時の狭間の作戦会議
⑤
腕を這う鈍痛に目を覚ます。鈍痛。つまり、時間逆転の負荷に抗うことはできなかったらしい。床のコンクリートが、地に伏す自分の姿勢と場所移動がないことを教えてくれる。今回は逆転前に移動していなかったから、これは予想通りだ。
隣で白鳥さんが十七時五分を告げる。およそ五分ほど気を失っていたらしい。倒れたままの耳に逆再生の自分の声、そして予定調和のように転がってくるスマホ。時計は十六時五十五分から順行を再開中。それらすべてが、仮説の正しさを証明していた。
「うまくいったみたいだね」
「はい」
間違いない。この死源の正体は逆再生だ。
まだふらふらしている凪と侭とを揺り起こし、腕を襲う痛みに少し悶えて小休止。廃墟の部屋で円を作り、状況を共有する。予想通りの展開が予想通りに起きただけあって、二人の顔に驚きはない。
「次はどうするんだ?」
凪の問いに対し、私自身も確たる答えは持ち合わせていない。もちろん、死源の中心を目指すという命題は続行している。でも、リセットの中心が逆再生の中心になっただけで、結局状況はさほど好転していないのだ。私の脳は多すぎる情報と課題にパンク状態で、正直もうちょっと眠りたい。
「時間の中心ってどこだろう」
「普通に考えるなら、順行と逆行の境目じゃないかな」
白鳥さんのまっとうな意見。ところでこの人はナチュラルに議論に入ってきているけど、侭的には大丈夫なんだろうか。視線を送ると、こめかみに指をあてるジェスチャー。ああ、用事が済んだらまた記憶を消すってことね。えげつない。
「つまり柏木ちゃんたちは超越負荷を乗り越える手段を探さないといけないわけだ。策はあるのかな?」
少し考える。目的を絞ると、かろうじて案が浮かんでくる。
「一番簡単なのは、時間の流れが切り替わる瞬間だけこの死源から出ることです」
私たちが意識を奪われるのは時間逆転からおよそ五分。
「結局死源の内外で時間の流れが変わるから気絶するんじゃない?」
「そこは大丈夫かと。白鳥さんが二回目に入ってきた時、気絶とかしましたか?」
「いや、してないよ」
さっき「ぼうっとしてた」と言っていたから、意識があるのは予想通り。そして、これにより仮説に根拠が生まれる。私たちが入ってきた周回を①とすると、白鳥さんが死源に戻ってきたのは④の周回。必ずどちらかは外部世界と時間が逆向きに流れている。
「なんか変じゃないか?」
コンクリートに寝転がりながら疑問を呈する凪。言いたいことは分かる。
「死源の外から入る分には、壁が慣らしてくれるんだと思う」
透明な壁は物理的に厚いかはともかく、通過に際し長い体感時間を私たちに要している。異界に入るための下準備を済ませていると好意的に考える。凪も「いきなり気絶じゃ味気ないか」とよく分からない納得を示す。
「一時離脱、いいじゃないか。すぐ試そう」
乗り気になる白鳥さん。対して冷静に首を振ってくるのは侭だ。
「問題が二つあるね」
「うん」
一つ目は語るまでもない。鍵の回数制限だ。私たちが使えるのは侭の鍵の一回だけ。これを使うと外の世界に出られなくなる。こんな快適な砂漠で餓死の心配はしたくない。偽の鍵が離脱に使えないことが恨めしい。そして、二つ目。
「超越負荷を克服することと、中心にたどり着くことはイコールじゃない、ってことだよね」
「その通り」
時の狭間が中心だとすると、私の感覚だとそれはほんの一瞬だ。時間が等しく流れ続けているこの死源で一瞬を制したとして、本当にそれで終わりなのだろうか。
それにもう一つ、違和感もある。
「しっくりこないならやめとけ」
見透かしたような凪の一言に、私の旗色は白く染まる。結局はそこなのだ。
それぞれの確信度はともかく、凪も侭も死源の謎は解けるものだと言っていた。実際、この死源の法則は強固にできていて、スフィンクスの問答のように立ちふさがっている。だとしたら、異世界の法則を解くために現実世界を使うのは謎を解いたと言えるのだろうか。
「出たり入ったりは、フェアじゃないよね」
「俺も同感」
何か通じ合うものを感じて気分がいい。凪もそうなのか少し笑顔だ。その顔が、急に訝しげに歪む。
「どうしたの?」
「出たり入ったり」
さっきの私の言葉。何かが引っかかったのか、凪は体を起こす。つかつかと歩いていく先は、白鳥さんのもと。
「お前、本人か?」
「ずいぶんと難しいことを聞くんだね」
主体の分からない問いかけ。ともすれば敵意すら感じられるその問いかけに、白鳥さんは面食らう。
一方私はというと、凪の失礼な物言いに違和感を抱いていた。凪は男子高校生相応に無礼なほうではあるけれど、相手を見て敬意や親しみをコントロールできるタイプに思える。
「俺が俺自身であることを証明しろ、か。哲学だね」
白鳥さんは不躾な問いかけに疑問を抱けど怒りはしない。
