嘘つきは真実の始まり
⑥
雨が降っていた。暗い闇の中で、私はバケツに溜めた雨水を大事に大事に両手に抱えて立ち往生している。なぜそんなことをしているのか気になって足元を見ると、どうやら芽吹いたばかりの双葉が水浸しにならないようにしたいらしい。無意味で無謀で、あまりに現実味がなさ過ぎて、すぐに夢だと気づいた。
バケツの水面に顔が映る。見えた顔は、私のものではなかった。
「椎名君?」
痛みが戻り、意識が戻る。耳障りなノイズたちが絶叫のオーケストラを奏でる、夢幻の砂漠に戻ってきた。
「……」
目の前にはなぜか侭の顔。膝立ちのまま、怪訝そうに私の肩をつかんでいる。
「ええと、どういう状況?」
声を絞ると胃の奥がぎゅううと痛みを訴える。それを見て、また小首をかしげる侭。夢の続きを見せられているようで、混乱する。
何かを考えていた侭は、やがて結論にたどり着いたらしい。「柏木さん、起きた?」と発する声はすでにいつもの薄っぺらさだ。
「うん。たった今ね」
状況を整理しよう。ここは砂漠、私は無力、全身は痛みを訴えていたけれど、さっきほどじゃない。なんだろう、全体的にぼんやりしている。両手を握ってみると、手のひらがゴムのように分厚い感触。これは、弱化されているのだろうか。
「もしかして、椎名君が助けてくれた?」
「まさか。僕はそこまでお人好しじゃないよ」
口角を上げつつ、侭の返事は意外にも否定。ひねくれが極限に達するとこうなるのか。と思ったけれど違うらしい。すっと後ろを指さしてくる。
「それに、まだ助かってないしね」
背中側を振り向くと、這いつくばった何かの姿が見えた。
「ひ」
日暮氏だ。目を血走らせ、爪の間に砂を食い込ませながら、砂漠を泳ぐように這いずってきている。状況を鑑みるに侭が弱化をかけたのだろう。ときおり忌々しげに自分の足を叩いている。
「急いで逃げなきゃ拷問場に逆戻りだ。どうする?」
「……逃げる」
一瞬、戻るのもありだと考えてきらい、すぐに訂正する。ここで戻ってしまったら、助けてくれた侭の努力が無駄になる。
とにかく体を休めたい。麻痺した体を引きずって、廃墟の街へと向かう。さっき凪たちも飛ばされていたから、うまくすれば合流できるはず。気絶で休めたのか、少しだけ軽くなった心が、体に無理を強いらせる。
後ろを追いかけていた日暮氏は、そのうちに追いつけないことを悟ったらしい。「神罰は終わっていないよ」と私に言葉を刺し、それから自分の拠点へと引き返していった。
「ねえ、椎名君」
再び砂漠には静寂という名の過去残響が戻る。
「私、どうすればいいのかな」
前を行く侭の歩き方は少しぎこちない。私が気を失っている間に、相応の戦闘が起きていたのだろう。
「とりあえず、その顔をなんとかしたら?」
言われて自分の顔面をさわる。涙と血の跡でべたべたしていて、額は触れて分かるほどに腫れていた。きっと、ひどい顔をしているんだろう。でも、私が聞きたいのは別のことだ。
「……」
唇が渇く。打ち身と出血のせいで赤偏した視界が、教会のステンドグラスのように私を照らす。懺悔室に入る勇気は、ない。
侭は私を振り向いて、つまらなさそうに息を吐く。
「柏木さんが何を悩んでいるのか知らないけど、僕に手伝えることなんてないよ」
「うん、だよね」
私の行動と、私の弱さから生まれた、私の罪。苛まれているのは私自身で、だから侭の言葉は正しい。
「話しても、柏木さんの望む答えは出せない」
「分かってる」
「聞いても、僕が言えるのは文句くらいだ」
「……」
