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神託宣言①

 戦いが始まる。私の平和ボケした脳がそれを認識するよりも早く、日暮氏が距離を詰める足音が耳を叩く。砂が飛び散り、しなる足が侭の側面を揺らす。


「早計だし、早急だ。神様にも学習能力くらいはあると思ったんだけど」

「神の記した足音こそが啓示となる。学ぶのは人間、君のほうだ」


 会話とともに聞こえてくる、肉がぶつかる音、骨が軋む音、侭のうめき声、爆音と爆風。肉体の対話は急速かつ過激。戦況は一呼吸もせずに日暮氏に傾いていく。このままだと侭はきっと大ケガをする。だというのに、私の頭蓋骨に反響するのは、不安ではない。


「おかしい」


 日暮氏の言動に、何か引っかかりを感じる。どこか、致命的な矛盾を抱えているような。

 最終的に理解を挫折したけれど、日暮氏の動機は明快だ。弟である烏丸氏を殺し、自戒のために自分は死源に残る。


「……外だ」


 違和感の正体は死源の外側。凪たちが戦ったという、日暮氏の本体。日暮氏が死源にとどまるのであれば、ラスグレイヴとの戦いは起きないはずだ。なぜ日暮氏は外にいた?


 もしかしたら、日暮氏は誰かに追い出されたのかもしれない。でも誰に? 実力的にそれができそうなシドは、何も起きないことを最上としていた。烏丸氏が成し遂げた可能性はあるけど、だとしたら日暮氏が認識していないのは変だ。


 じゃあ、白鳥さん? 考えるほど、あの人のことも変に思えてくる。人の見分けがつかないという日暮氏が彼のことを追いかけまわすのは変だし、何より死源にいた白鳥さんは残像じゃなかった。


 誰かが、何かが嘘をついている。頭の中心に鋭い痛みが奔る。


「椎名君、ちょっと」


 砂塵の中心に向けて呼びかける。


「何かな」


 少し不機嫌そうに戻ってくる侭。おそらく何発か爆撃を受けたのだろう、その両手には赤痣が並んでいた。


「まさか柏木さんが余計な一言で味方の邪魔をするタイプの人間とはね。致命的な隙を晒したせいで僕は日暮に負けるんだ。急いで遺言を考えないと」


 鬱陶しいし厭味ったらしい。日暮氏が積極的には攻撃してきてないことくらい分かっているでしょうに。


「日暮さん、一つ聞いてもいいですか」

「人の問いは人のものだ。神が与える答えはないよ」

「死源の外に出たいと思ったことはありますか?」

「答える必要は――」


 定型的に否定を返すかと思いきや、言葉を止める日暮氏。その首が少し横に傾く。


「どういうことだ」


 私の脳内でも同じ言葉がリピートされる。何に困惑しているのだろうか。


「やっと気づいたみたいだね」


 訳知り顔の侭。私と日暮氏の視線を受けて、笑みに邪悪を添加する。


「動機だけじゃない。死源に関するあらゆることで、日暮の言動は不透明だ。僕にはその理由が分かる」

「その理由は?」


 掌をひらひら泳がせる侭。


「記憶だよ。頭に強い衝撃を受けたせいかは知らないけど、あのかわいそうな神様は、ここ数日に関する記憶の一部を欠落させている」

「……それもしかして、椎名君のせいじゃない?」


 白鳥さんへの処置の是非を考えるせいでうやむやになっていたけど、侭が日暮氏に記憶処置を施さない理由もない。私が日暮氏の住処を調べている間に処置を済ませたんだろう。つくづく、なんで私に黙ってやったのかは全然分からないけど。

