなかったわけだ。夢幻が覚めた後の静寂が、私にむなしさと達成感をブレンドして明け渡す。


「次は勝つ」


 凪が嫌な抱負を掲げるのに辟易しつつ、ようやく本題だ。足元に目を向ける。


「それが、この死源の媒介?」

「ああ」


 転がっていたのは、ガラスでできた円盤状の何かの残骸。凪が壊したのだろう。拾い集めて手の中で組み立てると、その全貌が見えてくる。


 ガラスの内側に詰められた白い砂。二面に分けられたガラス同士の間には小さな穴が開いていて、その間を砂が行き来できる機構になっていると見て取れる。仮説の通り砂時計だ。でも、イメージしていた八の字型ではない。


「いわゆる、サンドピクチャーってやつだね」


 後ろから侭に補足を入れられて、思い至る。液体の中をゆっくり砂が落ちることで景色を作る。そんなインテリアを見た覚えがある。


 私の説明を受けて、凪が首をかしげる。


「水、入ってなくないか」

「たぶん、壊れてるんじゃないかな」


 死源の核といえどもただの置物だ。六年半も経てば経年劣化は避けられない。底面をのぞくと、ほんの少しだけ水が残っていた。


 死源の核は異界の性質そのもの。そう考えると、いろいろと見えてくる面がある。

 砂時計を模した世界にしては、私たちが頭上から降り注ぐ砂を見ることはなかった。例外があるとすれば時間反転時の降砂で、それはすなわち、この水気のないサンドピクチャーそのものを示していたということだ。


 慎重にひっくり返すと、ひび割れた穴から一瞬で砂が地面に落ちて雑多な砂漠を作る。本来は一時間くらいかけて落ちるのだろう。


「ってことは、この辺がオアシスか」

「たぶんね」


 申し訳程度に砂と一緒に落ちてきた残り水は、比重のせいで砂上に溜まり、ほとんど中心地点に湿り気を作る。これが元ネタなら、あのオアシスは上出来だろう。

 反転による一瞬の土砂降りが作り出した砂漠の山々。こちらには多少のブレがあるようで、これが中心地点を固定させないギミックになっていたらしい。実に面白い。


「さて、二人とも」

「何?」

「おもちゃで遊ぶのはいいけど、僕らには目的があるんだよね」

「……そうでした」


 どうしよう。これ、持って帰っていいのかな。少し悩んだけれど、悩んだ末にサンドピクチャーを床に置く。なぜだか、これを持って帰ってはいけない気がした。世界を作るほどの強い思い、それを軽々しく手に収めるべきじゃない。


「俺も賛成」少し湿った笑いを見せつつ、凪は次の場所を指さす。

「核はあっちだ」


 凪の背中を追って数歩先、私はそれを見つける。


「これが、死源の核」


 砂漠の地面の上に不自然なほどまっすぐに起立する、小さな塊。死源の核は、鍵とまったく同じ形状をしていた。凪が自分の鍵を放置していると思っていたくらいだ。

 持ち上げてみると、大きさのわりにずしりと重い。そして、脱力感。何かを吸い上げられているような感覚が、鍵と核の性質の違いを私に教えてくれる。


「碑文は?」


 凪の声が私を我に返らせる。底面をノックすると映し出されるのは、おそらく鍵と同じ原理によって封じられた短い碑文。


「【q】【世界を見定めよ。賢者は時の支配を抜け出せる】、だって」

「なんだそりゃ」


 凪が早々に思考を放棄するのも理解できる。ほかの碑文と同じく何かの導きを示していそうな感じはするけれど、その真意はやはり砂埃の遥か内側だ。端的に言うと、分からん。


「椎名君、何か分かる?」


 期待を込めて侭の方に視線をやるも、訳知り顔は今回休業中らしい。写真を一枚だけ撮り、ぬるい笑顔でゆるゆる首を横に振る。


「さてと」


 私が結論を諦めたことを悟ったのか、凪が大きく伸びをする。


「帰るか」

「え?」

「何驚いてんだ。中心に着いたろ?」

「それは、そうだけど」


 確かに私たちは死源の謎を解いた。中心地点にたどり着いた。でも、それだけだ。死源の核とやらが私たちにもたらしたのは謎だけで、何も進めた気がしない。凪だけでなく、侭もすでに出口の方へと向かい始めている。


