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時の狭間のリベリオン

 別に、人の死に目に会うのが初めてというわけではない。小さなころ祖父の葬式に出たことはあるし、それこそジエンドで無数の死に直面してきた。いや、直面という表現は正しくない。たぶん、側面くらいだ。それでも私は死について年相応の理解をしているつもりで、それは今も変わらない。


 砂波が足を取ろうと襲い掛かってくる。そんな被害妄想を、必死によけて逃げた。私は死を知っている。でも、殺意は知らない。温厚だった白鳥さんが隠し続けた殺意、目的のために手段を選ばない日暮氏の殺意。それ以上に、殺意を目の前に一歩も引かない凪と侭とが怖くなった。だから逃げた。だから今、私は逃げている。


 逃げて逃げて、何かにつまずいて転んで、呼吸が続かなくなって倒れて、這いずるように逃げた。気づけば私はオアシスの前まで逃げていて、逃げ場などないのに水の中にうずくまろうとしている。耳に入る水が私にほんのわずかな冷静さを促し、自分が浅瀬で溺れかけているという状況を伝える。


「嫌だ、もう、無理」


 耳を塞ぎ、目を閉じる。このまま溺れてしまえば楽になる。そうだ、最初から私なんていなければ。余計なことをしたから。友達を止めたかっただけなのに。後悔が思考を鈍らせ、音が遠のき、意識がぐらつく。嫌だ、死にたくない。でも、もう、これでいいのかも。




「え?」


 目が開く。傍らには倒れる凪、少し遠くには侭の姿、そして目の前にもう一人。フード越しに目を光らせながら、私にゆっくりと手を伸ばす。


「ああ、また来たんだ。やはり人間には、裁きが必要なのだろうね」

「あああああああ」


 絶叫、フラッシュバック、砂をかけ、何もかもを捨て置いて全速力で逃げる。後ろを振り返る余裕もなく、途中で何度もこめかみに平手を打ち付けた。そうしないと、思い出して頭が壊れてしまう気がした。


 オアシスの前、転がるように水に浸かり、何もかもを捨ててうずくまる。震える体がひどく汚れていて、みすぼらしい現状を私に見せつけてくる。


「きゃ」


 ボロボロの背中に、手のひらが当たる。


「落ち着きなよ。僕だ」


 聞きなれた侭の声。彼自身も走って追いかけてきたんだろう。息も絶え絶えで、でも声の様子は優しくて、自分がみじめだ。


「ご、ごめ――」


 言いかけて、盛大に咳き込む。気管に入った砂と水とを吐き出して、やっと涙が出始める。自分が泣いているという事実が悲しくて、気づけば声を上げて子供のように泣いてしまっていた。


「大丈夫」


 侭はただ、私の背中に触れていた。私が泣いている間も、涙が枯れた後も、何も言わずに。伝わってくる、ひんやりした灰色の思い。思えばこれは、私の中の不安とか恐怖とかを弱めてくれていたんだろう。気づくと私は少しだけ落ち着いていて、やっと呼吸の不足を思い出す。


「僕は柏木さんを励ましたりなんてしない」


 私の心が戻ってきたのを見計らって、侭が言葉を発する。


「あがいても、あがかなくても時間は進む。時計が逆に回っても、人は過去へは戻れない」

「……うん」


 この数時間で身に染みた無力。白鳥さんが死んでしまった事実。


「忘れたいなら、そうしてもいい」


 背中にかかる指に力が入る。弱化の力、私が身を委ねてしまえば、きっと悲しみさえも虚構の果てに薄れていく。そして私は、何も知らないフリをして砂漠の謎に挑むんだ。それはとても甘美で、卑怯な誘い。私が首を振ると、背中から手が離れていく。少しだけ優しさを感じる虚しさ。


「そうだね。覚えておくべきだ。どんなに悲しい記憶だって、思い出せないのはつらいものだから」


 どこか実感を伴って響く言葉。けれど見上げた先には、いつも通りの偽物の笑顔だけ。


「人は過去へは戻れない。時間は勝手に進んでいく。意味するところは、二つ」

「どういう、こと?」


 繰り返される言葉のその先に、謎の問いかけ。侭は立ち上がり、私が逃げてきた方を見据える。


「過去は後ろじゃない。未来は前じゃない」

「つ、つまり?」

「柏木さんは過去から何を受け取って、未来に何を見出した?」


 抽象と虚飾を重ねた侭の言葉。でも、なんとなく言いたいことが分かる。つらく苦しい過去も私に何かを与えてくれている。そして、何もしなくても訪れるだけの未来は、それ単体では価値を持たない。


