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フールエンド

 さんざめく理不尽罵倒をやり過ごし、砂の世界に緊張が戻る。逃げ出した私の代わりに構えられる侭の拳。相対するは白鳥さんの楽しげなフットワーク。ようやっと、戦況は一対一の格闘戦。口元の酸っぱさとみじめさを噛みしめながら、私は距離をとってお役御免の応援係だ。


「人質に腕を噛まれた気分はどうです? 卑怯者のThe rENDさん」

「最悪だね。あの子はまともだと思ってたのに」


 口角を吊り上げて満面の笑みで悪態をつく白鳥さん。伸びる侭の両手を捌きながら至近に距離を詰めてくる。

 数度の戦闘を経て、侭が掌を起点に能力を発動させることは完全に見抜かれてしまっているらしい。感心するほどの正確さで飛び交う手刀を叩き落とし、そのままカウンター気味に蹴りを差し込んでくる。至近距離ゆえに決定打になっていないけれど、侭の表情が蓄積するダメージを物語る。


「神経麻痺に記憶操作。やれることは多い能力だけど、ちょっと時間がかかりすぎるね。格闘戦向けじゃない。本質的には弱体化と見た」

「想像は無限です。ご自由に」


 距離をとりつつ掌を向ける侭。明らかに触れられるはずのないその間合いで、けれども白鳥さんは身をかわす。


「残すはさっき俺を倒した技だけど、はてさてどういうトリックかな」

「不可解全部に種や仕掛けがあるとでも?」


 互いに答えず、再びの近接戦。私にもはっきりしていない侭の技術は、白鳥さんにも相応に警戒されているらしい。おかげで戦況は不利ながらも膠着状態だ。


 侭の右手を蹴り上げつつ、白鳥さんは指を鳴らす。


「まあ、やってることは範囲の拡張だ。本来点に作用する異能を空間単位に置き換えたのかな。だから技を使った椎名君自身も弱ってる。違わなくない?」

「楽しそうですね」

「まさか、つらいことも楽しむ主義ってだけだよ」


 屈折した平和主義を主張しながら、白鳥さんが嬉々として拳を放つ。遠距離で振るわれた腕は、侭の内部に何らかの衝撃を与えたらしい。薄ら笑い(味方)が苦痛に歪む。


「……よかった」


 じわじわと追い詰められながらも、侭の口から出たのは安堵のひと息。


「その認識じゃ、エタニティには程遠い」


 再び距離を詰める侭。何かの古武術なのか頭の位置がほとんど動かない。すごい動きだと思うけど、いかんせん白鳥さんの反応速度が上回っている。このままじゃまた返り討ちだ。


「む」


 けれども迎撃しようとする白鳥さんの動きが鈍る。その視線につられて足元を見ると、砂と融合するスニーカーの姿。


「いつの間に」


 私の疑問は「どうやって」だ。砂地に何らかの弱化をかけたことは分かる。現象が起きた場所だけ異様に砂煙が出ているから、きっと砂自体の脆性を弱めて人工の流砂を作ったんだ。もしかしたら摩擦係数なんかも変えてるのかも。それなりに大規模の変質だから、侭の異能じゃ時間がかかる。でも、私が見る限り侭は砂場に手を触れてはいなかった。


 私が間の抜けた考察をする間にも戦局は動く。白鳥さんの左足が砂地を抜けるまでの間に、二発三発と打撃を入れる侭。あまり効いてはいないけど、掌が着実に命中し、何らかの弱化が作用していく。


「ちょっと肌寒いな。弱めたのは温度知覚か」


 掌が接触した部分を気にするそぶりを見せる白鳥さん。眉は下がるが口元は上がったままだ。


「でも、弱い。接触時間に比例して効力を増すタイプと見た。だとすると、さっきの一撃がやっぱり妙だ。指先が触れたりはしたけど一瞬だったはず――」


 侭の不格好な蹴りを紙一重でかわし、のけぞった姿勢のまま指を鳴らす。


「いや待てよ。足とか背中なら?」


 そのまま蹴り足をつかんで体制を崩しにかかる。とっさに体をねじってかわす侭、追いかける白鳥さんの足元が再び沈む。


「ほらやっぱり足だ。椎名君は手以外でも能力を発動できると見た。柏木ちゃんどう思う?」

「うーん、可能性はありますけど」


 急に話を振られて困惑する。その声音が気のいいお兄さんの印象を崩さないのが、私としてはかなり不気味だ。


 確かに侭は白鳥さんに拘束されながらその背中を接触させていた。今だって踏んでいた地面を流砂に変えている。辻褄は合う。でも、接触型の異能である以上は肌で直接触れることが不可欠のはず。もしや侭は遠隔型?