 苦言の矛先たる侭は、日暮氏を指さして煽るのに忙しそうだ。これもお土産かな。


「神様、お悔やみ申し上げます」

「神の記憶は完全だ。神は自らの意思でここにきて、連を殺し、その役割を終える。一切の齟齬も矛盾もない」

「記憶喪失の人間はみんなそう言うんだ」


 自信満々に事実と相違する日暮氏。これも白鳥さんと同じように、記憶弱化の弊害によって発生する作話ということなんだろうか。もうちょっと一般的な参考例が欲しい。


「元に戻すには、似た状況を再現すればいいんだっけ」

「そうだけど」


 記憶を消された時の状況。となると、凪がやったみたいに側頭部に蹴りを入れればいいのかな。近くに脚立あるといいんだけど。


「椎名君、ハイキックって得意?」

「手、使ってもいいなら」


 パンチなら今の時点でそれなりに命中している。蹴りじゃないとダメかな。


「とりあえず説明を求めても?」

「あ、うん」


 違和感を確かめるため、日暮氏が離脱した理由が知りたい。侭は「せっかく頑張って消したのに」と嫌味を言いながらも、小さくうなずく。


「じゃあ準備があるから、神様のお守りをよろしく」

「うん。え?」


 言うや否や、するりと私の脇を抜けていなくなってしまう侭。向かう先にあるのは泥のオブジェ。とりあえず、やりたいことは分かったけど。


「時間稼ぎ、できるかなあ」


 目の前にはじりじりと距離を詰める日暮氏の姿。去っていく侭と私とどちらに照準を定めるべきか迷っているらしい。やっぱり、見分けがついていない。


「ええと、この僕と戦いながら逃げるか弱い女の子を追いかけるなんて極悪非道な神様ですね。ひどく悪い、最悪だ」


 侭の性格、こんな感じだっけ。まあいいや。日暮氏の足は止まった。あとはゆっくり下がって侭の方へと誘導すればいい。


「人間、どうして足を止めるのかな。神の威光に怖気づいた?」

「まあ、ある意味では」


 対峙してみると、日暮氏の体格や構えの圧が素人にも伝わってくる。怖い。何より怖いのは、私と侭の区別がまったくついていないってことだ。


「どうやら日暮さんは気づいてないみたいですね。僕の能力がとっくに作用していることに」

「神を謀るつもりなのか」

「滅相もない。勝手に沈んでくれればいいとは思いますけど」


 それっぽい侭の物真似をしつつ、後ろに下がる。たまに蹴られて転がって、たまに爆音で耳をやられる。こんなの旅のしおりに書いてない。


「痛い、もう、やだ」


 ちらと見ると、侭の方からはすでにハンドサイン。やった、地獄からの解放だ。蹴り飛ばされた勢いで待ち合わせ場所へとタッチダウンし、そのまま侭の足首を前に押しやる。


「必死だね」

「背に腹だから」


 あと一発でも蹴られたら私の三半規管は逆流する確信がある。そういうわけで撤退だ。入れ替わりに迎え撃つ侭が闘牛士のように日暮氏の攻撃を誘い、ひらりとかわす。おそらく地面の強度を弱めたんだろう、人工の流砂が日暮氏の足をとる。


「ワールドダウン」


 技名らしき謎の掛け声。沈んでいく日暮氏の頭、間髪入れずに叩き込まれる侭の右足。相対的ハイキックの衝撃が側頭部に奔り、体が斜めに傾く。そのまま硬度を調整された偽流砂の中を流れ、オブジェに漂着して、泥の破砕を全身に浴びて再度吹き飛んでいく。かろうじてだけど、ハイキックと砂まみれの条件達成だ。


「お願い、うまくいって」


 私は祈る。状況の再現が正しく出来ていること、侭の言う通り記憶弱化が解除されること、そして日暮氏の持つ何らかの新事実が風向きを変えてくれること。全部願望でしかないけれど、そうする以外今はない。


 祈りは届き、事態は動く。


「やってくれたね、人間」


 よろめきながらも立ち上がる日暮氏。凪のそれと比べて威力不足は明らかだ。近くの侭が足を押さえて転げているのは想定外だけど。


「あとは任せた。僕はもうダメだ」

「椎名君はずっとダメだよ」


 とはいえ交代選手は一人だけ。また会話で戦闘をはぐらかして、うまく水掛け論に持ち込まないと。自分で戦闘を仕掛けておいてこんなことをするなんて、我ながらひどい話だ。


「話、話をしましょう」

「神の義務、いや、俺はもう」


 かわいそうに使命感に操られる日暮氏を一目見て、私は気づく。


「ない?」


 泥だらけの日暮氏のローブが、いつの間にか脱ぎ捨てられている。泥を吸って邪魔になるから、これは分かる。問題は、あらわになった首元。そこには、凪の一撃でできた内出血の跡があったはず。


 日暮氏の首には、腫れ一つない。


 ぞわりと。頭の中でくすぶっていた違和感が怒涛になって血を流す。あのケガは数時間で癒えるものじゃ絶対にない。逆再生の影響が人そのものに及ばないことも確認済み。爆発と治癒をつなげる異能核があるかもだけど、能力を使った様子もない。


「……ダメだ。おかしい」


 決壊する。過集中の視界が日暮氏の足元に凝縮されていく。オブジェだ。そもそもなぜ日暮氏はオブジェの爆発を受けたのか。自分の力で作ったのであれば、その影響は軽減できたはず。いや、無差別に作用する能力もあるからそこじゃない。違和感の正体は、きっと別の何かだ。壊れたオブジェの、足元。


「死源の、鍵」


 死源からの離脱、残像によって増やされた、空間規模の異能痕。その存在が、今さらながら私に一つの可能性を指し示す。


 人が残像を残すのは、死源の内と外とに限らないのでは?