「求めるものは、いつだって前にある」

「……前」


 時間が戻っても人の意思は戻らない。だからきっと、私は未来にじゃなくて、前に進まないといけない。

 押されて向かう先は崖下か地獄か。でも、背中に残る透明な手のひらの跡は、私に確かな勇気を与えてくれている。


「ありがと。少し、楽になった」


 ようやく、深く息を吸う。砂煙で咳き込みそうになったけれど、今度は無事吞み込めた。


「お、柏木さんいた」


 ちょうどよく、私たちを見つけて走ってくる凪の姿。腕に巻かれたシャツの切れ端には赤いにじみ。私の視線に気づいて、慌てて隠す。


「私は大丈夫」


 凪は眉を斜めにして、それでも私の虚勢を受け入れることにしたらしい。小さくうなずいて、それ以上は踏み込んでこない。


「状況は?」侭の問いかけ。

「白鳥はまあ、完全に死んでたよ」


 遠慮がちに、けれども断言される白鳥さんの死。侭が処置を投げ捨てた時点で、ある程度予想はついていたことだ。苦しさと悲しさは、いったん頭の奥底に放り込む。


「日暮のほうは」

「倒したけど、すぐ目を覚ますだろうな」


 前回と違い、凪が無傷で御せる段階を過ぎてしまっている。対策を取らないと、このままだと白鳥さんの二の舞だ。


「いよいよもって地べたを這いつくばる凪が見れるかもね」

「俺が負けるかよ」


 意地悪く言う侭に買い言葉。けれど、言葉のわりに凪の表情は芳しくない。同じ表情をさっきもしていた。


「そういえば、さっき何か思い出そうとしてたけど」


 凪は「そうだった」と悩み事を再開し、そのまま静止してしまう。


「柏木さん、手伝ってあげて」

「え、何を?」

「物忘れには状況再現でしょ。ほら、あの時日暮はなんて言ってた?」


 勢いに押されるまま、耳にこびりついた自称神の演説を繰り返す。横から侭がふざけて爆発やら白鳥さんの断末魔やらを入れてきて、実に趣味が悪い。趣味は悪いけど効果はあったらしく、やがて凪は「思い出した」と手を叩く。


「ええと、何を思い出せたの?」


 横で迫真の死に演技をする侭を静かにさせつつ、核心に迫る。


「日暮呉夫だ」


 凪の口から出たのは、おそらく日暮氏のフルネーム。


「ラスグレイヴに、神がどうだのうるさい爆発使いがいたんだよ」


 こめかみを指でつつきながら記憶をたどる凪。特徴は日暮氏のそれに符合するけど、違和感も一つ。


「ラスグレイヴってフリークハイドが壊滅させたんじゃ?」


 侭がこれ見よがしに見せつけていた活動記録の内容を思い出す限り、一人残らず全員逮捕だ。罪状はともかく少なくとも拘留中だから、この場にラスグレイヴの幹部がいようはずはない。


「凪、もう少し早く思い出してくれないかな」

「理人の担当だったんだよ」


 やいのやいのと文句を言い合う侭と凪。

 凪から提示された真犯人は、死源に存在しえない異能犯。けれども確かに日暮氏はここにいて、私たちに攻撃を仕掛けている。何かがおかしい。


「いったい誰が、何を歪ませているんだろうね」


 侭が耳元で呈する疑問。決まっている。現実に辻褄が合わないとき、それを歪ませられるのはただ一つ、異能力の存在だ。


 息を思い切り吸い込む。可能な限り高速で血液を循環させて、頭の中で今日一日を繰り返す。繰り返す時間を、頭の中で繰り返す。無限ループともいえる思考の中でただ一つ浮かんできた可能性は、白鳥さんの背中。


「分かった」


 この死源は時間を繰り返す。投げた石も、砕けた建物も、話し声や超能力さえも。ただ一つの例外として私たち人間は自由を許され、けれども逆に外との時間齟齬は死源の壁によって矯正される。異界と現実をつなぐ境界が引き起こす、一つの矛盾。