「……なんで私は味方の能力を考察してるんだろう」

「人は秘密を探りたがる生き物だからさ――わっと」


 沈む大地に白鳥さんの体が傾き、ついに横転する。砂に転がり、目を覆う。


「く、まずい」


 誰の目にも分かる、好機。誰の目にも分かる、罠。疲れた私の脳は短絡し、侭も同様に吸い寄せられるように近づいていく。よろめく白鳥さんのもとに伸びる侭の掌。弱化を帯びた両手が勝負を決着せんと敵前に伸び、弾かれ、薙ぎ払われる獰猛な蹴り足。垣間見えた形相は、凪のごとき笑顔。


「しま――」


 私が罠を知覚するより早く、打撃音は砂漠を揺らす。破砕音、転げ飛ぶ侭、猛追する白鳥さん。その姿は、眼前にはない。


「……まったく、嘘つきだな」


 視界に映るのは、冷や汗とともに蹴り汗を捕縛する侭の両手。


「白鳥さんの言う通り、人は秘密を探りたがる生き物です」


 するりと、腕を挟んだまま侭の体躯が地面に流れていく。


「そして悲しいことに、探すことに満足して、隠された真の狙いに気づかない」


 言葉は一瞬。私の驚きよりも早く、曲線と直線が交差する。揺らぐ両手が影と化し、侭の体を幽虚に溶かす。砂の轍を縫う蛇は音もなく背中に回り、腕をひねり上げ、膝を落とさせる。戦闘力の偽装。気づいた時には、一秒とかからず変則チョークスリーパー的な締め技が完成していた。


「ああ、やられたよ。これは抜けられない」


 白鳥さんは幾度か手を使って拘束から逃れようと試みたけれど、すぐに体から力を抜き、タップの姿勢。当然受け入れられるはずもなしだ。


「最初から作戦だったんだね。足元の地雷原で動きを封じ、突破口を見せることで俺の攻撃範囲を誘導する。能力を半端に看破させたのもわざとかな。ともあれ、これだけ長い時間接触を許したんじゃ、俺の負けだ。楽しかったよ」


 全身を弛緩させながらも変わらぬ饒舌。聞くに堪えないのか、侭の手が首元に伸び、弱化の勢いを加速させていく。


「勝負は俺の負け。でもこれ、チーム戦なんだよね」


 瞬間、侭の頭が私の目の前にあった。全身に突き刺さる衝撃と痛み、侭のうめき声。遅れて、攻撃を受けたのだと気づく。砂塵の隙間から垣間見えた爪先を見るに、おそらく蹴りだ。問題は、その位置。白鳥さんがいるはずがないそこに、別の影があった。


「神とは全、全とは神。威光を示そう。我こそ――」

「ごめん俺、それもう終わった」

「マジで?」


 砂煙越しに聞こえてくる腹立たしい寸劇。


「椎名君、大丈夫?」

「痛いのには、慣れてる」


 よろめきつつも私を押しのけて立ち上がる侭。膝は痙攣、肺から抜けるような浅い呼吸。体力的にもかなり良くない状況だ。時間稼ぎにしても、ここらが潮時だろう。


「誘導経路が裏目に出た。僕もまだ甘いね」


 侭が謀るのなら、白鳥さんも同様だ。派手な音や立ち回りで居場所を知らせ、会話で長引かせることで時間を稼ぐ。どちらも増援を呼ぶ企てなのだろう。晴れていく視界に、三つの影が姿を映す。


