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溺れる者は罰をもつかむ

 暗転した世界が徐々に明るさを取り戻す感覚。この日何度目かの失神からの復旧。健康被害を真剣に心配しつつも、今回は六周目の開始ではない。


「いったた」


 脱臼寸前で痛む肩と、腕や頬の擦り傷。その熱を冷ます泥土のざらつき。耳に入り込む不快なねばつき。落ちた高さのわりには軽傷だけど、まずい状況だ。


 私は今、流砂の中にいる。


 被った損害の代わりに確信できることが一つ。この死源の攻撃は、やはりこの流砂だ。正確には流砂ではなく、落下。砂に足をとるのだと思っていたけれど、効果範囲は空中にも及んでいた。そして、放物線と描いていた私をわざわざ下に叩き落すほどの効力は、この落下が物理現象よりも高次の現象であることを示している。


「でも、どうやって脱出しよう」


 閉じ込められた砂の牢獄。どのぐらい気絶していたかは分からないけれど、沈みゆく体の埋まりっぷりからして十分と経っていない。時間逆転はまだ遠く、異界が私の窮地を救ってくれることには期待できない。


「助け、来ないかなあ」


 口の中に入ってくる泥を吐き出しつつ、次にすがるはわずかな希望。一応、侭が向かった方向に近いから、もしかすると見つけ出してくれるかもしれない。でもよく考えたらこの流砂は近づく人を呑み込むわけで。侭が来たところでミイラを増やすだけだ。


 凪ならあるいは。そう考えて天を仰ぐと、悪夢のようなタイミングで空に身を投げていく知り合いの姿が見えた。影は二つ、白鳥さんも一緒らしい。ビル街の方角に飛ばされている。あれでは私を助けるどころじゃない。


 自力で脱出しなくては。侭の言葉を思い出しつつ、どうにか足や腕を上に持っていく。けれども疲労とケガとで思うように動かない。中心に近づかなければ、つまり山に登ろうとしなければ流砂は止まるはず。でも止まったところで沈み切った体が浮かんでくれるわけでもない。


「おぼ、溺れる」


 今言うことじゃないけど、私は焦ると思考がまとまらないタイプで、思考がまとまらないと行動もボロボロになるタイプなんだ。肩が沈む、足を上げるより速い。間に合わない。そもそも山はどっちだ。無意味に頭を振ってみたり、無謀を承知でジャンプしようとして、いわゆるパニック状態だ。


「助けて、誰か。助けて」


 じりじりと喉元に近づいてくる泥の水平。好転しない地平、現れない助け。それらが少しずつ私の思考に絶望の二文字を突き付けてくる。


 呼吸が追いつかない。まだ首も目も泥の上にあるはずなのに、少しずつ暗み、苦しくなっていく。何も見えない、呼吸ができているかも分からないまま、夢中であがく。嫌だ。死ねない。死にたくない。


 泥の代わりに、丸いものをつかむ。なんだろう。太い枝、冷たくて、少しごつごつした、けれどもなめらかだ。それから、ごわごわとした球体がもう一つ。あるはずのない天の助け。命の危機がすべての疑問を流砂の底に流す。無我夢中だった。爪を立て、握りしめ、何かを支えに体を押し上げる。


「っぷは」


 顔が泥の上に出る。そのまま上半身、下半身を抜け出させ、どうにか流砂の外側に体を転がりださせる。


「や、った」


 全力で息をして、泥を飲み込んでむせこんで、爆音を出し始める心臓に生命を教えられ、それからようやく、自分が何に助けられたのかを知る。


「白鳥さん?」


 私がそう思ったのは、垣間見えた背格好が似ていたからだ。少し伸ばした茶髪に痩身。目元とか、顔のパーツも近いのかも。でも、少し線が細くて雰囲気が違うから、別人なのだろう。


 そう、そこにいたのは人だった。


 いるはずのない第四の侵入者。その正体を疑問に思うことなどできなかった。それどころではなかった。だって、その人は体のほとんどを、泥の海に沈めていたから。


「え?」


 フラッシュバックする記憶。私は砂から抜け出すために何かに身を委ねた。支えにして這い上がった。それはつまり、私の代わりに下に向かって落ちた何かがあったわけで。私が砂に押し込んだ球体は、ちょうど人の頭の大きさをしていたわけで。


「だ、大丈夫ですか」


 流砂の端から急いで手を伸ばす。けれども反応はない。砂中に頭をうずめたまま、身じろぎすらせず、私に何かを突き付けてくるだけだ。

 窒息、溺死、不慮の事故、殺人事件。様々なワードが脳裏をよぎっては消えていく。

 死んでいる? 私が殺した? 私のせいで人が死んだ?


 膝から下に力が入らなくなって、その場に崩れ落ちる。助けないと。どうやって。情けないことに、私の体は我が身可愛さに動こうとしない。


「他人を突き落としてまで助かりたかったんだね。」


 幻聴。きっとそうに違いない侭の言葉。このまま私が戻ったら、侭はなじってくるだろうか。なぜか、そうはならない気がした。だからこれは幻聴で、でも無視することのできない言葉。


 考えろ。まだ何か方法があるはずだ。鞄の中には砂とガラクタだけ。でも、服を脱いでロープにすれば距離は届く。露出している右肘に一周させられれば引っ張れる。でも私の力で引っ張ってどうなる。考える間に肘が埋もれていく。ダメだ、次の方法を。そうだ、もう一度流砂に入ろう。あの人を助けて、それから私を助けてもらおう。ああ、でも、もしすでに遅かったら。


 足元の砂が崩れ、爪先が流砂に触れる。


「あははっは。」


 響き渡る幻聴。気づけば、走り出していた。


 もう数分もせずに時間逆転が起きる。そうなれば私は再びアリジゴクの巣に逆戻りするかもしれない。男の人に見えるだけでただの瓦礫の残骸かもしれない。後付けの可能性が私の背中に鞭を打つ。