「自己同一性。アイデンティティの一貫こそが重要だと俺は思うよ。寝ても起きても時間が逆転しても俺が俺でいられるのは、俺の記憶を使ってやりたいことがある俺がいるからだ。そこさえ一貫していれば、たとえ全身のパーツを取り換えても俺は俺なんだ」
いや、もしかすると持論を語るチャンスに喜んでいるだけなのかも。
「なら目的はなんだ」
「さしあたっては、君たちの信用を得たい。一人はつらいからね」
論点がずれていく感覚。けれども凪の中では一つの結論が出たのか、それ以上問いを重ねることはしなかった。
「結局何が聞きたかったの?」
「俺に聞くなよ」
ほかに誰に聞けっていうのさ。恐ろしいことに凪はとぼけている様子がない。本当に直感だけでほぼ初対面の年上に圧をかけに行ったらしい。怖すぎる。そして、何を思ったのか今度は侭の方へと歩いていく。
「おい侭」
「何かな?」
「俺は何がしたかったんだ?」
険しい表情でなんだかとてもマヌケなことを言い出す凪。
「それを教えてやる理由は僕にはないよ」
「それもそうか」
多くの疑問を主に私に残しながら、凪は自分の手番を終えたと言いたげに私の隣に座り込む。まあいいや。無軌道の相手は疲れるだけだし。
「次はどうするのかな?」
白鳥さんの問いに困りつつ、視界は窓の外へと向かう。時間的に、そろそろ逆逆再生で謎のオブジェが破裂するはずだ。法則通りに動くものを見て気分を落ち着かせたい。超越負荷で十二分ずれた時計とにらめっこしつつ、あと十秒。三、二、一。
「あれ?」
泥のオブジェは何事もなかったかのように鎮座し続けている。もしかして時間を間違えた? いや、よく見ていなかった一回目はともかく、逆再生した時刻はちゃんと確認した。間違うはずがない。
「どうしたの?」
「あそこのオブジェ、そろそろ爆発するはずなんです」
さすがに逆再生説を否定するには根拠が揃いすぎている。だからあのオブジェには、私が解き明かしていない別の法則、あるいは例外処理が働いているのだろう。
「この空間が、あれを必要だと判断したとかね」
「と、言いますと?」
「この空間、死源は中心にたどり着く人間を邪魔するんだろ? あの塔は同じく移動を邪魔する機能を持っていて、だから死源にとって残す価値があったとか」
「なるほど?」
納得できるような、できないような。なんとなく詳しそうな凪の反応を伺ってみると、「否定はしない」くらいのニュアンスの無表情だ。けれども疑念はあるらしく、低くうめく。
「こんな複雑になるのも変なんだよな」
「前回の話?」
「ああ」
「もうちょっと詳しく聞いてもいい?」
今は少しでもサンプルが欲しい。凪であれば侭と違って情報を出し渋ったりはしないだろう。凪は少し悩んでから、「しょうがないか」と承諾してくれる。
「待った」けれども当然のごとく止めに入る侭。
「んだよ。話さないと進まないだろ」
「約束が違う。すべてを話すのは今日を乗り切ってからだって、柏木さん言ったよね?」
「近いことは言ったけど」
「自分の言葉には責任を持ちなよ」
なぜか諭すように言ってくる侭。そして、なぜか「じゃあやめとく」と物分かりの良さを見せる凪。言霊を質に入れられただけなのに、まるで私が悪いみたいじゃないか。
「不可解の裏には必ず人の意志がある」
しょげる私をさすがにかわいそうに思ったのか、凪が一言だけ助言めいたものをつぶやく。けれどもその真意が語られることはやはりなく、いたずらに私の混乱だけが風に煽られ逆巻いていく。
「まあまあお三方。とりあえずは外に出て情報を集めに行こうじゃないか。このままじゃ景色が変わらなさ過ぎて退屈しちゃうって」
なんだか三人がかりでなだめすかされているような気分だけど、白鳥さんの言う通りだ。逆再生を視点に入れたうえで見れば、死源の現象もまた違って感じられるだろう。
それに、さっきの凪の言葉が少し気になる。死源に便宜を図り続ける日暮氏の不可解。その裏側に潜む意志とは何なのか。ろくに話もせずに追い出してしまった彼も、きっと死源の現象によって引き戻されているはずだ。一度話を聞いてみたい。
「よし」
まずは日暮氏に会いに行こう。顔を上げ、白鳥さんを連れて部屋を出る。なんでって、残りの二人はすでに部屋にいなかったから。
「俺は柏木ちゃんについてくからね」
「……ありがとうございます」
情報収集は自由行動って意味じゃないんだけどなあ。
建物を出ると、視界の端には走っていく凪と、その反対に向かう侭の姿。さて、どっちを追いかけようか。日暮氏の方向に向かったのは侭のほうだから、侭かな。
そう思ったけど、やめた。シドの話を聞きたいと思っていたことを思い出したから、ではない。一瞬こっちを振り向いた凪が、侭の方を指さしていたからだ。他人に責任を擦り付ける悪ガキには、お説教が必要だ。
柏木天音③:彼女の役割の一つは作中における倫理観と常識の提示です。好き放題させている男どもと違い、それなりに読者受けを考えた行動をとるよう性格設定しています。