「真剣勝負に水を差すなんて、さすが俺」

「俺のおかげで少し休めた。俺もよく来てくれた」

「ここからは俺と俺でやる。足手まといの俺は下がってろ」


 同じ顔、同じ声。マドラーの束で脳みそをかき回されているようで、そろそろ自分の正気を疑いたくなってくる。


「これ、私も一人くらい引き受けるべき?」


 戦闘は無理として、散り散りになって逃げれば多少は時間が稼げるだろう。問題はどこに遁走すべきかだけど。やっぱり後ろ側かな。砂向こうの与太話が止む前に逃げよう。侭の手を取って逃げ出す。動かない。


「ちょっと?」


 息を深く吐き、侭は私の手を握り返す。


「そっちに罠は仕掛けてない。逃げても無意味だ」


 手の甲に爪の軌跡。意図を考えるより早く侭は指先を離し、よろめきながらも白鳥さんの方へと歩いていく。


「やめようよ。無理だって」


 たぶん無策じゃない。でも、発動までの長さという問題を抱える以上、さっきの落とし穴のような罠はいくつも用意できない。格闘戦の不意打ちだって二度は通用しないだろう。そもそも一対一でも押されていたのに、三人相手にするのは無理だ。


 侭は私が引く腕を優しく剥がし、一度だけ振り返る。


「求めるものは、いつだって前にある。僕にとってはあっちが前だ」


 禅問答のような一言。でも、普段のはぐらかしの嘘と比べて表情は穏やかだ。決死の覚悟なんて言葉が頭をよぎり、よぎり切ったころには侭の背中は手の届かない場所にいた。


 人工の粉塵劇場が閉演し、相対するは三影一人。


「第三ラウンドの始まりだ。動けない俺がゴングを鳴らそう」

「前衛俺。なんか卑怯だし、一対一でやってもいいよ?」

「後衛俺。まあ全員倒さないと休まれて無限コンティニューなんだけどね」


 姿が見えて、一つだけ分かったことがある。新しく現れた三番目の白鳥さんは、砂色のコートを身に着けていた。どうりで私も凪も見つけられなかったわけだ。オブジェと白いコートを視線誘導の隠れ蓑にして、砂に紛れて私たちを監視していたらしい。このことからも、The rENDの周到さがうかがえる。


「まとめてかかってきてください。そのほうが早く終わる」


 迎え撃つはボロボロの挑発。砂漠に刻む嘲笑の轍。けれども、白鳥さんの表情は真剣だ。


「……鍵だ」


 警戒の理由は侭の握り拳の内側。私の向きからかろうじて見えたのは、死源の鍵。第三者の能力を封じ込め、開放する機能があるという、異質の塊。あの中に何が入っているのかは当然私も知らない。それでも、この状況下で未知が生み出す効果は小さくない。

 未知ゆえに戦いは成立し、けれども数の暴力は覆せない。ふがいなさを感じながらも、私はただ行く末を見守る。


「なんか浦島太郎みたいな状況だな。椎名君は太郎のことどう思う?」

「定職につかず漁を邪魔しに来る暇な若者。僕は嫌いですね」

「けれども太郎の行動は感謝され、お城で贅沢三昧だ。理不尽とか不条理を感じたり?」

「別に。竜宮城は流刑地、そして穀潰しの太郎が老衰まで処刑されないのは、きっとやんごとない立場だったから。これなら辻褄は合います」

「つまり、権力社会へのアンチテーゼだと?」

「平民たちの僻みという表現を使いたいですね。玉手箱は未知という一縷の希望だった、とか」

「なかなかにひねくれてるね」


 この人たちは何の話をしてるんだろうか。


 一応説明しておくと、雑談めいているのは言葉の上だけで、戦いはきちんと続いている。三対一で上下左右に打撃を浴びながら、鍵という未知を盾に侭の防戦は続く。消耗戦だ


「ほらほらどうした。手が止まってるよ」


 殴打にうめき声。返す手刀は空を切る。未知を警戒するゆえに攻撃の手は鋭くない。けれども侭は鍵の異能を使うことができない。使ってしまえば、それはもはや未知でなくなるから。


「その鍵、たぶん大した能力入ってないんでしょ?」

「なぜ、そう思うんですか」

「そりゃ、一発逆転の切り札ならとっくに使ってるだろうし。でも俺は慎重派だからね。最後まで塩試合を続けるよ」


 いささか慎重さに欠けるインファイト。けれども白鳥さんは常に一人か二人を戦いの外に向けている。砂に足を取られながらも動くことをやめようとしない。未知と既知、二つの異能に対し十分な対策だ。