「日暮さんはたぶん、三日前に死源から脱出してる」

「ここにいるんだろ?」

「でも、外にいたんでしょ?」

「いたけど」


 記憶はきっと正しくて、間違っている。間違いを埋めるのは、異界の魔だ。


「死源から離脱した人間を逆再生するとどうなるか」


 私の意図に気づいたのか、侭が眉を下げる。


「柏木さんが言いたいのはそういうことだよね?」

「うん」


 思い返すのは、最初に死源から離脱した時の白鳥さんの背中。背中に背負っていたはずの日暮氏が消えてなくなったのは、それが死源の外部に存在しえないから。


「離脱の回数を消費しなかったのも、そういうことか」

「たぶんね」


 三日前、死源を出ていった日暮氏はラスグレイヴの幹部として凪たちと戦い、敗れる。でも、死源の逆再生は現実などお構いなしに発生する。逆行する時間が存在しえない矛盾を解消するために生み出すのは、日暮氏の再現映像。実体と思考を持つそれは、まるで本人であるかのように振る舞い、私たちを襲う。


「つまり、僕らが見ていたのは死源が生み出した日暮呉夫の残像みたいなものってこと」

「ふーん」


 凪の中でも納得がいったらしい。「日暮分身バグ」などと面白くもなさそうにつぶやいている。


「……」一方で、私の胸中に渦巻くのは小さなわだかまり。正体は自分でも分からない。たぶん、見たばかりのショッキングな光景が思考を邪魔している。あと一歩、真実に届かない自分の至らなさがもどかしい。


「もしかすると、日暮が死源を守る理由もここにあるのかもね」

「どういう意味?」


 侭自身も思いつきの域を出ていないのだろう。思考を組み立てる間を挟みつつ、応じてくる。


「例えば、死源の中心にたどり着いたら、この世界が壊れてしまう。だとすると、死源の残像たる日暮は消えてしまう。それを知っているから、邪魔をする」

「なるほど」


 確かに筋は通る。


「いや、でも」まだ納得しきれていないのか首をかしげる侭。

「ないぞ」


 逡巡を断ち切るように断ぜられる凪の言葉。無根拠なのかと思いきや、今回は違うらしい。


「前の死源、まだ館残ってたし」

「ああ、そうか。そうだったね」


 侭はへにゃりと、なぜか気の抜けた表情だ。


「柏木さん、今の説はボツで」

「残念」


 せっかくいい線いってそうだったのに。しかしそうなると、ますます侵入者たちの動機が分からない。まあ、私が超能力者の動機を分かったことなんてないんだけど。


「とにかく、ここは砂上の楼閣だ。時間は戻り、日暮は残像。ここに生きた人間なんていないのかも。でも僕らに足を止める理由はない」


 さらりと恐ろしい想像を交えつつ話をまとめにかかる侭。日暮氏だけではない、シドやそれどころか私たちだって残像である可能性は否定できない。だって、死源は意思を逆行させないのだから。


「なんだ?」


 見計らったようにオアシスに風が吹く。警戒する凪、でもあれは既知の現象だ。


「たぶん、シドの能力の残像だと思う」


 渦を巻く縦長の竜巻。もしかすると、シドが体を洗って乾かした痕跡なのかもしれない。あの威圧感をもってしても流砂に落ちて、泥だらけになってしぶしぶ水に浸かる、なんだか面白い。


「面倒だな」


 私の空元気をスルーしつつ、凪は竜巻に風を投げる。


「何やってんの」

「攻略法を考えてるんだ」

「ああ、そう」


 まだ戦うつもりなんだ。死源の構造を考えると、シドが能力を使えば使うほど戦況は凪に不利になる。動かないシドが無限に罠を増やし続けているようなもので、凪もそれが分かっているのか渋い表情だ。


 能力を総動員してひたすら砂を投げる凪。砂は渦を巻き上部にたまり、そのまま直下に落ちていく。竜巻を落ちる砂。偶然か必然か、その様子が私に一つの閃きをもたらす。


「これだ」


 同時に竜巻が止む。溜まった砂は逆襲するかのように凪に飛び、ついでに私と侭にも襲い掛かって顰蹙を生み出す。


「何がだ?」


 一人だけ砂をしのいで余裕そうな凪に抗議の視線をくれつつ、私は砂をつかむ。指の隙間からこぼれ落ちる砂粒たち。まさに、そのものだ。


「おかげで、この死源の正体が分かった」


 がこんと、頭を巡っていた疑念が音を立てて回転し、納得に反転する。心はもう少し休憩を欲しがったけれど、疼き始める好奇心がそれを許さない。真髄へと引きずり込まれる感覚が、私を突き動かし始めていた。

言い回しはともかくとして、侭の持論はおおむね本章のテーマそのものと合致します。言葉を受け取って、今まで逃げて来た天音はどこに向かうのか。それは今後の彼女が教えてくれるでしょう。なお、今回侭は能力を使っていません。

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