「日暮さん、人間とは何度戦いましたか」

「何を言っている」


 崩壊する。凪からの奇襲、私と侭との追走を経て、なぜ日暮氏が対話を受け入れたのか。


「神に挑む不届きが、そう何度もいるはずがないじゃないか」


 拠点を防衛しているはずの日暮氏と、こんな外れた区域で戦っている原因も、きっとこれだ。


「ああ、何か、突き止めた?」


 足を押さえつつ私の隣には侭。凝視する先は日暮氏の首元。私と同じ結論に至るのも時間の問題だろう。その数秒を、私は惜しむ。


「この死源には、日暮さんが複数人いるのかも」


 侭の目が一瞬だけ見開き、次第に細められていく。目じりに少しにじむのは、徒労感。


「弱化どころか、存在しなかったわけだ。蹴られた記憶なんて」


 勇気は出した。前にも進めた。でも、その挙句がこの仕打ちだなんて聞いてない。


 背中から聞こえてくる、別の爆発音。図ったようなタイミングで現れる、もう一つの影。最悪が二重底を突き破る音がした。




 状況は最悪を更新した。私たちは何人いるか分からない日暮氏を見つけ出して、そのすべてを追い出さなければならない。そして悪夢は、目の前に。


「我は神。神の現身」

「よもや神とまみえるとはね。実は我も神なんだ」


 出来の悪いコントのようなやり取りで、日暮氏二人の情報共有が急速に進んでいく。新しく現れた日暮氏の首元には赤が垣間見え、それはつまり私たちが最初に会った好戦的な残像であることを示している。受け身なほうの日暮氏が感化されて戦闘に傾くのも時間の問題だ。


「椎名君、逃げよう」

「僕が時間を稼ぐ、柏木さんの代わりに逃げるから」


 ねじ曲がった文脈で外道をかまされても困るんだけど。足が痛くて動けないって解釈でいいんだろうか。


「罪人に、裁きを」


 無駄話をする私たちに対し、距離を詰めてくる日暮氏。一瞬の衝撃。最初に会ったほうだから、仮にAとしておこう。


「ぅえ」


 砂を吐き出しながら、転がって距離をとり、状況把握。たぶん私は突き飛ばされたらしい、ぼやけた視界が復旧すると、残った侭が徒手格闘でボコボコにされる図が現れる。


「明らかに僕に対してだけ攻撃が苛烈だ。女尊男卑だ。横暴だ」


 悪態をつきながらもなんとかしのいでいるけど、攻撃性の高さは日暮氏Bの比じゃない。すでに何発か首とか腹に強めの打撃音が響いてしまっている。あ、頭。


 がくんと、支えを失ったマリオネットのように意識を断絶する侭。まずい。本格的にまずい。青くなる思考、背中に衝撃、私自身も後ろ手に縛られている。日暮氏Bだ。お腹の内側に破裂するような衝撃を受け、息ができなくなる。