 求めるものは、いつだって前にある。侭の言葉が頭の中を反響する。


「私の求めるものって、何?」


 戦いの終わり? 逃げて凪の助けを呼ぶこと? ありかもしれない。でも白鳥さんは戦いながら私にも意識を割いている。凪のところまで逃げきれるだろうか。侭の背中は違うと言っている気がした。何より、しっくりこない。


 思えば逃げてばかりだ。友達から逃げ、好奇心から逃げ、今日も苦痛から逃げている。情けない事実に少しうめき、少し笑う。なんてことはない。ずっと逃げていたのなら、私にとっての「前」はこの上なく鮮明じゃないか。


「よし」


 この絶望的な戦力差を覆して前に進む。砂漠に落とした針を拾いに行こう。

 戦火燻る砂礫の俎上。まず見るべきは白鳥光也の攻略法だ。


「俺を倒しても第二第三の白鳥が現れるだけだ」


 白鳥さんCがのたまいながら後ろに下がっていく。文字通りというべきか、ここにはおそらくオブジェの数、八人の同一人物が存在している。一網打尽にする方法はあるだろうか。


 一つ浮かぶのは、死源の現象そのものを停止させること。この場にいる白鳥さんはそのすべてが逆転現象によって生まれた偽物だ。だからこそ、現象を止められれば全員が消滅する。凪はその手段を知っていそうだった。言いはばかった理由は分からないけれど、少なくとも方法は想像がつく。死源の中核に結び付く媒介とやらを壊せばいい。


 超えるべき障壁は二つ。中心を突き止めることと、たどり着くことだ。推測通りなら死源の中心地はランダムに生成される。凪いわくスタートはゴールじゃなくて、そして両者を隔てる謎には必ず答えがある。


「異界を巡れ、エタニティ」

「うわっと」


 白鳥さんはきっと、死源のカラクリを見抜いている。それが可能な程度には長期で滞在しているし、見抜いてないと中心を避けてオブジェを設置することなんてできないからだ。


「危ないじゃないか。埋まったら掘り起こすの大変なんだぞ」

「大変ならやらなくてもいいんですよ?」


 違う。思考が目まぐるしく過去と現在を行き来する。さほど自信のない直観力が、何らかの違和感を訴える。おかしいのはどこだ。誰だ。


「そろそろ鍵の中身教えてくれよ」

「やめておきます。もったいないので」

「あっそ」


 何度目かの不自然な静寂。軋み、砕ける、硬質の何か。聞こえるはずのないクラッシュノイズが耳元で響く。


「ぐあ」

「じゃあいいよ。自分で見るから」


 休憩中だったはずの白鳥さんが距離を詰めて拘束し、一人が異能を受け、もう一人が左右の手で侭の腕を挟んで。それで。


「ひ」


 太い何かがめきゃりと響く。喉から漏れ出る悲鳴を、首元をつかんで止める。


「ご苦労さん。まあ、頑張ったほうだと思うよ」


 死源の鍵が奪われる。侭が取り戻そうと手を伸ばすけど、あらぬ方向に曲がった肘がそれを許さない。抵抗の間もなく、後ろ手に縛り上げられていく。


「たった二人で俺たち一人(三人(八人))に挑むなんて愚かだったね」


 白鳥さんは引きずって侭を一つ所にとどまらせない。能力を警戒しているんだ。最初のようにはいかない。


「確かに僕は愚かだ」

「愚者の末路は磔刑であるべきだ。一緒に手ごろな処刑台を探しに行こう」


 勝負はついた。侭も目を閉じて抵抗をやめている。私も命乞いの口上を考えるべきか。


「でも、なんで?」代わりに口をつく、疑念。

「力なきものもまた愚者だ。大丈夫。三人一緒につるしてあげるよ」


 絶望の最中、私の心を動かすのは、好奇心。疑念の正体。


 なぜ、ここには三人だけしかいないのだろうか。


 戦闘の最中白鳥さんは応援を求めた。手近な二人がここに来たのだろうか。二人は死んでいるとして残りの三人はどこで何をしている? どうして今まで私たちの前に現れなかった?