「この核、持って帰ったりとか?」

「自分の家を異界にしたいなら僕は止めないけど」

「……やめとく」


 どうりでアジトに核がないはずだ。ドッキリでも何でもなく、前回も前々回も、本当にこの二人は中心に着いて、碑文を読んで、それで帰ってしまったらしい。


 脳に充満していく違和感。いや、違う。これは不満だ。これだけ苦労したのに、意味不明な文章一つで旅は終わり。なんというか、ガイドブックに書かれていた観光名所に行ったら、思った以上にしょぼくてがっかりしたときみたいだ。


「記念写真でも撮らない?」


 柄にもなく提案してみたりして、凪と侭に微妙な表情をされたりして、ちょっと後悔。核を見る二人の顔は本当に興味を失っていて、私もそんなものかと思ってしまえた。


「帰ろ」


 そもそも私の目的も早く家に帰ることだった。なんやかんやで時間も午後九時を過ぎてしまったし、幸福で普遍な日曜日が圧迫される前にこんな砂漠から出るべきだ。


 私が自分の不満足に折り合いをつけ、鍵を置いた瞬間だった。


 突如、世界が真っ黒に染まった。




 墨汁、コールタール、あるいはスマホの待機画面。いろいろあるけど、やっぱり真夜中だろう。私の作り上げた、黒という色に関する知識、常識。常識だったもの。目の前でうごめき、覆いつくす。悪なるものが、私の常識を塗りつぶしていく。


「わっ」


 一陣の刃。私がそれを風と認識したのは、単に髪がなびいてシャツの余り袖がはためいたから。けれどもすぐに自分の感覚が誤りだったと知る。直後に私の目が捉えたのは、空間に亀裂を入れる、黒い雷。


「あれ?」


 急に視界が暗がる。


「な、んで」


 呂律が回らない。口の中が猛烈に渇く。吸っても吸っても、酸素を取り入れられない、意識が遠ざかっていく。倒れそうな肩を誰かがつかんで、ぐいと後ろに引っ張る。ああ、これは凪かな。毅然とした、立ち向かう背中だ。その場で明滅を続ける黒い雷雲を射抜かんと、指先を構えている。


「これも、死源の、現象?」

「違う。今までこんなことはなかった」


 雷雲は球体を成し、渦を作り、嵐を生む。巻き上げられた石片が、渦の外周で塵へと変わるのを、私はただ見ていた。動くことを許さない、敵意。


「凪」

「分かってる」


 侭の声に応じるように、右手を水平に突き出す凪。空気が渦巻くように一瞬だけなびき、しかしそれ以上何かを起こすことはなかった。

 風が、音を発したからだ。


「――我は、マステマ」


 その音は例えるのなら、銀の食器をまとめて硝酸の海に落としてかき鳴らしたかのような、不愉快な金属音として響いた。


「資格者、異の鼎、よ」


 視界が灰色にぐらつく、空気を求めて砂が口に入っても、咳き込む気力すらない。自分が生きているのか不安になる。不愉快さに顔の耳の筋肉がまとめて上方向に引っ張られる。耳を塞ごうとして、そこから赤い血がただれていることに気づく。痛覚ではない、本物の傷だ。雷として生まれ、風として充満したそれが、刃となって私の頬を裂いたのだと気づく。


「侭、撃つぞ?」

「待て、まだ早い」


 凪と侭も、この事態に意見を分断させている。


「警戒する、ことは、ない。我はただの残滓に、過ぎないのだから」

「よくしゃべる残りカスだ」


 凪が早々に痺れを切らし、浮遊させた石を思い切り投げつける。けれども意思は影に届く前に消失してしまう。私の目には、投石が影に接触するそばから粉砕されていく光景がゆっくりと映っていた。硬い石がコーヒーに落とした角砂糖のごとく壊されていく。