 拘束、重圧、砂の味。身動きが取れなくなって、一つだけよかったことがある。思ったより、無力感が増えていない。


「まあ、そうだよね」

「定めを受け入れたかな、人間」

「そんなとこです」


 争いに傾倒していく凪と侭のせいで忘れていた。私にできることは戦うことじゃなくて、考えることだ。どうせ動けやしないんだ。今こそ神の箱庭を解明しよう。


 積み重なった疑問が、砂漠に雨となって降り注いでいく。砂に溶ける思考と、浮かんでくる違和感。


 増える日暮氏、神と人間、不可解の裏には必ず人の意志がある。この場に介在できる、人の意志。答えに至るのに時間は必要なかった。だってここには、嘘と矛盾が満ちている。


「日暮さん、話をしても、いいですか」

「……」


 日暮氏は答えない。ただ懺悔を聞くかのように、私の拘束を静かに強める。ありがたい。私にとっては似たようなものだ。


「変だと思ったのは、鍵です。あるはずのない、偽物の鍵たち」


 砂漠に偏在する八個のオブジェ。全部がそうとは限らないけれど、その中心には偽物の鍵が埋め込まれていた。意味するうちの、一つ。


「この逆再生の死源において、偽物の鍵は本物が死源を出た時に生まれます。だから、鍵を持って脱出すれば、その人も増える」


 指さすのは二人の日暮氏たち。


「鍵は複数。神も複数。何がおかしい?」

「全部です」


 現象としてすべてが超常。その中でも最たる理解不能は、やはり目の前の残像たち。


「日暮さんは、残像なんですよ?」


 思い出すのは、死源の出口で霧のように消えた日暮氏の残像。残像は死源の中にしか存在できない。だから、残像である日暮氏は鍵を増やせない。


「その推理は強引じゃないかな柏木さん。好きなだけ増えてから本体が離脱したのなら辻褄は合う」


 倒れながら私の思考のあらを探す侭。意識が戻ったみたいで何よりだ。あとは味方してくれれば言うことないんだけど。


「死源の情報を持った異能犯を、フリークハイドは見逃す?」

「……ちょっと考えづらいね」


 そう。事実この死源に残った残像たちも逆再生や分身現象について十分な理解は持っていなかった。だから、日暮氏は犯人じゃない。


「すまない。神の潔白を証明しても、恩赦は与えられないんだ」


 許しなんて必要ない。私の好奇心は、何かを求めて手を伸ばしているわけじゃない。


「日暮さんは実行犯じゃない。なら、誰が偽の鍵を増やしたか」


 それは当然、白鳥さんだ。私たちが最初に会った時、彼は間違いなく本体だった。もちろん、死源に残り続けているシドや烏丸氏が裏で糸を引いていた可能性もある。でも少なくとも、白鳥さんは無関係じゃない。


「私たちの前に残像の白鳥さんは戻ってきた。なのに、同じタイミングで現れるはずの椎名君の残像については、何も触れなかった」


 明らかな事実の隠蔽。そして侭の残像は現れない。折り曲げた紙幣みたいな人間性の侭が、こんな面白現象に見舞われても私をからかいに来なかった。つまり何者かの妨害にあったということ。

 敵対者の正体は言うまでもない。白鳥さんだ。私たちを日暮氏のもとに案内し、オブジェの謎を説明し、死源の現象と不必要に結び付けた。


「日暮さんと白鳥さんは同じ陣営。白鳥さんが鍵を増やし、日暮さんを増やした。だから今の状況がある。違いますか?」

「哀れな破綻者だ。仮にその説が正しいなら、神が増える理由がない」


 拘束を強める日暮氏。ギリギリと腕が軋み、けれども頭は冴えたまま。主張は正しい。鍵を増やせる人間と、鍵とともに増えたはずの人間が合致しない。


「そうです。破綻している」


 誰の言葉にも嘘はない。だからこそ、誰かが嘘をついている。この場の天地をひっくり返す、とっておきの嘘を。


「きっと始まりは、烏丸さんだった」


 砂漠に蔓延する人工物、持ち込まれた食料。あまりに万端な準備は、犯行が計画的であることを示している。可能にしたのは、あの瘦せ細った遺体の功績。こっちは証拠がないけれど、もしも彼もそうだとすれば、辻褄は合う。


「ですよね?」

「理解に苦しむ。破綻した推理を神々に捧げるな。神が受け入れるのは懺悔だけだ」

「同じことです」


 侭の方角から小さな爆発音。そろそろ時間稼ぎも限界か。私も侭も拘束されて、物理的な戦いはほぼ負け確定だ。でも、だからこそ、私は高らかに宣言しよう。


「もう一度言います。同じことなんです」


 鍵を増やした人間は増える。ここには日暮氏の残像がたくさんあって、白鳥さんの本体がいた。この事実が示すことは、一つだけ。私は首を思い切りひねり、犯人たちを見据える。


「破綻したのは推理じゃなくて、登場人物たち。死源にいたのは同じ人間だった。日暮さん、あなたは白鳥さんで、烏丸さんなんです」


 無明砂漠に明け渡された、私の最初の探偵懺悔。答えを示すのは、吊り上がる二つの口角。


「あーあ、バレないと思ったのに」


 目の前で、日暮呉夫の姿が溶ける。急激な耳鳴りが、悪夢のように私の常識を臨界させていた。

次回から解決編です。理解不能を叩きつけられる天音の右往左往をお楽しみください。

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