これは、もしかして暗に話せと言ってくれているのだろうか。伺いを立ててみると、侭は顔を逸らして歩みを速めてしまう。
「ちょっと、聞いてもらってもいい?」
「聞くだけならね」
うん。それでいいよ。聞いてくれるだけで、十分救われる。
息を思い切り吐き出して、吸い込む。血と砂の臭いが鼻をついて、ようやく目が覚めた気がした。
街へと歩くわずかな道のり、私は自分の疑念をぽつりぽつりと侭に話す。第三者、やむを得ない生存競争、流砂の謎、それらを振り返りもせずに聞いていた侭は、私の言葉がやんだタイミングで一言だけ。
「鍵は?」
「え」
「その人、鍵は持ってた?」
記憶を思い返しても、埋まった手足やポケットの中、鍵の有無を確定させる情報はない。
「そんなの見てる余裕なかったし」
「使えないなあ」
宣言通りに文句をつけてくる侭。自分だってちゃんと見ていないのに、棚上げしてなじってくるのはやめてほしいものだ。
「僕はその人、見てないからね」
「あ、そうなんだ」
そうなると、けっこうな時間私は日暮氏に拷問的尋問を受けていたことになる。脳内時間と齟齬があるけれど、夢中で逃げていたからそんなものか。
「幻だったんじゃないの?」
「実在してたよ。そこは確か」
何もなければ私が流砂から脱出できる理由がなくなってしまう。だから、あの場に人がいたのは事実だ。その反論を受けて、侭はにやりと笑う。
「じゃあ、嘘つきが一人いるわけだ」
「……あ」
話し終わると、ちょうど廃墟の入り口についていた。拠点のビルからのぞく二つの顔。確かに、嘘を暴く価値はありそうだ。
「二人ともボロボロだけどどうしたの?」
ビルに着くなり迎えるのは白鳥さんの驚いた声。これも遭難の備えなのか、どこからか用意した消毒液と絆創膏で手当てをしていく。凪は私の態度から何かを察したのか、黙ったまま壁際に立ち、様子をうかがっている。弱化が解けて少しずつ痛む頭を押さえつつ、話を切り出す。
「白鳥さん、聞きたいことがあるんですけど」
「奇遇だね、俺も話したいことがたくさんあるんだ。今朝知ったんだけど、真逆の読み方ってマサカが正しいんだってさ。俺もまさかと思ったよ」
湯切りに失敗したカップ焼きそばのごとく飛び出てくる四方山話をかわしつつ、どうにか言葉を差し込む。
「さっき、日暮さんの拠点の近くで、別の男の人を見ました」
「……どんな人だった?」
与太話の音頭が止まる。
「白鳥さんより少し背の低い痩せた男の人で、日暮さんとも知り合いだったみたいです」
「話したのか?」
「いえ、会話ができる状態ではなかったので」
「そう、か」
明らかに今までとは異なる反応。目を固くつぶり、何かに耐えるかのように両手を握る。今までにない反応。やっぱりこの人にとっても知り合いであるらしい。
「何か知ってますよね」
「いや、俺は」
「いいから答えろ」
私の圧力に同調するように横から凪がにらみを利かせ、むこうずねを蹴る。嫌な空気が立ち込める。流れるのは一瞬の沈黙。それ自体が耐えがたかったのか、白鳥さんは頭をガシガシとかく。
「分かったよ。俺が悪かった」
そして、今までで一番小さな声で「話すよ」とうつむく。どうやら、何か事情がありそうだ。
「柏木ちゃんが見たのは、烏丸先輩だ」
「カラスマ先輩?」
知らない固有名詞をついオウム返しする。
「そう。俺の一個上で、日暮さんの、まあ、側近みたいな感じの人」
話に聞く、日暮氏を教祖とした宗教のような集団の話か。
「俺が旅行に来たのもさ、実のところ先輩の誘いなんだ。普段からいろいろ世話になってるから、日暮さんと俺、あんまり接点ないんだけど、困ってるって言うし」