 ギャリギャリと不愉快な音を立てつつも、マステマと名乗ったそれは言葉を繰り返す。


「謎を解いた、ゆえに、お前たちに報酬、真実を、与える。創造主の意志」


 言葉は途切れ途切れ。幼子の弾くバイオリンのように、不快なべたつきをもって届けられる。


「問うが、いい。答えよう」


 人の形をした歪みが、口元を歪ませたように思えた。そして、順番にこちらへと敵意の網を伸ばす。


「どうする? ご親切に一人一つずつ教えてくれるみたいだけど」


 侭が顔を引きつらせながら笑う。たぶん私も同じ顔をしているのだろう。


 最初に前に出たのは凪。


「お前は何者だ」

「我は、マステマ」

「それはもう聞いた」


 冷たく響く凪の声。呼応するかのように、マステマはさらに声の温度を下げる。


「マステマ、とは、残滓の名だ。世界を壊した、神の敵意」


 神の敵意。言葉は抽象化されていたけれど、つまりそれは目の前のマステマが犯人の能力の一部だと言っているように聞こえた。


「問うが、いい」

「なら僕は、鍵と碑文について聞こうかな」


 言葉を投げるのは侭。マステマは揺らがない。


「神を呼ぶ、ための儀、だ。お前たちの尺度に、合わせるな、ら、我が主に謁見する権利、を、くれて、やろう。知を束ねるがいい。果てに座す、終焉に向けて」


 こちらは分かりやすい。要は碑文を集めろということだ。怪しいことこの上ないけれど、指標もなく死源を漁っていたであろう侭には僥倖として映ったのだろう。張り付いた緊張が少しだけ高揚に変わったのが見えた。


「問うが、いい」


 三度繰り返される言葉。マステマが私に迫る。何を聞くべきか。権利は三回。凪と侭にかぶらず、真相に近づくための問い。参った。こういうのは時間をかけて考えたいんだけど。思いつくのは他愛のない疑問ばかりだ。突き付けられた敵意が思考に蓋をし、それ以上に私の心は別のものに支配される。


 悩んで眩む私の視界。けれどもふと、右肩にある温かい気配に気づく。いつの間にかすぐ横に凪の姿があった。


「聞きたいと思ったことを聞けばいい。それがたぶん、俺たちにとって一番正しい」


 私の背中を押すように、柔らかい声が届く。それでいいと。不思議と呼吸が楽になった気さえした。私は自分の好奇心に問いかけ、言葉を取り出す。


「死源とは何? 何のために、こんな世界を作ったの?」


 初めて、マステマの言葉が止まる。


「難しい、問い、だ」


 答えを考えているのか、蟻をスリコギで潰すときのような苦い音が空間を満たす。考えている、つまりこの残滓は生きている? 小さな疑問が私の中で湧出したけれど、それを待たずに音は言葉に形を変える。


「死源とは、神が作りし、試練の場。エクスマキナの庭、ラプラスの箱、マステマはただ、阻む」

「エクスマキナ? ラプラスって?」


 今までの二つの回答と違い、やや抽象的だ。マステマに連なる形で冠された二つの名。まさかこのレベルの超常現象があと二つも存在するとでもいうのだろうか。新たな情報を期待したけれど、マステマから発せられた音は「問いは、一つだ」の一言のみだった。


 会話は終わり、おそらく目的を達した黒が、薄れていく。消えていく敵意が私を安堵させ、混乱させ、感情をぐちゃぐちゃにしていく。


「ちょっと待てよ。俺からの質問がまだだろ?」


 不意に、後ろから声がした。

マステマ、すなわち刃の楔です。本作ひいては作中世界に対し非常に重要な存在ではありますが、現時点では「何でも殺せる力」とだけ解説しておきます。

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