「ランダム、スタートとゴール、複数人、オブジェ」


 少しずつ接続されていく点と点。そして、異能は人の意志。この数分で考えたあらゆる事象が一つの何かを指し示していく。


「椎名君」


 声を上げる。それが正解である保証はない。でも、私が進むべき「前」は、きっとここだ。


「十秒稼げる?」

「まったく、人使いが荒いな」


 疲れた軽口。でも、その声には少しだけ覇気が戻る。


「崩壊の礎、エタニティ」


 何度か使ってきた技名。白鳥さんの意識が警戒し、一瞬だけ私から逸れる。刹那の思考。死源の過去、人数と配置。私が向かうべき方向の候補は、きっと二つ。前か、後ろか。両方確かめる時間はない。


「なら、前でしょ」


 土を蹴って走り抜ける。侭が指先で教えてくれた、罠の配置。その隙間を大股でやり過ごして、一直線だ。


「逃げても無駄なのに」


 侭のブラフは見抜かれたのか、白鳥さんのうち一人が私を追いかけてくる。距離を詰められる、間に合うだろうか、砂が落ちる、侭だ。援護射撃に感謝しつつ、とにかく足を動かす。偽のオブジェを通り過ぎ、その後ろにある小さな山へと向かう。


 正面には小高い山、確率は五十パーセント。ここが当たりなら、迎えるのは流砂。もう、仕込みを作る時間もない。ぶっつけ本番で飛び移るしかない。


「いっけえええ」


 鞄からぶちまけるのは私の今日の結晶たち。偽の鍵、携帯食料、軍手ともろもろ。指先を離れた意思なきものたちが、砂丘の上に星座を作る。


「なんとか、なれ!」


 気合いとともに鍵に跳ぶ。鞄の中身を踏みつけて、砂丘の頂上を目指す。ここがハズレなら相当マヌケな光景だけど、少なくとも私は今沈んではいない。跳びながら次の足場を投げつける、一世一代の綱渡り。


「ずいぶん汚れた白兎だ」


 後ろから追いかけてくる白鳥さん。死源のカラクリへの理解は同じなのか、私が飛んだ地点に追従してくる。おかげで今すぐ捕まることはない、けど着実に迫ってきている。


「そんなに急ぐなよ。お兄さんとお話ししよう」

「お断り、します」


 両者満身創痍のウサギ跳び。荷物がなくなっていく、あと五メートル。仮面捨てなきゃよかった、あと三メートル。まあいいか、あと少し。加速する心臓と悲鳴を上げる全身。あと一歩で頂上に手が届く、その土壇場で、私の足は安全地帯から踏み外れてしまう。


「……ああ」


 感情が音となってこぼれ出る。失態に対し、流砂の洗礼は来ない。つまり、ハズレだ。


「なんだ、残念」


 私の醜態を見て状況を察した白鳥さん、飛び跳ねるのをやめ、私を後ろから組み伏せる。


「後学のために教えてもらおうか。なんでここが中心だと思った?」


 私の考えなどすでに見抜いているだろうに、わざわざ言葉に変えさせようとする。まあいいか。時間を稼げば凪が駆けつけてくれるかも。戦場、逆方向だけど。


「オブジェの存在理由を考えていたんです」

「びっくりしただろ?」

「それだけじゃないですよ」


 見舞われた流砂の少なさもだ。死源の中心はランダム。でも、だとしたら私たちが遭遇した回数はもう少し多くていい。


 スタートはゴールじゃない。つまり、死源は人が存在する場所をゴールに指定しない。では、死源にとって人とは何か。


「知り合いいわく、異能は意志に宿るそうです」

「異能は意志、意志は人。俺もそう思うよ」


 遠回しな肯定。やっぱりだ。オブジェは中心を操作するために用意されている。


 配置されたオブジェがまとうのはシドの異能、すなわち意志。そして、潜伏する白鳥さんの残像たちも当然意志を持つ。それらが鎮座する場所は中心になりえない。だから、配置を工夫すれば私たちが向かいにくい場所に中心を「設置」することができた。