言い訳をするかのように、日暮氏と距離を置き始める白鳥さん。最初に会った時に先輩と日暮さんの二つのワードを使っていたことを思い出す。そんなところに叙述トリックを仕掛けなくてもいいのに。
「なんで黙ってたんですか」
「そりゃ、もう一人いるとなったら、俺が脱出できるタイミングが遅くなるだろ?」
白鳥さんはおどけた態度を見せてから、ひときわ大きく肩を落とす。
「いや、違うか。怖かったんだ」
「……何がですか」
「確かめるのが」
何を確かめるのか。その先を白鳥さんは語らなかった。でも、私が見た烏丸氏の挙動が、一つの可能性をよぎらせる。
「先輩は豹変した日暮さんを止めようとしてた。言葉で説得したり、後ろから縛ろうとしたり、いろいろやって、それで――」
「殺されたと、そういうわけですね」
ためらいとなって表れた沈黙を、侭の容赦ない一言が追い立てる。心にとどめを刺され、白鳥さんの首が肩ごとかくんと縦に落ちる。
「柏木さん、よかったね。冤罪確定だ」
「最低」
絞り出せうる最大限の侮蔑を軽く受け止めて、侭はせせら笑う。
「とにかくこれで前を向く理由ができた。靴紐は結んだかな?」
「うん」
新たに生まれたのは可能性と、不可解。嘆くのは、これらを全部片づけてからだ。
「白鳥さん、もう一度聞きます。死源に入った時、本当に日暮さんは何もしてませんでしたか?」
最初に確かめるべきは、やはり鍵の所有者だ。シド以外の三人目の侵入者。それはすなわち、鍵が複数存在していることを示している。
「本当だ。俺はちゃんと見てた。タケノコ掘ってた日暮さんが急に消えて、俺と烏丸先輩で驚天動地してたら、いきなり砂漠にいたんだ」
その時の絶望を思い出したのか、目に涙すら浮かべる白鳥さん。でも、私の思考はささくれ立つ。
「なんか、変じゃないですか?」
「嘘じゃない。俺は被害者なんだ。死源に入る方法も鍵も知らない」
そう、変だ。白鳥さんの言葉はすべてが真実に思えた。今だって詳細に遭難当初の三人の位置関係を再現し、説明を補足してくれている。だからこその、違和感。
「でも、さっきは異空間の壁で遊んでいたら迷い込んだって言ってましたよね?」
「……」
オーバーアクトの動きが止まる。狼狽、逆上、虚偽のはらわた。けれども返ってきた言葉は、私の予想に反するものだった。
「俺、そんなこと言ったっけ?」
「え?」
首をかしげる白鳥さん。依然として、嘘をついているようには見えない。でも、確実に白鳥さんは自分から壁に踏み入ったと言っていた。記憶違い? そんなバカな。
「これはまあ、僕のせいかな」
混乱する私の背からかけられる侭の言葉。「どういうこと?」意味を問うと、不機嫌そうに息を吐く。
「狂人は自分のことを狂人だと思わないって話」
「うん?」
雲をつかむような言葉選び、催促してやっと引き出せた追加説明によると、記憶を失った人間はときおり、脳内で情報を補完するために偽の記憶を作り出すことがあるらしい。今回の場合は、死源に入る前後と私たちに関する記憶を消し、後者のみが復旧したせいでおかしなことになったというのが侭の推測だ。
「いわゆる作話だよ。あの狂人は、自分が嘘をついているだなんて思っちゃいないんだ」
「そういうこと?」
理屈には納得がいった。実際そういう話を聞いたこともある。でもなんだろう。侭の言葉の端々に込められた感情、憎悪とまではいかないまでも、嫌悪のような。
「僕は狂人じゃないからね」
私の無言の問いかけに対し、手渡されるのはやはり曇天の切り抜き。答えたくないと言いたげに後ろを向かれては、私には踏み込みようがない。ひとまず、今はしまっておこう。