 夢中で走り、無心で走った。たっぷり五分、流砂が見えなくなるまで離れてから、自分の頬を涙が伝っていることに気づく。人が死んでいた、何もできなかった、自分が殺したのかも。罪悪感と無力感に全身を支配されたまま、暗転する意識に身を委ねるしかできない自分を呪った。




 砂漠の中心で夢幻が覚める。いっそ砂の中に閉じ込められてしまえばよかったのに、私の両足はしっかりと地面を捉えたままだ。肩にかかる砂もそのままに、急いで来た道を引き返す。


「何も、ない?」


 砂山を目印に戻ってきた事件現場。けれどもそこに砂地獄はなく、名も知らぬ誰かもいなかった。


 流砂の発生個所が変わることに関しては前例がある。でもそこにいた人まで見えなくなるのは変だ。少し考えて、男の人が途中から穴に落ちてきたことを思い出す。


「いた」


 視界を見渡すと、砂山の陰に消えていく人の影があった。背格好からもさっきの人に間違いない。


「よかった」


 世界が少しだけ明るさを取り戻す感覚。人影は歩いている。だから死んでいなくて、つまり私が殺したわけじゃない。安易な暗示で安堵する私は、けれどもすぐにその不可解に気づく。


「何、あの動き」


 思考は言葉を止める。疑問の答えなど、考えるまでもない。動きを見れば一目瞭然だ。だって、その人は嫌になるほど自然に後ろ向きに歩いていた。


 まるで、という形容詞は間違っているのだろう。でもそう言いたい。まるで時間を巻き戻すかのように後ろへと進んでいく男の人。目はうつろ、体幹もぶれていて、昔見た映画のゾンビを思い出させる。これも、まるでだ。


「待って」


 半ば答えにたどり着きながら、それでも私は影を追う。諦めきれなかった。オブジェを無視し、砂山を回り込んだ先で、私の体は何かにぶつかる。


「……あ」


 一瞬、さっきの男の人が立っているのかと思った。にっこり笑いかけて、ドッキリ大成功なんて看板を掲げて、私の心配事を無に帰してくれるんだ。でも私は知っている。つらいときに見る夢や幻は、いつだって覚めている。


「罪人にはしかるべき罰を。仕方ないけど、これも神の役目なんだ」


 冷ややかに通る声と、何かが爆ぜる音。私は目の前にいる人物の正体に気づく。当然だ。私が飛ばされた方角は死源の中心方向、その先には日暮氏の住処があるじゃないか。


 日暮氏は私から距離をとったまま、腕をかざす。爆発物を操る異能。身をもって何度も知らされた力が、直接的な暴力となって私に襲い掛かろうとしている。


 逃げないと。受け入れよう。思考の虚ろを二重奏が通過する。だから私は動けない。遅れて、耳に覚える電子音。


「――っふ」


 喉の奥から破裂音、お腹の内側にずぶりと、まるで内臓をずらされたかのような衝撃が響く。体内で日暮氏の異能が炸裂したと私の意識が気づくころには、すでに体は地に伏していた。


 目からは涙が飛び、筋繊維が亀裂を訴え、骨格と脊髄が姿勢を無理やりニュートラルに戻してくる。方々から訴えられる危険信号に従って私は悶絶し、横転し、ガツンと、近くにあった瓦礫に頭をぶつける。


「――」


 声にならない声が喉の上側から出るのを感じながら、片手を痛みの方へ遣わせる。額の右側、触れて分かるほどの皮膚の隆起と、ぬめりという感触が出血を伝えてくる。


「あ、ダメだ。これ、ダメ」


 指先を赤に浸して、その分頭は青く暗く落ちていく。


「ああ、困るよ。神の許しもなく意識を失ってはダメだ」


 満身創痍の私に近づいてくる日暮氏。痛みで気が遠くなるのは防衛本能だ。無茶を言わないでほしい。そんな言葉を言うほどの元気もない私の頭を、日暮氏の両手がぐいと持ち上げる。


「ほら、よく見て」


 ぼやけていく視界の先には、逆再生でどこかへと戻っていく誰かの姿。今の私よりもさらに死に近く、たどり着いているとしか思えない。


「あれ、誰、なんですか」


 回らない呂律で、返るはずのない答えを期待する。


「神の国の礎。尊い犠牲だ」


 言葉の意味が理解できない。息を吸い込んで、血の臭いに咳き込む。自分の血だ。きっとこれは、罰なんだ。神罰かは分からないけれど、私への罰。力を振り絞って、目を開く。


「死、んでいる?」

「そう。あれは死体だ」


 宣告が刃となって私の両目を切り裂く。睫毛にたまった流血が決壊し、私に血の涙を流させる。そのせいで、こらえていた涙までもがあふれていく。どうして私はこうなるんだろう。無知を振りかざし、好奇心に負け、超常に関わっては誰かを傷つける。こんなことなら、いっそこのまま。


 マイナス思考が頭の回転を止め、代わりに砂嵐のごとくノイズが交じりだす。ああ、変だ。まだ一時間は経っていないはずなのに。意識が途切れていく。負荷が、耐えられない。私の。


 ごめんなさい。頭の中で反響するその言葉は、しょせんは頭の中にしかない夢幻だ。黙って気絶してればいいのに。


「まったく、しょうがない子だなあ」


 流れ出る心の雫。落ちていく暗闇の途中、誰かの足音が聞こえた気がした。

柏木天音④:本作において主人公とは一騎当千の活躍をする者ではなく、苦境と困難を一身に受ける者のことを示します。がんばれ。

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