「そう。俺がこの事件の黒幕だ。黒幕ってのは何でも知ってないとね。で、柏木ちゃんは媒介を壊す一発逆転を狙ったわけだ。外したけど」

「惜しかったと思いませんか?」

「そうだね。拍手をあげてもいい」


 わりと本気で称賛しているのか、大きめの拍手が響く。その手が急にぴたりと止まる。


「そろそろ反転の時間だ。隙ができるから逃げられるかもしれないね」

「頑張ります」


 ちょっと出そうになる涙を固くつぶって、逃亡の算段。意識が覚めるのは侭が拘束された直後くらいかな。まず間違いなく、私たちに勝ち目はないだろう。


「あれ、柏木ちゃん笑ってる?」

「そうですか?」


 涙とともに、確かに笑顔を自覚する。結果はともかく、やれるだけのことはやった。逃げてきたあの日より、ずっといい気分だ。


「あとのことは、常盤君にでも任せます」


 わずかな希望を胸に、薄れていく意識。時間反転が始まったらしい。フラッシュバックする異界の思い出は奇怪で、でも悪くない。そんな感じだ。地面が空とつながって、黒になる。




 意識が戻る。空は灰色で、私は逃げないと。逃げて、前に進むんだ。朦朧としたまま砂をつかみ、這いずってその場を離れる。その頭頂部が、何かにぶつかる。


「何これ」


 視線をやり、漏れるのは困惑の声。徐々に鮮明になる視界をぐるりと回し、見つけるのは今まさに立ち上がろうとする侭の姿。その横には、白鳥さんも。


「どういうこと?」


 白鳥さんが倒れている。私がぶつかったのも白鳥さんで、同じように倒れている。目は半開きで、だらりとしていて、意識が混濁しているらしい。


「白鳥さんは、時間反転に耐えられなかったんだ」

「え?」

「時を裏返すたび、魂には無意識化での損耗が積み重なっていく。だから、もう彼の意識は戻らない。悲しいけど」

「何言ってんの? これ弱化でしょ?」


 侭が宗像君に施したのと同じ意識弱化。五分間はたっぷりかけたレベルの攻撃が、三人ともにクリーンヒットしている。


「どうやったの?」

「秘密」


 だと思った。きっと、エタニティとやらを使ったのだろう。必殺技、もうちょっと分かりやすい名前にしない?


「柏木さん、腕の骨貸してくれない?」

「せめて肩とかにしてよ」


 折れた腕を忌々しげにまっすぐに伸ばす侭。ああ、素人がそれやるのはやめといたほうが。上がる悲鳴、言わんこっちゃない。


「勝ったの?」

「かろうじてね」


 信じられない。遅ればせながら、喜びと安堵の感情が関所を抜けて大挙してくる。


 背後から、私の肩をつかむ、男の手。


「まさか白鳥がやられるとは。白鳥の面汚しめ」


 白鳥さん、四人目。なりふり構わなくなって攻めに来た? でもこれ、この声って。


「椎名君、何やってんの」


 振り返った先にあったのは、なぜだかよく見知った薄ら笑顔。


「何って、物真似だけど」


 侭だ。反対側にいるのと同じくらいボロボロで、両手に死源の偽鍵を抱えている。その事実が表すことは、一つ。


「勝ってたの?」

「かろうじてね」


 状況からして、裏で白鳥さんの残像を倒して回っていた。そういうことらしい。体力が尽きたのか、その場にへたり込む侭。そのまま倒れるのかと思いきや、顔だけをこちらに向けてくる。


「ああ、柏木さんに会ったら言わないといけないことがあったんだ」

「なに?」

「さて、あちらの僕とこちらの僕。本体はどちらだと思う?」

「……やるとは思ったけど」


 そのまま地面に突っ伏する侭。まさか、それ言うためだけに歩いてきたの?

 言うだけ言って満足したのか、寝ころんで空を仰ぐ侭二人。なんだか心地よさそうに見えて、私も真似してみる。


 風はなく、太陽もなく、砂まみれで、地面も硬い。でも、悪くない。そんな感じだ。


「あとは凪に任せよう」


 侭の言葉に流されるように、力が抜ける。これだけ頑張ったんだ。ちょっとくらい休憩しても罰は当たらないだろう。そういうわけで、あとはよろしく、凪。

(白鳥のせいで)一番文字数の多い話です。話を分割することも考えましたが、戦闘シーンを長引かせると物語が停滞するためそのままにしました。

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