「とにかく、俺は嘘なんてついてないんだ。烏丸先輩に誓ってもいい」
「分かりましたよ」
これ以上がらんどうの記憶をつついてもかわいそうだ。話題を次に移そう。
「その烏丸さんについてなんですけど、あの、本当に死んでたんですよね?」
「……うん、間違いないよ」
重苦しいうなずき。私もしかとその目で見届けた、死の真実。けれども私の真意はそこにはない。
「柏木さんはこう言いたいわけだ。もしかすると、死源の逆再生の作用で生き返ったりはしないのか、と」
私の真意を的確に見抜き、せせら笑う侭。
「もしかしたら、だけどね」
もちろん、彼の死は私自身の目で確かめている。けれど時間を超越するこの死源が、人の死さえも反転させられるとしたら、そう思わずにはいられない。
思い出すのはひと月前。凪の語った、「死人を連れ戻す能力はない」という言葉。確かに前例はない。でも、時間逆転の前例だって、死源の外にはなかった。
「それはない」
今度もやはり、否定してくるのは凪。言葉には確信が宿っている。
「言い切るんだね」
「ああ。死体に意志はない」
凪の言葉はきっと正しい。もし仮に逆再生が一時的に死を覆すとしたら、無念の死を遂げた烏丸氏はその場から逃走し、白鳥さんと合流するだろう。そうせず、かつ日暮氏が毎回烏丸氏を殺しているわけでもないのであれば、あれはつまり成れの果てなのだ。
死源の意志に抗えず動き回る、歩く死体。ただの物質の逆再生。悲しいけれど、頭を切り替えるしかない。
「時間逆転と、人の意志」
逆行する時の流れに抗えるのは人の意志だけ。そう考えると、一つ分かることがある。私を襲ったサイコキネシスの正体だ。直前の発言のせいで勘違いしかけたけど、あの時シドは手を下げていて、凪の言葉を信じるなら、能力を使っていない。だからあれは、再現されたシドの異能だ。二周目で凪を吹き飛ばした異能が五周目で私を襲う。にもかかわらず逆再生して地面に叩きつける力になっていないのは、きっと異能が意志そのものだから。つまり超能力は履歴を残し、純粋に繰り返される。
「そういえば、常盤君のほうはどうだったの?」
「俺のほうは、微妙だ」
シドと不毛な戦いをして引き分けたことと、シドの背後にオブジェがあったこと、爆発に阻まれて詳しくは調べられなかったこと。面白くなさそうに語る凪。
「シドは爆発に驚いたりは?」
「してなかったな」
むしろ、それ想定で行動していたらしい。シドと日暮氏は協力関係ということだろうか。目線で白鳥さんに聞いてみるけど、反応は否定のそれ。「あんな黒ずくめの知り合いはいないよ」という言葉を呑み込むしかない。
思い出すのは春先の事件。結果か意志か、同じ目的に向かって動く理解不能のサブマリン。悲壮、激情、人殺し。苦悩は巡り、けれど心の内側からは這い出ない。
「で、次はどうすんだ」
私の悩みとは真逆の、躊躇も逡巡もない凪の言葉。応じたのは、私ではなかった。
「もう一度、日暮さんと話がしたい。先輩とも、向き合いたい」
決意を帯びた白鳥さんの声。震え、ためらい、苦しみに唇を噛んでいる。今の私なら、少しだけその気持ちが分かる。
「行きましょう」
そもそもだ。あれだけ蹴られたのに、まだ私はろくに会話もできていない。このままじゃ、なじられ損というものだ。
そこそこしんみりした会話が繰り広げられていますが、白鳥の独り言履歴は絶賛リピート中であり、天音たちにストレスを与え続けています。これがなければ白鳥への心証はもう少しマシだったかもしれません。どのみち発生源は健在なので微差ですが。




